彩・交友関係 2
四月と言えば、春。四月と言えば、桜。四月と言えば、出会い。色々な四月があるけれど、私の中では出会いが大きい。
大学生活にも慣れてきて、四月も半ばになると、講師の話し方や、筆記癖など、目につくものが増えてくる。例えば、今講技をしている、語学の男講師は、レジュメを配って、前方のスクリーンに映るパソコンの画面を使い、キーボードで文字を打ちながらひたすら口を動かしている。頭脳明晰なのだろうが、余裕で自信家そうな淡々とした理論的な口調が、私は苦手に思えた。
一言でいえば、今この時間は非常につまらない。何度欠伸をしても足りないほどで、ついスマホに手が伸びる。画面をタップしながら、SNSを眺めていると、上の方から緑色のアイコンが下りてきて、メッセージが来たことを知らせてくれた。
(あ……晃だ)
【暇そうだな】
一言だけのメッセージ。どこに座っているのだろうかと、少し首を回すと、斜め前方に、こちらを見ている晃の姿が見えた。
【晃だって、LinEしてくるってことは暇なんでしょ】
【俺、この講師苦手。お堅い人っぽいじゃん。話し方もつまらないし】
私と同じことを考えていて、思わず口元が緩む。顔はすでに前方に向き直っていて、私も晃も、携帯の画面とノートを交互に見ながら、講義の時間を過ごした。
〇 〇 〇
今日の講義が終わり、鞄を背負った私は、晃のもとに駆け寄った。
「彩葵、どうした?」
「別に何もないけど、今日はどうするのかなって」
「ああ、俺サークルに入ってさ。ずっとつるんでる友達と一緒に、フットサルやることにしたんだ。今日サークルがあるから、行ってくる」
「泉妻ー、行かねーのー?」
ちょうどそのタイミングで、その友人と言う男性が晃を呼ぶ。引き留める用事もないため、手を振って見送った。
「じゃあ私は先に帰るから、また明日ね」
「ああ、また明日」
リュックを背負って、軽快に駆けていく晃は、大学生活を満喫しているようで、友人の横で笑っていた。その顔は、久しぶりに見た横顔で、私まで嬉しくなった。
「……バイトでもしようかな」
四年制の大学は、基本的に一日みっちりとした講技が組まれているわけではない。時間が空くことだってある。夕方アルバイトを入れてもいいかもしれないと、晃の行動から思えた私は、そのまま家に帰り、インターネットで近場のアルバイトを探して、応募した。
「うん、レストランのホールなら、私もできる。週三日、一日五時間程度。時給は千二百円。お金がいるわけじゃないけど、バイトも楽しそうだし、時間潰しにもなるし、やってみよ」
応募をして、数時間後。応募を見たらしい店長から、直接電話が来て、明日、履歴書を持って面接にくるようにと言われた。了承した私は、すぐに履歴書を買いに行き、大学入試の時に書いて以来の書面に、緊張しながら文字を綴った。
〇 〇 〇
「彩葵バイトするの?」
翌日、講義で使う本を取り出すときに、履歴書が入っているのを晃に見られ、ついでに言っておこうとアルバイトのことを伝えると、意外といった顔をされた。
「しようかなって思ったのは昨日なんだけどね。お金が必要ってわけじゃないけど、いろいろ経験しておこうと思って」
「どこ?」
「え? あ、近くのレストランだよ。まだ決まってないけど、今日面接に行くから」
ふうん、と言いながら腕を組む晃は、何を考えているんだろうか。難しい顔をしている。驚いていたし、私がアルバイトをすることを良く思っていないのだろうか。
いや、それは晃が決めることではないし、反対されたとしても晃の反対に従わないといけないこともないのだから、と反論を返す気満々でいると、考えとは裏腹に、表情はいつも通りに戻った。
「そっか。……ねえ、バイトがある日、俺にも教えといて」
「へ? 何で?」
「何でも」
いつも通りの表情なのに、どこかいつもと違う。理由こそ分からないが、晃がそう言うのなら、と、その約束をした。
それからすぐに講師が入って来て、晃は慌てて自分の席に戻っていった。
〇 〇 〇
今日の講義が終わり、面接の時間まで晃に付き合ってもらい、時間を潰していた。晃や私にできた友だちの話や、講義の話、何でもない適当な話を、時間になるまで話した。そのうち、指定された時間が迫ってき、余裕をもって行くことができるように、早めに話を切り上げた。
「じゃあ、晃。行ってくるね!」
「うん。行ってらっしゃい」
「はーい!」
講義前は雰囲気の違った晃だけれど、今になれば本当にいつも通りで、私に手を振ってくれる。私もやる気になったところで、駆け足で面接へ向かった。
● ● ●
彩葵が、アルバイトをすると言って、正直驚いた。そういう素振りが全くなかったこともあるけれど、俺に黙っていたということで、だ。中学の時の進路であれ、高校の時の進路であれ、試験であれ、何かあると、必ず俺に相談してきていた彩葵が、そうしたから。
(……心配じゃん。ただでさえ、俺の気持ちに気づいてないんだから。他の男に言い寄られでもしたらたまらない)
鈍感は、時に無防備でもある。夕方から働くのなら、帰りは夜になる。俺がここまで心配する必要も、もしかしたらないのかもしれないけれど。こう思ってしまうのは、仕方がない。
(講義に身が入らなかったな……)
講義中、彩葵が座った方を向くと、偶然目が合った。照れ笑いなのか何なのか、彩葵はへらっと笑って手を振った。
今日の講義もつまらなかった。当然の話を、偉そうに語る講師がいるだけの話だ。
「泉妻ー! 今日用事ある?」
「いや、ないよ。何?」
大学に入って友人になった、岸梓真が、調子よく話しかけてくる。元気の良い、活発な奴で、俺とは違う感じだ。
「いや、遊びに行かねーかと思って! そういえば、彩葵ちゃんは?」
「……お前彩葵と仲良いの?」
「いや? 話したこともな……っぐえ」
彩葵の呼び方が妙に親しげで、気になってしまった俺は、思わず岸の胸倉を掴んで引き寄せていた。
「馴れ馴れしく呼ぶのもあれだけど、まあいい。あいつに手でも出したら許さないからな」
「こわっ、お前そんな顔すんの! イケメンが怒るとこえーな! 大丈夫だよ、さすがに一回も話したことない女の子に手出すほどチャラくねーから! つか、最初に彩葵ちゃんのこと聞いた時から手出そうとか思ってねーから!」
咄嗟にとった行動でも、岸を驚かせてしまったと、手に入った力を緩める。岸は俺を責めることもなく、服を整えて俺の様子を窺った。
「……悪い、ちょっと余裕なくて」
「そんなんで彩葵ちゃんの気が向くまでとか待ってられんの? お前の方がやばくね? 一途だなー、いいねー」
「茶化すな、バカ」
岸の発言に、自身の行動が見せたものに今更羞恥を覚え、顔を隠すように手を覆わせた。
「はいはい。でも確かに、彩葵ちゃん鈍感ぽいし、そりゃ心配するだろうな」
岸は、そんな俺を再度遊びに誘い、俺の荷物もすべて持って、俺を引っ張って行った。
その先は、彩葵がアルバイト面接に行くと言っていたレストランの、すぐ横のゲームセンターだった。