追跡
短い睡眠の中で蔡茌紾は夢を見ていた
夢の中では紾は訓練士の格好をしており、周りには送り出した筈の犬達が嬉しそうに頭をすり寄せてくる。懐かしい光景に、そのまま身を委ねる
蔡茌 紾
「元気にしてたか」
この子達は素直でいい子だ。真摯に向き合えば必ず応えてくれる。1匹、1匹の頭を丁寧に撫でる
すると撫でていった犬から皮が溶け骨になり…やがて灰になっていく…
止める術もなく残酷な光景を唯見ているだけしか出来ない。そして自身も息苦しさに襲われ、目の前が真っ暗になった
ーーー ーーー ーーー ーーー
蔡茌 紾
「ぐっ、、は、はぁ、はぁ」
黎ヰ
「起きた」
悪夢から目を覚ました紾は、息苦しさの中あまり見慣れない顔と目が合い、まだ夢の中なのではと疑う
黎ヰ
「あー、酸素回ってないっぽいな…やり過ぎたか」
パトカーを見にきた犯人が、携帯から別の人物へと報告し次の指示を仰ぎ、廃校舎の中へと入って行った
この時点で黎ヰは、犯人の態度や言動から二人の間に上下関係を決定づけた
だが、犯人達の盗聴が終わっても紾が一向に起きる気配を見せないので、痺れを切らし鼻と口を同時に塞ぎ、今に至る
黎ヰ
「紾ちゃん〜色々言いたいけど、とりあえず俺が誰だか分かる?」
蔡茌 紾
「……くろ、い…、あぁそうか思い出した」
段々と記憶が蘇り紾はようやくこの状況を理解した
蔡茌 紾
「起こしてくれたのか、すまない」
黎ヰ
(態度から察するに気づいてないな)
黎ヰの起こし方で殺されかけた事など知らず、呑気に紾はお礼を述べた
ややこしい口論を省けた黎ヰは内心ラッキーだと思う
黎ヰ
「寝ぼけ頭で悪ぃけど、歩きながら説明するから準備しな」
促されるまま、紾は黎ヰと共に外へ出た
蔡茌 紾
「ごほっ、ごほっ、乾燥か?やけに息苦しい」
心当たりしかない独り言はもちろんスルーし、黎ヰは現状を説明していく
先ずパトカーに様子を見にきた犯人は、中に誰もいない事を知ると携帯でもう一人に連絡をした
残念ながら、電話越しに居る人物については妨害電波のせいで盗聴は出来なかったが、丁寧にももう一人がペラペラと言われた事を喋ってくれたお陰で犯人達の行動を把握する事が出来た
要約すると、警察官…つまり自分達の行動を探り必要なら調査の妨害をするつもりらしい
黎ヰ
「武市智秋を殺害した奴はかなり警戒心が強い、十中八九廃校舎に入った奴は俺らをおびき寄せる為のエサだ」
蔡茌 紾
「味方を囮役に?そう言う作戦か、ならこっちも警戒しないとな」
黎ヰ
「いーや、二人の犯人の間には力関係が存在してる。この場合囮役が下僕だろうなぁ」
蔡茌 紾
「言葉を選べないのか」
黎ヰ
「クククク、紾ちゃんの反論の意は最もだが向こうさんもそう認識してるよ」
確かに黎ヰの言う様に、二人の犯人達の関係は対等ではないかもしれない
だからと言って、自分達まで同じように見る必要はない筈だ。紾の顔が渋いものになったのに気付いた黎ヰは、彼が先に何かを言う前に口を開いた
黎ヰ
「頭が堅いねぇ、俺が言いたいのはそこじゃない。いくら頭数が対等とは言え、相手は殺人の容疑者で地理的にも向こうが有利。そんな奴らを捕まえるのに当たって砕けるじゃぁ、愚の骨頂、論外、問題外、木偶の坊、能無し、役ただず、」
蔡茌 紾
「分かった分かったよ、だから一回止めてくれないか」
急な暴論に耐えきれなくなり思わず止めてしまった。察しの悪い自分へと向けられている気がしてならない
妙な冷や汗が出てきた紾は、一瞬で目が冴える
蔡茌 紾
(最後の方はほぼ悪口だったぞ)
狙い通り紾の寝ぼけた頭を覚ますことに成功した黎ヰは、話を再開させた
黎ヰ
「冗談はさておき」
蔡茌 紾
(冗談…だったのか?)
どちらかと言うとタチの悪いお説教な気がしてならないが、これ以上追求したくないので、紾は口を挟まない事にした
黎ヰ
「状況的にはこっちの方が圧倒的に不利と言っても比喩じゃない。だからこそ付け入る隙を見つける必要がある」
蔡茌 紾
「その隙が犯人達の力関係…に繋がる訳か」
黎ヰ
「そう言う事。あと例の劇薬についても話したい事がある」
黎ヰは、武市智秋を殺害した劇薬は最低でももう一つあると説明した。あんな分かりやすい症状の出る薬が今まで使用された事件を知らない
という事はつまり"調合されたもの"で"今回初めて使用された"のだと判断できる
突発的な事件でわざわざ劇薬を武市智秋殺害に使用したのには、ちゃんと理由がありそれはおそらく"実験台"
黎ヰ
「殺人目的の劇薬を一つだけ試作用に作ったとは考えにくいからなぁ」
蔡茌 紾
「成る程。嫌な話だが、試作段階なら量産はしないが実験用にある程度作っていてもおかしくはないな」
黎ヰ
「そっ、ここからは憶測になるが…あんな劇薬を産み出す材料はそう易々と手に入るとは考えにくい、せいぜい後一・二個ぐらいってとこだろ」
因みに、その劇薬を手に入れる事については何も言わなかった。真面目な紾にそんな事を言ってしまうと、優先順位が変わってしまうのは目に見えていた
あくまでも劇薬は黎ヰの目的だ
黎ヰ
「紾ちゃんストップ」
黎ヰが声をかけたと同時に、男は正面玄関の前で立ち止まると、左右を交互に見回した
そして、なんの前触れもなく廃校舎の中へと走り出す
蔡茌 紾
「?!、このままじゃ見失う」
黎ヰ
「いや様子がおかしーー」
目の前の犯人に夢中の紾は、黎ヰの言葉など聞こえる筈もなく男同様、駆け足で後を追いかけていく
ポツンと取り残された黎ヰは、怒るでもなく目を見開いたままだった
黎ヰ
「…あー、そうきたか…」
そこで黎ヰは、自分が一番見落としてはいけないものを見落としていたのだと気付いた
黎ヰ
「曳汐と一緒の脳筋タイプか」
今まで大人しく着いてきて素直に説明を聞いていたから全く気づかなかったが、いざと言う時頭よりも体が動いているタイプだった
黎ヰ
「紾ちゃん気付いてるのかねぇ、向こうさんは俺たちをおびき寄せようとしてる事に」
紾の行動に、怒るでも呆れるでもなく黎ヰは素早く自分がどう動くかを計算していく
このまま一緒に入ってしまえば、間違いなく犯人達の思う壺だ
こう言う時は、こっちと向こうの情報を整頓した方が効率的だ
こっちは、犯人像はだいたい理解しているし"武器"に関しても警戒できている。対して向こうには、こっちの人数は把握出来ていない。だから突拍子な行動をしておびき寄せる必要があったんだろう
黎ヰ
「ってなると、俺は動かない方が得策…なんだけど」
このまま紾を放って置く事に、なんとなくいやな予感がしてしまう黎ヰは、正面玄関ではなく中庭の方へと向かった
黎ヰ
(入るにしても、挟み撃ちの方がいい)
紾と黎ヰ…二人の姿を望遠鏡で捉えていた者が居た
アリババ
「人数は二人…それくらいなら口封じもできるか」
アリババはとりあえず、馬場には紾を拘束するよう伝えた
アリババ
「それじゃ、俺はあっち」
舌をペロリと舐めると、中庭へと歩き出す