手の掛かる新人
時刻は夜中の2時過ぎ
廃校舎から少し離れた場所にある用務員室に紾と黎ヰは居た
先程までは、パソコン越しに黎ヰが作業に没頭していたが、一通り区切りがついたのか今は窓枠に肘をつきながら外を眺めていた。特に会話するでもなくお互いに静かな時間を過ごす
黎ヰは何気なく時計を見て、時刻が最初に確認した時よりも4時間以上経過していた事に気付く
チラリと紾の方を見るとタブレットで事件の内容を何度も読む姿が目に入った
おそらく黎ヰが作業に没頭している中、気を散らさないようにと気遣ってくれたのだろう。だからか少し居た堪れない気持ちがした
黎ヰ
「紾ちゃん、ここからは睡眠と見張りを交代でしねぇ?」
内心、今更だなぁとか思いつつも黎ヰはふとそんな事を投げかけた。対して紾は時計を見ると、今まで下を向いていた顔を声のする方へと向けた
蔡茌 紾
「今からか?構わないが… 黎ヰの予想だとそろそろ事が起こるんじゃないか?」
黎ヰ
「まぁ、確かに」
犯人達が一番動きやすい時間帯は人が最も外に出にくい時間帯…
それに犯行時刻を見ても1時から3時過ぎだった事から仕掛けるのはこの時間帯だと、はっきりと言い切った。
そんなのは黎ヰも承知の上だ。だからか、正論をぶつけられた彼の歯切れは悪かった
暫くの沈黙の後、黎ヰは口を開いた
黎ヰ
「………体力温存の為にも睡眠はちゃんととった方がいいんじゃねーの?見張りは一人で十分だろ」
最もらしい事を言った黎ヰに、紾は微かな違和感を抱いた。どこかよそよそしさを感じる
蔡茌 紾
(眠たいのか?それなら自分から寝る。って言い出しそうだし…むしろその逆な気がする)
つまりは、自分に寝ろっと促している様だった
相変わらず何を考えているかは分からないが、確かに犯人と対面した時の事を想像すると、体力温存は必要な事だ
蔡茌 紾
「分かった。お言葉に甘えて先に睡眠を取らせてもらうよ、30分交代でいいよな?」
色々と気にはなったが集中力が切れた今、正直紾も眠気が襲ってきていたのでこの提案は嬉しいものだったので素直に受け入れる
黎ヰ
「そうそうそれが一番。」
紾がうなづき機嫌が良くなった黎ヰは、いつもの調子に戻る
黎ヰ
「俺は今からが活動時間だから問題ねぇよ。規則正しい生活習慣が身についてる紾ちゃんのが、しんどいだろ?気にせず寝ときな」
だからなのか、ぽろっと本音が漏れ出ている事に気付いたのは、紾の表情が驚きから穏やかなものへと変化した瞬間だった
蔡茌 紾
「つまりは、心配してくれてたのか。ありがとう」
ようやく黎ヰの意図が読め素直にお礼を言った紾に対し黎ヰは、一瞬戸惑いを覚えた
それは今までこんな風に感謝の意を伝えられた事がなかったからだが、ここで動揺した姿を見せれば羞恥を晒す事になると、悟ると咄嗟に思いついた最もらしい助言を並べ立てた
黎ヰ
「言っとくけど、自分の睡眠時間を確保出来てない紾ちゃんの自己管理能力が低下してるって言う、俺なりのありがたーいお説教の意が隠ってるから。起きた時にでもちゃんと反省しときな」
蔡茌 紾
(起きた時でいいんだな)
態度はどこまでも不器用だが、彼なりに自分に気を配ってくれている事は十分に理解できた
だが、これ以上何か言っても黎ヰは何も言わないし、くれた時間が無駄になるだろうと思った紾は軽くお辞儀をすると、寝やすそうな部屋の角に座り目を瞑った
蔡茌 紾
「おやすみ」
黎ヰ
「ごゆっくりー」
何となく呟いた言葉だったが黎ヰが反応してくれた事がおかしくて、少し口を緩ませる
意外にもそれが最後の記憶となり紾が夢の中へ行くのは早かった
黎ヰ
「慣れない事ばっかで疲れてるだろうに、無理しちゃって…手の掛かる新人だねぇ」
静かな部屋で、紾の規則正しい寝息だけが聞こえてくる
黎ヰ
(ま、そんな新人を放置して作業に没頭した俺にも責任はあるんだけど)
移籍してから一週間。目立った事件はなかったものの、毎日慣れない書類作業やらで相当疲れが出てる。そこに輪をかけるようにこの事件
いくら警察官としても所詮は人間、精神的にも肉体的にもダメージを受けていても不思議じゃない
監視官と言う立場上、文句や弱音を吐けないだろうし監察対象である自分達を中心に彼の仕事サイクルは成り立つ
黎ヰ
(紾ちゃんの場合、立場どうこうの前に性分だろうけどな)
流石に自分の限界を超えるような無茶はしないと思いたいが、今は右も左もわからない手探り状態。無茶や限界が何かも分からないだろう
だからさり気なく手助けをする必要がある
黎ヰ
(曳汐や芥の時を思い出すねぇ。面倒見んのは紾ちゃんで三人目か…)
懐かしさに浸りつつも、黎ヰはそのまま窓の外を見張り続けた。もう一度時計を確認する
時刻は3時10分。そろそろかと思った黎ヰは、唯一の灯りであるロウソクに息を吹きかける
黎ヰ
「ふっ」
真っ暗になったものの、目は暗がりに慣れてしまっているので問題はない。これで外から見ても気づかれる事はまず無いだろう
黎ヰ
(さぁ、何人でくるかな)
犯人が最初に取る行動はパトカーを調べる事。中に人は居るのかどうか、それによって犯人達の起こす行動が変わってくるからだ
そして黎ヰが最も気になるのは、そのパトカーを何人で見にくるのか…
殺害方法などの違いから犯人は間違いなく二人居る。もし、対等な関係なら揃って現れるか、お互いに別行動をとる。つまりは協力しながら探りに来る筈
現れるのが一人でそいつが電話や通信機能のあるもので、もう一人に現状を説明していた場合、多少なりとも力関係は存在している。と判断できる
黎ヰ
(前者の場合なら協力してる分多少厄介だろうが、おそらく今回は後者のパターンが濃厚)
それはそれで厄介だし、おそらく危険も伴うかもしれない
黎ヰ
(想定範囲内の最悪は、サイコパスキラーの暴走)
第2被害者に使用した劇薬をもう一つ持って居たのなら、奴は必ずもう一度使用するだろう
黎ヰ
(ま、そうなる様仕掛けるんだけど)
今回の目的は三つ。一つは、二人の犯人の力関係を知り付け入る隙を見つけ出す事。それが出来れば逮捕まで行ける可能性が高まる
二つは、劇薬を使用させる事。正確には劇薬を手に入れ成分を解析する、この結果によっては事件の見方が変わってくる
黎ヰ
(最終目的は"個人"か"組織"かを見極めねぇとな)
個人なら捕まえて終わりだが、組織ぐるみとなると一筋縄ではいかない。そこを見極めず犯人と相対しても事件の真相にはたどり着けない
それはつまり事件解決への糸口が閉ざされる事を意味する
紾同様、黎ヰも残酷無比なこの事件には、小さな怒りと真犯人に対して逃がさないと言う執念を心に宿していた
黎ヰ
「来た、」
薄暗い中、黎ヰの目は確かに人影を捉えた。人数は一人
体格は大柄…歩き方とがたいからしておそらく男性。
身体を痛めてるのか歩き方が不自然だ。この特徴からするにこの人影は、中島健人を殺害した被疑者の可能性が高い
黎ヰ
(見事に引っかかってくれたねぇ)
今すぐに追うのは危険過ぎる。もう一人が何処に居るのかも分からない状態で動きたくない
最初からそのつもりだった黎ヰは、犯人達の会話が分かるようパトカーに盗聴器を取り付けていた
素早く自身の携帯を弄りイヤホンを耳に取り付ける。まだ距離があるのか何も聞こえない
今のうちにスヤスヤと寝ている紾を起こしたいが、黎ヰはその方法に頭を悩ませた
いつもなら派手に遊び心満載に起こしたい所だが、今騒ぐのは馬鹿以外の何者でもない
それに、紾の寝起きがどんなものかも知らない以上は下手に起こせないし、そもそも人を起こした経験がない
黎ヰ
「めぐるちゃん〜…あー、えーと」
人を避けて生きてきたツケが回ってきてるなぁ〜、なんて思いながらもいつまでも悩んでる訳にはいかないので、黎ヰは線がないイヤホンの片方を寝ている紾の耳に付ける事にした
黎ヰ
「叫んで起きるタイプには見えないし、最悪口塞ぐか」
犯人達の声が聞こえれば自ずと起きるだろう。もし、それでも寝ているようなら鼻を摘むのもいいかもしれないと、黎ヰが思考を巡らせた時だった…
馬場
『誰も、いない』
犯人の声が聞こえた