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シャザール戦記  作者: 月岡師水
第一章 成人の儀
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第六話 同盟条約の成立



───諸王歴503年5月 ソルナック王国 ヴェルデ辺境伯領 ルデリス



 この日、クルト王国と東で国境を接するソルナック王国において、ある条約の調印が行われようとしていた。クルト・ソルナック両国の外務卿が、本条約に関して重ねてきた談判は数多く、時にはソルナック側がクルト側に訪問し、首相を交えて会談するという事も、その逆もあったし、首脳会談でさえ何度も行っている。


 まさに今日は、その成果としての調印である。妥協を重ねた側面もあったが、そもそもが相互不可侵条約を発展解消して、それを攻守同盟の為のものへと変貌させるものであったから、致し方ないと言えよう。


「しかしこのルデリスは、絶景かな。良い所でありますなぁ」

「これはありがたいお言葉。我が国でも有数の保養地でありますからな」


 今日このルデリスが選ばれたのは、両国との国境に近く、さらに微々たる差とはいえソルナック側の方が国力が高く、本条約を結ぶにあたり、詰めの所で最終的に妥協せざるを得なかったのがクルト側であったという事情もあるが、何にせよルデリスは両国における国境の街で、ここから馬で西に3時間も進めば国境に立つ関所が見えてくる。


 しかし、この地の名物はなんと言っても、はるか遠く北に聳えるガーシャ山脈より南方に流れるミハイ川が成した渓谷の絶景である。そのような事は条約交渉に何の影響も与えないのだが、目の保養にはなるだろう。


 そういう事で、要はこの場もまた妥協の産物である。外交当局者の心労が偲ばれる。両国の外務卿ともに王家の威信を背負っているという自負があり、王権の代行たる条約調印には並々ならぬ気合が入っている。


 さて、ルデリスの代官所中庭に用意された天幕の中には、調印を待つ両国の官吏らが勢揃いしている。主に外交担当部局の者どもだが、一部軍服も見える所から察するに、やはり攻守同盟条約という事もあり、最後の最後まで気は抜けないという所だろう。


 事の起こりはこうである。まず、12年前の諸王歴491年に、クルト王国第一王女マリアンヌが、ソルナック王国王太子ルベールに嫁ぐ話が持ち上がった事から始まる。当時、ソルナックは南方の大国エストバール王国との3年にも及ぶ戦争が終結した直後で、復興が端緒についたばかり。

 とても王家の縁談などという余裕は無かったはずだが、当時のソルナック国王バルテルミは、海無き国の性か、復興の為の活路をクルトの海運に賭けた。その熱意と、確かに蒸気船の発明により海運業がにわかに活気付いてきた事もあり、即位以来20年、脂の乗り切ったクルト王アンリは承諾するに至る。


 その時には、結婚を承諾する事と共に、相互不可侵を約させその功績を以て、慰留する臣下を抑え王太子たるクリストフに譲位してしまう。趣味の美術に没頭するためだ。かくして不可侵条約はなった訳だが、その第10条にこうある。


"本条約は、当初6年のみを有効期間とする。異議無く経過した後は、両国の合意があった物と見做し、自動延長する"


 この条約は、一見、相互不可侵の状態が、放置していれば永遠に続くかに思えるものだが、その実、曖昧さを隠しきれない単純なもので、条約発効後10年が経った諸王歴501年にそれは証明された。


 クルト王国とソルナック王国の南側に、緩衝地帯としての都市国家を挟んで広大な版図を持ち、かつては大陸西部の覇者として君臨していたエストバール王国が、3年戦争の傷が癒えるやいなや、唐突に相互不可侵条約に対し異議を申し立ててきたのである。


"そのような国際秩序を乱すものは、到底認められない。二国は戦乱を呼び込もうとしている"


 当然、このような事を言われる筋合いなど全く無かったが、クルト王国側の事情により、事態は急迫不正の様相を呈してくる。何分、この30年、内乱も対外戦争も無く、軍事費を削りに削ってついには王領の募兵すら停止していた始末だったから、南側の国境が無防備であり、エストバール王国はその隙をつき、緩衝地帯の都市国家群を扇動し、ゲリラ的に放火や強盗を繰り返すようになった。


 クルト王国としては、3年戦争の戦勝国たるソルナックと不可侵を結んでいる事でもあるし、よもやこちらに攻め込んでくる愚行は犯すまいと高を括っていた側面も否定できないが、ともかく国防の為にも自国の軍備を立て直す事は急務であったし、かつ、ソルナックとの関係を、相互不可侵ではなく攻守同盟にまで引き上げる必要が出てきた。


 ソルナックを引き込めれば、万に一つも負けは無いというのが、クルト政府の基本的な姿勢であった。それは首相たるケーディス侯の意思でもあり、それを後押ししているのはクリストフ王その人である。かくして、先年来外交交渉を進めてきた訳で、その成果はようやく実ろうとしている。


 国力は微々たる差とは言ったものの、その軍事力には雲泥の開きがあり、ソルナック王国は海が無く陸軍のみだが、その常備軍は兵力50万を誇る。対してクルト王国は、猛烈な軍拡の最中ではあっても長く続いた軍縮により、陸海合わせて20万に満たない。陸軍のみでは15万である。3倍以上の人数差と、装備の格差は言うまでもない。


 であるから、本条約の外交交渉においては与える飴の方が多く、妥協を多くしたのは間違いなくクルト側であった。それでもやらねばエストバールに食われてしまうという危機感があればこそ進めてきたのだが、その結果は神のみぞ知る事である。


 さて、目出度く両国の外務卿が天幕のうちに入り、ようやく調印の運びとなった。目玉条項は第二条である。


"本条約が有効である限りにおいて、いずれか一方に対する攻撃があった際には、自国に対する王権の侵害である事を確認し、別に定める協定の手続きに従い、共通の敵に対処するものとする"


 ひとまず、これで南方で蠢動するゲリラ共も静かになるだろう。今に見ておれ。いずれ反撃の砲火を浴びせてくれる。


 と、ドーズ子爵が思ったか否かは定かではないが、調印直後、露骨にほっとした雰囲気を出したのはクルト側であった。


「外務卿閣下、本条約の締結は真に目出度く存ずる。これで両国は同盟と相成った事であるし、どうであろうか、我が娘と閣下の子息とを、娶せてみてはと愚考する次第」


 なんと、この機に便乗して行き遅れつつある末の娘の縁談まで捩じ込もうとしている。


「ふむ、確かに条約締結は目出度い限りではあります。が、しかし、縁談は今しばらくお待ちいただきたい。何分、愚息は若輩ゆえ、右も左も分からぬのです。そうですな…もうしばらく時をいただきたい。」


 撃沈。当然である。しかし、きっぱりと断られた訳ではない。


「はっはっは、そうですな、急ぐことはありませんな。いやしかし、いずれの日にかお会いさせたく存じておりますので、その際はどうかご寛恕のほどをお頼み申しあげる」


 しつこくマーキングしておく事を忘れない。社交界ではこういう一言が後に幸いを呼ぶこともある。処世術の一つである。


「ええ、もちろん。いずれの日にか。では、条約締結を祝した祝宴を用意しております。参りましょう」


 祝宴とは、飲めや歌えの宴会ではなく、両国の王権の代行としてのものである。粛々と、そして実はここでこそ重要な事が話し合われる。公務の延長に密談ありというやつだ。飲み会での話が即仕事に繋がる現代社会の原図である。


 ドーズ子爵は外務卿を拝命するだけあって、酒豪である。顔色一つ変えず、頭脳明晰のまま、淡々と飲み続ける事が出来る。北方域の出身であるからか、度数の高い酒でも何でも大歓迎という人である。


 用意されていたのは、先方が気を利かせたのであろう北方域でよく嗜まれる度数の高いガルガンであった。これにはドーズ子爵も大喜びである。


「おお、これは。いやはや、美味い。やはり酒はこうでなくては」


 などと笑いながら実に愉快に楽しんでいる。歴史に残る大仕事をやり遂げたという満足感が伺われた。


「閣下、このガルガン実に美味い。気配りに感謝致す」


 もちろん礼も忘れない。しかし、喜んでいられたのはここまでであった。


 突如、天幕の外が騒がしくなる。ソルナックの外務卿、即座に立ち上がり問う。


「何事か。祝宴の最中であるぞ!」


 警備兵が慌てて駆け込んでくる。


「盛会の最中、失礼いたします!急使が参っております。西に旗が見えました」


 国を跨ぐ急使は、青白の旗を掲げる慣習がある。


「なんと、このような時に何があったと言うのか。外務卿閣下、ガルガンは名残惜しいがそうも言ってはおられん。至急相見えたいのだが」

「当然でござる。当方も同席をお願いしたい」

「ありがたい。こちらこそ同席を願う所」


 急使の接見は、普通目的の人物のみに向けてわれる。しかし、同盟国同士ならば同席しても違和感は無い。やがて、クルト王国陸軍の軍服を身に纏った急使の姿が天幕の内に現れた。


「お騒がせいたします!陛下よりの勅使であります!読み上げます!」


 急使は勅使であった。一同が起立し、礼儀を整える。


「ドーズ子爵、役目大義である。至急帰朝し登城せよ。南方にて異変あり」


 時代の針は、安寧を許してくれそうにない。




(つづく)

 


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