中継の街でも、不運は続く
「キャー···あ、いたたっ」
街について何度めかの痛みを経験する。
馬を降りて、初めに躓いたのは小石。
その次に、アニメのようにバナナの皮。
それから、子供達の投げたブーメランの様な物に驚き。
そして、今また宿屋の床の少し競り上がった板に躓いてこけた。
何度も打ち付けた膝頭は、血が滲み出てる。
千依の不運は未だ健在だ。
クウンウクンと心配そうに大五郎が鼻を鳴らして千依にすり寄ってくる。
「チィ! うろうろしちゃ危ないよ」
宿屋のカウンターで宿泊の手続きをしていたアルバローザが慌てて駆け寄ってくる。
「ごめんなさい」
千依にしてみれば窓の外を覗こうと数歩歩いただけなのでうろうろしたつもりはなく、とても不本意なのだが、心配をかけたようなのでここは謝ることにした。
「本当に千依は危なっかしいね。大丈夫かい?」
やれやれと首を左右に振りながらアルバローザが千依の両脇に手を入れて抱き起こしてくれた。
「だ、大丈夫」
そういう千依の目は潤んでいた。
小さな不運が続いていて、ちょっと、いやかなりうんざりしている千依だが、それを今更言ったところで生まれた頃から続いてる不運が無くなるわけでもないし。
遠い目をして達観したような千依の姿がアルバローザに過保護欲を沸かせる。
「部屋までこのまま行こう。女将さん、二階の突き当りの部屋だったね?」
アルバローザは優しく微笑むと千依を立て抱きにして、カウンターを振り返る。
「ああ、そうだよ。後でお嬢ちゃんの怪我の手当に薬を持って行ってあげるよ」
「すまない、頼む」
アルバローザは宿屋の女将さん礼を言うと、千依を前向きのまま立て抱きに抱いて動き出そうとした。
バウと吠えた大五郎はアルバローザを止めようと彼のズボンの裾をくわえる。
千依に不埒な事は許さないとばかりにアルバローザを見上げる大五郎は頼もしい。
「怪我してるお前のご主人を運ぶだけだよ」
そう言われてしまえば、大五郎はしぶしぶながらもアルバローザのズボンを離すしかなくなる。
「お前はかしこいね。さぁ、チィ行こうか」
大五郎の反応に満足そうに口角を上げたアルバローザは、今度こそ歩き出した。
「へっ? あ、いや···ちょ」
焦った千依をよそにアルバローザは宿屋の階段を登り始める。
周囲の客達からは生温かい視線が千依に向かって送られてくる。
(もう、子供じゃないってば。こんなの恥ずかしすぎるよ)
胸の中で悶々としつつ千依は両手で顔を覆った。
今の彼女に出来る事はそれしかない。
「心配しなくても落としたりしないよ。安心して」
アルバローザは何を勘違いしたのか、千依が自分に抱っこされてる事で落ちやしないかと不安になってるのだと思ってる。
「いや、そうじゃなくて。一人で歩けるよ」
顔から手を外して首だけ振り返るとアルバローザを見る千依に、彼は満面の笑みを浮かべる。
「階段で躓いたら大怪我をするからね」
どうにも彼の考えは斜めに向かってる。
(そうじゃなくて。降りたいのよ)
目を細めて千依を見る彼にその思いは決して届かないだろう。
羞恥を撒き散らしながらも千依は本日の宿泊先へと運ばれる。
アルバローザの足取りはまるで千依の重さを感じないかのように軽い。
「あ、あの、重くない?」
「ああ、問題ないよ。前に抱き上げた時も思ったけどチィは羽のように軽いね」
「それは無理があるよ」
「いや、本当に。このまま階段を駆け上がることも出来るよ」
と言われた千依はギョッとして目を見開く。
そんなことをされた日には、更に悪目立ちするに決まってる。
「そ、それは絶対に止めて」
強い口調で言う千依に、アルバローザは微笑む。
「そう? じゃあ、またの機会に」
そんな機会、千依は全くもってほしくない。
「·····」
「早く部屋に行って足の手当をしよう。それが終わったら早めに夕飯を食べて明日に備えよう。明日も長旅になる」
「うん。明日には王都につく?」
「かなり早駈けにはなるだろうが、明日の夜には到着する」
「そっか」
「千依は何も心配いらないからね。君の保護は俺がするから」
アルバローザは千依を抱く手に力を込める。
彼の言葉に嘘はないと思わせる何かを感じた千依だけど、言われた状況が状況なので少し複雑だ。
立て抱き抱っこされる16歳の女子高生。
これを不服と思わずなんとする。
(なんだかなぁ···アルバローザの中での私の立ち位置ってどこなのかな)
「ん? どうかしたかい? チィ」
何も返事をしなかった千依を不思議そうに見るアルバローザ。
「あ、ううん、なんでもない」
「そう? 今日は初めての馬上の旅立ったし疲れたのかもしれないな」
「···そうかも」
ここは頷いておく千依だった。
アルバローザにとって千依は女性というよりは小さな女の子と認識しているようだし。
その点では同室で眠っても安心感はあるが。
花の乙女としては、如何せん複雑なのだろう。
アルバローザに連れて来られたのは、シングルベッドが二台と小ぶりなソファーセットの置かれた15畳ほど有りそうな部屋。
通り沿いに面した大きな窓があり、とても明るいその部屋に入ると、アルバローザは千依をソファーに降ろした。
「一先ず傷を見せてくれるかい」
アルバローザはそう言うと、千依の前に膝まづいた。
「自分でなんとか出来るよ」
なんてったって、今の千依には魔法が使えるのだ。
転んだ傷ぐらい簡単に治せるはずだ。
(治療魔法はやったこと無いけど、多分できる気がする)
「バイ菌が入って化膿してからじゃ遅いからね」
アルバローザは千依の言葉を無視したのか聞こえにい振りをしたのかは分からないが、スカートの裾を持って膝が見えるぐらいまで捲り上げた。
(だ、だから、子供じゃないんだってば)
普段から膝上のスカートやハースパンツを履いていた千依にとって膝を見せるぐらいはずしいことでもないのだが、イケメンにスカートを捲られるという行為は、何かが少し削られた気がした。
もちろんアルバローザに、疚しい気持ちなど微塵も無いと分かってはいるものの、そこはそれ乙女心と言うもので。
「ま、魔法で治せるよ、多分」
慌ててスカートを押さえた千依に、アルバローザは言う。
「回復の魔法は体力を使うから無闇やたらと使わない方がいいんだ。少しぐらいの怪我ならば消毒と薬を使ったほうがいい」
「へぇ、そう言うものなんですね」
「ああ。これぐらいの傷なら薬を塗っておけば問題ないだろう」
再びスカートを捲ったアルバローザが傷口を観察したあとそう言った。
千依も観念して、アルバローザのすることを止めることはしなかった。
(この人、マイペース過ぎるよ。小さい子として扱われるならもうそれでいいや)
何かを達観した千依は、開き直ることにしたらしい。
少ししてドアがノックされ、宿屋の女将が消毒用のアルコールと傷薬を持ってきてくれた。
アルバローザはそれを喜々として受け取り、自ら千依の治療をしたことは言うまでもない。
千依の小さな不運は色々な意味で彼女に降り掛かったのだった。
心の中で削られた何かは一体何だったのかを、あえて千依は考えないことにして、その日一日を終えたのは言うまでもない。