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レイス・クロニクル  作者: たゆんたゆん
第五幕 妖精郷
204/220

第188話 古き言葉

お待たせして申し訳ありません。

まったりお楽しみ下さい。


※2017/12/7:本文誤植修正しました。

 

 「そこにいらっしゃるのは、ルイ様でございますか!?」


 これまた懐かしい、震える声が僕の耳に飛び込んで来た。


 「ああ、そうだよ」


 軋む音と共にゆっくり内に開く扉の隙間から屋内の光が溢れてくる。光を背にしている為に輪郭シルエットしか見えないが、僕にはその声で直ぐに気が付いた。気が付かない訳がない。


 開かれた扉の先に居たのはーー。


 エレクタニアの屋敷に居残っていたはずのエレオノーラだった。


 背中まで伸ばした癖のない藍色の髪を後頭部で結い上げ、お団子(シニヨン)にしている髪型。しっとりと露を含んだ粘りつくようなブルー系の白肌が襟ぐりからうなじにかけて見える。発光している僕の光を浴びて浮かび上がる顔には、見知った一重で少し切れ上がった眼とその奥で潤む金色の瞳があった。


 「本当にエレンなのかい?」


 「ああ、我が君(マイ・モナーク)! 御会いしとうございました!」


 腕を広げ、エレオノーラ(エレン)を受け止めれる体勢にしてからゆっくり尋ねると、弾かれたようにエレンが胸に飛び込んできた。エレクアニアの侍女長としてこの行動は失格だけど、彼女にも指輪を渡しているのでギリギリセーフだと甘い採点をしてあげたいとこだ。


 【実体化】出来ないせいで、エレンの匂いや柔らかさを堪能できないのは悔しいけど、その前に。


 「何でエレンがここに居るの?」


 これが聞きたかった。


 「エレンだけじゃねぇですだ、御館様。俺も居るだ」


 「は?」


 エレンの肩越しにこれまた懐かしい、野太い声が聞こえてきた。


 「眷属地ができれば、俺も、エレオノーラも来るに決まってるだよ」


 「ガルム!?」


 「んだ」


 視線を上げた先に居たのは、恥ずかしそうに人差し指で鼻の下をこするハイドワーフ(ガルム)だった。


 強い巻癖のある褐色の髪と髭に頭部の皮膚がほとんど覆われている、その輪郭シルエット。ゴツゴツとした筋肉質の体でありながら、ドワーフ特有の寸胴型の体型。体毛の隙間から除く黄色肌と、厳つい眼の奥に光る金色の瞳は確かにガルムだった。


 訳が分からない。


 エレクタニアからシムレムまでどんだけ離れてると思ってるの!?


 転移魔法も無いんだよ?


 現存する転移魔法は巻物に残った遺跡物だけだし。そんな貴重な物が2巻もウチにあるはずもない。


 「エレンもガルムもここに居る!? ちょっと待って、頭が混乱してる。眷属地ができれば2人も来るってどういう事!? そもそも転移魔法なんてウチに無かったよね!? その前に、その前にだ、2人とも眷属地から出れないんじゃなかったの?」


 そうなんだ。彼らは僕がエレクタニアという土地を眷属地にした時に生まれた存在で、それぞれこの世界に存在する種であるという表記はある。けど、始めから成人の姿で現れ、高い能力を有している彼らは眷属地から出れないという縛りがあるんだ。それは、エレンが召喚する水色の乙女騎士団(ニンフのメイドたち)も同じというね。


 このメカニズムも僕にはさっぱり解らない。そういうものだと納得して今に至ってる。ははは……。


 「我が君(マイ・モナーク)。わたくしどもは眷属地の土地と建物を管理する存在・・・・でしかございません。その存在に我が君(マイ・モナーク)が名前を付してくださいました。そのお蔭を以って、権限を増すことが出来たのでございます」


 「……本来であれば、エレクタニアだけだったってこと?」


 胸の中から見上げて説明してくれるエレンの言葉をゆっくり咀嚼そしゃくして、問い返す。


 「俺は良く分からねぇだ。ま、来れるようになったって事は分かるだどもな。ガハハハ!」


 「エレクタニアで生まれた精霊の様なものだと御理解ください。そして、ここも、エレクタアニアと同じ場所になったので、わたくしどもも管理できるようになったと」


 何となくだけど、納得できた……かな。


 リューディアの座学を受けていた頃、精霊に付いて学んだことがあったのを思い出したんだ。普段精霊たちは自分たちの生活する精霊界いるが、物質世界に顕現けんげんするためには、2つの世界を繋ぐ道を抜けてこないといけないんだと。


 便宜上、“精霊の道”と呼んでるって行ってたな。術者の呼び掛けで、あるいは精霊の力が強く働く場所に門が生まれ、術者の魔力か精霊自身の魔力を使って“道”を造って現れるんだとか。だから精霊を呼ぶと魔法を使う時よりも多くのMpが必要なんだって説明してたな。


 チラッと後ろを見ると、優しげに微笑んでるリューディアの姿が見えた。教えてもらってることが身になってるというのは嬉しいな。


 「そういうことなら、了解だよ。何となくだけどに落ちたから」


 特殊な精霊ということだな。どうやってかは知らないけど、エレクタニアとシムレムに特殊な“精霊の道”を造って遣って来たと。途方もないスケールだぞ、それ。ま、僕の眷属だし。今更か。


 ぽふぽふとエレンの後頭部を優しく叩いてから抱擁を解いてもらい、僕らは中に入ることにした。


 「まるっきり変わっちゃったね、リューディア」


 「ふふふ。然様にございますね。もともと死蔵していた家出したので、有効に利用できて幸いです」


 「カリナ!」


 リューディアが笑みを零しながら答える横をナハトアが駆け抜けた。ジルとシンシアはゆっくり家に入って、エレンと挨拶の抱擁を交わしている。放って置いていいな。まずはカリナがどう変わったか、だ。


 ということで、僕もナハトアに続いてカリナの下に行く。


 「カリナ!」


 「あ〜ナハトア。少し時間が居ると思うから無理に起こさなくていいよ。僕らの時もしばらく寝込んだからね。エレン。来て早々だけど、使える部屋に案内してくれるかい?」


 気を失って倒れるカリナの両肩を掴んで揺するナハトアを止める。まだ完全に肉体が変化したわけじゃないのかもしれない。見る限り変わりがないからね。


 「あ、すみません」「は、はい。こちらでございます」


 ようやく自分の領分を思い出したのか、エレンがそそくさと案内を始めてくれた。


 「よっと。ナハトアはルルとヴィルが回収できるならしてあげて。ゾフィーは、シンシアが運んでくれるかい?」


 カリナをお姫様抱っこで抱え上げ、ゾフィーをシンシアに任せる。カリナと同じ部屋でいいだろう。


 「はい、ルイ様」「了解だ、主殿」


 シンシアは溜めも掛け声もなく、ひょいとゾフィーの体を肩に抱え上げ真顔でうなずいた。いや、何て言うか、なんか可怪しい気がする。竜族だからか?


 ナハトアの方もさっきの【眷属化】で従者契約が切れたみたいなことは言ってなかったから、大丈夫だろう。召喚具の腕輪に回収できれば、残ったのがラミアだけになるから対応もしやすいはず。


 何にせよ、僕の嫁たちがハイスペック過ぎるのは今更な気もするけど、嫁レベルで物事を考えないようにしようと、密かに決意した。本当、今更だな。


 「リューディアとジルはお茶の用意を頼む。ラミアたちは重いからね。下手にベッドに上げるよりも、そのままにしておいたほうが良いと思う」


 案内してくれるエレンのお尻をお……おほん。後を追いながら、思い出したので2人にお願いしておく。そうすると、横から思わぬ情報が飛び込んできた。


 「「承知しました」」


 「御館様、後で風呂に案内するだよ。終わったら声掛けてくれるだか?」


 「えっ!? 風呂あるの!? 分かった!」


 ガルム、偉い! 良くやった! 笑顔でガルムに答えながら、「そう言えばガルムも僕のことを「御館様」って呼んでたな」と思い出す。ラミアが初めてかと思ったけど、そうじゃなかったな。


 いつの間にか整えられた廊下を歩きながら、この後の風呂に思いを馳せる。と同時に、大変なことを思い出したよ。


 ーーあ、まだ【実体化】出来なかったじゃん。


 廊下の窓から差し込む月光に眼をやりながら、「ラミアの隠れ里の夜はまだ長そうだな……」と僕は嘆息したーー。




                 ◇




 ▼ リューディア / ジル ▼


 ルイとシンシアがエレオノーラの案内で寝室へ向かうのを見送った2人は、キッチンを探し当てていた。


 エレクタニアのキッチンに常備された火の魔道具に薬缶ケトルを掛けて、水を熱している。この魔道具、ルイから譲渡されたスキルを使ってリューディアが制作したもだ。魔石を利用して火をおこす発想はリューディアにしてみれば快心のもので、魔道具自体も満足のゆく出来映できばえだったのだが……。


 エレクタニア内だけでしか設置していなかったはず……。それなのに、このキッチンには既に常備されていた事にリューディアは驚きを隠せなかった。道具も設計図も材料もエレクタニアにあるのは知っている。知識があれば作れなくはないだろう。


 一頻ひとしきり魔道具を調べリューディアは、これが全く同じものだという結論に至る。だからといって、同じ魔道具がここに説明にはならないのだ。


 ここにあるということは何か法則があるのだろうとは思ったのだが、リューディアもその理由が分からない。「後でエレオノーラに尋ねてみないとね」と心の中でつぶやくと、背後に立つ人物に声を掛けることにした。


 カン、カンカンと、ケトルの中でお湯が湧き始めたことを知らせる小さな音が出始める。ケトルの底で生まれた気泡が弾ける音だ。


 「ジル」


 火の魔道具を触って観察していたリューディアが背中を向けたまま、おもむろにジルに声を掛ける。魔道具のチェックが終わったのだろう。声を掛けられると思っていなかったジルが、ビクッと肩を震わせた。


 「は、はい」


 「あたしが何を言いたいか分かるかい?」


 そう言ってから振り向いたリューディアの顔は渋面だった。


 「う……。申し訳ありません」


 「あたしに謝ってどうするんだい。謝る人が違うだろ? ここに眷属地を造ってくださったルイ様は、もう気付いておられるよ? あんたはどうするんだい? あんたが言うって言ったらかね。あたしからは何も言ってないし、言葉を濁してある。でも、時間がないの分かってるのかい? あんたが言わな無いんだ」


 頭を下げるジルへ、これまで溜めていたものを一気にまくし立てる。ジルにしてみれば、己が気になっていることを、窓枠の角に残った埃を指摘するかのように言われるのだ、面白い訳がない。だが彼女は、反論せずリューディアの言葉を遮る。


 「わたしが言います! いえ、言わせて下さい」


 そう言って、力強く見詰め返してくるジルに近寄ると、リューディアはトンっとジルの額を人差し指で押しながら言い含めるのだった。


 「ここで言わなかったら次はないよ。あたしが言う。良いね?」


 「ーーはい」パン「きゃっ」


 この言葉を言わせる為だったのか、ジルの決意を聞いてふーっと1つ荒く鼻息を吐くと、ジルの尻を叩くのだった。


 「ほら、ぼさっとするんじゃないよ。お茶を入れるのはあんたの仕事だよ。年寄りのあたしにさせるんじゃないよ。アイーダといい、あんたといい、気が利かない子だよ、全く」


 「す、すみません」


 急かされ、あたふたとお茶をれる為の段取りを始めるジルを眼で追いながら、リューディアは優しく微笑みを浮かべているのだったーー。




                 ◇




 ▼ ブラウン ▼


 同刻。


 男は月夜の森を駆けていた。


 木々にぶつかることも、時折顔を覗かせる木々の根に足を取られることもなく、から漏れ落ちる月光にいざなわれるかのように駆けていた。


 「ったく、魔王だ、魔王以上のレイス(バケモノ)が“聖樹祭”に来るなんて聞いてねえんだよ。楽な仕事かと思いきやとんだ貧乏クジだぜ」


 フード付きの袖なし外套(マント)のフードは、木々と擦れ違う際枝によって払われたのか、風を取り入れて外れたのか、男の顔が顕になっている。長くはないが無造作に伸ばされた黒っぽい髪に、黒っぽい肌が、男の存在を周囲に溶けこませる助けになっているようだ。


 かなりの速度で駆けているにもかかわらず、言葉を発する男の息が乱れた様子はない。


 キン バサッ


 男の前進を遮るように現れた太い枝が、何か黒いもので切り落とされた。


 ーー黒い短剣だ。


 眼を凝らすと、刀身もつばも柄の作りも全て黒いのが判る。


 真っ当な理由で己の武器を黒塗りにすることは稀だ。大概は人に知られたくない汚れ仕事をする者が好む仕様だといえるだろう。それを真っ当だと言い切るには意見が別れるところだが、男としては気に入っていた。


 ーーこのシムレムに来るまでは……。


 当初の計画は対処できない疫病を蔓延まんえんさせ、その機に乗じて信頼を取り付け、祭りに参加することだったのであるが、ルイたちの登場で大きく計画を変更せざるを得なくなってしまったのだ。


 付け加えれば、“星降る夜”計画もこんなに早く沈静化するとも思っていなかった。


 混乱に乗じて、都に、更には奥の院に潜り込むつもりが、都に辿たどり着くどころか、港街を出発して1日でほぼ無かったことになっている。「悪い夢でも見ているのか」と男が首をかしげたのも無理からぬことだろう。


 男の名はブラウン。


 魔導帝国から斥候スカウトとしてシムレムに送り込まれた軍属の男だ。本名はあったのだが、軍属になった時に捨て、己の褐色肌から閃いたブラウンという名で今は通している。そして男がシムレムに送り込まれたのには、も1つの理由わけがあった。


 男がダークエルフと人族の混血ハーフであるということだ。


 ダークエルフである母の能力を受け継いだものの、容姿、とりわけ耳の形は父親に似て尖らなかったのである。肌が褐色の人族は魔導帝国のあるクサンテ大陸東域に多い。


 白肌を特別視する魔導帝国において褐色の肌は下に見られるが、それでも、人族であることで迫害や差別を受けることはなかった。彼らより下に、人族以外の種が単なる労働力、あるいは家畜として存在していたのだから。


 逆にブラウンにとって幼少期が地獄だった。迫害の対象だったのだ。地方のそれも片田舎でダークエルフとの混血という存在は、奇怪なものとして映ったのも致し方ないことだろう。早くして母を失っていたブラウンが、己の血を恨むようになるのに然程(さほど)時間は掛からなかった。


 ブラウンに取って幸運だったのは、軍の上層部の人間が、人族と見た目が変わらないこの男を上手く利用することで、己の評価が上がる味を覚えてしまったことだろう。それが今回の派遣に繋がったと言っても過言ではあるまい。


 「都まで歩いて25日だと? んな悠長にしてたら俺の首が飛ぶ。せめて10日で着かねえとな」


 ブラウンは宿で聞いた情報を思い出していた。


 港街から、都まで1番近いルートを選んでも徒歩、もしくは荷馬車で25日掛かるというのだ。“聖樹祭”に間に合わせるべく都に行くには時間がかかり過ぎる。到着して色々と準備が必要なのだ。


 以前、黒死病が発症した村から3日で都まで駆けるという離れ業をやってのけたエルフの若者も居たが、あれは例外だ。己の身をかえりみず、風魔法を極限まで使い込んだ上での疾駆はやがけは、命を削る方法でもあり、本来は使わぬようにと教えられる。


 ブラウンとしてもそこまで急ぐつもりはなく、それでいて目立たず時間を有効に使うために夜駆よがけを行っていたのだ。夜目が利くのはエルフの血の恩恵だろう。


 懐から取り出した干し肉をかじる。「ああ、宿で摘める弁当でも作ってもらうんだったな」と塩味の濃い肉を味わいながら、ブラウンの姿は黒い風となって夜の森に消えて行くのだったーー。




                 ◇




 ▼ こずえ


 同刻。


 世界樹のふもと


 そこから更に地下深く、巨大な幹を支えるために大地を割り、岩を穿うがち、地中に枝を張る地底樹とも言うべき世界樹の根。


 その根が顔を出す球状ドーム型の空間で、半透明のエルフの女性がクルクルと宙を舞っていた。


 『うふふふ。あははは。あ〜美味しかったぁ〜! 久し振りにお腹いっぱい食べれた気がする♪ イチジクさんに感謝だね。あんなに一杯死体を持ってるなんて、普通じゃ考えられないよ』


 彼女の口から紡ぎだされたのは共通語ではない。コロコロと転がるような音が弾ける精霊語だ。精霊と親和性がある者は発声時の音を聞くこともできるが、多くの場合無言で口を動かしているようにしか見えないなのが精霊語の特徴だろう。


 『わたくし主様あるじさまですもの、ルイ様は。当然よ!』


 その半透明なエルフの声に呼応するように、肘から先くらいの長さがある円形の華座に座り、緑色のドレスに身を包み、小さなティアラを萌黄色の髪に載せた可愛らしい姫が現れる。


 『あら、ハナいらっしゃい♪ 貴女の主様からいっぱいプレゼントもらったのよ?』


 『そうなの? 良かったわね! ルイ様、怒らすと物凄い怖いけど、普段はすごく優しいの。でも、その優しさに付け込んだら許さないわよ?』


 『あははは。怖いな〜。でも、大丈夫! イチジクさんのお蔭で力も戻って来たし、結界も祭りまでには張り直せそうよ』


 『それだけ?』


 『ふふふ。ハナはイチジクさんの眷属だからね。まだ秘密! でも、ここ数百年にないくらいの出来になりそうだよ』


 『良く分からないわ』


 『あははは。いいのいいの! 分かったら面白くないでしょ? でもーー』


 機嫌よく笑っていた半透明の女エルフの顔からストンと表情が抜け落ちる。


 『?』


 『ハナのお友達は随分変わった子が居るのね? 地脈を抜けてくるとは思わなかったわ』


 『ああ、あの2人(・・・)ね。あの2人は厳密にはわたくしたちと似て非なるものだから。そもそも初まりが違うもの』


 『へえ〜』


 『わたくしたちは母様ははさまから生まれたけど、あの2人は黒い森で生まれた(・・・・・・・・・・)から』


 『黒い森?』


 『うん、でも、それ以上は分からないの』


 『そうーー。なら仕方ないわね』


 困ったように小さな眉を寄せて答えるハナを無表情で見詰めいていたこずえだったが、短く言葉を切って瞑目めいもくすると、次の瞬間、先程までの面持ちが無かったかのように朗らかな笑顔で話を終わらせたのであった。


 ハナの方もそれを気にする様子もなく、樹木談義に花を咲かせていく。コロコロと転がるような彼女たちの笑い声は、地下での務めを果たすべく降りてくる巫女たちが到着するまで続いていたーー。




                 ◇




 「あ〜あ……折角ガルムが風呂を作ってくれたっていうのに使えないんてな……」


 僕は屋敷の屋根に寝転がり、仰向けになって月を眺めていた。


 さっきまでガルムから風呂の説明を聞いてたんだけど、何が悲しくて生霊レイスのまま風呂に浸からねばならないんだとばかりに、ここに来たんだ。


 ああ、他の人には先に使ったら良いとは言ったんだけどね。あの様子だと誰も使ってないかな。


 皆が悪いんじゃなくて、自分のタイミングが悪かった事の不満が不機嫌な感じになって漏れてたんだろう。悪い事したな。


 「ルイ様」


 近くの屋根窓が開いて、ナハトアが顔を出した。1人、みたいだな。


 「やあ、ナハトア。皆は?」


 「食事の準備をするのに、色々と揃えてくるそうです」


 「ああ、近くは森だから色々と調達は早そうだね。こっちに来る?」


 僕が【実体化】出来るようになるのは昼頃だって言ってあるから、それに合わせてということなんだろう。本当、僕には勿体無い存在だよ。出会いがなければ、1人でずっとこの世界を彷徨さまよってたっていう未来もあったんだから。


 「はい」


 嬉しそうに笑みを浮かべて近づいて来るナハトアを見ながら、僕はそんなことを考えていた。


 夜空にあって優しく森を照らしているのは、寝待月ねまちつきって言うんだったかな。三日月の真逆の形だ。綺麗な夜空に視線を移し、ナハトアが横に寝転がるのを待つ。


 「ここまで色々あったけど、ナハトアもよく頑張て来たね」


 「え? 急になんですか、ルイ様?」


 ナハトアがごろんと僕の隣で寝転がる。屋根も蔦で覆われているから、凸凹して逆に滑りにくいんだ。ナハトアじゃなく、月を見ながらねぎらうと視線が刺さってきた。


 「う〜ん。あのダンジョンから数えると結構時間も経ったからね。生身のナハトアは大変だっただろうな〜って改めて思ってね」


 「ふふふ。今更ですね」


 そのまま月に向かって言葉を出すと小さな笑い声が耳元で聞こえた。どうやら横向きになったらしい。


 「ははは……。うん、本当今更だけどね。けどまあ、初めの目的通り“聖樹祭”には参加できそうだし、僕としては初志貫徹出来たかなって思うよ」


 「しょしかんてつ?」


 「ああ、初めに心に決めた気持ちを、最後まで貫き通すことって言えば良いのかな。ナハトアをここに連れて来るという気持ちを貫けたってことさ」


 「ーーーー」


 「ナハトア? おっと」


 四文字熟語は通じないことが多いな。ま、向こうの世界で出来た言葉をこっちで勝手に翻訳してるんだから、仕方ないか。と思ったら、急に静かになったナハトアが抱き着いて来た。魔力纏まりょくてんは常時使ってるから擦り抜けることはないんだけど、どうした?


 「ありがとうございます、ルイ様」


 「うん」


 ここはあまり喋らないほうが良い……んだろうな。ナハトアの感触を味わえないけど、その背中に腕を回して軽く抱き締めてみる。


 うん、対応は間違ってないはず……だ。


 「ルイ様、世界樹ってエルフの間ではそう呼んでないって知ってましたか?」


 「え?」


 初耳だ。僕の胸に顔を埋めていてきた、ナハトアの問いに耳を疑う。


 「ふふふ」


 「そうなの?」


 思ってた通り僕を驚かすことが出来たのを喜んだ表情で、ナハトアが見上げてきた。ドキッとするようなその表情に思わず見惚れながらも、何とか言葉を返すことが出来た。イケメンでもない僕がこんな美人さんに好意を寄せられる、本当人生って分からないもんだよな。


 「はい。ルイ様に判るように共通語で言うと“妖精の樹”。古いエルフの言葉で言うと“Arbre(アーブル) féerique(フェリック)”って言うんですよ?」


 いや、何て言うかごめん、ナハトア。どっちもちゃんと翻訳されてるよ。


 「へ〜。アーブルフェリックかぁ〜。趣きのある言葉だね。あ、そうだ。もう“聖樹祭”だって言うのは何となくは判るんだけど、正確にはいつなんだろうね?」


 「次の満月です」


 おっと、以外に近かったな。今見えてる月が、本当に寝待月ねまちつきなら、月齢でいえば満月から5日過ぎた頃だ。指折り数えて……次の満月まで25日前後ということか。


 「満月か。今でも世界樹のシルエットが月に照らされて綺麗に見えるのに、祭りの時はどうなっちゃうんだろうね」


 「物凄く綺麗ですよ。この世のものとは思えないくらい」


 「へ〜」


 抱き着いていたナハトアがもぞもぞと動いて脇に移動する。「へ〜」はなかったか。実際見たこともないからどんな反応すれば良いのか困るんだよな。


 いや、興味はあるんだよ?


 「祭りの日には、数え切れないくらいの妖精たちや精霊たちが大樹の周りを飛ぶんです。最近は実がならなかったので花が咲くだけで終わってたんですが、今回はルイ様のお陰で実が生るかも知れませんね?」


 「ははは。そうだね〜。そうなると良いね」


 ナハトアをチラッと見ると、遠くにそびえ立つ世界樹に向けられていた。慌てて僕も視線を向ける。あの死体にどれだけの価値があったのか分からないけど、役に立ったら嬉しいな。


 「ルイ様は多分特等席ですよ?」


 「え!? まさか、それはないよ」


 何気ないナハトアの一言に驚く。


 出来れば目立ちたくないと言う思いは相変わらずあるんだ。奥の院に居る巫女さんたちにしてみれば、「何を今更」と思うだろうが、何て言うか日本人気質は抜けないね。反面引き篭もりは随分影を潜めたと思うけど……。


 それも、彼女たちのお蔭……か。


 ーーそうだ。


 慌ててアイテムボックスの表示ストレージを出して、あるものを探す。それを取り出してからぼーっと世界樹と月を眺めていたナハトアに声を掛けた。


 ーードキドキするな。落ち着け、瑠一るい


 「ナハトア」


 「はい?」


 「左手を出してくれるかい?」


 「こうでいいですか?」


 「うん」


 「えーー」


 何気なく差し出された左手の薬指に、僕は指輪をめた。


 あらかじめ船旅をしている時にコッソリ作っておいたものだから、サイズが合わないという痛恨のミスをすることはない。


 ナハトアと言えば、言葉を失って自分の左手の中指に光る指輪を見詰めていた。シンシアたちを見ていれば嫌でも気がつく左手の指輪の存在。何処かで悔し思いもしていたはずだ。その意味もきっと訊いていただろう。


 ま、ここは人任せにすべきじゃないのは、ヘタレの僕でも判る。


 「ナハトア」


 「は、はいっ」


 「この左手の指輪ね、僕の生まれた世界での古い為来しきたりなんだ。自分の伴侶となる人に指輪を渡すっていうね」


 「ーーーーっ」


 見る間にナハトアの眼が潤んできたのが判る。


 「沢山の奥さんをはべらせてる僕が言うのも烏滸おこががましい話だと承知の上で言うよ」


 「ーーーー」


 今にも零れ落ちそうなほど涙を湛えたナハトアは「本当に!? 夢じゃないの!?」って思ってる顔をしてる。間違えるなよ、瑠一るい


 「僕の妻の1人になって僕を支えて欲しい」


 「は、はい、はいっ! よろしくお願いします」


 「良かった……。断られたらどうしようかと思ったよ」


 「そんなっ!? そんなことあり得ません!」


 軽い冗談に、ガバッと上半身を起こして抗議するナハトアを見て、僕は嬉しくなった。良いもんだな。


 「ははは。ごめんごめん。雰囲気台無しだね。後で、皆に紹介しないとね」


 「ううっ。顔合わせていたのに、改めてって言われると恥ずかしです」


 右腕で体を支えながら、左手で顔を隠すナハトア。その左手を取ってもう一度僕はナハトアを抱き寄せた。


 「それは後の話。今は僕の花嫁の顔をもっと良く見せて欲しいな」


 「ルイ様……」


 自然と重なる唇。


 その感触を味わえないのは残念だけど、今はこれでいい。


 今この瞬間の幸せを、月夜の下で僕は味わっていたかったんだ。


 遠くでぼんやりと光を放ち始めた世界樹の変化など眼もくれず、ただ、僕たちは月の下で誓った愛を確かめるようについばみ合っていたーー。







最後まで読んで下さりありがとうございました!


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