最果ての町イーロン
一人ぼっちになった千依に、地平線へと傾いた太陽は暑い熱をさんさんと降り注ぐ。
川沿いに座り込んだ千依は心ともない思い表情を浮かべてる。
さっきまで流れていた涙の後が頬に残ってた。
「一人ぼっちだよ・・・お父さん」
誰に言うでもなく、空を流れる雲を見上げてポツリと呟いた。
大五郎を追い掛けたくても、痛めた足がそれを許さない。
(私、ここで死んじゃうのかな)
(異世界で無一文で、森の中とか、あり得ない)
どうしてこうなったのか、その理由さえも浮かばない千依。
車に跳ねられた影響なのか、節々まで痛くなってくる始末だ。
大五郎が一緒に居てくれたからこそ、ポジティブだでいられた千依だが、今ではすっかりそれもなりを潜めてる。
ワフワフ・・・何処からともなく聞こえた犬の鳴き声。
その聞きなれた声に、千依はがばりと顔を向けた。
するとそこには、こちらに向かって大きくなっていく大五郎の姿が。
「大五郎!」
千依は体の痛みを忘れたように立ち上がると、そちらへ向かって駆け出した。
(帰ってきた、大五郎が帰ってきたよぉ)
涙が自然と溢れてきた。
元気に駆け寄ってくる大五郎の姿が涙で滲む。
一人じゃないと思えたことは、この時の千依にとって心強いものだった。
ワフンと千依に飛び付いてくる大五郎は、千依の身長より大きな体をしている。
後ろに仰け反りながらも、大五郎を両手でしっかりと抱き止めた千依。
「大五郎、どこ行ってたの? 心配したんだよ」
大五郎のふかふかの毛皮に顔を埋める千依の手は少しだけ震えていた。
ペロペロと千依の横顔を舐めた大五郎は、千依の腕の中から這い出ると彼女のジャージのズボンをくわえて引っ張った。
それは、早く行こうと言いたげで。
「どうしたの?」
千依がそう聞いても、大五郎はくわえたズボンをぐいぐいと引っ張っていこうとする。
「何か見つけたの?」
ワフワフ、千依の言葉に返事するかのようにズボンを離して鳴いた大五郎は戻ってきた方向へとゆっくりと歩き出す。
「大五郎」
またしても大五郎が一人で行ってしまうんじゃないかと不安になった千依を、大五郎は首だけで振り返るとワフンと鳴いた。
「そっちに行くの?」
千依がそう訪ねると再び大五郎は歩き出す。
愛犬が向かおうとしてるのは深い森。
千依は不安を抱きながらも、大五郎の後に後に続いて歩き出す。
何度も千依がついてきてるかを確認するように振り返りながら進む大五郎。
(こうなったら、大五郎を信じるしかないね。このままここにいても仕方ないし)
大五郎は周囲を警戒しながらも森の奥へと進んでいく。
獣道は人間の千依にとっては道なき道である。
草木を手で避けながらも、大五郎に置いていかれまいと足を進める千依。
千依は髪や服に木の葉や蜘蛛の巣がつくもの気にせずに前をいく大五郎だけを見据えている。
自分の今の格好がボロボロなことも承知しながらも歩みを止めることはない。
どのぐらい進んだのだろうか。
深い森は薄暗い上に鬱蒼と生え広がる木の枝が邪魔で、森の上を照らしているであろう太陽の位置を確認する事は出来なかった。
時々聞こえる野獣の声に身を震わせながらも千依は大五郎に導かれるようにして、ひたすら歩いた。
(お腹も減ったし、足も痛いよ)
「大五郎、待って!」
千依が大きなため息をついた時、前を進む大五郎が急に駆け出した。
置いていられないように必死に痛い足を引きずりながらも追いかける。
ワフワフ・・・大五郎がピタリと立ち止まって振り返る。
ホッとした千依に見えたのは、木々が開けたその向こうに見える集落。
森の外の景色は傾いた太陽が真っ赤に染めていた。
(もう、夕方なんだ)
ありきたりな感想を思い浮かべた千依は、自分の置かれた足元に頭を擦り付ける大五郎を見下ろした。
「大五郎、ありがとう。町を探しに行ってくれたんだね」
しゃがみこんで大五郎の首もとにギュッと抱きついた。
歩き疲れた千依の為に大五郎は、町への道を野生の勘を頼りに探して来たのだ。
クウンクウンと甘えたように鳴いた大五郎を、千依は感謝の気持ちを込めて抱き締め続けた。
(大五郎がいれば大丈夫。私の大好きな友達だものね)
(帰る方法が見つかるまで二人で頑張らなきゃ)
千依の心は強くなる。
どんな不運が続いても、大五郎と一緒に住み慣れた日本へと帰りつく、その思いを強く持ったのだった。
「さぁ、日が暮れちゃう前に行こうか」
千依はもう一度大五郎をギュッとして、立ち上がる。
真っ暗になるまでに町に辿り着くかなければ、暗闇に進路を閉ざされてしまうかも知れないのだ。
しっかりとした足取りで森を抜けると、舗装されていない砂利道を進み出す千依と大五郎。
この世界のお金も知識もない二人がこの先どんな道を辿るのかは、神しか分からない。
けれど、これだけは言えるだろう。
千依は絶対にこの世界で生きる道を探し出す。
「大五郎、この世界の人と言葉通じるかな」
ワフン・・・大五郎の返事はよく分からない。
「魔法で理解するとか出来たらいいなぁ。と言うか、自分が魔法を使えることに先ずビックリだよね」
能天気な千依の声だけが道に響く。
昨日は深く考えずに魔法を使った千依だけど、そもそもその原理さえ分かってない。
こうなればいいな、と思い浮かべながら指を振れば魔法が発動するのだ。
チートもチートのこの魔法が、彼女がこの世界で生きていくために、きっと役に立つはず。
歩き疲れてへとへとになった彼女が町に到着したのはどっぷりと日が暮れてから。
見えていた町は、思っていたよりも遠かった。
途中で真っ暗闇に包まれた千依が思い付いたのが、光の魔法。
明るく照らす光を思い浮かべて指を振れば、なんと不思議彼女の周囲を明るく照らしたのだ。
そのお陰で、なんとか町にはたどり着けた。
「大五郎、なんだか静かだね」
町の外れは各家々から漏れ出る薄い光が少し道を照らすだけ。
行き交う人もほとんどいなくて、千依は途方にくれた。
宿屋に泊まろうにも彼女にはお金がない。
親切な人を見つけて、労働の対価に納屋にでも泊めてもらうしかないのだ。
それなのに、人とすら違わない。
(今日も野宿かな)
千依から心ともない溜め息が漏れ出た。
それでも千依は歩くことを止めなかった。
町の中心部が明るく光っていたからだ。
(あの辺に行けば誰かに会えるかも知れない)
その思いを胸に、歩く疲れてくたくたの体に鞭を打った。
町の中心部へ入ると大きな噴水があり、その周辺には沢山の屋台が並んでいた。
ランプの光で明るく照らされたその場所には、大勢の人達がいた。
明るく陽気な音楽が流れるその場所は、市民の憩いの場所のようだ。
中世の服を着た人達が思い思いに夜を楽しんでいる。
やっと、人に出会えたことで千依の心はホッとした。
ジャージ姿の千依が珍しいのか、チラチラと視線を向けられたが、話しかけてくる人は居なかった。
(どうやって、今夜の宿を探そうかな)
(こんなに不振人物を見るような視線を向けられていたら、温かい布団は無理だよねぇ)
外じゃなければいいかと、千依は希望を引き下げる。
やたらと目立ってる余所者の千依。
(ここがどこかぐらいは知りたいな)
千依がそう思った時、その声はかけられた。
「お嬢さん、珍しい狼を連れてるんだね」
「えっ?」
声のする方へと目を向けた千依は驚きに目を丸めた。
そこにいたのは中世の騎士のような白い軍服を着た、背の高い金髪碧眼のイケメンが立っていたんだ。
(うわっ、これって異世界転移のテンプレ)
「この狼をとてもいい毛並みをしてるね。良かったら譲ってくれないかな」
騎士は人当たりの良さそうな顔でそう言った。
「む、無理」
慌てて首を横に震る。
千依にとって親友とも言っていい大五郎を人に譲ることなんて有り得ない。
「そっか・・・残念。国王主催の狩りに連れていったらめずらしがられると思ったんだけど」
「・・・」
「ところで君はイーロンの町の人間じゃないよね」
千依が喋らないのを良いことに目の前のイケメンは、探るような視線を向けながら話を続ける。
ここはどうやら、イーロンと言う町らしい事が判明する。
(変なのに捕まったことだけは間違いないなぁ)
千依は自分の不運に溜め息しか漏れない。
昔から、変わった人が寄ってくるので、大変困った事態によく巻き込まれるのだ。
「ねぇ、君。僕の話を聞いているかい?」
「・・・はぁ」
(聞いてないよ。と言うか、本当面倒くさい)
さっさと立ち去ろうと無言のまま彼に背を向けた千依。
関わるとろくでもないことに巻き込まれそうな気がしたからだ。
「どこにいくの?」
「追いかけてこないでください」
「君が逃げなければ追いかけないよ」
偽物の笑顔がますます胡散臭い男である。
「私、急ぐので。大五郎、行くよ」
隣を歩く大五郎に声をかけると千依は駆け出した。
「あ、ちょっと」
少し焦った声と共にイケメンが追いかけてくる。
(なんなのよ、もう。せっかく町についたのに、変なのに追いかけられるだなんて)
疲れた体で走る千依は泣きそうな気分だった。
背の高いイケメンは長いリーチをいかして千依を追いかけた。