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シャザール戦記  作者: 月岡師水
第一章 成人の儀
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第二話 命名




 誕生より2時間ほど経ち、母子共に身体に異常無しと判断されるまで厳禁であったモーリアスとその次男の初対面は、支障無く終わった。嬉しさを隠そうともせずダフネ夫人に感謝を伝える様は、嫡男デューイ誕生の折には見受けられなかった事だ。


「よくやったダフネ、これは戦陣にて大手柄を挙げるよりも偉大な仕儀である」

「まぁ閣下、大げさなことを仰るわ。」

「大げさであるものか。我が家の浮沈に関することぞ。そなたも疲れておろう、産後の母体は特に不安定と聞く。これから冬が来る。体に大事ないように致せよ」

「ありがとう存じます。もちろんです」


 伯爵夫人たるダフネは、デューイを産んだ時は若く16であったが、既に35。十分に高齢出産といえた。それもあって、父母共に健康にはいたく留意し、この一年の気の使いようは相当なものであった。


「始祖"アーロン"の名を取り名付けようと思うが、よいな」

「構いません。以前よりそう仰っておられたのは存じております」


 始祖アーロンは、シャザール伯爵家の初代である。今より数えて200年ほど前、蛮族との戦いで武功を挙げ、当時のクルト国王により取り立てられ一家を立てるに至った偉大な先祖である。その名を冠する祖先は未だ無く、モーリアスの懸ける熱意が伺える。


「さて、7日後、大司教を招き命名の儀を取り計らう事になっているが、そなたは必ず出よ」

「当然のことです。大事な我が子の命名ですもの」



 命名の儀は、北天教を信奉する貴族にとって特に重要で、改宗した異教徒の洗礼と同等の位置付けとなっている。命名を授けた聖職者は万一の際の親代わりであり、宗教的な意味での身元保証人の役目も持つ。


 敬虔であると自負する北天教徒であるモーリアスは、当代のザールス大司教たるヴァリー・コーエンとは幼馴染でたいそう仲が良く、シャザール伯爵家がモーリアスに代替わりしてからのこの20年間、毎年寄進を増やし続けており、両者の関係はまさに昵懇といえた。


 3年前から建設中のザールス大聖堂が落成していれば、そこで命名の儀を執り行う予定ではあったのだが、完成予定は1年後である。そこで以前から決めていた通り、城の大広間で行うことにしたのであるが、これは北天教において前例無き事であってその実施には一悶着あったのであるが、10万ベルの新たな寄進により落着するに至る。


「必ずやヴァリーも、新たな神の僕の誕生を祝いでくれるに違いない」

「そうだと良いのですが。私は無事に育つ事ばかりを祈っております」

「私とそなたの子だ。元気に育つであろうよ」

「デューイとも、仲良く出来るでしょうか。あの子も成人してから4年経ちます。年の離れた弟の存在を素直に喜べるかどうか、私には不安があります」

「ふむ、問題はなかろう。奴も分別ある大人だ。嫡男としての教育はしたではないか。むしろ喜ぶであろうよ。新たな味方が出来たとな。それよりも、そなたの父上がどう考えるかだ」

「我が父は…きっと、表面上は喜ぶでしょうね」


 ダフネの父は、ガーシャ山脈を南北に貫くドーズ峠の北側を支配する当代のドーズ子爵である。峠に設けた関所からの収入は潤沢で、専ら領地のことは代官に任せ、王都にてクルト王国の外務卿の重責にある。今は東の隣国であるソルナック王国に出張中のはずだ。海運の発達により最近は収入も減り始めていると聞くが、それはまた別の問題。


 このご時世には珍しく、モーリアスとダフネは恋愛の延長で結婚を成立させており、それはまた、両家の利害が一致したからこそ起きた奇跡でもあったのだが、モーリアスの父とダフネの父は犬猿の仲として有名で、よもやあの二家が、と当時は社交界の話題をさらったものである。


 ともかく、当代のドーズ子爵は"厳格"に服を着せたような人で、家督争いの種たる次男の誕生を決して喜ばない事は目に見える。金遣いの荒さとは裏腹に、お家の事はまず第一に秩序を以てする人なのだ。


「父は、色々と文句を付けてきましょうが、顔を合わせさえすれば甘くなると思いますわ」

「それもそうか、考えてみるまでもなく、孫の誕生であるからな。何にせよ、配慮はせねばならん」

「そうですね、私も、迂闊な事は喋らないように気を付けます」

「苦労をかける。しばらくの辛抱だ。いずれ誰憚ることもなくなるであろう」

「いいえ、私は、閣下の妻として楽しんで日々を生きております。辛抱などと仰らないでください」

「ありがたいことだ。おっと、少し長話をしすぎたな、今日はもう休むがよい」

「はい、おやすみなさいませ」

「ああ、ではな」


 深夜である。家臣共も城を辞したようである。家令たるノーマンのみが控えており、何やら報告がある様子。


「閣下、ご歓談中にお騒がせしてはと、止めておりましたが先程早馬にてこちらが」

「何、見せてみよ」


 そう言って差し出されたのは北隣に広大な所領を持つブローラ辺境伯家の紋章が捺された封書である。


「あの老いぼれめ、わざわざこの日に送ってこずともよいものを」


 中身には、以下のような事が記されてあった。

"先月来、当領内で起きた事件の捜索につき、北方域を騒がせており、貴家の領内にもその影響は及んでいるであろうこと、申し訳なく思う。しかし、当領内唯一の銀行の頭取が害されたとあっては隠し立ても出来ず、未だに捜査を続けている所である。


"領内不可侵といえども、他領において賊が潜伏しているやもしれず、王国法官に通報の上、その協力を仰いでいる訳であるが、一向に賊の発見される報せは無く、あすで一月となる。以後も捜査は継続する予定ではあるものの、捜査が進展する見込みはなく、賊の人数すら明らかにならぬ始末。"


"事ここに至っては致し方なく、王国法官に対し捜査を一任したので、どうか貴家にあっても法官の捜査に対し協力をお願いしたい。"


「ふむ…これはどうやら、我が領にも陛下の犬どもがうろつく事になるやもしれんな」

「如何いたしましょうか。捜査には協力するつもりとお見受けしますが」

「もちろんだ。今はまだ反抗の気、一分とも見せてはならぬ。なんなりと従え」

「は、ではそのように」


ノーマンは、少し不可解な顔をしながら問いかけてくる。


「しかし閣下、何ゆえたかが銀行の頭取が害されただけでここまで大事になるのですか」

「いや、なに、あの老いぼれの庶子と言うだけのことよ」

「それは真の事だったのですか?単なる噂に過ぎないと思っておりましたが」

「噂なら良かったのだがな。真実であるからこそこうなっておるのよ」

「難儀な事ですね。早く解決してほしいものです」

「そうだな、まぁ、法官まで出張ってくるというのだ。今年中には片付いておるだろうよ」

「そう願いたいものです」

「でだ、命名の儀、準備は怠るなよ」

「かしこまりましてございます。つつがなく」




 そして7日後、コーエン大司教が城を訪う時刻が近づいてきた。家令ノーマンを筆頭に文官や女官は忙しく立ち働いている。


「メリッサ、御子の名を記す聖石を持ってきなさい」


 そう呼ばれたのは赤みがかった茶髪の少女。爾後アーロン付きとなる予定の女官の一人である。なお、子供は命名の儀を済ませるまでは、単に御子と呼ばれる。


「はい、リンドさま、こちらに」


 その容貌は年齢に比して大人びて見え、40を過ぎ早々に白髪が目立ちはじめたノーマンとは似ても似つかないが、実の子である。公の場では、リンドさまと呼ぶように言われている。慣れない言葉遣い、立ち居振る舞いに四苦八苦だが、相当頑張っている。やや緊張した面持ちではあるものの動きに戸惑う所はなく、御子を任せても安心だと言えた。

 この時代の貴族の男子には、たいていの場合、家令や領軍司令官の縁戚がお付きとなるので、今回も特例とは言わず慣例に従ったものと言える。男子が生まれればノーマンの子メリッサ、女子が生まれれば領軍司令官エリック・フェーザーの孫、ティアが選ばれる予定だったようである。


 メリッサが準備している聖石とは、ガーシャ山脈はドーズ峠東側から、北方ユタ大森林の間に広がる早寒台(そうかんだい)で採れる大理石の一種で、流麗な縦縞が目立つ事により、連綿と続く血統を象徴し、貴族の子の命名の儀において使われる事の多い石で、その石に名を刻んだものを、北天教の聖職者が祈る事により聖石として効果を発揮すると言い伝えられている。


「ほんとうにお身内だけの儀式なのですね、わたし、どんな人が来るかと思って緊張しちゃったわおとうさま」

「こら、まだ終わっていませんよ。気を抜かないように。」


少し素が出ちゃうお茶目な子なのだ。恥ずかしそうにしながら、


「はい、リンドさま」と言い直す姿は、可愛らしさを絵に描いたようである。見た目大人びている分、余計際立つ。


 さて、城門前が騒がしくなってきた。先触れの笛の音が聞こえる。

「大司教猊下が到着なさったようだ。あなたはホールで待機列に入りなさい。私どもは歓迎をしなければなりません」

「はい、わかりました」


 素直なメリッサがいそいそと列に入る頃、銀糸で飾った華麗な馬車が門前で停まり、降り立ったのは壮年の男。

御年40にして、北天教ザールス大司教の地位に就くヴァリー・コーエンその人である。北方域の人らしく、銀の髪が目立つコーエン大司教は、笑顔を湛えながら幼馴染の元に歩いてくる。


「やぁモーリアス、しばらくじゃないか」

「おぉ、ヴァリー、久々だ。相変わらず元気そうで良かった」

「それが慶事なんだから、良き事というのは重なるものだね」

「はは、やはり聖職者、言う事が違うな!」

「もう20年以上この道にいるんだ。そりゃあ僕だって成長するさ」

「悪い悪い、さぁ、寒いだろう、中に入ってくれ」

「ああ、そうさせてもらうよ」


 命名の儀は、もっぱら以下のような順を追う。

まずはじめに、正室の子たる御子懐妊が発覚すると、男女問わずその両親及び親族による合議の元、命名すべき名を決める。その際、北方域では多くが北天教の聖職者を学者として招き談ずる事が多い。


 次に、決定した名を"誓紙"に書き両親の検分を経て、家令がガーシャ山脈より湧き出る"聖水"を用い聖石に貼り付ける。それを生まれた御子の枕元に置き、7日を過ごす。

 7日目の朝、聖職者により聖石に祈りが捧げられ、石工によって名が刻まれる。それは死後墓石に埋め込まれ、未来永劫その魂を慰める役割を持つ。

 全ての儀式が終了次第、建国当時からの仕来りにより、聖石に記した名を王家に届け出、その認証を仰ぐ必要があるがそれは慣例的なものであって、なんらの掣肘も加えられる物ではないので、ここでは割愛する。


 朝の光が差し込む大広間は静寂に包まれている。伯爵、伯爵夫人を中心にして、家令、女官、武官の長どもを侍らせ待機する一同の中を、大司教は歩み出て、その中央に置かれた聖石に手を触れ、祈りを捧げる。


「御子よ、北天の御子よ、其は天に遵い、星々の運びを観、其は北の大地に座し、其の導きを衆に示し、大道を常に歩まれんことを、祈りアーロンと命名する」


 おお、とさざなみのように声が広がる。伯爵などは涙をこらえている。

 

 この北の子が、いずれ世界にいかなる物を示すのか。今はまだ、誰も知らない。



(つづく)

まだまだ序盤にすら入れません。

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