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シャザール戦記  作者: 月岡師水
第一章 成人の儀
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第五話 1月騒動




───諸王歴503年1月




 雪がしんしんと降り続き、木々は白く輝きを増し、空気中の音という音が全て溶けてしまったかのような寒空の下、一つの馬車が南方より峠を越えて来る。目指すザールスへは残り数キロ。もう間もなく、2年ぶりの帰郷である。


 デューイ自身は、帰郷するについて何か特別な感慨があった訳ではなく、むしろ早く王都へと戻り勉学を再開したいとすら思っていた。そんな中の帰郷である。外も雪で視界は悪く、風景を楽しむどころではない。


 ガルガの河沿いに北上し、ザールスの街並みが近付くにつれて、その様相が記憶にある故郷の物と多少異なっている事に気付く。


"あのあたりは、たしか畑ではなかったか"


"ここも変わっている。この道はここまで通っていたか"


"あの真新しい建物はなんだ"


 見慣れない街並みへと、わずか2年のうちに変貌している事に驚くデューイではあったが、父の治世の賜物であるとは欠片も思わなかった。全国津々浦々どこもこのような物だろうという程度の感慨しか沸かなかった。


 実際は、北方域の中でもシャザール伯爵領は突出して経済成長著しく、来年にはドーズ子爵領を抜きブローラ辺境伯領に並ぶかという、名実共に北方の雄として躍り出るであろう事疑いないのだが、デューイには関心の無い事であった。




 ───領都ザールス 城内 執務室


「閣下、デューイ様ご帰還の由、もう間もなくご帰着されるかと」


 ノーマンが言う。モーリアスはこの時、緊張と自責とで狂い出しそうなほど疲労していたが、答えて曰く、


「左様か、暖炉は多めに燃やしておけよ。今宵は長くなるであろうからな」

「かしこまりました。では、早速お出迎えに行かれますか」

「うむ、帰着次第、まずは夕餉よ。お主らはその間、離れておれ」

「…はい、そのように」


 ノーマンが室内を辞すると、背もたれに預けたまま、天井を見上げて思う事は唯一つ。


「やるしかない。ここで腑抜けた判断をしてしまうと、後の禍根になるだけではなく、家中分裂を招く」


 しかし…本当にこれしか方法は無いのか。またいずれの道にか、正着はあるのではないか。思考は渦を巻き、止め処なく浮かんでは消え、浮かんでは消え、発想の闇に埋もれてゆく。


 やがて、笛の音が響く。北方域では、来客や帰宅を笛で合図する事が普通である。雪が視界を妨げるゆえの慣習だ。


「…今生の別れを、すべし」




───城内 食堂


「ただいま帰りました、父上、母上」


 硬質の声が響く。父に似て偉丈夫である。銀髪に黒の瞳。髭の有無のみが父子を分けると言っていいほどに似ている。


「おかえりなさい、デューイ。外は寒かったでしょう。さぁ、早く着替えてきなさい。あなたの部屋は暖めてあります」


 優しく響く母の声。母はいつだって優しい。その言葉に頷き、笑顔を向けながら、自室へと向かう。残されたのは父と母。ここに来て、言葉が詰まる。


「閣下、ほんとうに、殺めてしまわれるのですか」


 扉が締まった事を確認し、震える声で問うダフネ。なんせ、先日アーロンの侍女となるメリッサに対し、「伯爵家の次男として」云々と諭したばかりなのだ。本気でデューイを殺すとは、心底では思っていなかったのだ。当然である。

 モーリアス自身、帰着を求める手紙を送って以来と言わず、アーロン懐妊以来何度も悩み、そして今姿を見て、声を聞いてさらに悩みの沼に入ろうとしていた。


「いや、うむ。私は…」

「やはり、ご決断してはおられなかったのですね」

「やはりとは、そなた気付いておったのか」

「毎日のように難しい顔をしておられれば、誰だって分かります。最近は特に」

「そうか…いや、悩んでいる場合ではないのだ。このまま生き長らえるという事はつまり、家中が分裂してしまう。いや、分裂せざるを得ない状態になってしまう」


 デューイは、命名に際し当時の大司教の祝福を享けた。アーロンもまた既に享けている。最大の違いは、


 "予言の子か、否か" である。


 北方域に根付く北天教は、領民のおよそ9割が信者である。という事はつまり、家中も北天教徒が多く、家令ノーマンをはじめ、領軍司令官エリック、女官長フレデリカ、幹部は全て北天教徒である。


 末端の奴隷は除外するとしても、その状況下で「予言の子を正嫡としない」という決断をすれば、家中が分裂しお家騒動になり、引いては王家、大法官、宮内卿の介入を招き、最悪取り潰しの憂き目に遭う事は火を見るより明らかである。


 親として、子を守る為に何が出来るか考えた末に、廃嫡し僧院に送るという案が一見良案に思えたが、兎にも角にも本人の意思を確認せねばそれは出来ない。あくまで現段階では嫡男はデューイであり、それは諸侯の認知する所。

 それを本人の意思を度外視し、僧院送りを決定すれば、本人みずからでなくとも、王都へ情報が流れた時点で、それはそれでまたお家騒動から取り潰しというルートは消せていない。


 何よりここで最大級に重要な事は、北天教はガーシャ山脈を越えた北側が本拠地であって、王都を含む南部にはその大元である『星天教会(通称:星天教)』が教権を確立しているという事だ。


 星天教と北天教は、表立って対立しているという事は今の所無いが、本質的に相容れないのはその教義の差異から明確であって、国教指定はどちらともされている訳ではないが、国全体を見れば星天教が一歩どころか二歩も三歩も教勢が過大であり、まして王国貴族にはとある慣習法がある。


 それは、宗教対立によるお家騒動は、原因が何であれ取り潰しだという事である。150年以上前に起きた王位争奪戦争という内乱を契機として確立した慣習法である。たとえば貴族個人として信徒となり、信仰を擁護する事は構わないが、信仰の如何を以て政事を左右してはならないという、至極真っ当な法である。


 ゆえにこそ、モーリアスは悩んでいる。北天教徒としてのモーリアスは、一も二も無くアーロンを嫡男とし、家を盛りたて、いずれ北方にシャザール家ありと名を轟かせるという素直な欲望がある。


 一方、父親としてのモーリアスは、当然どちらも可愛い。デューイに対しそっけない態度を取っていたというより、初めての子で戸惑っていたというのが本当のところであって、含む所など皆無である。デューイが学院から陸軍大学に移籍するというちょっとした事件を起こした際に、身内の批難から庇ったのもモーリアスである。

 父親としての責務は、デューイ自身が気付いているか否かは別として、これまで果たしてきたつもりであった。


 しかしどうやら、悩んでいる時間ももう、残されてはいない様子であった。


 デューイが着替えから戻る。晩餐が始まる。


 現在の団欒を取るか、将来の繁栄を取るか。父はついに残酷な決断をする。




「今日のメインは、ガルガの恵みよ。召し上がりなさい」


 ガルガの恵みとは、北方域でよく使われる表現で、その豊富な水量を以て臼を回し、挽いた小麦を使った料理全般を言う。特定の食材を指定して使うことはまず無いが、小麦を使っているという共通点はある。


 今晩出されたものは、北方域に古くから伝わるミートパイのようなもので、慶すべき事や、物事の変化する時、葬儀など、行事を問わず皆で集まれば食べられている。つまり食事は有り体に言って特別に用意したという物ではなく、まさしく普段通りであった。

 デューイに対し、北方域の日常を思い出してほしかったという、ダフネの愛情が為せるものでもあったろう。


「母上、ありがとうございます。ガルガの恵みも懐かしいですね。先程ノーマンにも会いましたが、変わらないようで安心しました」

「あらそう、何か言っていたかしら」

「いえ、特に。挨拶を交わしただけですよ」

「そう、それでデューイ、向こうでの生活は、うまくいっているのかしら」

「もちろんです。私が選んだ道です。何も支障ありませんとも」


 まさしく母子の団欒である。しかし、しばらく饒舌に語っていたデューイであるが、様子が急変する。


「どうやら、食べすぎてしまったようです。先に失礼します」


 と言い、立ち上がろうとしたが、足がふらつきうまく立てない。


「あ、れ…目眩がひどいな……く、くるし…」


 ついに、喀血の末、食堂で倒れてしまう。大きな物音が立ち、しかしそれでも、誰も助けようとはしない。


 ダフネは、涙をこらえ、ハンカチで目をおさえている。


 モーリアスは、一時たりとも逸らすものかと、デューイに目を向け注視している。


 全く以て異常な空間であった。実の子を父が毒殺し、死にゆく子を見る両親。間違いなく壊れているが、両者にその自覚は無い。しかし、この異常かつ非情な決断によって、その後の世界は歩みを加速してゆく。


 この事件の真実を知るのは、たった4名。モーリアス、ダフネ、ノーマン、そして、メリッサである。


 他の者には、移籍した陸軍大学における勉学と、王都と北方域の気温差が影響して疲労がたまり、そこに川の食材で食中りを起こし、という不幸が重なっての自然死であると公表され、伯爵家により意図的にそうした情報操作が行われ、流布した。


 一週間ほど喪に服した後、北天教の祝日に合わせ、アーロンの生誕祭を領都ザールスで開く事が発表され、庶民の間では瞬く間に忘れ去られていった。


 しかし、そうは問屋が卸さないのが貴族社会である。この件に不審な匂いを嗅ぎつけたのは、当時銀行頭取殺害事件の為、当地を訪れていた大法官麾下の法官たるジュード・ファレン子爵その人だ。


 ファレン子爵の弟は陸軍大学の寮でデューイと同室であり、子爵自身もデューイと酒を酌み交わした事がある。その子爵が察する所、デューイに健康上の危惧は無く、怪しさ満点であった。

 子爵は、本業の片手間に城内を出入りする者共に金を握らせ、そして得た情報をまとめて王都へ送り、大法官の判断を待つ事にした。





───王都クルツ 王城 大法官執務室 2月



「なんと、これは厄介な。北方は呪われてでもおるのか」


 報せを受け取った大法官たるゴードン・ド・マレー伯爵は御年51。この重責を果たす事9年が経つ。任期の定めは無いが、慣例的に10年を過ぎると枢密顧問官に"栄転"する事となる。言わば大法官職は、文官貴族にとって出世競争の頂点であった。

 古の大法官は、凄まじく巨大な権力を有していた。次第にその弊害が現れ、汚職まみれの金権政治が蔓延っていた所、まず初めに行政府たる「首相府」が切り離され独立し、次に財政部門が切り離され「大蔵府」が首相の下に置かれた。

 そこでこうして分離された行政機構を"内閣"と呼称するようになった。


 つまり、時の首相と大法官の権力闘争の激しさを物語っているとも言えるが、結果として首相は、大法官から国政の最高責任者としての地位を奪った事になる。だから、「出世競争の頂点であった」という表現となるのだ。


 そして数年前、マレー伯の肝入りとして、王室財産及び御璽国璽の管理をおこなうための部局が内閣に移され、宮内府を成立させた。


 ただ、それで巨大権力が小さくなった事は確かだが、宮廷の序列としては未だ首相に次ぐ第二位であり、その職権は大きく、裁判所も管轄し、もちろん貴族間の紛争解決の指導もし、国内の宗教勢力との調整の役割も依然保っている。


 マレー伯としてみれば、後1年勤め上げれば枢密顧問官としての未来が開けているにも関わらず、先月来ブローラ辺境伯が怒鳴り込んでまで捜査を早めろという圧力をかけてきたり、今度はこれだ。お家騒動なんてもう真っ平だ。という気持ちにでもなろう所、鋼の忍耐を駆使して耐えた。


「しかし、もう既にその男子は死んでおるのだろう。しかもその死因が食中毒と既に流布されておるという…」


 側に侍る秘書官が言うには、北の地では昔末子相続の思想もあったらしい。


「待てよ、これは…予の置き土産を成立させるのに使えるかもしれん。至急首相に取り次げ!」


 そう言って面会の約束を取った後、すぐさま城内にある首相府へと向かう。


 首相は大法官にも増して忙しく、空き時間など無かったが、常の冷静さを捨てて後続の者に泣いてもらって構わんとまで言い切り面会を要求した大法官の剣幕に、さすがのケーディス侯も反論すらせず面会要求を受理したという。


「すまんな、リオネル。思い立ったが吉日と言うじゃろう」

「なに老人ぶってるんですか、勘弁してくださいよ。それで、勢い込んで何をおっしゃりたいのか」

「いやなに、たった今北方に派遣しておった法官より報せがあっての」

「ああ、ブローラ辺境伯の。何か進展がありましたか」

「いや、それとは別件でな。お主はまだ知らんか。シャザール伯の跡継ぎの事じゃ」

「過分にして存知ませんな」

「そうかそうか、それでは教えて進ぜよう」


 この大法官、公の場ではしっかりと首相を立てるが、こうして会話をするとすぐに昔のままだ。ひとまず事の次第を数分語り、ケーディス侯が理解したとみて、すぐに本題を話そうとする。


「でじゃ…」

「いや、待ってください。これは何やらおかしいですよ。この時期に北で食中毒というのは不自然ではありませんか。食材が腐りやすい南の夏ならば分かりますが。北方貴族の晩餐で食中毒とは、とんと聞いた事がありませぬ」


 当然の疑問である。だがしかし、お家騒動なんてものを任期中に汚点として残したくはない大法官は取り合わない。


「そんなことは問題ではない。予が言いたいのは、これを契機に"公衆衛生法"を通せるのではないか、という事じゃ」


「なんと、そこに繋げますか。まぁ、確かに…貴族嫡男の死は大義名分としてこれ以上の物はそう無いでしょうな。しかし…何やらキナ臭いものがあります。本当に自然死なのでしょうか」


 やはり捜査した方が良いのではないかと暗に示す首相。最もな正論である。しかしこの大法官、事なかれ主義を極めていた。


「何を言う。そのような事に法官どもの労力を傾けるのは損失じゃ。もし本当に自然死だとしたならばその後始末をどうする気じゃ。領内不可侵の原則は慣習を支える我が国の拠って立つ所ぞ」


 大法官、ついに国の拠って立つ所とまで言い出した。何のために国王大権を以て大法官に対し、犯罪捜査に限って領内不可侵を破る事を認めているのか、本末転倒ではないか。だがしかし今の時期、首相も首相でこれ以上北にかかずらっている場合では無かった。


 東の隣国たるソルナック王国との間における相互不可侵条約の期限延長の為の交渉を、外務卿を派遣して行っている最中なのだ。元々は向こうからの提案で結んだ条約だったが、国際政治環境の変化により、この条約は是が非でも延長せねばならぬ状況となっている。

 少なくとも、首相はそう認識している。春までは、他に問題をみずから抱えたくは無かった。それに、公衆衛生法は国のため民のため必要であるという認識は大法官に負けず劣らず持っていると思っていた。


 むしろ首相府から御前会議に諮る算段であったのに、大法官からこうも熱く言われるとは正直思っていなかった。こう言うからには、既に骨子は出来上がっているのだろう。


 首相は頭を切り替えた。


「では、そうですね、御前会議において奏上するという従来からの方針は内々にありましたが、それを早めて、かつ大法官のあなたから奏上して頂くという事にしましょうか」


 大法官はお家騒動に巻き込まれたくない。首相は条約の方に集中したい。有り体に言って妥協の産物と言えたが、経済成長に伴って、王都を始め都市部の環境劣悪な事この上なく、法に依拠して汚染物の垂れ流し等を至急阻止する必要があったから、この立法は時宜を得ていた事も確かであった。


「おお、なんと、花を持たせてくれるか。ありがたいことじゃ」


 諸王歴503年の4月、御前会議において公衆衛生法が承認され、ひとまず王都から汚染を一掃する計画が立てられたのは、確かに慶事であった。この法律が御前会議を通った翌日の王都新報はこう書いている。


"さる1月、北方域の有力諸侯たるシャザール伯の嫡男デューイ公子が卒去され、その死因について改めたところ食中毒であった事が判明し、やにわに立法の気運高まり、大法官マレー伯の奏上する所となった。"


"ついに成立す。公衆衛生法は、我が王都の衛生を向上させるだけではなく、諸外国に先駆けた先進の模範を示し、列強における我が国の地位をさらに押し上げる事疑いない。世人これを嬉しく思い、一連の流れを1月騒動と申す者あり。"


"確かに公子の死は1月で悲しむ事なれど、大法官マレー伯の意気は騒動となんら変わりなく、言い得て妙であるという事で、人口に膾炙したものと思われる。何はともあれ、王国はまた進歩を遂げたと言うべきであろう"




(つづく)


会話文って難しい。

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