もう少し…
"中央警察病院"で起こった怒涛の日々は、間違いなく今後語り継がれる事になるだろう
世間を騒がせた殺人事件の被疑者である、馬場の搬送と随時の睡眠薬投与、急遽決まった田文の心療受診依頼、押し寄せて来た数十人の毒物検査、その騒ぎの中病院を見張る警察官…
この異様な事態は全て黎ヰの一声によるもので、おかげで医者や看護師、警察官に消防士までもが彼に振り回されていた
それを知る者は黎ヰを恨み、知らない者は目の前の仕事に打ち込んだ。散々振り回され、全ての人が落ち着けたのは完全に外が暗くなり月がはっきりと見える時間帯だった
それは勿論、異常調査部のメンバーも例外ではなく紾はヘトヘトになりながら部へと戻って来ると、自身の机の上にうつ伏せになり意識を手放す
そうなるのも無理はない。火事の騒ぎの後、すぐに中央警察病院へ向かい到着した時には、黎ヰの脅迫めいた言葉に怯えた住人達が病院に押し寄せており、その対応と医師への説明に人数分の毒物検査を依頼する
因みに、あの火事に毒ガスなんてものはなく黎ヰが薬の実験台にされてる可能性が高いというだけで、嘯き無理矢理検査させた事は流石に伏せた
だが、検査の結果は黎ヰの読み通り微量な毒物反応があり様子見の為、全員が数日入院となった
検査結果の情報提示を協力してもらう為その理由と、火事の説明…と言う名の謝罪が続き…やっとの事で全員分の診断書を持ち、異常調査部へと戻ってこれた時には心身ともに力尽きた
蔡茌 紾
「…この度は…大変…申し訳なく…」
曳汐 煇羽
「大変だったみたいですね。夢の中でも謝ってるなんて」
意識を失う数秒前に診断書を預かった曳汐は、うなされている紾を見て少し気の毒に思った
芥 昱津
「煇羽ちゃんも…休ん、だら…疲労してる…よね…」
芥の言う通り、曳汐も田文の警護が終わると、病院へ合流した紾の手伝いと、黎ヰと芥のはしご役兼助手の立ち回りだったので、ほぼ一日中動き回っていた
曳汐 煇羽
「動くのは性に合ってるので、あまり問題ないんですけどね」
度々、黎ヰから脳筋認定されている曳汐は、自分が頭脳派ではない事を知っている
曳汐 煇羽
「芥さんも少し休んでは?お茶でもどうですか」
芥も明け方の解剖から今まで休まず、黎ヰの要望を叶える為、働き詰めだった
照井ユミの検死解剖に、アリババの残したナイフの指紋採取、注射器の中身解析、その他にも黎ヰが拝借した住宅地の壁や埃なども調べていた
先程、紾が持ち帰った人数分の診断書を共通のデータへと保存する。こうしておけば、離れた場所からでもこのデータを見れるようになる
今まで調べていた結果も全てこうやって保存し、黎ヰが見れるようにしていた
労うように、曳汐は署内の自動販売機で買ってきた温かいお茶を、来客用の机の上へと置いた
芥のディスクは解剖部屋の奥にあるので、表にいる時は来客スペースを使っている事が多い
曳汐 煇羽
「本当は淹れたてにしたかったんですけど、朝に全部使い切ってしまって」
使い切った。と言うのが正しいかは不明だが、朝の一件で缶ごと中身を押しつぶしてしまい今ここに茶葉はなかった
芥 昱津
「わざわざ…買ってくれ、たの?…あり…が、とう」
曳汐にお礼を言ってから、置いてくれたお茶を手に取り飲む。暫くすると口の中で想像していたものと違う味が広がると、芥は力なく笑う
芥 昱津
「…あはは…煇羽、ちゃん…これ……ココア…」
曳汐 煇羽
「本当ですね、色が違います。いつもと同じ場所を押したのでよく見てませんでした。すみません」
缶ならいざ知らず、ペットボトルで気づかなかったのは不注意どころじゃないだろう
芥 昱津
「二人して…気づかなかった…なん、て……」
曳汐 煇羽
「まさしく疲労困憊、ですね」
お互いに苦笑いをし、二人は座った
曳汐 煇羽
「そう言えば"疲れたと感じる瞬間が限界ライン"と、黎ヰさんが言ってました」
芥 昱津
「それ…知ってる……だから、その時は…直ぐに休憩…する事って、あはは…懐かしい…ね」
異常調査部に入りたての頃、刑事課は事件解決の為なら無理してでも働く。と言う考えを払拭させる為、黎ヰが二人に言った言葉だった
場合によれば、かなりハードスケジュールになる事もある。だからこそ、疲れた時は堂々と休んでいいのだと…彼なりのそういう意が込められている
芥 昱津
「噂を…すれ、ば…」
黎ヰから今回の事件の詳細などがまとめられた報告書が送られてきた。報告書は本来、管理官に提出するのだが全員が把握できるよう、それぞれのパソコンへと送ってくれる
曳汐も芥も、黎ヰの方が何十倍も仕事量が違う事に気付いていた
もちろん、当の本人は気にもしてない上に「上司の特権だ」と、笑って言うだろう
だが、黎ヰの頭脳が無ければ、経った一日半で事件の全てを明らかにする事なんて出来ない
それを認めているからこそ、癖のある二人は彼を手伝おうと思えるし多少の無茶振りや、やり過ぎな行動ですら文句はない…むしろ彼の仲間である事に安心できてしまうのだった
ーーー ーーー ーーー ーーー
黎ヰは、先程送った報告書を再度読み直し、自身の中で今回の事件を整頓していた
起きた馬場の口を滑らせ、誘導尋問をした結果分かった事は、あの住宅地は実験目的により存在していたという事…
管理人であるアリババは、麻薬栽培が得意な馬場と調合師である女性を使い、住宅地の住人達を被験者に薬の実験を繰り返していた
あの場所に訳ありの人間達が集まった理由でもあるが、アリババは世間から見放され行き場のない連中に『医療の一環として薬の試作品を試して欲しい』と声を掛けた
人の持つ罪の意識を利用したのだろう。医療行為だと言われてしまえば全員が人の為の正しい行いだと思い込む。"自分の身を犠牲にし医療に協力する"そう思い、行動する事で、内にある罪の意識を少しでも減らせる
その証拠に、住人達は誰もが口を揃えて『世界に貢献した』と言っていた。もちろん、その分家賃や賃貸契約も融通が効いた。そこまで融通が効くのなら断る理由が思いつかないだろう
黎ヰ
(人の弱い部分を見事に利用したな)
そして、彼らが善意でそうした結果…体内から微量な毒素が検出される事になる
毒素と言っても殺傷能力があるものではなく、成分としては感情を昂らせる…一種の興奮剤のようなものだった
話によれば、週に一度の頻度でアリババから薬を貰い飲んでおり、次に薬を持ってくるタイミングで、身体に異常はないかなど、いくつか質問をし去っていく。
誰もが薬を飲んで異常を感じた事はなかったと言っていたが、そんな筈はない
黎ヰ
(全員が平等に変化していった…そう考えれば、変化に気づかなくて当然か)
黎ヰは、窓から様子を伺っていた住人達を思い出す。最初は異常なまでの警戒心だと思っていたが、継続的に飲んでいる薬が原因なら納得できた
北田だけ違ったのは、彼女が半年前に引っ越してきたからだろう…薬の影響が他の住人より遅れていたからだ
アリババ達は何の実験がしたかったのか…成果は出ていたのか…住人達が生かされていると言う事は、アリババ達からすれば問題ないと言う事…
つまり、現時点の手札ではやはり組織の目的は解析できない事を意味した
黎ヰ
(薬を作っていた本人ですら言われるがままの状態だとはなぁ…最初から切り捨ての駒だったって事か)
馬場は、用途なども一切知らされず、命令されるがままに栽培していた薬物を調合していただけだった。例の劇薬のように実験以外の謎の薬を作る事もあったが、馬場の口振りからして、効果などは理解していなかった
だとしても…この件に関しては、実行犯は完全に馬場になるだろう
黎ヰ
(なら、この住宅地の実験自体がお試しか…)
もしくは、廃校舎での一件でそうせざる終えなかったのかもしれない。どちらにせよ、相手はかなり用心深く臨機応変に対応出来る組織のようだ
黎ヰは一息つくと、手に持っていたハサミを閉じたり開いたりと繰り返し、事件の流れを頭の中で繋げていく…
訳あり住宅地のアリババ達による薬の実験、馬場と調合師の女性は組織に利用されながらも、薬を作り続けた
ある日、調合師の女性はアルコール中毒を発生させ酔った勢いで危険な液体を飲んでしまう
それが彼女の最後の行動となり、暫くして死亡するが、一緒に居た馬場は酷く動揺し、アリババへと連絡…
その後、アリババは調合師の女性に扮し、馬場と一緒にいつもの夫婦喧嘩を始めた
元々、調合師の女性とは仲が悪く毎日喧嘩が絶えなかったらしい
いつもと同じ事をし、女性は死んでいないと住人達に思わせたかったのと、彼等の興奮状態を逆手に取った行動でもあっただろう
薬の影響を受けているのなら必ず住人達は、騒ぎに聞き耳を立て様子を伺おうとする
そうなれば、一人や二人は騒ぎの現況である馬場達の家の中へと入るだろう
そこで、女性に扮したアリババと馬場を住人達に確認させ証人とした
黎ヰ
(その日は薬を配る日…一番興奮状態になってたのなら、男が女に変装したとしても、細かい所なんかは気づかないか…実際麻薬の成分も入ってたからなぁ、幻覚症状として認識の誤認があったとしても不思議じゃないし、何より思い込みは脳を麻痺させるからなぁ)
悪運が強いと言ったのも、あながち間違いじゃないらしい…すべての条件下がアリババを支援していた
運の良し悪しで言うと、悪かったのは様子を見に来てしまった亜久の方だろう
別の病院へと運ばれた亜久は、自分の身に起きた事を黎ヰに全て話した
数日後に、あの時会った女性がいつも知る人物じゃない事に気づき、それを照井ユミに話してしまう
その時こそ気味悪がっていたが、日が経つにつれ彼らの記憶からは薄れていく…亜久自身もこれがきっかけで命を脅かされる事になるとは思ってもいなかっただろう
黎ヰ
(推測だが、照井ユミはその出来事を外へ話した…)
アリババ達"組織"は女性の死体を利用した可能性が高い。でなければ、馬場に罪をなすりつければ終わる話だ
それをしなかったと言う事は、その死体を実験に使用したかったから…だから敢えて面倒くさい隠蔽作業を選んだ
だとしても、アリババが女性になりすましたと言う理由だけで、照井ユミが殺害されてしまったのには、少し強引すぎる気がする
そんな不確かな情報だけで殺害するのは、逆に足をつけるやり方だ
余程、死んでしまった女性に関してバレてはいけない秘密があるのか…それも考えたが、とてもじゃないがそうは思えなかった
調合師の女性の身元は馬場から得た情報で特定している。が、特別な事はなく…馬場同様、彼女は"天涯孤独の身"だった事ぐらいで、まさしく組織が利用するには打って付けの人間だったろう
黎ヰ
(…彼女自身が特別じゃなくて、実験に使った彼女を捜索されるのが問題だったのかぁ?…にしたって、後先考えてないよなぁ)
黎ヰは何となくだが、ここに組織の謎が含まれているような気がした
一枚岩ではないのかもしれない…上手く隠蔽したかと思えばそれを無駄にしてしまう様な突発的な殺人…明らかに人物像にブレがある
黎ヰ
(実際にアリババも亜久を、そこまで執拗に始末しようとはしなかった)
アリババが証拠隠滅を測ったのは廃校舎事件後…既に照井ユミの死体が発見された後なら、亜久を狙うのも無駄だと判断したか…
馬場からも証言がとれた今、組織がこれ以上この事件に関わる事はないだろう
黎ヰ
(亜久の話によれば、眼鏡を掛けた女の子…ねぇ)
住宅地に住んでいた亜久も、薬の影響を受けている。その彼が見た命を狙う人物…どこまで間に受ければいいのか
黎ヰ
「まずは、照井ユミの失踪前の行動を洗うしかないよなぁ」
防犯カメラや目撃者が見つかれば、必ず手がかりになるだろう
葩永 夏氷
「あのさ、カチカチ煩いんだけど?考え纏まったなら、手休ませたら?」
葩永の部屋に居る黎ヰは、呆れた声に反応し思考を戻す
黎ヰ
「この部屋冷えてるからなぁ〜、多少動いてねぇと凍えんだろぉ」
葩永 夏氷
「手元だけ?意味ある様には思えないけど」
黎ヰ
「真面目に返されっと、つまんねー。やり直し」
葩永 夏氷
「横暴すぎ、却下。終わったならさっさと戻れば?どうせ今日はゲームしないんだろ」
葩永と黎ヰは、暇があればゲームをしている。内容はさまざまだが、その道の者なら彼らの腕前を知らない者はいない程、有名でもあった
黎ヰ
「まだやる事はあるからなぁ〜」
"やる事"が何かを察した葩永は、USBメモリを黎ヰへと渡す
葩永 夏氷
「仕方ないからやっといた。使わなければ捨てて」
黎ヰ
「いーや、有り難く使わせて貰うぜ?あんがとな」
葩永 夏氷
「中身分かって言ってる?」
黎ヰ
「勿論。卒業アルバムだろぉ?馬場に関して調べてくれたもんなぁ」
ニヤリと笑う黎ヰに、確信を突かれた葩永は"良く出来ました"と言わんばかりに、目を細めた
葩永 夏氷
「一応確認して。送り先も全部中に入れてるから、あとは発送すれば良いだけ」
黎ヰ
「なるほどねぇ〜、電子アルバムか…考えたなぁ」
葩永 夏氷
「そんな大層な物でもないよ。ソレ」
フォルダに写真を入れただけで、どちらかと言えば、アルバムと言うよりかは写真データと言った方がしっくりくる
黎ヰ
「いーや、有ると無いとじゃ違う。思い出ってのはそいつの人生と関わった人間の人生の集大成、みたいなもんだからなぁ。死んだ人間からすれば尚更、他人の思い出に生きたいだろうよ。何も無いままじゃ浮かばれねーよ」
そう話す黎ヰの目には、救えなかった命に対しての感情が渦巻いていた
葩永 夏氷
「背負い過ぎなんじゃない?」
投げ掛けられた言葉は最もだと思った。だとしても、人の感情はどこまでも正直だ
黎ヰは、背を床につけ両腕で顔面を覆った。目を瞑るだけで今回の被害者達が浮かんでくる
彼らはきっと、生きたかったに違いない。突然命を奪われ、どんなに無念だったのか…こればかりは、いくら考えても答えはなく、自身の胸の中で折り合いを付けるしかない
黎ヰ
「今はもう少し背負っとく…」
消え入りそうな声の返事に、葩永は適当にあった毛布を投げる
毛布は、空中で綺麗に広がると黎ヰの上へと、バサリと音を立て彼の姿を隠した
ズキズキと痛むのは、背中の火傷だけが原因じゃないだろう…




