ひさびさに仙界へ
いつもの習慣で国立図書館へ向かっていた私は足を止めた。一瞬、なんで足を止めたのか分からなくて小首を傾げる。周囲を見渡しても私が注意をひくようなものは見当たらない。気のせいかしら?さわやかな朝の空気。通勤通学時間帯からずれているため、人通りは少ない。この時間帯なら自然だ。
―――いや、違う。
私は一気にそこへ走り出した。国立図書館の裏口付近で司書エミリーが交戦中であった。相手は全身黒ずくめで見た目だけで職質されるレベルの怪しさだ。その服装はアサシン風である。二刀流のそのアサシンもどきを司書エミリーは符術で対応しているが、見ている分ではかろうじて躱している様子だ。防衛で手一杯なのは明白である。
私は口早に術を唱える。簡易さのみを優先させた術は即、展開される。
ぬるり
アサシンの足元、その影が揺らめき彼の足を掴み、影へと引きずり込もうとする。思わず、アサシンは自身の足を見やり、引きずられる足を引き抜こうとした。その一瞬に司書エミリーの符がさく裂した。それで決着がついた。
アサシンはより黒くなってプスプスと焦げた臭いがしつつ倒れている。ピクリとも動かない。
「これ、死んでいないよね?」
何の符を使ったのか分からないので判断がつかない。司書エミリーは軽く肩で息をしている。結構、やばい状況だったようだ。問答無用で助太刀したのは正解だったようである。
「えっと、大丈夫?」
「助かったわ、ありがとう」
「それで、こいつ誰?さあ?って首を傾げられても」
司書エミリー自身ですら知らないということは、怨恨ではなさそうね。いや、もちろん。自分が知らないうちに恨みを買うことはあっても殺されかけるほどの恨みはないだろう。ないと思いたい。エミリーはそこまで無神経な人間ではないし。
国立図書館の司書というのも自称なので、宰相ロレンスのように職場関係の足の引っ張り合いでもないだろう。
「アサシンを雇ってまで足の引っ張り合いって・・・政治家だってそこまでギスギスした関係じゃないでしょ」
「そうよね」私は軽く同意する。
「宰相ロレンスのところにアサシンが送り込まれても私は驚きはしないけれど。大体、宰相なら撃退もできるだろうし」
ろりあえず、私は襲撃者の手足を図書館備品のビニール紐(時期に入手できたのがそれだった)で縛っておき、簡単な符を貼り付けて強化しておいた。流石にビニール紐では心もとないので強化したまでなのだが。アサシンの持っていた二振りの刀は自分の持つ別空間に収納しておいた。この別空間は例えるなら空間制限のないトランクルームのようなものである。これは私のみが持つ技能ではなく仙人なら誰しも持つ技能である。地味に便利であるし、ここではそれを使って商売も出来るだろうが、人の世では極力、仙術を使わないというルールがあるので率先して使う人間もとい仙人を見たことはない。もっとも、こうやって私用で使う分にまでとやかく言う者はお堅いお歴々にもいないだろう。
「さて、この男(男だった)、どうしようか?」
司書エミリーが地面に転がっている男の顔をまじまじと観察している。
「見覚えある?」
「全然、知らない人よ。警察に突き出すのも面倒なことになりそうだし」とエミリー。
「なぜ?この人は人間みたいよ。少なくとも仙人ではない。それとも道士かしら。私には区別がつかないけれど」
「仙骨(仙人の素質)はなさそうだから、人間だと思う。コンスタンス、この人はなかなかの手練れよ。警察に引き渡しても逃げられそう。少なくとも人の手には負えないわ。ここは仙人を襲撃したということで仙界預かりにしましょう」
「少しばかり大げさな気もするけれど」
「こっちは結構、危なかったのよ!!」
エミリーは目を吊り上げて喚いた。
はた目からもエミリーの方がアサシンに押されていたし、私の参戦がなかったらエミリーは負けていたのかもしれない。たいした手助けのつもりもなかったけれど。
「では、この男は仙界の仙主(仙界の司法組織の役職)であるトマス様にお願いしようか」と私。
「え?トマス様に?師匠のヴェラ様じゃなくて?」
私の提案は司書エミリーには意外だったらしい。
「んー。今、貴族仙人オーエンの件でごたごたしているでしょ?下手に同門内で片付けようとして他流派に被害が出たら厄介なことになると思うのよね。早々に事件を公開して、自衛してもらった方が動きが遅れることはないと思う。最悪、この男と貴族仙人オーエンが繋がっていたりして」
「まさか」
司書エミリーは笑い飛ばそうとして、止めた。色々と考えが至ったらしい。
その瞳には不安の色が浮かぶ。
「どちらにせよ、こいつから情報が得られるのではない?」
私はいまだ、地面に転がっているアサシンへ視線を向ける。この人が情報を持っていると良いのだけれど。
仙界に戻るのは久しぶりな気がする。仙界は人間界に比較して、ゆっくり大気が流れている。常に春うららという感じだ。私は仙主トマス・レッグ邸に招かれている。仙主トマスの邸はごくごく中華風の邸宅で私が通されたのは庭内の東屋だ。色とりどりの花が咲き誇っている。どれも見ごろというのが仙界らしい。人の気配に私は席を立った。
「待たせたな。コンスタンス・カミルトン嬢」
きっちりした仙服を着た白髪の青年は礼儀正しく私に一礼した。私も返礼する。
トマス・レッグ様は仙主(仙界司法組織の役職)にして友人ロンバートの師匠である。礼儀正しさは、この一門の特徴かもしれない。さしずめ、うちの一門は問題児の多いことが特徴かしら。言ってて情けない。
仙主トマス様に勧められて席に着く。トマス様自ら茶を用意していただいて恐縮だが、半分以上は人払いの意味が大きい。この東屋の周囲も花々ばかりで背の高い木々は全くないのだから。
「早速、本題に入ろう。コンスタンス嬢。貴女が捕縛した者は、確かに人間であった。名前はエドワード・アームストロング」
おやおや、ただの人間ならば人間界の司法に委ねるべきだったか。
「すみません、余計な手間をかけさせてしまって」
「いや、本件は仙界で問題ない」
仙主は一口、茶を飲む。
「尋ねたいのだが、なぜ、この件を仙界のしかも私に持ってきたのかね?その判断は正しい。全く持って、ね。しかし、君がなぜ正しい判断を下せたのか、その根拠を知りたい」
「根拠と言われましても。エミリーが、ええ、私の同門のエミリー、彼女があの男に襲撃されたのです。仙女であるエミリーが苦戦して、彼女には言わないで頂きたいのですけれど、私の助太刀がなければどうなっていたか。私としては私の手助けなど不要だったとは思いますけれど。それはともかく、あの男はかなりの使い手ですよ。仙骨はないようですが、人間界の警察には手に負えないと思います。ええ、根拠はそれだけです」
「内々で済ますのが定石かと思うのだが」
「いや、今、うちは別件でばたばたしていますからね。当然、トマス様も承知しているでしょう。ところで、あの男の尋問は既にされましたか?本当のところ、エミリーが狙われたこと、私にはどうにも分からないのですよ」
トマス様は残念な者をみるような目を私に向けた。わりに酷い。
「あの男、エドワード・アームストロングは君と同門のオーエンと繋がりがあるようだ」
あらまあ。これは本当に同門同士のいざこざだった。エミリーを狙った理由は不明だけれど、この件をトマス様にもっていったのは少々大ごとにしすぎたかしら。しかし、トマス様は本件を自身にもってきてもらって正しいと言った。つまり、貴族仙人オーエンの件は私が思う以上に大ごとになっているのか。
「トマス様、オーエンは邪仙認定されますか?」
わずかにトマス様は瞳を揺らした。
「少なくとも今の段階において邪仙あつかいはされないだろう。無辜の民に被害が出ていないし、仙人に対してもオーエン自身が何かやらかしたわけでもない。加えて、アームストロングはオーエンの指示でなく、自身の判断でエミリーを攻撃したと言い張っている。アームストロングが言うには、だ。無論、真偽判定済み。アームストロングは偽証はできん」
もっとも、アームストロングがそう思い込んでいる可能性はあるわけだ。このあたり、仙術を使って暗示をかけるのは容易だ。ついでに仙術または宝貝を使って真偽判定ができるので尋問はとても簡単だったりする。
「トマス様、アームストロングをどうしますか?無罪放免にしますか?もしくは泳がせて様子をみるとか」
「そこなんだが、しばらく仙界で留め置きにする。仙女エミリーを襲ったのは確実だからな。故に彼らは人間界の仙人たちに接触をはかるだろう」
ちらりと私を見るトマス様。
「はい。分かりましたよ。囮に立候補させていただきます」
仕方ないとばかりに、私は小さく右手を挙げた。