シャドウたちの渇望
特別任務を命じられたウェアル。その任務を隠蔽するためにウァーテルが陥落したドサクサのうちに、可及的速やかに出発しなければならない。
とはいえ最低限の準備は必要だ。出発に必要な荷物を蒼叉様が用意していたならば、残り一つの用をすまさなければならない。
そう考えてウェアルは素早く周囲の気配を探る。そうして目当ての人物一人を見つけ出した。
もう一人はウェアルの索敵範囲の外にいるのだろう。やむなくその人物に伝言を頼むことにする。
「桐恵義姉上、お伝えしたいことがあります」
「どうした?」
短く淡泊な反応を返す短髪の女シャドウ。
桐恵・アトナイヴ。ウェアルを引き取ってくれた血のつながっていない家族の一人。
その体つきは細いが、目は切れ長で女シャドウにしては身長も高い。放つ雰囲気は酷薄で血の匂いを薫らせる腕利きであり、姫長の側近組に所属している。
いまだ下級シャドウの一人にすぎないウェアルにとって中級シャドウよりも怖い雲の上に位置する存在だ。仮にも敵地・作戦中にで気安く声をかけていい相手ではない。
とはいえ特殊任務によっていつ逢えるかわからないなら出発前の挨拶ぐらいすべきだろう。
「このたび四凶刃の蒼叉様より任務を言い渡されました。それで発つ前に一言ご挨拶をしようと」
「ふうん。そう」
冷たい反応。そこに動揺も興奮もない。確かに姫長の側近を務める桐恵にとってはどうということのない話だろう。当然、祝福の一言もない。
しかしウェアルとしては「よかったな」の一言が欲しかった。
大半のシャドウが渇望してやまない特別任務。聖賢の御方様からいただいた膨大な恩をようやく返せる機会がようやくめぐってきたのだ。
ウェアルの本音としては快哉を叫び、仲間に酒をおごってでも自慢したいところである。
「・・・・・」
「ッ!?」
そんなウェアルに対し桐恵は殺気まじりの視線を送ってきた。たちまちウェアルの高揚した気分が消えて失せる。
すでに任務を成功させたかのように浮かれるウェアルにお怒りなのだろう。さすが上位の方々に侍ることを許された側仕えは任務の厳しさを骨身にしみて知っている。
さすがは『庭師』だ。
「ウェアル、シャドウとして任務の内容を尋ねたりはしない
だがシャドウの姉としてこれだけは言っておく。まず生還を第一に考えなさい」
そう告げる義姉は何かを察しているのかもしれない。
だが下級シャドウが命を賭けずして何をできるというのか。これは最大のチャンスなのだ。
「わかりました義姉上」
シャドウは聖賢の担い手イリス様から返しても返せない恩を受けた。
里を守っての魔神討伐。そして人には有りえない『力』をもたらされ魔物に対抗する術まで教えていただいた。
当然、すべてのシャドウが絶対の忠誠を誓い、御館様のご下命を待ち望む。密偵として身を粉にして働き、聖賢のご指示なら汚れ仕事もいとわない覚悟をきめていた。
「ウェアル・アトナイヴ。生還を念頭におき任務を必ずや成功させてみせます」
にもかかわらず大半のシャドウに課された仕事は待機任務に等しい農耕・職人の真似事ばかり。
そして教育を施されたシャドウたちはいくら無念でもそれに納得をせざるえなかった。
〔情報戦というのは数や違法行為に終始する暗闘じゃない。
他人が価値を見出せない情報を解析して未来を予測する知性の輝きこそが情報戦だよ。
それができるようになるまで君たちの密偵任務は禁じる〕
〔『コイントゥルス』仕掛けて与えた『情報を言霊』と化す。その言霊・釣り針を飲み込んだザコは呪縛される。不用意に食べた情報以上の価値あるモノを吐き出す呪縛をね〕
今更、御館様が下級シャドウの予想をはるかに超えることに驚きはない。すでにその気力は萎えた。
だが聖賢の担い手様にも血族がいて同程度の・・・訂正、遙かな高みで連携を取るとは凡百に等しいウェアルたちとって埒外にもほどがあった。
事実上シャドウの密偵は《邪魔》と言われたに等しいこの状況。 大恩を返せず鍛えられた力は振るうことを許されず。
「それでは早急に出立しろと命じられているので、私はこれで。葉霧の義姉上にも伝えてください」
「・・・・・ッ」
今回の任務は単なる名をあげるための点数稼ぎではない。
今まで溜めに貯められた力を爆発させる。聖賢の手駒・配下としての有用性を示しシャドウたちの誇りを取り戻す千載一遇の機会だ。
くすぶっている仲間たちのためにも絶対に失敗は許されない。
そう決意して慌ただしく出陣したウェアルの視界に桐恵の表情が入ることはなかった。
【何を言っても無駄だろう】そんな風にあきらめた目と視線をあわせることはなかった。






