第三話 侍女メリッサ
────諸王歴502年 9月
ここで、これからアーロンに付き従う者のうち、後に女官長となるメリッサ・リンドの話をしておかねばらない。現在17歳。彼女は、いずれ大きな役目を果たす事になるのだが、その事はともかくまずは生い立ちを紹介しよう。
そうする事によって、前史を語ることにもなろうからだ。
メリッサは、諸王歴485年、シャザール伯爵領都ザールスに生を享けた。父は伯爵家の家令ノーマン。母は領都ザールスにおいて富裕を誇るトーマス・ラクスという穀物卸売業者の一人娘、ビアンカである。
生まれてより母方の実家にて療育され、15になるまではザールスで過ごした。ビアンカはノーマンと結婚してより城住まいとなっているので、ほぼほぼ家族とは別居状態であったと言えるが、週に一度程度城へ上がり、まだデューイが王都へ赴く前などは、共に遊んだりもしていたようだ。
祖父トーマスは大変な愛情を注ぎ、惜しみない財をビアンカとメリッサの為に使っている。メリッサが南方の鳥を見たいと言えば買い与えてやったし、白馬が欲しいと言えばそれも与えた。おかげで、15になる頃にはお転婆どころか誰も手がつけられないほどの我儘娘となっており、さすがのトーマスも危機を感じたのか、ノーマンと相談の上で北天教の修道院に一時見習いに出そうかという話まで出たほどだった。
修道院に一時見習いに出るという事は、富裕層や貴族にとっては、ある種の懲戒を意味した。
ともかく、質素倹約を旨とする修道院の生活は、娘の性根を叩き直してくれるだろうと考えたのである。だが、メイド達の会話からそれを察したメリッサは、修道院に入るくらいなら、と王都への遊学を願いでてしまう。
曰く、「王都に行って質の高い勉学をした方が将来の為になるわ」というのだ。
王都クルツには、王国の誇る"学院"があり、貴族や富裕層の子弟を専門に教育している。帝王学はもちろん、法学、経済学、文学、化学、美術など、王国最高峰の学問を学ぶ場として存在した。
両親は悩んでいた。それを知ったモーリアス曰く、
「何を言うのか、可愛い一人娘なのであろう、好きにさせてやれ」
この一言により、メリッサは王都の学院に入る事になる。学院は5年制で15歳の成人と共に入学し、2年を教養、3年を専門として学ぶという仕組みになっている。学院を出た後の進路はまた場合により様々あるのだが、今回は割愛する。
2年目、17歳になる頃に、伯爵夫人ダフネの懐妊が発覚した事により、メリッサの運命が急変するからだ。男子が生まれる保証など無かったにも関わらず、急遽ザールスへ呼び戻され、御子付きの侍女となるようモーリアスより直接言い付けられたのだ。
以前のメリッサならばいざ知らず、王都の波に揉まれた少女は強く逞しくなっていた。これを奇貨と捉え、即座に承諾。すぐさま同窓との別れを決意し、なんと手紙だけで別れを済ませたようだ。そして現在に至る訳だが、そんなメリッサは今、ダフネ夫人に呼び出されていた。
「ダフネさま、何用でしょうか」
「いえ、あなたの事だから、もう分かってはいると思うけれど、アーロンの事よ」
「アーロンさまの」
「そうよ、あなたを侍女に付けると仰ったのは伯爵ご自身だわ。だからそれについて含む所は無いのだけれど、私も母として言っておかなければならない事があるわ」
「はい、なんでしょう」
「アーロンはいずれ、伯爵のお心変わりが無ければ、シャザール伯爵として襲爵する事になるわ。いわば跡継ぎということ。それは理解しているわね?」
「もちろんでございます。父からも何度も聞きました。私もそのつもりでおります」
嫡男デューイの心情いかばかりか。察するに余りある話し合いである。
「そこで、教育方針についてなのだけれど」
「はい、ご嫡男として、ですね」
「いいえ、違うわ。成人するまでは、嫡男として育てるのではなく、伯爵家の次男として育てていこうと思っているの」
なんと、一体どういう事なのか。
「何ゆえでしょうか。御本人にはお知らせ参らせる訳にはゆかないのですか」
「そうよ。周囲に憚る事の無い状況が作られるまでは、波風を立たせない方が良いのだわ」
「と、言いますと」
「王都の目もあるからよ。ただし、それについては追って伯爵ご自身からあなたに指示があるはずだわ。私が言いたいのは母として、貴族としての教育はもちろんなのだけれど、とにかく無事に育ててほしいという、その一点のみよ」
「もちろんでございます。わたしも、アーロンさまのご健康には格段の注意を払います」
ダフネは、母として、伯爵夫人として、様々な葛藤の内にいるようだ。それを察したメリッサは、その意を汲んで教育に精を出し、いずれ勉強熱心で健康な青年が北の地を席巻してゆく事になるのだが、それはまだ先の話。
ダフネの居室を辞したメリッサは、城で働く侍女に与えられている自室に戻ると、緊張で汗ばんでいた手を拭き、着の身着のままベッドに寝転がる。
「これから、私がお支えする人は、この北の地の柱となる方なのだわ。ふー」
若干興奮したようで、天井を見つめながらしばらく悶えていたようだ。
それでもまだ、メリッサが付きっきりで世話をするという訳ではない。乳母もいれば家令もいれば、女官もいる。ただ、アーロンが成長した暁には、メリッサが筆頭女官となるのであって、それは誰かに任せきりという物でもない。その事を自覚して、心中から責任感が湧き上がる思いであった。
(つづく)
少し短いお話。