第七話 第二軍からの伝令
───諸王歴503年5月15日 クルト王国 王都クルツ
ドーズ子爵が外務卿としての大仕事を遂げるその1週間前、王都に飛び込んできたのは南方からの急使であった。クルト国内を巡る急使は、国境を渡る者が青白に対し、赤白の旗を目印としている。
南方守護を任務とする王国陸軍第二軍の軍服を着たヴァシム伝令兵は、みずからの本格的な初任務がこんな報せを王都に届ける事になるとは、夢にも思っていなかった。
「そりゃ、2年前からキナ臭いとは聞いてたけどさぁ…」
王都の南門を衛兵の敬礼に迎えられ、幅70メートルに整備された凱旋道路を走り抜け、王城の外門をくぐり抜けたならば、政庁はすぐである。馬を軍務省前で乗り捨てて叫ぶ。
「伝令!伝令!」
慣例として、急使として派遣された伝令兵は、任務を果たすまで上位者に対する敬礼を省いてよいものとされている。しかし、ヴァシム自身は畏れ多くてそんな慣例従う気にはなれず、時々すれ違う将校に対しせめてもの礼儀と、目礼を送りながら目的の場所へ走る。
「ガルダン閣下!閣下はおられましょうや!軍務卿閣下!」
この時、軍務卿を務めていたのはアレクシス・ド・ガルダン伯爵。所謂宮廷貴族であり、領地は持たない。クルト王国は長年軍縮が続いたと述べたように、未だ文治の色が濃い。現役の武官が軍務卿を兼ねるという事はまず無い。しかしこれは、軍務卿という制度自体出来てから年月が浅く、これまでは軍事的能力を必要としなかったという事もあるだろう。
ともあれ、ガルダン伯の任期が始まって1年と少し。王国が軍拡してゆく事に反対する勢力をケーディス侯が飴と鞭で説き伏せ抜擢した人材という事もあり、いずれ起きる危機に際しても無様な対応はすまい、との周囲の期待はあった。
しかし、その期待はどうやら裏切られそうだ。
「急使とな?どこからじゃ。先年来南方で蠢動しておるとは言うが、今日明日にもソルナックとの同盟が結ばれるのだぞ。今の時期に急使が派遣されてくるような事態なぞ…」
「さて、見た所第二軍のようですが」
軍務卿付の参謀がそう告げても、やはりまだ納得出来ないのか、疑いの眼差しだ。
「まぁよい、入れよ。とにかく聞かねば始まらん」
息を切らせたヴァシム伝令兵に、秘書官が水を差し出す。感謝を告げつつ一気に水を呷ると早口でまくし立てる。
「以下、読み上げます!発、第二軍司令官、宛、軍務省!」
"5月10日未明、ヴェイロスとの国境付近の村落炎上との通報を受け、盗賊対処の為麾下の中隊を派遣した所、全滅"
"軍事侵攻の可能性ありと判断し、第二軍を戦闘態勢に移行の上、麾下第一連隊を国境へ派遣"
"5月10日深夜、第一連隊長より報告あり。敵はエストバール王国の軍旗を保持。規模は少なくとも師団以上"
"国境付近の小規模村落を略奪しつつ北上中。第二軍は全軍召集を完了次第、ドーラより南下し敵撃滅を果たす所存"
ヴェイロスは、クルト王国とエストバール王国との間に散在する都市国家の一つで、表向きは中立を表明している。しかし、現実は違ったようだ。この時代、一つの師団はどこの国も1万人程度で構成されており、師団以上という表現を使ったのは、全体が確認出来なかったゆえだろう。
ともかく、同盟条約締結寸前を狙ったものとしか言えない。既に侵攻が始まってしまえば横槍が入ることも無いと算段してのことか。いずれソルナックの援軍が来るにせよ、それまでの間に攻めるだけ攻めておこうという魂胆か。
エストバールの考えは如何様にも解釈出来るが、事実として侵攻を受けているのは間違いのない事であって、軍務卿としては早急に対応を指示せねばならなかった。
「伝令ご苦労、ひとまず下がって休め」
「はっ、失礼いたします」
ヴァシムが退出する。疲労困憊の彼は、報われていい。きっと、第二軍の本拠たるドーラから王都までの最速到達記録を叩き出している。
「師団以上とな。奴ら本気と見える。判明しているものだけでこの数とは、後詰としてもっとおっても不思議ではない。参謀、そうであろう」
「確かに、かの国の北方軍は常設五個師団ということですから、最悪を想定しておかれた方がよいでしょう」
「ともあれ第二軍5万で耐えきれるであろう。地の利はこちらにあるのだ。それに、率いるグレンフェル男爵は有能な男じゃ。ひとまず第三軍に戦闘態勢を下令し、南へ向かわせるが良策と思うが、どうか」
東方を守護するのが第三軍である。司令官はニール・ホルスター男爵。
「まずは第二軍の戦闘結果をお待ちになってもよいのでは。今第三軍を動かすと、同盟条約締結寸前とはいえ、ソルナックにいらぬ誤解を与えるかもしれません。第三軍の派遣は同盟条約の締結が確認され次第でも遅くはないかと」
「しかし、万一があるやもしれん。第三軍の移動はさせずとも、戦闘態勢に移行させておくのは大事なのではないかね」
「確かに、おっしゃる通りであります。小官の愚考でありました。では、そのように手配いたしますか」
「うむ。事は一刻を争う。急使を送れ。儂は首相と同道し、陛下に奏上せねばならん」
さて、この判断が吉と出るか凶と出るか…後の史家による、この時の軍務卿アレクシス・ド・ガルダン伯爵に対する評価は、真っ二つに分かれる。一方では、出来うる最善だと言い、一方ではやはり平和ボケの極みだという者もある。
しかし、彼が第三軍5万の兵力を、即座に南へ移動させなかったという事が、歴史の転換点だったろうというのは両者に共通の認識なのである。
まさに、あと数日というギリギリのタイミングを狙って仕掛けたエストバールの目論見が的中したとも言えるし、30年以上もの間、大規模な戦争を経験していなかった国の軍隊が弱かったという言い方も出来る。第二軍司令官たるグレンフェル男爵の無能に帰するのだという辛辣な評をする事も、出来る。
酷い物言いに至っては、当時のクルトが単独でエストバールに勝つなんて事は、考える事自体が間違っている、とまで言う輩もいる。
要するに、後からは、なんとでも言えるのだ。
クルト王国側呼称 "第一次南方戦役"
エストバール王国側呼称 "第一次北方戦争"
そう呼ばれる事になる戦いの火蓋は、アーロンが生まれて8ヶ月という時に切って落とされた。
(つづく)
もうしばらく前史にお付き合いください。