脅迫作戦
茌 紾
「二人ともお茶が入ったぞ」
怪我人の紾はお茶請け係をしていた。曳汐も皐月も、淹れたてのお茶が入った湯飲みに口をつける
曳汐 煇羽
「美味しいですね」
皐月 周
「憧れの蔡茌さんにお茶を淹れて頂けるとは!感動です」
褒め言葉を浴びせる二人だったが、大人しく座らせるまでが大変だった
あの後、紾が怪我人だと言う事を知らない皐月の攻撃とも捉えられる抱擁からなんとか脱出し、半ば強引に来客スペースへと座らせる事に成功した
が、その次はお茶を淹れに行った筈の、曳汐が物騒な音を立て始めたので、急いで側に行くと床はガラスの破片だらけ…おまけに茶葉の入っていた缶は捻れていた
これ以上の被害が想像を超える前に、曳汐に皐月の相手を頼んで、後片付けから始めること数十分…
蔡茌 紾
(やっと、落ち着けた)
皐月の隣に空いていた椅子に座りホッと一息つく。そして、改めて皐月がどうして居るのかを聞いた
曳汐 煇羽
「黎ヰさんが呼んだんですよ。田文さんの容疑が晴れたから直ぐに来いって」
蔡茌 紾
「黎ヰが?…そう言えば今何時なんだ」
気を失ったり、寝たりを繰り返していたせいか時間感覚がない。そう思い何となく腕時計に目をやった
蔡茌 紾
「ろく、じ……6時15分!!」
警察官と言えど明らかに早すぎる時間帯に、紾は頭痛を覚える
百歩譲って曳汐は異常調査部のメンバーだからまだいいかもしれない、でも他所の部署の人間を非常識な時間帯に呼び出すのはどうなんだろうか?
蔡茌 紾
「こんな早い時間に、よく来たな」
皐月 周
「当たり前です、彼の容疑が晴れると聞けば居ても立ってもいられませんでしたから!!」
誰よりも田文誠吾の無実を願っていた皐月は、力強くうなづく
余程嬉しいのだろう、大きな瞳を更に輝かせている。そんな顔を見てしまっては先程の興奮も仕方ないか、と思えてしまう
曳汐 煇羽
「これが黎ヰさんが作成した事件概要です。急いでまとめたせいでかなり雑との事なので、分からない部分は蔡茌さんに聞いてくれ。との事です」
言いながら曳汐は、皐月に見えるようパソコンを向けて【廃校舎殺人事件再調査結果】と表示されているファイルを開いた
内容は予め皐月から渡されていた事件資料と再調査した時に撮っていた写真とが載せられており、箇所カ所の矛盾点などを指摘していた
的確な部分を撮影していた写真と重要な部分には文字の色を変えてくれているので、誰が見ても分かりやすい。
またいつの間に調べたのか、被害者と加害者の性格や間柄をまとめたその内容は、プロファイリングと言っても過言ではないだろう
口頭で紾に説明していた事を、もっと丁寧に尚且つ事細かに記してある…そんな再調査資料を横目に見ていた紾は、自分が解説を入れる必要はないだろうと思った
蔡茌 紾
(雑って…どこがだ?)
黎ヰの仕事の早さに素直に感動してしまう。読み終えたのか皐月は、悔い気味に見ていたパソコンから目を離した
皐月 周
「大まかな内容は理解しました!あとは被疑者が目を覚まし次第、取り調べをして必ず真相を吐かせます!」
意気込む皐月に曳汐は、被疑者が搬送されている警察病院の場所を伝えた
容疑者の居場所が、留置所ではなく病院に居ることに違和感を覚えたのか皐月は少し困った顔を向けた
皐月 周
「何故、警察病院なのでしょうか?」
曳汐 煇羽
「さぁ?黎ヰさんの考えてる事ってイマイチ分かりにくいんですよね。私も今さっき出勤したばかりなのでまだ把握できてませんし」
いい加減とも言える曳汐の言葉に、皐月はより一層眉を寄せた
とは言え、紾もてっきり被疑者の男は、署内の留置所に居るのだとばかり思っていたので、その謎は解けなかった
留置所に居るのなら目を覚まし次第、直ぐにでも取り調べが出来るが、警察病院となると話は別で事件の重要参考人…もとい殺人事件の犯人とは言え、医者の許可なしに動く事は難しくなる
何故そんな面倒な事をしたのか…
蔡茌 紾
「怪我をしてたのかもしれない」
曳汐 煇羽
「安易な答えですね」
グサリ…と容赦のない言葉に紾は少し落ち込む
そんな時、タイミングが良いのか悪いのか解剖部屋から黎ヰが出てくる
白衣を自分の机の上に乱暴に脱ぎ捨てる黎ヰに、皐月は急に立ち上がると勢いよく頭を下げた
皐月 周
「この度は、事件の再調査にご協力頂きましてありがとうございます」
感謝の意を表す皐月に対して黎ヰは、顳顬を抑えながら言う
黎ヰ
「恐らく田文誠吾の無実は証明されるだろうが、現段階じゃその後は保証されない。安心すんのはまだ早い」
皐月 周
「えぇっと…」
威圧的とも取れる態度に、皐月は完全に萎縮してしまい助けを求めるように紾を見た。居た堪れない気持ちになり、仕方なく気になった事を代弁する
蔡茌 紾
「その後って、何の事なんだ?」
黎ヰ
「んー、色々あるなぁ。週刊誌やSNS、ニュースにご近所の噂…言うなれば悪意のない殺意」
曳汐 煇羽
「成る程」
唯一、この中で黎ヰの言いたい事を理解できた曳汐が、目の前にいる二人に解説した
曳汐 煇羽
「つまり黎ヰさんは、今のままでは釈放されたとしても悪意の芽を摘まない限りは、彼を本当に救えた事にはならない。と言ってるんです」
皐月 周
「その通りかもしれません。精神科医の話では田文誠吾君自身の精神的ストレスは、人間が抱える度合いを越してるのだと…」
黎ヰ
「だろうねぇ、錯乱状態とは言え幽霊が殺人を犯したと思い込み、それを四方八方から否定された挙句に自身が殺人犯と追い込まれた。その後に実は違いました…なんて言われたとしても、そのトラウマ級な経験談が消える訳じゃない」
本人ですら立ち直るのに時間が掛かる事を周りはどう受け止めるのか…きっと大変なのは彼が釈放された後だろう。お伽話のようにめでたしとはいかないし、そうさせない人間が出てくるかもしれない
それが黎ヰの言った、いわゆる悪意のない殺意を持った人間なのだろう。いずれそれは、田文誠吾を更に追い詰める事になる
皐月 周
「そう言った事例は今までもあります。犯罪事件に関わってしまった子供…特に精神的に未熟な年齢であればあるほどトラウマを抱えてしまいます」
重い現実に皐月は、こればかりは自分の力だけではどうにもならない事を知っていた。だからこそ、悪意の芽が何を意味しているのか気になった
そんな皐月の心を読んだように黎ヰは、三人の居る場所まで歩きながら言う
黎ヰ
「田文誠吾が立ち直るのに必要なのは、僅の矛盾も許されない真相。そのシナリオを用意した」
皐月 周
「…どう言う意味ですか」
さっきまでと違って、皐月が黎ヰを見る目は鋭いものへと変わっていた
黎ヰ
「考えりゃ分かんじゃねーの?怪我もしてねぇ真犯人は何故か警察病院に収容、そういや田文誠吾は今日また精神内科へと診てもらうらしいぜ?」
そこまで言われて、皐月は最悪の事態を想定する
皐月 周
「まさか!!二人を合わせる気ですか!」
黎ヰ
「トラウマを乗り越えるには、それと向き合うしかない」
皐月 周
「そんな暴論が許される訳がない!それに精神が不安定な状態でそんな危険な事…何をしたか分かってるんですか!」
責め立てる皐月だったが黎ヰは反省するどころか、挑発的に笑う
皐月 周
「やはり貴方は異常者だ!蔡茌さん失礼します!」
紾にだけ挨拶をすると、皐月はそのまま異常調査部を飛び出した
……
すっかり静かになった空間の中、口を開いたのは紾だった
蔡茌 紾
「……おい、黎ヰ」
皐月の様に怒るでもなく、紾はさっぱり分からないと言うように、頭を掻きながらいつもの表情で解説を求めた
蔡茌 紾
「何が目的なんだ?わざと皐月君を挑発して、絶対何かあるだろ」
曳汐 煇羽
「あら、意外な反応ですね。あんな風に言われてしまえば、私でも皐月さんの様になってしまうのに…」
最初に反応を示したのは、曳汐だった
黎ヰ
「力任せに殴りかかってくる。の間違いだろ?」
曳汐 煇羽
「時と場合によりますよ。それより少しだけ気になります…どうして黎ヰさんを咎めないんですか?」
曳汐の謎めいた視線を受け止め、紾は迷いなく答える
蔡茌 紾
「今までの黎ヰを見てたら分かるよ」
曳汐 煇羽
「そう、なんですか」
表情は相変わらず変わらないが、彼女の声音は僅に戸惑いを含んでいた
蔡茌 紾
「で?ちゃんと説明してくれないと皐月に謝るに謝れないだろ」
黎ヰ
「紾ちゃんは厄介だねぇ」
そっぽを向きながら呟かれた思いがけない言葉に、紾は驚く
蔡茌 紾
「へ?なんなんだいきなり」
どうしていきなり、厄介なんて言われないといけないのか…何かまずい事でも言ってしまったのかと考えを巡らせる中、曳汐と黎ヰは話を進めた
曳汐 煇羽
「とりあえず、これでお二人の身柄は安全だと思います」
黎ヰ
「そうじゃないと困る。早朝からお偉いさん方にお願いした意味が無くなるからなぁ」
曳汐 煇羽
「脅迫の間違いじゃないですか?」
黎ヰ
「根に持つねぇ」
曳汐 煇羽
「おあいこ、ですよ」
なんて会話を聞きながら、すっかり蚊帳の外の紾はやっぱりまだ距離感が近づいてないのだと、再び落ち込む
そんな中、黎ヰはいつの間にか紾の背後に回り、机の上に置いてあった湯飲みを軽やかに掴んだ
蔡茌 紾
「おぃ、それは俺のーー」
当然のように言い終わるまでに、中身を綺麗に飲み干した黎ヰは、まるで子供のように紾へ向けて舌を出した
黎ヰ
「前にも言ったろ?こう言うのは早いもん勝ち」
曳汐 煇羽
「すっかり黎ヰさんに気に入られましたね。蔡茌さん」
蔡茌 紾
「嫌がらせされてるだけな気も……って、いまなんて」
完全に嫌われていると思っていた曳汐に、いきなり苗字を呼ばれて慌てる紾
今まで副長呼びだったのに、どう言う風の吹き回しなのか…彼女の表情からはやっぱり読み取れない
黎ヰ
「ぼけっとしてる暇ないって、紾ちゃん」
バシッと紾の背を叩いた黎ヰは、ふり帰り際に再び声を掛けた
黎ヰ
「いかねーの?」
蔡茌 紾
「え?わ、分かった!」
よく分からないまま、とりあえず紾は黎ヰの後を着いて行くことにした
ーーー ーーー ーーー ーーー
黎ヰが皐月を焚きつけたのには、紾が思った通りそれなりの理由があった
黎ヰがアリババと言う男に接触し、得た情報から推測するに"組織的な犯罪集団"らしい。アリババと言うのは、いわゆる組織内で活動する際に使うコードネームなのだろう
アリババの残した物的な手掛かりである"ナイフ"と"注射器に入った劇薬"の二つは、芥が解剖の片手間に色々と調べている最中で、指紋や薬の成分なんかは分かるまでにまだ時間が掛かるとの事だ
それらが分かれば、アリババの組織について何か新たな情報を得られるだろう…
対して、捕まった馬場はおそらく組織に利用されている側の人間。アリババにはコードネームがあるにも関わらず、馬場にはそれっぽく呼ばれる素振りすらなかった
それは、黎ヰも注意深く見ていた点でもあり、アリババは"お前"と見下した呼び方をしていた事から、馬場は使い捨ての駒に過ぎない
そんな男が警察側に捕まったとなれば、優秀な組織なら必ず口封じをしに来るだろう
だが、いくら黎ヰが説明して馬場の身柄を安全にして欲しいと言った所で、異常調査部の人間の言う事を聞く警察官は居ないし、そもそも警察官に変装されてしまう危険すらある
もしくは、追い詰められた馬場自身が自殺する可能性も捨てきれなかった
そう睨んだ黎ヰは、全ての可能性を考慮した上で、馬場を安全な場所に収容する必要があった
そこで思いついたのが警察病院だった。まず、馬場が起きないよう睡眠薬を投与してもらう。これで起きて自殺を図る事もなくなる
次に、考えたのがなるべく大人数で警察に見張らせる事。警察官に変装したとしても、周りに他の警官が居れば隙がなくなる…そうなれば殺害する事も難しい
そんな状況を作り出すには、危険な状況を作ってしまうのが一番だった
その為に黎ヰはわざわざ早朝から、田文誠吾の精神的状況を至極丁寧に説明し、それが原因で死んでしまえば警察側にも責任はあるし、ましてやロクな調査もせず状況証拠だけで捕まえたと知られればマスコミの喜ぶネタになると、これまた丁寧に忠告をした
そのおかげもあり、急遽田文誠吾は警察病院にて診てもらう事になった
もちろん、田文誠吾の身柄も馬場が捕まってしまった今、危険な状態だと睨んでこそだ
馬場殺害を阻まれれば次に狙うのは、現容疑者である彼だろう…殺害し事件そのものを闇に葬る筈だ
だからこそ、あえて二人を同じ病院へと居させる。そうなってしまえば、皐月は必ず田文誠吾を思うあまり、阻止しようとするだろう…
だが残念な事に、黎ヰがお願いした上層部の決めた事は揺るがない。
なら、皐月は同じ少年課の人間を集めて二人を合わせないよう見張るしかない
因みに、何故か今日に限って非番の警官が早朝に何人か収集されているので、きっと皐月に加担するだろう
黎ヰ
「人手も信用もないからなぁ、命を守るには利用するしかねーの」
車の中で一通りの説明をし終えた黎ヰは、欠伸しながらそう言った
蔡茌 紾
「信用に関しては、黎ヰの態度もあるんじゃないのか」
黎ヰ
「普通なら俺みたいな奴の事なんて理解しようとしねーよ。紾ちゃんが特殊なだけ」
バックミラー越しにチラリと黎ヰを見ると、窓に片肘をついてニヤリと笑っていた
〜黎ヰプロフィール〜
性別/男 年齢/25歳 誕生日/10月31日 血液型/AB型
好きな食べ物/海鮮類(特にイカ) 嫌いな食べ物/麺類
好きな飲み物/お酒とホット類 お気に入りスポット/テレビの前
経歴/異常調査部の初期メンバーであり現リーダー。黎ヰ以外は全員メンバーは総替えされている。昔はまともな部署だったが今は見る影もない。
性格/常にハサミを持ち歩き、基本何をするにもハサミを使う。名前は改名しており黎ヰという名ですら本名ではないとの噂がある。常識から逸脱した行動や言動が目立つせいで、警察署内では悪目立ちをしている模様。




