最近流行りの反出生主義に対する曲解について
反出生主義に対する曲解について簡単に物申す。
まず、反出生主義という言葉を知った上でこれを人間憎悪などと一蹴して聞く耳を持たないのはあまりにも浅ましいことである。
おそらく彼らは反出生主義の内容を殆ど学ばずにこういった煽り文句を発するのであろう。
であるならば、あえて言おう。反出生主義は人間愛の思想であると。
人間を愛するがゆえに使い捨てのように人間が再生産され続ける現状を憂いているのである。
同意なく、この世に人間という崇高な生き物が再生産され続ける現状を嘆いているのである。
また、反出生主義だからとロマンスにも反対していると曲解するのもこれおかしなことである。
なぜなら、恋愛やセックスに子作りが必然だと思っている時点で無知と偏見に基づいているからである。
まさか彼らは生殖に結びつかない恋愛など恋愛的でない、愛ではない、人間的でない、生産的でないと一蹴するのであろうか。
だとすれば、彼らは同性愛者たちや子無しの夫婦たちを差別している差別主義者である。
反出生主義者はただ単に避妊しろと言っているだけである。
「避妊しろ」を「恋愛するな」「セックスするな」と受け取るなど満足に性教育を受けていない無学の徒であることを告白しているようなものである。
最後に、浅薄な曲解が多いのは反出生主義という言葉と反出生主義を名乗る者達が反出生主義を理解していないことが原因だろうと推測する。
単に自身の不幸ゆえに親を憎み反出生主義者を名乗るのはこれ間違いである。
なぜなら、反出生主義は個人的なものではなく、一個人の幸不幸は問われないからである。
また、配偶者との間に意図的に子を成さないからといって反出生主義者とは限らない。
なぜなら、子を疎むゆえに子を成さないのは反出生主義者ではないからである。
反出生主義者は子を愛するがゆえに 子を作り出さないのである。
ゆえに、反出生主義者は養子縁組を推奨している。
子どもが欲しいのなら既にこの世に生まれた子どもを引き取り愛せ。
親になりたいのならば既にこの世に生まれた親持たぬ子の親となれ。
自己実現のために自身の遺伝子をもって新たに生命を生み出すのは自惚れた利己主義である。
これら、ゆめゆめ曲解せぬことである。