カレは泣き虫男子☆
彼に初めて会った時、私は思った。
「この子は泣き虫だ」
そして同時に思った。
「守ってあげたい」
彼は消え入りそうな声で、しかし精一杯の声で言った。
「ひがしやま たくや……ですっ!!」
彼のお祖母さんはドイツ人で、当時それなりに有名なファッションモデルだったという。
その褐色のクリっとした髪、そしてなめらかでつややかな肌の色の白さ。
お人形さんのように整った顔立ち。
とってもキレイだけど、泣き虫の男の子。
それが4歳頃の拓哉。
女の子たちの視線を集める拓哉が面白く無いのか、その青みがかった目や巻き毛を男の子達がからかう。
「キコクー!キコクー!」
予想通り始まった。
「目が青いなんて人間じゃないよ。お前はバケモノの子だ!」
「バケモノー!バケモノー!」
みるみるうちにその宝石のような青い目に涙を溢れさせる拓哉。
私はサトシ君を突き飛ばした。
一緒になって囃し立てていた男の子たちが今度は私に意地悪な目を向ける。
「おいでっ!」
私は拓哉の手を引くと教室から脱出した。
「廊下を走らない!」先生の声を聞き流す。
私たちは追いかけてくる男の子たちを振りきって、そのまま外に飛び出すと、夏の面影を残す裏庭を駆け抜けた。
その頃には二人して笑い転げていた。
拓哉の涙もすっかり乾いていた。
その日から彼は「まーちゃん、まーちゃん」と私について回った。
拓哉はじっと見つめられるだけで泣き出してしまう。
男の子たちが変顔を作って取り囲むだけで涙が溢れてしまうのだ。
「もっとしっかりしなきゃダメだよ、男の子なんだから!」
そういうと拓哉はその整った顔で私をじっと見てから、やはりまた目を潤ませてしまうのである。
帰り道には拓哉を誘って道案内をした。花を摘んだり、ブランコに乗ったりもした。
冷やかす女の子もいたけど、そんなことは私にはどうでもよかった。
私は拓哉とずっと一緒にいたかった。
拓哉は感受性が強く、絵が得意だった。
私の似顔絵をよく描いてくれた。画家になりたいが口癖だった。
「また出たな、バカ麻里子!」
「弱い者いじめはやめなさい!それから私はバカじゃない!」
ある日のこと、拓哉を取り囲んだ一団が普段より執拗にからかい、いじめていた。
「私には麻里子っていう名前があるのよ!」
「それじゃこれからはお前を泣かしてやろうか!」
「そんな脅し効くもんですか!」
代わりにいじめられようとどうって事ない。
そうやって私は拓哉を背にかばって立ちはだかった。
「いらないよ」
それは背後の拓哉の声だった。
「えっ!?」
振り向いた私に拓哉がいった。
「いらないよ、お前の助けなんかなくても僕は平気だ!バカ女になんて守ってほしくない!」
いけない、これでは私が泣いてしまう。
「じゃもう知らない!勝手になさい!」
言い残すとその場を離れた。
背後から男の子たちの笑い声が聞こえた。
私は教室を飛び出すとあの日のように廊下を一気に走りぬけ、秋の深まった裏庭に降りた。だけどもう拓哉はいない。小鳥の水飲み場の前まで来ると私は泣いた。
それからも拓哉は皆の前でいつも泣かされていたが私が助けにいくことはなくなった。私についてまわることもなくなった。
今はわかっている。拓哉は私を守ろうとしたのだ。
クラス替えの時期になると毎年不安と、そして期待が入り交じる。
しかしやはり今年も彼とは同じクラスになることはなかった。
あれだけ自信があった脚力もすっかり萎えてしまった。更には私の第二の天性となっていた小説を読む、そして書くことに没頭したせいで視力も低下し、今や私は教室の隅っこになんとなく存在する地味系女子となっていた。分厚い眼鏡はもはや分離不能な身体の一部だ。
休み時間は教室から出ることなく少ない友人と世間では殆ど誰も知らないような小説や作家の話をして過ごし、全体の行事にも只の参加者として隅っこであいまいな笑顔を浮かべて眺めていた。
そこでも私は将来書く作品のアイデアと称して妄想に耽ってばかりいた。
渡り廊下で大勢の友人たちに囲まれて笑いあい、ふざけ合う拓哉を見た。
泣き虫の面影などどこにもない。
すらりと伸びた身長、相変わらずのふんわりとしたくせっ毛、つややかな白い肌、そして彫りが深く目鼻立ちの整った顔立ち。
そしてますます輝度を高めた宝石のような青い瞳。そこには私の事などもはや視界に入っていない。
まるで別世界の王子様だ。
手を繋いで一緒に駆け抜けた。ブランコに揺られながら風を感じた。
一緒に花を摘んだ日々。
私の初恋の人だなんて、今はもう信じられない。
目を伏せながら廊下の隅を足を早めて通り抜ける。
見つからないように……。
私には将来留学したいという、海外文学を研究したいという、なにかしら急に降りてきて頭にこびりついてしまった妄執を少しだけ超えた身の程知らずな夢、というより逃避願望があったから英語には特に力を入れていた。
居残り自習が終わって、この日だけはふと何故か遠回りをした。校舎の中をぐるりと廻る。こんな景色もあったのね、そんなことを思う。窓から見える紅葉の美しさに胸が何故か痛い。
美術室の前を通りかかると男子生徒が出てくる。
卒業制作に取り組んでいたのだろう、そしてカギを掛けて帰宅するようだ。
スラリとした長身、色の白い、高貴なる王子のような、その横顔……。
振り向いた拓哉と私は目があった。
私は目を伏せると小走りにその脇を走り抜けた。
「桐谷さん」
私は逃げ出した。
「待って桐谷さん!」
私はあの頃のように走れない。だけど必死で走った。
「まーちゃん!聞いて!」
そう呼ばれて私は立ち止まり、振り返った。
「まーちゃん」
すっかり背の高くなった拓哉が息を切らしてそこにいる。
青みがかった瞳はすっかり潤んでいる。
そして「ごめん」と情けない声で言うと溢れ出した涙を拭った。
二人の間にあの頃の風が吹く。私は思わず微笑んだ。
拓哉は美術室のカギを開けると私を招き入れた。
そしてイーゼルに載った絵を覆っていたカバーを外した。
それは見事な油絵であり、自然の中を走る男の子と女の子が描かれていた。
躍動感に満ちる二人の手はしっかりと繋がれている。
「これって……」
ふと見上げれば拓哉はまた目を潤ませている。
「しょうがないなあ、君は相変わらず泣き虫だ」
「お互い様」
拓哉がハンカチを渡してくれた。