第186話 それぞれのカタチ
お待たせして申し訳ありません。
今回は説明が多い回となっています。
まったりお楽しみ下さい。
※人によっては少し気分が悪くなる表現が含まれています。
「ルイ様上をっ!!」
ナハトアの声に反応して顎を上げる。そこで僕の眼に映ったのは、天井から僕らに向かって亡者の手のように伸びてくる無数の根だった――。
「おぉーーっ。凄いな」
パキパキと節を鳴らすように音を発しながら幾重にも根が伸びてくる。一部は僕が出したダークエルフたちの遺体の山に伸びているのが見えた。
当然僕らに向かっては来てるんだけど、僕に来る気配はない。だからぼーっと根を観察してたらナハトアに怒られた。
「そんな悠長なことを言ってる場合ですか、ルイ様ッ!」
ナハトアは気が付いてないようだから、注意を促しておく。
「いや、僕には敵意はないみたいだよ? 寧ろ、ナハトアの方が危ないんじゃない?」
「へ? きゃあっ!?」
僕を避けるように根がナハトアの方に伸びる。あ、ちょっと遅かったか……。
そう思ったら、ナハトアが根に絡め取られる前に良いタイミングでホノカとナディアが防いでくれた。
ー 大丈夫。その為にわたしたちが居るのよ。 そうよ〜。ルイくんはわたしたちと同じだからね〜 ー
うん。これはあれだ。今まで腑に落ちなかった疑問の答えが出たかも知れないな。
シムレムを出てまで死霊魔術師たちが使役霊を連れて帰ってくるのには、これが理由なんじゃないかと思うんだ。
じゃないと他に説明がつかない。そもそも何でネクロマンサー職がシムレムで重要視されるのか。不思議に思ってたんだ。エルフなら、普通に連想するのは精霊でしょ? それが真反対の存在を使役する職を必要とするだなんて可怪しいと思ってたんだよ。
ホノカとナディアがナハトアの前に立ち塞がると、根は諦めたようにダークエルフたちの遺体の方に根を伸ばしていく。
やっぱりね。これは、世界樹が血肉を栄養分としてるって事だ。随分血腥い話だな。
いや、普通に草木を考えてもそうか。落ち葉を肥料にしてるだけじゃなく、周りで死んだ小動物の死体が腐敗して土に還ったものを栄養分として利用してるから、ある意味同じか。眼の前で起きてるから余計に倫理観がブレーキを掛ける……。
「こ、これは……」
「あ〜多分だけどね。エルフやダークエルフのネクロマンサーがシムレムに必要なのはこれが理由だと思うよ?」
眼の前で起きてる事象に理解が追いついていないナハトアに声を掛けておいた。梢さんは特に何かを言うわけでもなく、眼を瞑ってた。何してるんだろ。ナハトアも「え、何言ってるんですか?」的な表情で僕を見てる。
「……」
「僕の言ってる事、考えたことある? 何で精霊たちが沢山居るこのシムレムで死霊魔術師が必要なんだろうって?」
「ーー」
何と付いて来てるか。無言で僕を見つめながら首を横に振るナハトアに、微笑みかけて話を続けることにした。持論を披露することにした、と言っても良いかもね。まだ間違ってるかも知れない訳だし。
「あ〜世界樹と言っても、その形は樹木から大きく外れてる訳じゃない。成長の幅が普通の植物と違うっていうだけだ。ここまでは良い?」
「ーー」
頷くナハトア。
「植物といえば、極端な例で悪いけど砂漠では基本育たない。何故だか分かるかい?」
「水がないからですか?」
「そう、あと、水を溜めておける土もないね?」
「ーー!」
「あ、そうか」と気が付いた様子のナハトアだったけど、一緒に砂漠を超えたよね?
「でも、それだけじゃ植物は成長しない。野菜を育てたことがあるかい?」
「はい、まだ幼い時ですが」
「何か土に混ぜてたかい?」
「料理を作った時に出る生ゴミを土に捨ててました」
「そう、それだ」
「え?」
「土にそういう物を混ぜてあげると、土の中で上手に腐って混ざり合い、植物が成長するためのいわばご飯が出来る。それを植物が食べて大きくなる力に変えるのさ。付いて来れてる?」
「は、はい」
「今の説明をこの世界樹に当て嵌めてみると、世界樹が大きく成長する為には沢山ご飯が必要になる。そのご飯が眼の前の遺体や、あそこで実のようにぶら下がってる魔物たちの死体だね」
「普通のものではダメだってことですか?」
「ううん。普通のものでも勿論大丈夫と思うよ。でも、それだけじゃ全然足らないってことさ。大きな体を維持するにはね。だから、世界樹は自分でそういう遺体や死骸を集めれるようにシムレム中に根を張ってるんだと思う。だから、世界樹の根元で倒していない魔物たちの死体がここにあるという説明がつく」
「それと死霊魔術師がどう関係するんでしょうか?」
まあそこが気になるはな。ホノカとナディアは興味がないのか、僕たちの頭上、天井に近い辺りでふわふわと浮かんでる。守ってくれてると言った方が良いのか?
おっと、話を続けるね。
「ああ、それはね、世界樹にとって生きていようが死んでいようが自分のご飯になるからだと、僕は考えてる。地表に出てエルフたちを襲ってないのは僕には良く分からないけど、何処かで制御している意識みたいなものが世界樹にはあるのかも知れないね。でも、地下は別だ」
「は、はぁ」
お〜い、ちゃんと付いて来てくれくれよ。
「この場には基本、ネクロマンサーしか生きている者は居ない」
「え?」
「理由は簡単だ。自分を守る術のない巫女がここに居ると、さっきのように根に絡め取られて世界樹のご飯になってしまうからだよ」
けど、梢さんがこの根を操れるみたいな言い方だったからな。世界樹と梢さんが何かしら繋がりがあるのか? 兄妹みたいな関係とか? 世界樹の方が年齢が上だろうしな。いや、姉妹という線もあるのか?
ま、そこはおいおい分かるだろうから今は触れるつもりはないし、探らない。何れ面倒事だろうけど、今は僕には関係ないし、説明が面倒だもんな。
「その為の使役霊……」
「そういうこと。ま、これは僕の仮説だけどね。どういう訳か、世界樹の根は不死族、それも霊体を持つ存在には手を出さないみたいだ。ホノカとナディが来た時に諦めただろ?」
「ーー」
頷くのを見て説明を続ける。
「使役霊と契約を結べたネクロマンサーは巫女になって、この場で世界樹の食事、神饌とでも言うのかな。供え物を捧げる仕事を任されるようになるって思うんだけど……。あってますか?」
「「「は、はい! そ、その通りでございます!」」」
奥で畏まっていた巫女さんたちが近づいてきたので確認を取ってみると、僕の仮説は間違ってないと太鼓判を押してもらえたようだ。まあ、全部の話を聴いてた訳じゃないだろうから何処までが「その通り」なのかは微妙なところだけどね。
「ふう。流石、九さんですね。説明しなくても済むのはありがたいです」
今まで眼を瞑っていた梢さんが徐ろに眼を開けて話し掛けて来た。気が付くとあれ程あった遺体が綺麗サッパリ取り上げられているじゃないか。
「あ……」
そう言えば、と思いだした。
今僕のアイテムボックスの中には、砂漠で無双した時に回収した大型の魔物遺体が行き場を失って肥やしとなってるんだ。装備品に加工できるかもと拾ったものの、現時点で全く使い道がない。取り出して店を開いてないんだから仕方ない部分もあるだろけど……。
「九さん、どうかされましたか?」
「えっとですね、魔物の死体が僕のアイテムボックスの中で大量に眠ってるんだけど。まだ要ります?」
「本当ですか!? 要ります! 欲しいです! どれくらいあるんですか!?」
「お、落ち着いて。え〜多分だけど、この空間一杯?」
「「「「「は?」」」」」ー ルイくんだもんね。 ルイくんだからね〜 ー
喰い気味に縋ってくる梢さんの両肩を押し返しながら答えると、皆が聞き返してきた。うん、あるはず。莫迦でっかいサンドワームとか入れてるからね。それに僕をここに呼んだのも聚落で回収した遺体を世界樹に、ということだったのならもう用はないはずだ。
ということで、アイテムボックスの在庫整理だな。
「じゃ、奥から詰めて出すから、巫女さんたちも一度ここから出ようか。梢さんもそれで良い?」
「ふぇっ!? あ、ああ、そ、そうですね! 皆、九さんの言われる通りにしなさい。ここに居ない人も呼び戻すように」
何処か遠い目で、口元を光らせた梢さんが我に返り、慌てて巫女さんたちに指示を出す。今の涎だったよね?
「「「畏まりました!」」」
あたふたと半球状の広間を駆け回る巫女さんたちを尻目に、僕はアイテムボックスの表示を確認することにした。
・サンドワーム×15
・砂蠍×22
・デザートヴァイパー×27
・砂鮫×31
結構あるな。確か、サンドワームは10m越えてた気がする。鮫はフカヒレ欲しいからな〜。鮫以外を全部出すか。
未だに倉庫の肥やしになってるからどうかと思うけど、ここで鰭切りをしてたら間違いなく、鰭ごと持って行かれそうだからね。出して後悔するなら、初めから出さない方が良い。エレクタニアへ戻ってから切り分けて、あとは森の狐たちのご飯にしてもらうのも有りだな。
「九さん、お待たせしました。お願いできますか?」
「あ、その前に、梢さんにお願いが」
「え? 何でしょうか?」
きょとんとした表情で聞き返してきた。ここでお願いされるって思ってなかったんだろうな。
「これから蛇女族の隠れ里に出掛けて来るんですが、あそこの土地を少しだけ僕の眷属地にしたいんです。なので、もし、里の下に根が伸びてるようなら、僕が帰ってくるまで根をずらしておいてもらえませんか?」
世界樹の根を操れるなら、ここで快諾してくれるはずだ。
「へえ。九さんはそんなことも出来るんですね。今まで土地を眷属とか聞いたことがありませんでしたよ? 分かりました。それくらいは問題ありません。気を付けて行ってらして下さい」
確定だね。梢さんと世界樹には何かしら繋がりがありそうだ。
おっと、梢さんの「早く早く」っていうキラキラした眼差しが刺さってるのに気が付いた僕は、慌てて奥に移動し、順次魔物の死骸を並べていくことにした。
と言っても、アイテムボックスの表示を軽くタッチするだけで済むから、時間も5分とかからない。見立て通りドームを死骸で一杯にした僕らは、「うわ〜! 美味しそうぉ〜〜♪」と妙なテンションで歓喜乱舞する梢さんを残して巫女さんたちと一緒に螺旋階段を上がり、地上へ向かうことにしたのだったーー。
◇
▼ ドロテーア ▼
同刻。
北半球に存在するアオニア大陸。
嘗てルイたちが巨大な狗鷲の番に乗り、テイルヘナ大陸から南東方向へ大海を渡った大陸だ。大陸中央部は葉脈のように広がる山脈で分断され、その間に幾つもの小国が存在する。
大陸の北に眼を向ければテイルヘナ大陸のように東と西を分断する連峰があり、それによって人や魔獣の行き来を拒む自然の要害の様相を呈していた。その東側が大陸最大の勢力を誇る1人の魔王によって支配されている事も追記せねばなるまい。
魔王ベルキューズ。
『近いうちにアオニア大陸に覇を唱えるのでは!?』と実しやかに巷で囁かれてはいるものの、其の実、姿を見た者は居ない。彼の者の親しい者は別であろうが、謎多き存在であることは確かだ。
噂話を好む界隈の女たちに啄まれ、本人の意思など関係なく噂だけが独り歩きしている状態であった。
そのアオニア大陸の北端に竜たちの隠れ里が存在する。
竜はそもそも気位のたかい生物であり、持って生まれた力故に、他の生物の追随を許さない点で、魔王たちからも一目置かれる存在だ。それ故、他者の見下す稟性を意図せず育むことになり、小さなことで諍いを引き起こすことになるだが、9割方、力で解決してきたと言っても過言ではあるまい。
一方、竜たちはその長い寿命故に、短命種たちの些事に煩わされたくないという思いも強く持っているのも特徴だろう。結果として、翼を持つ者以外は近寄れぬ秘境に里を拓いたのは必然の流れであった。
ルイたちの居るシムレムから位置取りを説明するならば、シムレムの対蹠地、つまり裏側、と言えば良いだろう。
そのアオニア大陸が北端。竜の隠れ里の地下牢で1人のふくよかな女が、両手を上に釣り上げられる形で鎖に繋がれていた。
カツン、カツンと石畳を蹴る音が薄暗い通路に谺する。足音に耳をすませば、その音にズレがある事が判った。つまり近づく者が複数居るということだ。
足音が、ふくよかな女の居る牢の前で止む。
チャラッ
「あんたたちかい。懲りないねえ」
顔を上げる女。その顔は艶を失い、窶れてはるものの、東テイルヘナの砂漠で別れたあのドロテーアであった。確か、数カ月前にこの里に戻った際、姪たちに謀られて、【狂魔の角】を着けられてしまったのではなかっただろうか……。
カチャリと牢の鍵を開けて2人の美女がその中へ身を屈めながら入って来た。ドロテーアの姪、そしてシンシアの姉たちであるヒルデガルドとイザベラだ。ヒルデガルドよりも妹のイザベラの方が少しだけ背が高い。
「やってくれましたわね、ドロテーア叔母様」
「まさかカミラ叔母様や母様を逃がすとはーー」
「あんたたちが不用心だったのさ。カミラやマルガもあんたたちのことをよく観察してた。まあ母親が自分の娘を見るんだ、足らないとこなど幾らでもあるだろうね。だから」
パア――ンッ
ヒルデガルドの右手が霞み、乾いた音を追い掛けるようにドロテーアの顔が大きく左に振れる。平手打ちを受けたのだ。
「口を慎みなさい。貴女は叔母ではありますが、今日これよりは叔母とは思いません。我らの駒となってもらいます」
「ぺっ。そうかい。ベルキューズと言ったかい? そんな優男よりも、良い子を教えたげようかい?」
先ほどの平手打ちで口の中を切ったのか、床に吐き出した唾から鉄錆に似た臭いが香り立つ。だがーー。
パア――ンッ
「ベルキューズ様を卑下する言葉は許しません。イザベラ」
「ーー」
再び反対の頬を張られ、口元からつぅっと赤い筋を滴らせるのだった。ドロテーアは何も言わず、ただ鋭い眼光を姪たちに向ける。
「はい、姉様」
姉のヒルデガルドに促されて、イザベラが懐から取り出したのは、あの【狂魔の角】であった。小瓶の中に複数の小さな巻き貝を思わせる角があり、イザベラの動きにカラカラと瓶の中で転がる。
その瓶を受け取ったヒルデガルドは、徐ろに蓋の栓を抜くと己の掌へその全てを取り出したのだった。そして、何も言わずに、叔母の額へその全てを貼り付けてゆく。
ーーその数、5つ。
狂魔と名を冠すだけあって、このアイテムは諸刃の剣となり得る。事実、ベルキューズ陣営で実験された結果、2つまでが理想という結論に達していたのもそういうことが背景にあるのだ。【狂魔の角】を大量に頭部へ装着した場合、負荷に耐え切れず精神を破壊してしまい、最悪命を奪うという実験結果を教えられていたにも拘わらず、ヒルデガルドはそれ以上の使用に踏み切った。
これはベルキューズの命も関係しているが、意のままにならぬのであれば、道具として使い潰せということなのだろう。
実際、この【狂魔の角】が定着したものは、使用者であるベルキューズに逆らうことができなくなる。別人格が己の中に生まれ、己を抑えこみ、自分の意図とは反することを行わせるという。【隷属の首輪】よりも数段非道なアイテムだ。
このアイテムを入手したドロテーアであったが、何も対策を取らずに居た訳ではない。ルイたちに依頼した『実態調査、1ヶ月以上経った角の除去方法。除去した際の結果と経過』は、既に自分でも試していたことでもあったのだ。そういう基礎があったからこそ、あの依頼を出せたと言えるだろう。
そして、研究の成果を活かし自分自身に対して対策を講じることが出来ていたからこそ、最初に【狂魔の角】を着けられても正気を保つことが出来たのだ。
しかし、この度は分が悪い。5つというのは自分でも経験がないし、どうなるかすら分からないのだ。このまま流れに身を任せるつもりはないが、何処かで覚悟を決めなければ、という燃えるような決意がドロテーアの胸の奥で灯っていたーー。
◇
▼ ??? / ??? ▼
同刻。
東テイルヘナ大陸。
それを南北に分断するエレボス山脈の南側に広大な砂漠を領土に持つ国が存在する。
ミカ王国。
万年雪を頂きに冠して鎮座する連峰は、その両側の麓に清らかな湧水をもたらしていた。緑に富むエレボス山脈の北側では雪解け水は生活水というだけで、さほど重要視されることはない。片や、南側は趣きが異なる。
先に南側は砂漠が多いと紹介したように、過酷な環境が国民に厳しい生活を強いていた。自然の摂理ではあるが、その多くが命と直結するほど水は重要なものとなっていたのである。そして、山嶺から湧く水が溜まる場所に街を興し、人々は生活を営む。また、そのような街が国境の関所としての役割を果たすようになるのも、自然な流れであった。
そのような国境の街フィーニス。エレボス山脈の南側に点在する北への要所の一つだ。
エレボス山脈の麓にはそれぞれの北側の国に対応した要所となる街が設けられており、その間に小さな村や町が点在している。エレボス山脈に接した隣国は全部で3つ。西から順にアルマドュラ王国、グラナード王国、ラティゴ王国だ。このフィーニスという街は、3つ並んだ真ん中の国にあたるグラナード王国に対応する窓口ともなる。謂わば国の玄関口だ。
当然、エレボスの峰を超えてやって来る商隊や他の目的でこの街を訪れる人々で街は賑わっており、宿も盛況だ。宿も街の至るところに点在するものの、南側に位置する区画にある宿は比較的宿泊費が安く、路銀を浪費したくない者たちにとって心強い存在となっていた。
その安宿の1つが、10日程前から美人姉妹が切り盛りするようになって客足を伸ばしていると、界隈で噂になり始めていた。齢は、見たところ50歳くらいだろうか。落ち着いた雰囲気を醸し出す姉と、気風の良い妹が、店を留守にしている実の姉妹の手伝いで入ったのだとそこを訪れる人は聞くことになる。
常連から言わせれば、元々店を切り盛りしていたドロテーアの姐さんにどことなく似ているから、姉妹というのは頷けるのだそうだ。ただ、ドロテーアに比べ2人のスタイルが良過ぎるので、『何かの間違いでは?』と訝しんだそうだが、姉妹の尻を撫でた宿泊客が店の外に放り出される姿を見て納得したらしい。
女の細腕1本で引き摺り出される大男を見て、常連は『ああ、間違いねえ』と冷えたエールを呷ったという。
夕食の掻き入れ時を熟し、客の求めに応じて湯を届け終わった姉妹は、朝食の仕込みを行うために共に厨房に立っていた。
「ねえ、カミラ姉さん」
「ん? なあに?」
「あれから10日も経つのにドーラ姉さんから連絡ないよね。大丈夫かしら?」
「そうね……。あの子のことだから大丈夫だとは思いたいんだけど、ヒルダやイザベラも一筋縄じゃいかないからね」
「うう、ウチの莫迦娘たちがごめんなさい」
「それは言わない約束でしょ。それにウチの莫迦息子は闇堕ち寸前だって話だし似たようなものよ」
「ふふっ。そうね。でも、救いはシンシアが元気だって判ったことかな。あの子も頑固な所があるからね」
「誰に似たんだか……」
「あ、酷い。わたしはもっとお淑やかよ?」
「あら? わたしは誰かさんに似たなんて言ったつもりはないけど?」
「もうっ、姉さんたら!」
「ふふふ。でも、ドーラと合流できないとしても、計画は進めるわよ?」
「分かってる」
「それにしても、あの子はこの街で楽しくやってたのね。常連さんから話を聞くとよく分かるわ」
「ドーラ姉さんらしいって言えばらしいけど」
「でもお蔭で、旅支度ができるんだから」
「はあ、それにしても人間たちの常識って面倒なことばかりよね」
「それは言わない。暫くは人化したまま追手を胡麻化して、シンシアと合流するんだから」
「あら、それを言うならヴィルと合流でしょ?」
「マルガ」
「照れて怒ってもダメ。姉さん照れ隠しするときって直ぐ怒るんだから」
「もうっ。手が止まってるわよ」
「はいはい」
彼女たちの動きに合わせ、油灯の光りに照らされた美しい金髪が揺れる。齢50と言われても、見た目はそれよりも若く見える彼女たちに好意を抱く男たちは少なくない。スタイルもよく、顔に深々と刻まれた皺もなく、老いを感じさせない働きっぷりだ。独り身であるなら、『俺の嫁に』、『ウチの子の後妻に』と希望を持つのも仕方のないことだろう。
だが、彼女たちが600歳を超えた竜であることを誰も気付きもしなかった。勿論、そんなに簡単に見破られる【人化】の術ではないが、彼女たちがこの宿で働くにはそれも関係していたのである。
つまり、長く竜の隠れ里で生活してきた為、人間社会の常識に疎いのだ。そこをドロテーアに指摘され、自分と合流するまでミカ王国の店でそれを学び取るように言われてしまったのである。それを実践しているカミラとマルガは自分たちの認識の違いに驚くことになった。
2ヶ月の間、2人はここで姉妹のドロテーアの帰りを待ちながら、旅に必要な一般常識と、人間の常識を学ぶ。それから、エレボスの峰を商隊と共に北側へ越え、カミラの息子ヴィルヘルムの足取りを捜すために、グラナード王国の港湾都市を目指すのだ。
竜の隠れ里で起きている異変を取り除くために、彼女たちは我が子に助力を求めるつもりでいたである。
「カミラさん、居るかい?」
「あ、はいはい。何でしょう?」
二階から降りてきた宿泊客に呼ばれ、カミラが足早に厨房から顔を出す。
「すまない、飲み過ぎたようでな。水を貰えるかい?」
「はいはい。では大銅貨3枚頂きます。マルガ、水をジョッキでお願い」
「は〜い」
このミカ王国では飲料水が葡萄酒より高いのは常識だ。豊富な水源があるわけではないのだから。だから、この街に泊まる者たちはそこに不平を述べることはない。男は小さな革袋の紐を緩めて大銅貨を3枚取り出してカミラに手渡す。
「はい。確かに」
「お待たせしました。よく冷えてますからね」
マルガからジョッキを受け取ると男は1口迎えに行く。ぐびりと喉がなる音を聞きながら2人は顔を見合わせて微笑むのだった。
「ああ、ありがとう。この宿の所為でもう生ぬるい水もエールも飲めなくなっちまったよ」
その言葉にカミラがさらに目尻を下げる。ヒルダやイザベラから聞いた方法を試した結果なのだ。今は分かり合えないが、姪たちが褒められた気になりカミラも悪い気はしない。
「あら、それは嬉しい。またいらしてくださいね」
「ああ、そうさせてもらうよ」
「「おやすみなさい」」
2人の挨拶を背中で受けた男は空いた片手を上げて応えると、薄暗い階段を軋ませながら姿を消す。その姿を見送った2人は厨房に戻り、先程まで続けていた作業に戻るのだった。8つある部屋は満室だ。明日も朝も忙しくなりそうだと互いに笑いながら時は移ろう。
油灯の優しい光が心に瑕を負った2人の母を、不在の宿主に代わり柔らかく包み込んでいた――。
最後まで読んで下さりありがとうございました!
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