第194話 慌ただしい始まり
大変長らくお待たせして申し訳ありません。
漸く第三部が始まります。
まったりお楽しみ頂ければ幸いです。
シムレムで“聖樹祭”を祝った日から数えて20日。
僕はエレクタニアの執務室に押し込まれ、生身を着けた状態でひたすらサインを報告書へ書き殴っていた。
侍女長や執事長は、これでも随分厳選して火急のものだけを持って来たと言うんだ。けど、両袖机の天板に堆く積まれる書類の山に、辟易しない者が居たら教えて欲しいって思ったね。
にこやかに、さりげなく、淀まず、流れるように書類が僕の前に置かれ、引き抜かれ、置かれてゆく2人の所作に一変の同情の欠片もない。
ああ、そうだよ。僕の両側には今、この2人が監視兼補助で張り付いてるのさ。僕は黙々とサインを書いていくだけ。一応、「この書類は〇〇のためのものです」というありがたいコメント付きで差し出されてるんだけど、申し訳ないことに一切耳に入らない。
ま、エレクタニアに必要なこと何だからと、特に疑うこともなくサインしてるのが現状だ。
「多過ぎない?」と何度か泣き言を言ってみたけど、「ルイ様がもっと早くお帰りであれば、ここまで溜まることはありませんでした」と返されたら、ぐうの音も出ない。はい、すみませんでした。
シムレムからエレクタニアに帰るまでに掛かった日数は10日。
風も逆向きだったし、“世界樹の樹液”で酔っ払った眷属精霊たちが誰一人起きてこなかったというのもある。ルートで言えば、青鬼族の使者であるセシリアさんの国に直接寄って行った方が効率が良かったんだけど、外交問題になるからダメだとセシリアさんに言われ、東テイルヘナを大きく北に迂回して帰って来たんだ。
で、そのセシリアさんはというと、休む間もなく国許へ蜻蛉返りさ。
徒歩で帰らせると、返事が届くまで更に時間がかかるのは目に見えてたから、翡翠色の羽で体を着飾った巨大な狗鷲に頼むことにしたよ。そ、アルマね。数カ月合わないだけで、生みの親と変わらないくらいの大きさになってるんだ、驚くなっていうのが無理な話さ。
いつの間にか、アルマ専用の止り木がTの字に聳え立ってたことにも驚いた。いや、驚いたというか笑えたね。
数カ月居なかっただけでこうまで様変わりするのかと思ったけど、よくよく考えてみれば、この地を眷属化した時点で【眷属主の成長に合わせて成長する】という特記事項が加わってたのを思い出した。
確かに、成長という点において言えば、基礎レベルがカウンターストップしてるし、スキル類も軒並み打ち止めだ。これに比例しているというならば、肯くより他はない。
アルマも「お遣いをさせて頂けるのですか!? お父様の名を辱めないように頑張ります!」と遣る気がだだ漏れだったのが気にはなったな。初めは不安はあったけど、リンをサフィーロ王国の王都まで運んで帰って来たと聞くことが出来た。ならいけるか。
それに、野良の飛竜に出遇ったとしても、返り討てる実力はあるだろうと言う、親莫迦スコープで見た結果、任せることにしたのさ。それが10日前の話だから、流石にもう着いているはずなんだけど音沙汰無し。
ソワソワするけど、初めてのお遣いを待つ親の気分はこんなものなのかと妙に納得したのを思えてる。けど、そんな悩みも眼の前の書類の山に忙殺されてしまい、サイン筆記マシーンと化してるんだよね。幸い、生身ではあっても疲れにくい体のようで、多少の無理が利くのはありがたい話だ。
ついでに言えば、シムレムの帰り道がサフィーロ王国の王都に寄れるルート設定だったんだけど、奥さんたちの一存で寄らせてもらえなかった。
寄った足でそのまま王都を捜そうかと思ってた僕の計画は初めから漏れてたらしい。いや、誰にも話してないんだけど、読まれてたってことだな。だから、そのままエレボス山脈沿いに南下して、エレクタニアヘ戻って来たという訳さ。
で、皆に“世界樹の樹液”を振る舞って楽しく過ごせたのが、帰って来たその夜だけだったというね。
「どうしてこうなった……」
「ルイ様、御手が止まっております。苦情や泣き言は幾らでもお聞きしますので、御手は動かして下さいませ」
「いや、労い方違ってるからね、それ!?」
つい泣き言がぽろりと漏れるが、僕の両サイドに立つ2人は王にも仕えたことのある百戦錬磨の事務方だ。御涙頂戴話で、心が揺らぐことはない。逆に発破を掛けられる始末だ。カリカリとペンを走らせながらお茶が飲みたいと現実逃避しようかと思った時――。
コンコン
と扉がノックされ、書類を運び出している侍女たちとは違う侍女が部屋に入って来た。
本当なら、僕の入室許可が必要なんだけど僕にはそんな余裕はない。それに事務方のトップ2人がここ居張り付いてるから、何故か詰め所のような場所になってるというね。
ちなみに侍女たちは皆、ニンフという妖精族で、水色の髪と青い瞳が特徴だ。耳も少しだけど尖ってる。実は武闘派で侍女長や執事長、それとここには居ないアイーダに鍛えられた彼女たちの事を【水色の乙女騎士団】、と僕は呼んでるのさ。
見た目が華奢で可愛らしい子たちだから、下心がある接し方をすると手痛いしっぺ返しを食らうことになるという。僕? いや……寧ろ下心有りでタッチして欲しいらしい……。おほん。話が逸れたね。
「失礼致します。ルイ様に御客様です」
「客? 今日は面会の約束はないはずでしたが」
いや、あったとしてもきっと忙しいから断ってるだろう? 隣りで、首を傾げるマンフレートへ内心突っ込みながらペンを走らせ、【気配察知】の範囲を広げてみた。
それにしても、ここを訪れると言うのは余程の物好きか、道に迷ったか、アッカーソン辺境伯ぐらいだと思う。誰だ?
――屋敷の前には居ない。
ということは、領地の入り口か。
「名前は聞いてきた?」
「はい、ヴァルバロッサ様とアンジェラ様と名乗られました。御夫婦のようであると聞いております」
視線を上げずに侍女に訊いてみると、可愛らしい声で淀みなく答えが帰って来た。
救いの神が来た!?
その2人のが僕の思ってる通りの人物であるなら、問題ない。
「通して! 直ぐ!」
視線を上げて、取次に来た侍女の眼を見ながら頼むと、満面の笑みで「はいっ」と歯切れの良い返事が帰って来た。斜め上からアーデルハイドの溜息も降って来たけどね……。
「怒らないであげてね?」
「承知しております。あの娘たちはルイ様の前に出なければ何処に出しても恥ずかしくない侍女なのですから」
酷い言われようだ。そう言いながらも、アーデルハイドの書類を手渡してくる動きは止まらない。
――原因は僕か?
いや、元々ニンフは精霊が受肉したという勝手なイメージが僕の中にある。それが細分化していけば、ベネディクトの恋人のような木の精霊という属性を持った存在になるんだろうけど、彼女たちはまだそこまで至っていない。ただ、問題は色事に積極的なんだ。
しかも、召喚主であるエレオノーラの影響を多大に受けているらしく、僕が誰に手を付けるか競い合ってるのだという。いや、別の方向にもっと力を傾けようよ、と何度言ったことか。なので、僕の前ではこの子たちは大なり小なり猫を被ってるというね。
侍女を束ねるアーデルハイドが溜息を吐きたくなる気持ちも理解らなくもない。
それに、皆がどこぞのアイドルユニットを組んでると言われても納得できる容姿の持ち主だから、下心満載の貴族が見ればお持ち帰りを試みるだろう。尤も、彼女たちは眷属地から出ることは出来ないし、阿呆なことを考える貴族は後悔する事なく生涯を終えるだろう。
アーデルハイドが「何処に出しても恥ずかしくない」とはそういう意味だ。王宮仕えの侍女と同じ能力を持っていると言ってもいいはず。僕の奥さんたちの特訓が終わったと思ったら、遣り甲斐のある玩具を手にして口元が緩んでいたアーデルハイドの顔が今でも浮かんでくるよ。
小間使いでありながら、暗殺者足りえる能力がここに要るの、って訊きたくもなったけど、訊くと後悔しそうな笑顔だったんだ。だから、好きにさせたらこうなったというね。
――原因は僕だね。
「ルイ様、御客様が到着されるまで今暫く時間があります。御手を動かして下さい」
というマンフレートの冷たい声で現実に引き戻された僕は、山積みの書類に立ち向かうことになる。
全く、似た者夫婦とはこういう夫婦のことを言うんだろうな。僕の左右に立つアーデルハイドとマンフレートをチラチラと恨めしげに見ながら、差し出され、差し引かれる書類に向かってサインを書き殴る悪夢の時間がまた動き始めたのだった――。
◇
30分後。
執務室に相応しい応接セットが運び込まれ、僕は漸くデスクワークから開放された。
今、眼の前には懐かしい美男美女の夫婦がソファーに腰を掛けている。心做しか顔色が優れない。浮かんでいる笑顔もどことなく余所行きだ。
あれは、皆の眷属化をする直前だったな。卵を僕に託してくれた時の様子が昨日の事のように浮かんできた。2人を前に記憶を手繰り寄せながら、居住まいを正す。
「それにしても驚きました。1年半振りになりますか。ヴァンさんにアンさんはお変わりないようですね? 本来ならお預かり……いえ、元気に育った女の子を紹介したかったのですが、今日は諸用を頼んで留守なんです」
「その女の子だが……」
チラリとアンさんとアイコントクトを取ったヴァンさんが、右手を胸の辺りに上げながら尋ねてきた。
「はい」
何かある?
「もしかして、アルマと言うのではありませんか?」
ヴァンさんの上がっていない左手を握ったアンさんが、旦那さんの言葉を継ぐ。
「あれ? 誰かから聞きました? そうです。翡翠色の羽毛が綺麗な女の子ですよ。どうやらこの地は成長が早くなるようでもう、体の大きさは」
「「ルイ様、申し訳ありません!」」
アルマの説明が唐突に謝罪の言葉に遮られる。下げられた2人の頭の動きに合わせて、茶褐色の髪が彼らの膝の上で踊るのを見詰めるしか出来なかった。その間に何とも言いようのない不安がむくむくと僕の胸の中で膨らみ始めていたんだ。まさか――。
「まさか、アルマに何かあったの?」
「い、いや、怪我を負わせたというのではないのですが……」
歯切れが悪い。
「けど、アルマを知ってるということは、既に面識もあるってことだよね?」
「は、はい」
「何処で?」
その一言に、2人の肩がビクッと飛び上がった。そこへ――。
「失礼する。懐かしい顔が見えたから来たぞ」
「失礼しますわ。もう、シンシア、誰が来たと教えてくれないと、対応が出来ないではありませんか。あら?」
「2人とも、要件も言わずに付いて来いって酷いじゃない。あ……」
シンシアとディーがノックもせずに部屋に入って来る。2人追ってギゼラも来た。チラッとアーデルハイドの表情を盗み見ると、顳顬に形良く伸ばした指先を当てている。このあと説教だな。
ギゼラとディーはあの時、この夫婦と攫われたから面識があるし、シンシアは敵対勢力と言っても良い存在だ。鷲の王国で面識はあるから3人とも懐かしいと思うのも当然だろう。けど、悠長に話が出来るタイミングを待つ気は毛頭ない。
「3人とも良く来たね。ただ、今話しが立て込んでるから挨拶は我慢してくれるかい?」
ぴしゃりと3人に睨みを利かせてから、ヴァンさんとアンさんに向き直る。有耶無耶にしたくないと思ったから、ここに来てくれたのなら、話すべき事があるはずだ。だから、視線で夫婦に話を続けるように促し、小さく頷くいてみた。
「――アルマに出逢ったのは本当に偶然だったのです」
意を決して口を開いたのはアンさんだった。彼女の説明を纏めるとこういうことだ。
――出逢いは今日から数えて10日前。
出逢った場所は、2人が終の棲家と決めて住み着いたあの岩山だったらしい。今回は、病弱な兄と近習を連れて、体を鍛えることも兼ねて遠出して来たのだという。勿論、皆巨大な狗鷲の姿でだ。
旅の疲れを取るべく皆でそこに降り翼を休めている時、背中に鞍を着け、それに魔族を乗せた翡翠色の狗鷲が横切ったのだという。すぐに追い掛けようとしたものの、雲が晴れた時にはその姿を見失っていたんだとか。
それで、「ここで待てばまた逢えるのでは」と兄が言い始め、急ぐ旅でもないのと、好奇心もあった自分たちもその言葉に従って待つことになった。で、次の日同じルートで戻って来たアルマにアンさんの兄上が声を掛けたところ、気さくに応じてくれたんだとか。
うん、良い子に育ってくれたと思うのと、見知らぬ人にはもっと注意しなきゃダメだろうと、両方の思いが湧き上がったのは言うまでもない。
アルマが言うには自分と同じ姿をしている存在をこれ迄見ることがなかったから、興味があったそうだ。確かに、生みの親はここには居ないという話はしたけどね。
で、セシリアさんは何をしていたかというと、親書の返事を届け、僕からの伺いの返事を持ってアルマに騎乗してただけど、巨大な狗鷲に取り囲まれて身の安全を優先したらしい。使者としては、その態度が正解だろうね。
あとは、話に花が咲き、ならばこれを機に狗鷲の里の様子を1度見てみてはどうだろうかという話で、そのまま道草を取るはめに。
それを聴いて僕は頭を抑えた。誰に似たんだか……。
――僕だよね。
奥さんたちの視線が背中に刺さって痛い。
それが5日前の話で、今は王宮に滞在中。それも、王宮の秘宝で人化して色々と体験中なんだとか。まあ、年頃の女の子に姿が変えて、僕の奥さんたちのようにお洒落が出来るなら、時間も忘れてしまうのは理解らなくもない。
けど、仕事を放り投げて遊びに行くというのは流石にね。それに――。
「話は分かりました。お2人はアルマの生みの親だ。だから、アルマと仲良くなりたい、あるいはもっとあの娘のことを知りたいと思うのも当然でしょう。僕もそれが悪いことだとは思っていない。けど、何で、使者をこちらに送り届けさせず、連絡もよこさずにこんなことを? 誘拐だと言われても仕方ないですよ?」
そうなんだ。
アルマが可愛いのは認める。けど遣り方が不味いだろ?
「「申し訳ありません!」」
「其の方ら2人の事は快く思っておるが、事と次第によっては一戦も辞さぬぞ?」
「「っ!?」」
僕の言い方ではプレッシャーを与えきれてないと思ったのか、シンシアがずんっと押さえつけるような威圧を僕の後ろから放つ。ディーもギゼラも雰囲気的には剣呑だ。そりゃそうだ。娘を言葉巧みに拐かされてるんだから。
「頭を下げるだけに来るのなら貴方たちでなくても良かったのに、貴方たちが来たということは理由があるのではなくて?」
物柔らかだが、冷たさを感じさせる声が僕の斜め上から降って来た。腕組みをしているディーの姿がチラリと視界に入ったけど、表情はキツイ。
「このままだと、兄上が暴走して嫁に」
「ダメだ」
「「えっ!?」」
有無を言わせずにぶった切ってやった。
は? アルマを嫁に?
どっからそんな話が出てくる? まだ生まれて2年も経ってない状態で嫁入り? まだまだ色んな物を見て勉強して、味わってからでも十分遅くない。
「アルマは嫁にはやらない。そちらがその気なら良いでしょう、戦争だ」
「ちょ、ちょっと待っていただきたい!!」「お待ちくださいっ! わたしたちはお諌めに来て欲しいという願いできたのです!」
僕のその一言に周りがザワリと殺気立つが、それを必死に打ち払おうと、悲鳴にも似た声が執務室に響き渡った。
「はあ。そういうことであれば話は分かりました。直ぐに引き取りに行きましょう。その足で親書の件も済ませてくるよ。そういうことだから、皆準備を」
「うむ」「分かりましたわ」「じゃあ、他の子にも声掛けないとね」
諌めて欲しいということは、こちら側にも問題があるということだ。拐かした責は十分償ってもらうつもりだが、別件でアルマも楽しくて周りが見えてないんだろう。まだまだ子どもだな。
周りも降って湧いたような良縁に現状を忘れてるのか、アルマの可愛さにやられて着せ替え人形ごっこに興じてるのか……。ま、行ってみないことには様子が分からないからこれ以上の詮索も意味はない、な。
シンシア、ディー、ギゼラは、執務室を出て準備のために動き出してくれたようだ。僕はこのまま手ぶらだから、特に準備の必要もない。あるとすれば、この書類の山だけど……。
「という事だから、悪いね、マンフレート。アーデルハイドも続きは帰ってからということで」
「致し方ありません」「こういう事はしてくなかったのですか……」
「ん?」
「コレット」
「はい、ここに」
「え?」「「っ!?」」
アーデルハイドの呼び掛けに、僕の影からぬるっと現れるコレット。その唐突な現れ方に、来客二人が驚いて腰を浮かせていた。そりゃ吃驚するよな。僕も慣れるまで時間掛かったから。初見で驚くのは仕方ない。
僕の「え?」は「何させるつもり?」の「え?」だ。
「この机の上にある書類を持って行きなさい。新たなものは帰えられ次第ということにして、火急のものだけでも済ませて頂かなくてはなりません」
「他の者はルイ様を甘やかしますが、貴女は問題ないでしょう。頼みましたよ、コレット嬢」
「承知しました。アーデルハイド様。マンフレート様」「え!? 嘘でしょっ!?」
そりゃ、不眠不休でサインは書けるけど、飽きないとは一言も言ってない。現に、かなりの枚数をのこ10日で消化したのに、出先でもやれと?
ヴァンさん、今視線逸らしたね。経験者ってことか。
「はぁ、分かったよ。遣れば良いんでしょ、や、れ、ば。書類の事はコレットに任せた。不備があったら出先じゃ何も書かないからね?」
「承知致しました。直ちに用意致します」
精々これが精一杯の虚勢だ。後は、ズルズルと上手い具合にコレットの手球に乗るのが目に見えてる。
でもまあ、コレットは僕の気持ちが良くなるような仕方で事を進めてくれようとするから、それも嫌じゃないんだ。何だかんだ言って、結局は奥さんたちの尻に敷かれてるのは九家の家風なんだと思う。父さんも母さんに頭上がらなかったからね。自分の娘にもだったけど。
「さてと、帰りというか、現地まではシンシアに飛んでもらう予定で居るから、2人は馬車に乗ってもらおうかな」
「宜しいのですか?」
「うん。ただ、領空に入る前には元の姿になって誘導してもらった方が混乱は避けやすいだろうけどね。先触れも要るだろうし」
ヴァンさんが身を乗り出して来た。普段は自分たちの翼で空を飛ぶ者が、それ以外の方法で空を飛べるんだ。興味が湧かない訳がない。それに、2人が使ってる【人化】の魔法もそんなに長くは保たないだろう。昔聞いた記憶が正しければ、王宮にある魔道具でそれを掛けてたはず。
ま、賑やかな旅にはなりそうだな。
今回はナハトアの時のような、じーさんの制限もないし。行って帰るだけだ。
フラグを立てるつもりは更々無いけど、帰って来てからが問題なんだ。あれもこれもしたいと思っても、体が1つしかないなら、1つずつ案件を潰していくしか無い。
そう思いながらソファーを立ち、窓際に寄って庭を眺めると、湖面を風の眷属精霊と水の眷属精霊が楽しそうに走り回っているのが小さく見えた。他の者には見えないように隠れて遊んでるんだろう。きっと、湖面を撫でる微風が起こす波だけ見えてるはずだ。
「ん〜〜〜〜」
窓から差し込む陽の光が体温を上げてくれる。大きく伸びをした僕は振り返って、1つ柏手を打つ。
「良し、出掛けよう!」
「恐れながら申し上げます」
気持よく執務室を出ようとした、僕の右肩に、白い手袋を嵌めたマンフレートの左手が掛けられてた。
「な、何かな?」
「出発まではどう早く見繕っても1刻はございましょう。奥様たちの支度もコレット嬢が行かなければ進みますまい。それまでどうぞ、御手を動かして下さいますように」
「い、いや、久し振りにヴァンさんたちも来たんだし、ほら、一緒にお風呂でも」
逃げ道を塞ぎに来たな!?
「わ、我らのことならお構い無く」
「そ、そうです。ご迷惑をお掛けしているのはわたしたちですから」
お、おい!? 振りかかる火の粉を払った!? そこは「ではご一緒に」の救いの手でしょう!?
「いや、そうじゃなくて」
「ヴァルバロッサ様と、アンジェラ様を王の湯殿へ御案内を。奥様たちが間違わぬように1人控えておくように」
「畏まりました」「あっ」
アーデルハイドの指示に、2人を案内して来た侍女が一礼して執務室の扉を開く。伸ばされる僕の手が虚しく宙を何度か掴むが、2人の衣の裾を掴める訳もなく、遠ざかる背中を恨めしげに見詰めるしか出来なかった。
「さ、ルイ様。御時間があまりございません。お急ぎください」
ドサッと何処からともなく取り出された書類の山が、両袖机の天板に再び現れる。コレットがいつの間にか綺麗にしてくれたはずなのに、あれは夢だったのか、と言いたくなるような光景さ。書類を取り出した、アーデルハイドをじとりと睨むが何処吹く風だ。
本当、この夫婦は……。
「ルイ様。【加速】の魔法をかけると、今までよりも数段早くなる気がいたしますので、どうぞお座りください」
「は? 【加速】!? え、何を言って――」
マンフレートの言葉に耳を疑う。いや、君、魔法使えたっけ? 【加速】の魔法ってそこそこ上の魔法だよ? 僕らを基準にするとレベル低いって思うかもだけど、一般人を基準にしたらレベル100辺りは既に雲上の存在だ。一体いつの間に!?
「【加速】」
「なっ!?」
本当に使えたよ!? 何やってんの!? たかがサイン書きのために【加速】の魔法!? どうやら、出鱈目なのは僕だけじゃないらしい。
「ルイ様、驚いていただいても構いませんが、御手は動かしてください」
「いや、マンフレート、その反応可怪しいから! というか、いつの間に風魔法使えるようになってたの!?」
「執事の嗜みでございます」
「メイドの嗜みと同じレベルで言わないでくれる!?」
「ルイ様、御手が止まっております」
「アーデルハイドも、いつの間に、君の旦那が魔法使えるようになったか知ってるの!?」
「勿論でございます、ルイ様。妻たる者、夫を支えるのは悦びでございます。お蔭でわたくしも使えるようになりました」
空いた手を頬に当ててぽっと頬を赤く染めるアーデルハイドの仕草に、眩暈を感じながら僕は天井を仰ぐ。他人の惚気がこうダメージが大きいとは……。
「――もうやだ」
僕の気持ちとは裏腹に、爽やかな秋の陽光が執務室に差し込み、陽だまりを造り出す。
ぽかぽかと温まる背中に陽の微笑みを感じ取りながら、僕は気を取り直してペンを走らせるのだった――。
最後まで読んで下さりありがとうございました!
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