第191話 前夜
お待たせして申し訳ありません。
一昨日と昨日は文が纏まらず苦しみました。
まったりお楽しみ下さい。
僕たちが現場に着いた時、もう既にリューディアたちが現場を治めてくれた後だった。
「ジル!」
「今は気を失っています。特に外傷もありませんから落ち着いて下さい」
ジルを膝に抱き上げているカリナの側へ移動すると、リューディアから窘められた。
「【静ーー」
その声がどこか遠くで聞こえてた僕は、回復魔法でジルを癒やそうとする。
「ルイ様! 今はお控え下さい!」
「ああ、ごめん。ちょっと気が動転してた」
【静穏】を掛けようとしたところでリューディアに腕を掴まれ我に返る。魔力纏を無意識に使ってたから掴めたんだろうけど、良く反応できたな。
けど……そうだった。この闇属性の回復魔法は公の場では極力使わないって僕が決めたんだっけ。
――情けない。
「わたし共も皆そうでございます」
「――事の説明を聞きたい」
落ち着かせるようにゆっくり深く呼吸して、僕はリューディアにそう切り出した。
何が起きたのか。
どうしてこうなったのか。
そして、誰と戦っていたのか。
「主殿。ここでは耳が多い。一度奥の院に戻るべきだと思うが?」
「……そう、だね。帰りの道すがらでも聞けるか。分かった。皆帰ろう」
不意に左腕に腕が回され、耳元で囁かれた。シンシアだ。
僕とリーゼだけが先行して来てたからね。無事に合流出来で良かった。
幸いと言って良いのか。ジルに外傷がないのが救いだな。恐らくだけど、近くで広がってる血の海はジルの相手のものだろう。じゃないと服が綺麗過ぎることが説明できない。
自分を落ち着かせるように少し間を置いてから、コレットの姿を探して彼女へ視線を送る。
視線が合ったコレットは何も言わずに小さくお辞儀をして、少し離れたところに馬車を取り出して据えてくれた。ここではシンシアも竜に戻れないから、広い場所まで馬で牽く用意だ。カティナとディーもコレットの手伝いに動いてくれた。本当に僕には勿体無い奥さんたちだよ。
その中にジルも含まれてるんだけど……彼女の中でどんな葛藤があるのか僕には知る術がない。
もどかしい気持ちで一杯だ、な。
自惚れるつもりも万能だ言うつもりもないけど、自分の回りに居る人たちは……という思いに僕自身が応えきれてないことに情けなくなる。
「ルイさん……」
「ああ、カリナありがとう。ジルを貰うよ。僕が馬車に運ぶ」
「あ、はい」
心配そうな顔で見上げるカリナにぎこちない微笑みを返して、僕はジルを抱え上げた。一緒にカリナも立ち上がり、ジルや、自分に着いた埃や小石を払う。その間にジルを【鑑定】することにした。
「【鑑定】」
◆ステータス◆
【種族】魔人(橙蜂) / 魔族 / ルイ・イチジクの眷属
【名前】ジル
【性別】♀
【職業】ワルキューレ
【レベル】301
【状態】加護 / 昏睡
【Hp】110,209 / 110,209
【Mp】126,004 / 126,004
【Str】7,248
【Vit】14,730
【Agi】14,553
【Dex】7,276
【Mnd】8,758
【Chr】8,154
【Luk】10,198
【ユニークスキル】金環眼、猛毒Lv162、魅毒Lv111、瞬速Lv231、戦乙女の祝福、【エレクトラの加護(強奪阻止)】
【アクティブスキル】風魔法Lv566、闇魔法Lv474、武術Lv257、槍術Lv268、剣術Lv314
【パッシブスキル】偽装Lv101、乗馬Lv5、旅歩きLv19、料理Lv14、採集Lv55、瞑想Lv84、交渉Lv57、侍女Lv371、威圧耐性Lv5、風耐性LvMax、闇耐性LvMax、状態異常耐性LvMax、精神支配無効
【装備】侍女用ワンピース、絹の下着、綿のソックス、革の靴、アイテムバッグ、婚約指輪
「昏睡……。意識レベルとしては最悪か」
そうなんだ。意識障害レベルは、嗜眠→昏蒙→昏迷→昏睡の順に重くなる。最初の2つは程度の差はあれ、混濁してるものの意識があるんだ。昏迷は、強い刺激を与えれば一瞬覚醒することがある。けど、昏睡は外部の刺激じゃ起きないって言われてるんだよ。
昏睡の原因として考えられるのは……。
頭部外傷。――なし。
痙攣、四肢硬直。――なし。
垂直性眼振、旋回性眼振。――なし。
一酸化炭素中毒――。顔色はピンクじゃなく青白い。問題ない。
呼吸――。正常。
薬物とアルコールは分からないけど、戦闘中にそれらを体に取り入れるということは無いはず。そもそも状態異常の耐性レベルが上限まで上がってるんだからそこでどうこうなるはずもない。内臓から来る病気も考えにくいな。血糖値は調べようがないけど、脈拍、体温や呼気の臭いは誰かにチェックしてもらばいい。でも、どれも可能性は低そうだ。考えられるのは……。
「ルイ様。馬車の用意が整いました」
コレットの声に思考の沼から這い上がる。皆が心配そうに僕とジルを見詰めていた。なるだけ心配を掛けないようにしないとな。
「ああ、ありがとう。ジルは頭に強い圧力を受けたみたいなんだ。だから暫く目覚めない」
その言葉に息を呑むのが分かった。
「でも、状態異常耐性を持ってるから、そんなに長くはかからないと思うよ。そうだね……お祭りを皆で見れると良いね」
なるだけ朗らかな笑顔で説明する。心配なのは皆同じだ。ただ、悲観するのだけはしたくない。ああは言ったけど、何も確証がないから口から出任せだ。
まあ、僕が本当のことと嘘を混ぜてるのは皆のことだ、何となくは察してるだろうけど騙されたふりをしてもらおうかな。まずは情報収集だ。
「さ、皆も乗って。コレットとリューディア、2人は御者席でシンシアが飛べるとこまで案内してくれる?」
「「畏まりました」」
先に乗るように観音開きの扉が開いて待ってくれているリーゼやディーに、小さく頷きを送ってから馬車の奥に入る。ジルを横にしないとね。
僕が入ってから、皆が順次乗り込んできた。最後にゾフィーが乗り込んで扉を閉めたのを確認したコレットが、鞭を打つ音が聞こえてくる。さっきの間で吸血馬を召喚して、馬具を装着させてたらしい。
僕の膝を枕に寝息を立てるジルを見ながら思う。あそこで話し込んでなければこうなる前に到着出来てたんじゃないだろうかと、チクリと刺さる後悔の棘に幻痛を覚えながら僕は30分程前の出会いを思い出していた――。
◆
「ルイ……さ、ま?」
“聖樹祭”が近づいているからか、シムレム唯一の都はエルフたちでごった返している。
だから一応【気配察知】や【魔力察知】は働かせてるけど、点けっ放しのテレビのように情報はダダ漏れだ。僕らに向けてくる鋭利な気配や魔力だけに反応するようにして意識してる。
だから、不意に害意のない聞き覚えのある声が背後から聞こえると、思わず振り返ってしまったのも仕方のないことだろう。
そこに居たのは僕らと袂を分かち、東テイルヘナ大陸の南に広がる魔族の頂に君臨する猿魔王へ輿入れした人狼族の娘だった。
ん? まだ僕は引き摺ってるのか? まさか。
視線を動かすと、少し離れたところに件の猿魔王やエルフの嫁さんたち、あと人猫族の娘の姿が見えた。こっちに合流するつもりはないらしい。イケメンが目礼してきたから、小さく頷いておく。
「どうしたの? 随分早く着いたんじゃない?」
「は、はい。よ、“妖精の小路”という不思議な門を使って来ました」
「妖精のこみち?」
特殊な移動方法があるってことか。世界樹のことを妖精樹というくらいだから、古くから伝わる古代魔法みたいなモノがあっても可怪しくはないか。
「は、はい。わたしも良く解らないんですが、一部のエルフだけに伝わる移動方法なんだとか。それを使って妖精郷に来ることが出来ました」
「なる程ね。で、敢えて僕に声を掛けたのは何故だい? そのまま人混みに紛れて気付かなかった振りも出来ただろうに」
少し意地悪な言い方をしてみた。さて、どう反応するかな。
「そ、それは御礼をお伝えできないまま別れることになったので、あ、改めて御礼をお伝えしたかったことと、こ、これをお、お渡ししようと思いまして」
しどろもどろになりながらも、ドーラがアイテムポーチから掌に収まる大きさの青い円盤を取り出し僕に差し出す。厚みは5mm位だろうか。円盤の表面には、打ち出し彫りで女エルフの横顔と胸の上までが彫られている。
裏面は……、打ち出した部分を埋めて、直径15mmくらいの大きさのサファイアが嵌めこまれていた。何かびっしり文字が書かれてるけど読めない。僕の自動翻訳はリスニングオンリーだからね。
「これは?」
「わたしと、留守番で残ったヘルトラウダさんは“リベルタス”のメンバーです」
僕の問いに直接答えるのではなく、遠回しに話し始めた。巫山戯ているような表情には見えないから、必要な情報なんだろうね。
「りべるたす……」
ああ、エレボスの山を超える前にドーラを付けたらばったり出遇った地下組織か。
「そのバッチは幹部が信頼に足る人物というのを保証する証です。もし、ルイ様がクサンテ大陸に行かれることがればご利用下さい。この手紙が、わたしとヘルトラウダさんの連名で認めた身元を明かしするものです。2つ一緒に使って下さい」
クサンテ大陸ね。このシムレムの南、所謂南極大陸に当たる場所だ。雪や氷がどれくらい大陸を占めてるのか見当がつかないが……まあ、くれるというのなら貰っておこう。
「分かった。それにしてもヘルトラウダさんも、だったとわね」
ヘルトラウダさんは、僕らが王宮横の港からシムレムに向けて船出する時に、見送りに来てくれた秘書みたいなエルフの奥さんだ。あの猿魔王のね。青いものを身に着けているという話だったけど、見えないところなのかも知れないな。まあそれはい。
「クサンテ大陸は、魔導帝国の治める地域が広大で、人族至上主義、その中でも更に魔力を有するものが優遇されます。逆にそれ以外は屑のように扱う国です。ルイ様たちが行かぬに越したことはありませんが、必要に迫られた場合はこのことをお忘れなきように、とヘルトラウダさんからの言伝です」
「なる程。何となく分かる気がするよ」
あの北川っていう男が居た国だ。推して知るべしだろう。青い円盤と封の施された羊皮紙の手紙を受け取り、僕はアイテムボックスに収める。
「ルイ様、海賊船から助けて頂いていなければ、わたしもフェナも今はありませんでした。本当にありがとうございました! ふぇっ!?」
僕が2点を収めたのを見て、深々とお辞儀をするドーラ。本当、良い子だよ、君は。そう思ったらぽふぽふと頭を撫でてた。人妻なんだけどね、何となく触りたくなったんだ。
「感謝の気持確かに受け取ったよ。ヘルトラウダさんにも、御礼を伝えてくれるかい? ほら、旦那様が焼き餅焼いてそわそわしてるぞ」
「えっ!? あわわ、す、すいません! し、失礼しますっ!」
慌てて振り返り、ワタワタし始めるドーラ。その背中越しに猿魔王へ僕はニヤリととても良い笑顔を送ってやったよ。図らずも趣旨返しできたな。ペコリとお辞儀して人混みを擦り抜けて行く速さは、流石獣人だ。
その背中とイケメン猿魔王に手を振ってた時だった。
ー ルイくん! ちょっと大変なことが起きそうだから急いで来てくれるかしら? ー
空からホノカが1人で降りて来たんだ。ナディアと別々は珍しいな。遠巻きに僕とドーラの遣り取りを聞いていた面々が、すっと僕の回りに集まる。
「僕だけが飛んで行くと合流が大変だ。このまま人混みを縫ように行くしか無い」
「問題なくてよ? わたくしの糸を付けておけば良いのですから。そうですわね。リーゼなら近くの屋根の上にでも降ろしておけば、コレットとも連絡が取れますし、見付けやすいと思わなくて?」
僕の提案が終わるか終わらないかのタイミングで、ディーが別案を投げてきた。それ良いかも。
「分かった。リーゼ、おいで」
「はい、ルイ様!」
やったって言う笑顔で僕に飛び込んでくるリーゼ。それを見送るカティナが頬を膨らませていたので、リーゼを抱いたままカティナ前に来て頭をぽふぽふと叩いておいた。
「先に行くから、シンシア、後は頼むね?」
はにかむカティナの顔を横目にシンシアに取りまとめをお願いしておく。まあ、ギゼラもアピスも居るから手綱を放すことはないだろう。
「うむ」
ー ルイくん行くよ。ナディアがちょっと焦ってるから ー
「分かった。じゃ、後でね!」
ホノカに急かされた僕は、リーゼをお姫様抱っこした状態で空高く舞い上がる。雲のない青い空とは裏腹に、僕の中で不安が雨雲のように湧き上がり始めていた――。
◇
あれから14日があっという間に過ぎた。
ジルの眠る寝台の横で腰を下ろし、ぼんやり空に浮かぶ小望月を見上げている。
明日が十五夜だ。
僕の視線と入れ違うように、窓を擦り抜けて床を照らす月光が少しずつ角度を替え、時の移ろいを教えてくれていた。いよいよ明日が“聖樹祭”だ。
ジルの状態は気掛かりだけど、あれから全く変化がない。
定期的に寝返りを打たせるのは僕の仕事だ。床擦れが起きてしまうからね。
体を拭いたりは、僕でも良かったんだけど、皆がジルに何かしたいと直訴するので仕事を任せることにした。
ん? ずっとジルの部屋に居たのかって?
そのつもりだったんだけど、気分転換が必要だと外には連れ出されたね。まあそれはそれで良かった事もある。
ミカ王国の王宮に乗り込む前に整理してから、スキルドレインで集めたスキルがプールに入りっ放しだったのを思い出したんだ。お蔭でぼんやり過ごすついでに整理できた。途中で心が折れそうになったけどね。
ミカ王国では巨人の先祖返りから、シムレムに向かう途中の海の中では巨大な古代魚とウミイグアナ人から、シムレムに来てから悪食とエルフモドキから結構なスキルを奪ったからね。振り分けるのが大変だったよ。
水魔法と、風魔法が大部分で少しだけ光と火があったかな。聖は間違いなく北川から獲ったスキルだろう。
あと、エルフモドキは……、余り考えたくないんだけど素体がエルフのような気がするんだよね。だから、必然的にエルフたちが持ってるスキルに似たものが多いんだろうな。
ん〜僕に使えそうなスキルは無かったかな。もう持ってる物ばかりだし、有効利用できるのなら家族に分けた方が僕の自己満足も含めて安心材料になる。北川の持ってた【アクティブスキル】はそこそこ良いものだったけど、僕にある制限に引っ掛かって習得できなかった。
あとは、あ、そうだ! 頼んでた打刀が3本届いたよ! 漆塗りの黒鞘は良いもんだね!
「あ、漆もあるんだ!」とこっそり驚いたのは内緒だ。
あれはテンションが上がったね。オマケに、守刀だって僕に脇差しを1本付けてくれたのには感動したよ。
それぞれ銘が打ってあって。北震、北輝、北涙だそうだ。鍔や拵えが違うので名札を着けたまま覚えることにした。北条の世を思い出して銘打ってくれたみたい。
時代はどうあれ、日本を感じれるものが手元にあるというのは良いもんだね。脇差しは北鎮だそうだ。北を鎮めるって意味らしい。でも、「ちん」っていう響きがちょっとって思ったけど、ま、刀の銘を叫びながら振るう訳じゃないから気にしないことにした。
加えて、頼んでいた鉄扇が3柄届いた。1柄はシェイラ。残りはギゼラの為だ。ギゼラには直ぐに渡したよ。普通の人間が片手で持つには不可能なくらいの重さだけど、ギゼラは問題なく優雅に使ってみせてくれた。頼んだ甲斐があったってもんだ。
今は扇を使った舞踊が奥の院にあるということで、レッスンに励んている。
ああ、ジルの事は結局分からずじまいさ。
あの時、いの一番に現場に着いたのは亡霊のナディアだ。そのナディアが言うには、到着した時点で2人が倒れていて、男の方がジルの剣槍で胸を貫かれて絶命してたらしい。
男の方は、ナディアの眼の前で、地下から現れた根に絡め取られて沈んでいったそうだ。残ったのは血の海と、昏睡状態のジルだけ。
それを聞いてピンときたね。死体処理は世界樹が勝手にしてしまったということを。
だから、死体を使ってナハトアの死霊魔術でどうにかしようにも、死体そのものがないからお手上げだったってことさ。
勿論、【鑑定】でも何も分からなかった。アイーダがいれば【看破】の魔眼で診てくれたかもしれないけど、居ない今はどうしようもない。だから、今まで【静穏】を定期的に掛けつつ今日に至ったって訳だ。
世界樹の根元の方を見ると、明日の祭りのための飾り付けが急ピッチで行われているのが見えた。
「はは。どこに居ても祭りの準備は前日の追い込みが忙しんだな。ねえ、ジル。見てご覧よ。月が世界樹に掛かってる、綺麗だなぁ……」
僕は窓を擦り抜けて空を見上げる。
夜空に優しく輝く月が丁度世界樹の頂に掛かったんだ。時刻は真夜中を過ぎてるけど、今夜の巫女さんたちは徹夜になりそうな雰囲気だな。明日の夜までに間に合わせなきゃいけないんだから。そんなことを思ってると――。
コンコン
扉がノックされたのに気がついた。
「誰だい?」
「リューディアです。ルイ様、お話しておきたいことが」
「開いてるから」
「いえ。少しだけ場所を移したいのですが……」
全部言わせて貰えなかった。声が少し緊張してるな。しかもこんな時間を態々選んできたんだ、ちゃんと聞かないとね。
「……分かった。ジル、少し席を外すよ。直ぐ戻ってくるからね」
寝息を規則正しく繰り返すジルの前髪をサラリと撫でてから、僕は壁を擦り抜けリューディアの待つ廊下にでる。そのまま無言で小さくお辞儀して歩き出すリューディアの後を追って、音もなく進むのだった――。
◇
▼ ジル ▼
同刻。
部屋の光源が冷たい月光だけになった時、14日の間昏睡していた女が眼を開けた。
「――――」
じっと天井を見詰め数回眼を瞬くと、女は徐ろに上半身を起こすのだった。
サラリと、胸元まで掛けられていたシーツが衣擦れの音を立てて膝の上に落ちる。
「――――」
顔だけ窓の方に動かすと、彼女の照柿色の髪が頬を撫でた。毎日誰かが彼女の髪に櫛を入れていたのだろう。肩口で切り揃えられた髪に寝ぐせの跡はない。
「――――」
身に着けているのは、侍女が身に付けるメイド服だ。
ゆっくりと片足ずつ寝台から足を降ろし、足の力を確かめて立ち上がる女。
キィ……
ゆっくり両開きの窓を開くと、夏なのに近くにある湖のお蔭で程よく冷やされた涼やかな微風が部屋に吹き込み、女の髪を乱す。
「――――【飛翔】」
気怠そうに顔に掛かった髪を払うと、女は窓枠に足を掛け、夜空に飛び出したのだではないか。開け放たれたままの窓が、気紛れな風に押され、片面だけカタンと閉まる。
月に吸い囲まれるように上昇していく女の姿は、やがて見えなくなった――。
◇
「ん?」
誰か気配が動いた気がする。
ジル?
いや、昏睡状態から覚醒したとしても、あれだけ寝てれば体力が落ちる。食事も流動食を二口、三口くらいしか食べさせてないからね。あとは、野菜汁だから、筋肉も落ちて直ぐに行動できないはず。
祭りの前夜で気分が高揚して寝れなかった誰か、かな。
「ルイ様?」
向かいのソファーに座るリューディアが、僕の様子を窺ってることに気付く。
「ああ、ごめん。気配が動いた気がしてね。誰かなって想像してたんだ」
「そうでございましたか。時間がありませんので、手短にお伝えします」
「うん。お願い」
「その前に、お一つだけお約束を」
「何?」
「お伝えしたことが勘気に触れてしまったとしても、どうぞ、ご自分を制して下さい」
「――努力はしてみるよ」
少しだけ間を開いたけど、そう答えることが出来た。つまり、今からリューディアが話す内容はそうなる可能性を秘めてるってことだ。いや、何となくそうなる、という予感がある。
コトッ
「ご確認下さい」
小さな小瓶に入った液体が揺れてるのが見えた。上の方にキャビアに似た丸い粒が一杯浮かんでる。キャビアに似たって言うのはその色が黒に近いグレーじゃなく、緑色だからだ。
「これは?」
「ジルに薬を処方して吐き出させたモノでございます」
は? 今なんて?
「――」
言葉を失って小瓶からリューディアへ視線を移す。
「ナハトアにも観て貰いましたが、ジルは寄生状態でした」
待って。え? きせい?
「――」
「それはナハトアだけでなくコズエ様にも観ていただいているので間違いはありません。その状態を本人が口にする前にこのような事になりましたので、わたしから報告させて頂いた次第にございます」
「――い、今は?」
「今は、ルイ様もご覧の通り、寄生は除去できたと考えていますが、わたしも初めて見る物ですので未だ言い切れないのでございます」
そう頭を下げるリューディアの前にある小瓶に再び視線を落とす。
「これがそうだと?」
「はい。奥の院の虫下し、ラミアの里の虫下しの秘薬を調合してジルに飲ませたところ、これを吐いたのでございます」
「――気付かなかったよ。というか、状態異常耐性のレベルは最大のはず」
何で寄生が起きるんだ?
「そこでございます」
「え?」
その声に、思わず視線を上げてしまう。
「状態異常の耐性スキルはとても稀有で、わたくしどもがそれを持てているというのは、あり得ないほどの幸運なのです。ですが、飽く迄このスキルは耐性。無効にするモノではありません」
リューディアの言いたいことが何となく判って来た。
リューディアが品の良い眉を顰めたまま話しているところを見ると、リューディアも葛藤があったんだろう。
「つまり、絶え間なく状態異常の攻撃を仕掛けられていると、針の穴を通す程の確率が成功することがあるって言いたいんだね?」
「然様にございます」
マジかよ。そんなことをしてくる奴が居るなんて想定してないぞ。
「――で、ジルだけなの?」
問題はそこだ。
「――いえ。ルイ様! 御鎮まり下さい! 皆が起きてしまいます!」
その一言に心がざわつく。……が、何とか抑えることが出来た。
「後は誰が? 何処のどいつの仕業?」
「アイーダの報告ですと、クベルカ三姉妹もひっ」
「――ああ、ごめん。すまない、リューディア。リューディアに怒ってるんじゃないんだよ。でも、自分を抑えるのが辛くてね……」
クソッ。それ以前の話じゃないかよ。
「報告が遅くなり申し訳ありません」
「いや、皆から遠く離れた僕がとやかく言える筋合いじゃないのはよく判ってるつもりだよ。ただ、傍にいてあげれなかったのが不甲斐なくてね……。サフィーロ王国の王都での活動中に何かに巻き込まれたってこと?」
活動拠点は王都に移したと聞いた。可能性があるのはそこしか無い。
「ジルから話を聴く限りではその可能性が高いかと」
「……アイーダとリンが来てない事の説明は?」
「アイーダは4人と行動を共にして居たそうですが、わたしが持たせていた薬と使い魔のお蔭で、寄生されずに済んだと聞いています。リンは、囚われのアイーダを解放すべく、皆がこちらに来るのと入れ違いで王都に戻り、エトと行動を起こしています」
「ということは、今は無事ということだね?」
「はい」
「――ふう。【治癒】。【疲労回復】」
溜息も吐きたくなる。リューディアもこんな報告をしないといけないと思ったら、嘸かし胃が痛かっただろうね。リューディアに回復魔法を掛けておく。気休めだけど。
「え? ルイ様?」
「損な役回りばかりさせてすまない。至らない主だけどこれからも頼むよ」
「いえ。寛大な主に御仕えできるのは、家臣としては何ものにも代え難いものでございます。それで、原因ですが……」
小さく頭を下げるとリューディアが愁眉を開きながら、微笑んでくれた。品の良い老婦人の笑みは何だが癒やされるね。可愛い子や美人の笑顔とは違う力がる気がする。因みに、守備範囲外だよ? 違うからね?
「あんまり聞きたくないけど、……頼めるかな?」
「はい。背後にサフィーロ王国ゴールドバーグ候爵ボニファーツが養女の姿があるとか」
「こうしゃくって、一番上? 養女?」
「いえ、2番目でございます。養女は、アイーダの眼によれば、人狐族だとか」
「へえ。上手く紛れ込んだな。正体を隠してると考えた方が腑に落ちるよね?」
「わたしもそう思います。エトの報告ですと、“ケルベロス”との繋がりがあるとか」
「―――そう。父親は王国貴族だとしても、知らぬ間に操られている可能性もあるね。リューディアは薬の研究を引き続き頼むね。祭りの前だっていうのにやってくれるよ。本当」
「畏まりました。祭りのあとも、わたしとナハトア、カリナ、ゾフィーの4名がシムレムに残ることをお許しいただけますか?」
「……ああ、薬を完成させる事を優先させて欲しい。僕の方は我慢すれば良いだけの話だからね。問題はシェイラたちだけど」
そう言い終えるかどうか、リューディアの座っているソファーの影からぬうっとコレットの姿が現れたんだ。
おいおい。僕の【気配察知】や【魔力感知】に引っ掛からないってどういう事!?
「歓談中申し訳ありません。至急、御耳に入れたいことがございます」
「何かあった?」
けど、その緊張した面持ちに、只事じゃないと気持ちを切り替える。お辞儀をして報告するその言葉に、僕たちは驚きで腰を浮かせた――。
「ジル様の姿が部屋に見当たりません。どうやら、自力で外に出られたかと思われます」
最後まで読んで下さりありがとうございました!
ブックマークやユニークをありがとうございます!
誤字脱字をご指摘ください。
宜しくお願いします。
年末年始は何かと気忙しくなりますので、皆様もご自愛下さいませ。
年内にもう1話と願っているのですが……間に合わなければ元旦の11時に流せるように頑張ります。