第171話 黒死病
お待たして申し訳ありません。
まったりお楽しみください。
「これは、ーー黒死病だ」
ーーペスト。
この法定伝染病が黒死病と呼ばれるようになったのには理由がある。
日本でも記録を見る限り1920年台当たりまでは、大流行と言わないまでも死亡例もある病気だ。この病気で亡くなる全ての人が黒くなって死ぬわけじゃない。綺麗な体のまま亡くなる人も居る。
原因は14世紀、ああ、向こうの世界での話だよ? ヨーロッパでペストの大流行が起きた時、このペストを拗らせて悪化させてしまった患者が居たんだ。ペスト菌が血液の中に入って色々な内臓の中で増殖して症状を悪化させる敗血症状態になってしまった。
こうなってしまうと後は神頼みさ。当時のヨーロッパじゃ現代医学のような医療機器がないから、死ぬのを待つだけ。そして死んだ患者の体は、至る所で壊死を起こして黒く変色していたという。そう、黒くなって死ぬ病気、黒死病の完成さ。
この病気が厄介なのはーー。
「「ルイ様!」」「どうぞお助け下さい!」「お願いします!」「この身はどうなっても構いません、どうか!」「ぺすと……?」
エルフの奥様方の声で我に返る。思考の沼に沈む手前だったらしい。
「ああ、すみません。この病気は致死率の高い疫病です。僕が居た場所ではこの病気のことを黒くなって死ぬ病気、ペストと呼んでいたんですよ。でも、こんなに多くの人が亡くなる病気では無いんですが、この病気は1つだけ嫌な能力を持ってるんです」
「ーーーー変化する、とでも言うのか?」
僕の言葉にイケメン猿魔王がぽつりと呻く。へえ、読みが鋭いな。流石は一国を治める人物だ。莫迦ではないらしい。
「はい。本来は体のあちこちが拳大に腫れ上がり、体力を奪って事切れるんですが、変質すると、罹患した人が咳き込むようになります。そしてその咳に疫病の欠片が乗って空気中を漂い出し、近くで息を吸い込んだ人の体の中に入り込む」
リンパ節が腫れると言っても理解できないだろうからな。これでいい。
「「「「「「ーーーー」」」」」」
回りにいる面々の表情が恐怖で青褪めた。これくらいの脅しは必要だろう。
「恐らくですが、この状況がこれから行こうとしてる港町の中で起きてる可能性が高い」
「じゃあどうすれば……」
不安を口にするエルフの奥さんにニコリと笑い掛けてから、簡単に注意点を列挙した。これくらいはしてもらわないと困る。
「ある程度は僕が聖属性の魔法が使えますから、癒やします。ただ、皆さんに注意したいのは、無闇に死体に触れない。咳き込んでいる人、熱がありそうな人、病人に近寄らない。2重にした布で口と鼻を覆い隠す。そして出来るなら、落ち着くまで船から降りないでもらいたい」
「いつまで待てばいい?」
「そこまで長くはかからないでしょう。死体安置所で死体を回収して、病人を癒やせば収束するはずです」
「ーー随分簡単に言うな」
「対処法を知ってるからですよ。あと、縁者が船に来ても収束するまでは乗船させないようにお願いします」
「心しよう」
「おい、見ろ!!」「ダークエルフが乗ってやがる!」「“ダークエルフの呪い”を撒き散らしに来やがった!」
魔王が肯くその先で、港から罵声にも似た声が上がる。
何だ、その“ダークエルフの呪い”って!? 思わず、ナハトアとカリナへ視線を向けるが2人は頭を振る。知らないってことだ。
黒死病、ダークエルフ。
黒死病と、ダークエルフ。
黒くなって死ぬ病と、ダークエルフ……。
もしかしてーー。
「ルイ様! ダークエルフが同胞や旅人たちに呪いを掛けることなど有りません!」
「そうですよ、信じて下さい、ルイさん!」
ああ、黙ってたから変な気を使わせちゃったな。ただ、もう非難の声が上がってると言うことは、其処彼処で起きている可能性が高い。急いだ方がいいな。
「すまない。何でそんなことを言うのか考えてたんだ。ナハトアやカリナは勿論、ダークエルフを疑ってたから黙ってた訳じゃないよ。ただ、この状況は不味い。下手をすると、ダークエルフの排斥運動に発展しかねないぞ」
「「そんなーー」」
「カリナとゾフィーは船で留守番だ。いいね? ナハトアは僕を連れて移動してるように見せかける。死霊魔術師は此処では珍しいくないんだろ?」
「ーーはい」「分かりました」
「はい。ホノカとナディアも出していいですか?」
「ああ、頼む。僕だけじゃ守りが間に合わないだろうから。そうしてもらえると助かる。ヴィルとルルは自己判断で任せた」
それに反応するように、ナハトアの左腕にある魔鉱銀の召喚具が陽の光を反射してキラリと光る。ああ、ルルはイルムヒルデのことだ。呼び捨てから、ヴィルが愛称で呼ばれていることに嫉妬して愛称を強請られたんだわ。正直良くわからなかったから、字面に「ル」が2つあるからルルとなった。案外気に入ってもらえているらしい。
「分かりました。ホノカ、ナディア出番よ」
チリンチリンと鈴の音が鳴って半透明の双子姉妹が出てくる。いや、厳密に言えば違うんだけど、僕の中でそう思うことにしたんだ。精神が分かたれた原因が心の病であったとしても、今は2人ともしっかりとした自我がある。だからそれでいい。
…… 厄介事ね。 ほんとルイくんと居ると飽きないわね〜 ……
放っといてくれ。好きでトラブル体質になってるわけじゃない。と言うか、トラブル体質なんてあるのか?
「小舟を降ろしてもらえる? 出来れば船はこのまま停泊! ナハトアはそれに乗って港に。ホノカとナディアも一緒ね」
近くに居た水夫に声を掛けて僕は海上に飛び出して、遺体を回収し始めた。5,6体は見えるだけで浮かんでる。
「ルイ様は!?」
甲板からナハトアの声が背中を打つ。アイテムボックスに入れるのは持ち上げる必要もないから、チョンと触る程度で死体が消えていく。数体を収めてから、少し声を張って答えておいた。上陸するまでには、粗方回収できるはずだ。
「僕っ!? 僕はこの周りに浮いてる遺体をできるだけ回収して追いかける! 魚の腹に入ればいいけど、海岸に打ち上げられてそれを触られたら大変だからね!」
それを聞いて、ナハトアが頷くのが見えた。海岸線の方にも高速で移動してみる。こういう時は生霊で良かったなと思う。物理的な法則に捕らわれずに動けるのは強みだ。後ろで水飛沫が上がる音と水夫の声が聞こえる。
「小舟、降ろしましたーーっ! いつでもどうぞっ! 漕げますかい?」
「ありがとう。波が高い外海は無理だけど、湾内なら問題ないわ」
よし、こっちは問題ないな。じゃあ反対側だ。
帆船から港まで300mあるかどうかの距離だからな。左右の岸辺を見るのにそこまで労苦はない。森が海へ迫り出して来てるな。よくこんな場所で街が拓けたもんだ。
黒死病が発症して死亡するまでに数日の猶予がある。この死体の数からすると、死体が増えるのはこれからだ。まだ大流行みまでは至ってない感じがする。そうなる前に手を打てれば良いんだけどな……。
「ネ、ネクロマンサーッ!?」「嘘だろ。陽の下で使役できるのかよ!?」「見て! ダークエルフよ!」「人殺し!」「あたしたちが何をしたった言うのよ!」「おい、やめろ! ネクロマンサーに手を出すな!」「でもっ! ゴホッゴホッ」「お、おい、あんた大丈夫か!?」
「わたしはナハトア。聖樹祭に参加するために帰ってきた処だ。状況が呑み込めない。誰か説明してもらえないだろうか?」
お、ナハトア、巧いじゃないか。
「お、おい、帰って来たって」「そ、そうだよな、あの船から来たんだ、八つ当たりするのはお門違いだ」「誰か言ってやれ」「あんたらエルフだろ!?」「我らとて自体が呑み込めておらぬ。同胞が何人も病に倒れているのだ」「ゴホッゴホッ」「数日前から変な病気がこの港町で流行りだしたのさ」「そうだ。そしたらあっという間にこの有様だ」
「病の元が何処かはまだはっきりしてないのか?」
「いや、ダークエルフの聚落だ。今日までに3つ消えたらしい」
ナハトアの問い掛けにエルフの男が答えていた。くそ、エルフはやっぱり美男美女なんだな。自分の見て呉れに大きな劣等感を持ってるわけじゃないけど、イケメンには良い感情が湧いてこない。特に眷属たちと話しているとモヤモヤする。
こんな男だったかな、僕はーー。
「きえ、た? 消えたというのは滅んだというのか? 何処だ!? 何処の村だ!?」
「コキ、ヴィレ、カンドムの3つだと聞いている」
「そ、そうか……」
動揺したナハトアが胸を撫で下ろす。どうやら、ナハトアの育った里ではないらしい。ただ、聚落が3つも全滅してるということは、拡散がかなり速い速度で始まってるってことだ。1つ聚落にどれくらいの人が居たかにもよるけど……。不味いな。
…… ルイくん、ペストってあのペストでしょ? 咳込んでる人が居るわね〜。もう感染ってるんじゃないかしら〜 ……
ナハトアの傍に寄ると、ホノカとナディアが話しかけてきた。まあ、ホノカは知ってて当然だな。ナディアの視線の先にはナハトアを取り囲むように集まった群衆がいた。エルフばかりではない。ドワーフ、ホビット、人間入り混じってる状態だ。一人ひとり【鑑定】するのも面倒臭い。
「そう。抗生物質がないこっちじゃ、間違いなく死の病さ」
そう2人にしか聞こえないくらいの声で答えながら、“ダークエルフの呪い”という言葉を思う。恐らく、ダークエルフの肌と黒死病の黒い痣のようになる死斑の所為で、安直な結びつきをされてしまったんだな。ダークエルフをどうにかすれば病が治るかもという希望と盲信が先走ってしまってる、ってことだ。
「ーー」
「治療院と死体安置所へ。それと手を挙げて、キュアシャワーって言ってくれる?」
どうすればいいかという視線をナハトアが向けてきたので、短く告げる。ここに居る人たちだけでもまずは癒やして行かないと拡散されられたら大変だ。小さく肯いて、ナハトアは視線を群集へ戻す。
「済まないが、病人が集められる場所と死体安置所へ案内してもらいないだろうか。死んだ者には悔やみしか言えないが、まだ命があるならどうにかできるはずだ」
その言葉にザワリと群衆が動く。
「本当か!?」「お、おい!」「ああ、こっちだ!」
「キュア・シャワー。「【治療の雨】」これで、ここに居る者の病気は無くなったはずだ。済まない、案内してもらえるだろうか」
何人かが案内を買って出てくれるのを見てナハトアが手を挙げる。あとは僕が合わせるだけだ。少し多めに魔力を使って範囲を広げる。ナハトアの声に被せる形で僕も小さな声で、魔法を使う。キラキラと小雨のように降り注ぐ癒やしの雨が、港町の荷上場から広場に集まった群衆を包み込む。
「キュアの範囲魔法……?」「あのダークエルフ、何者だ?」「範囲魔法なんてあったの?」「おい」「ーー」「こっちだ!」「本当にどうにかなるかしれん」「は、早くあの子を!」「ネクロマンサーが聖属性の魔法を……?」
群衆の中から何処かへ走り去る者が何人か居たけど、理由は分からない。だったら放置だ。上手い具合に胡麻化せたきがする。
ナハトアの後を追う道すがら、ぽつりぽつり軒下や路地に放置された死体も回収する。思ったよりも多い。
「不味いな……。ん?」
移動する僕たちを、2階の窓から不安げに見下ろす数え切れないほどの視線の中に気になる気配が在った。
移動しながら顔を向けるが気配もない。気のせいか?
いや。用心するに越したことはない。
黒死病はもともとは鼠たち齧歯類に発生する病気だ。それが蚤を媒介に人間に感染る。けど、一度にこれだけの人が蚤に噛まれれ発症するなんてあり得ない現象だ。あるいは、ペストで死んだばかりの齧歯類の死体に触れたか……だな。
考えられることは2つ。
悪い偶然が重なったか、人為的なものか、だ。
人為的なものだとすれば、何かの目的で来たってことだ。何が目的だ?
「こっちです!!」
その時、ナハトアが目的地に着いたことに気付く。一旦思考を止め、僕も慌ててそこの後に続き、中に入る。建物の中は、憔悴しきった罹患者が発する悲傷の呻きで満たされていたーー。
◇
同刻。
その瞬間、男は身を潜めて息を止め、気配を絶った。いや、絶っていたはずだったーー。
「おいおいおいおいっ!!」
押し殺した声で男は息を荒げていた。
窓枠の下の壁に背中を預け、激しく鼓動する胸に手を当てて宿の下を通り過ぎる人外の存在に息を呑む。
「聞いてねえ。聞いてねえぞっ……! あんなバケモンが何でこんなとこに居やがるんだよ」
男は先程見た生霊の力に驚愕していたのだ。
黒死病が計画通り広まった処で治療薬を出し、中央に繋ぎを付けてもらおうと思っていた矢先に彼らが帆船と共に現れたのだ。
男の記憶では帆船の帆に彩られたシンボルマークは隣の大陸の魔王のもの。最初は魔王が来ればしめたものだと考えていた。だがどうだ。蓋を開ければ、その魔王すら霞んで見える力を持ったレイスが現れたではないか。
剰え、レイスが聖属性魔法を使うという出鱈目ぶりだ。多くの者は一緒に居た死霊魔術師が使ったと騙されていたようだが、男にはそれを見分けることのできる“眼”がある。それ故、状況を正しく見ることが出来た。
それにしてもーーと、男は思う。
あのレイスの動きは、明らかにこの疫病の正体と対処法を知っている動きだ。普通であれば死体には見向きもしないはずが、死体を回収している。2次被害を出さないための処置がなされているということだ。
「不味い」
男は親指の爪を無意識のうちに噛み始める。普段は自制しているものの、切羽詰まった時に自然と出る癖だ。それ程男が追い詰められているということだろう。
「不味いぞ。これで俺が治療薬を持って出れば、鴨が葱を背負って来たことになる。捕まるイメージしか湧いてこねえ。クソッ、計画は中止だ」
男はゆっくりと窓際から離れて部屋を出る。同じ窓から眺めれば、もしもの時の言い訳が出来ないと思ったのだ。部屋を出て1階の食堂に降りる。1ヶ月近く長逗留しているお蔭で、宿主の家族とは顔馴染みだ。見渡すと2人の客が昼食を摂っている。だが、宿の1人娘の姿がない。
昨日病気を発症したのだ。助かるまい。男はそう思った。
沈痛な面持ちで、厨房から顔をのぞかせた父親に男は短く声を掛ける。
「外が騒がしいな」
「そう、だな」
バンッ!
「あんたッ!! はあっはあっんっ」
そこへドタバタと足音を響かせながら、小柄でふくよかな婦人が扉を蹴破らんばかりの勢いで駆け込んできた。あまりに急いでいたためか、息が上がりすぎて上手く声が出せないのだろう。エプロンの上から豊満な胸に手を当てて荒く呼吸する女を見て、厨房の父親の顔白が変わった。
「どうした! まさかヤナにっ!? ほ、ほら水だ!」
息を切らせながら駆け込んできた女に、父親が厨房からコップに水を汲んで来て手渡す。
「ん……、ん……っ、はあっ! あんた! ヤナが治ったんだよ!!」「「「「ーーっ!?」」」」
そして奪うように受け取った水を呑み干した婦人から出た言葉に、その場に居合わせた者たちはただ言葉を失っていたーー。
◇
少しだけ時が遡る。
ナハトアが丁度、小舟に乗り移った頃だ。
エルフたちから聖樹と崇められる世界樹の袂には、木造作りの家屋が複数建てられており、簡素な建物が規則正しく建ち並び、1つの聚落のような雰囲気を醸し出していた。
だが、一見質素な作りに見える破風造りの家屋は、テイルヘナ大陸の各地で見られる建物とは様相を異にしており、訪れたリューディア以外の者たちの興味を引いていたのも事実だ。ルイが見ればきっと日本を懐かしく思うだろう。そんな建造物だ。
「うわ〜。シンシア姉! 壁が白い土で塗ってあるよ!?」
エルフの童女に案内されながら、人一倍キョロキョロしている人兎族の少女が建物を指差す。短く切られた灰色の髪の中から飛び出す兎の耳がピクピク動いている。機嫌が良い証拠だ。彼女の朱色の瞳に彩られた好奇心を満たせるものはまだ無いようで、嬉しそうに周囲を観察するカティナを、シンシアも微笑みながら見詰めていた。
「うむ。綺麗なものだな」
「それは、漆喰というもので、海藻を煮込んだ中に、焼いた貝を粉にしたものと麻を混ぜて塗りつけているのです」
カティナとシンシアの言葉にウノが得意気に説明を加えていた。チラッチラッとリューディアの反応を伺いつつする説明に、皆の頬も緩む。
「面白いですわね。海藻が壁材になるのですの?」
肩に掛かる緋色の髪を払いながら、ディードも周囲を観察していた。ここには石作の家屋がないな、と思いながら。
「初めて聞いたわね」
「はい、リーゼ様」
その横でリーゼとコレットも顔を見合わせる。だが、その後ろで1人顔色が優れない女性が居た。
「えっと、ジル殿大丈夫ですか?」
「ええ、長い時間乗り物に乗ったまま空を飛ぶというのに慣れてない所為だと思います。時間がすぎれば大丈夫ですよ」
青鬼族の女に顔色を伺われ、何とか笑みを作り出して答えるジルの動きに照柿色の髪がふわりと揺れる。
「……」
「アピス」
2人の様子を伺っている黒髪の美女と、白群色の髪を伸ばした美女2人が最後尾を歩いていた。
2人とも背中まで伸びた癖のある髪がで、彼女たちが歩くたびに毛先が跳ねるように揺れる。
その内の1人。黒髪の美女の表情が硬い。普段は少し目尻が垂れている所為か、優しい印象を醸し出している彼女だが、その眼は疑念というよりも剣呑な色を帯びていた。その視線に気付いた隣を歩くギゼラが、アピスに声を掛けたのだ。
ギゼラもジルの様子が可怪しい事には気付いていた。しかし深く気に留めていなかったのも事実だ。シンシアやリューディアからそれとなく気を付けるようにと促されてはいたものの、別段変わった素振りを見せないジルに違和感を感じ取れないでいたのである。
ギゼラの問い掛けに無言で首を振るアピス。
それ以上特に話すことがないまま、彼女たちはウノに案内され一際大きな唐破風造りの木造建築物に入るのだった。切妻という屋根の最頂部の棟から地上に向かって二つの傾斜面が本を伏せたような山形の形状をした屋根の先に、曲線を連ねた形状の破風板が付けられる形状だ。ルイがそこに居れば「まるで神社だな」と感嘆の声を漏らしただろう。
「ようこそお越しくださいました!」
そこで出迎えたのは、半透明の巫女姿で現れた1人のエルフだった。
「おおっ! ルイ様みたい!」「カティナ」「てへ、またやっちゃった」
「ふふふ。良いのですよ」
カティナが食い気味に近づこうとするのをリューディアの一言で留めることに成功する。舌を小さく出すカティナに反省の色は見えないが、その姿に頬をゆるめたシンシアは無言で彼女の頭を撫でるのだった。
その様子を楽しげに見つめる半透明のエルフは、成人した女性に見える風貌だ。勿論、エルフであるゆえに美しさの点ではここに言わせた者たちに引けを取らない。リューディアを除いてだが……。彼女は品の良い老婦人と言ったほうが良いだろう。
「聖樹様、皆様を御連れし致しました」
「ご苦労様、ウノ。大事な話をします。あなたは下がっていなさい」
「畏まりました。それでは皆様、失礼致します」
ペコリとお辞儀をして去っていくウノを見送ると、半透明のエルフは徐ろに口を開く。
「リューディア、よく戻ってくれました」
「漸く御目通りが叶い、嬉しく思います。コズエ様」
「ふふふ。その名で呼ばれるのも随分久し振りに感じますね」
リューディアの挨拶に半透明のエルフが更に笑みを深める。その遣り取りだけで居合わせた者が皆、2人が知己の仲だということを察することが出来た。ふわりと浮くコズエと呼ばれた半透明のエルフが何を思ったのか、ジルの前に移動するとーー。
「大変だったでしょう。少し休みなさい」
軽くジルの右肩に触れる。
「ーーっ!?」「「「「ジルッ!?」」」」「ジル姉っ!?」「ジル殿!?」「「「ーー」」」
触れられたジルは糸が切れたようにカクンと膝を折って後ろに倒れかかったのだ。慌てて、ギゼラとディー、コレットが受け止めるように体を支えて、床に横たえるのだった。
「あなた、どういうつもりですの!? っ!?」
「ディー、待って」「ーーふぅ」
半透明のエルフに食って掛かるディーの腕をアピスが掴む。掴んだ手の主に振り返るが、アピスが愁眉を顰めていること気付き、その場で大きく息を吐くのだった。何かある。そう感じたのだ。
事実、アピスはエルダートレントから取られた枝で造られた理性ある魔杖だ。普段から【人化】の魔法を使い、人の姿で生活していることが多いため忘れがちだが、この場に居る客人の中で世界樹に最も近い存在であることに変わりない。そのアピスが、半透明のエルフの行動を止めるとこも諌めることもしなかった。その意味をディーは汲み取ったのである。
ジルが倒れた瞬間、アピスだけでなくシンシアとリューディアも微動だにしなかった。2人の傍に居たカティナもそれに気付いており、訝しげに2人を見上げる。その視線を受け止めたリューディアは、カティナを引き寄せて己の胸に抱くのだった。
「その娘の中に邪な樹精が入り込み巣食っています。一時的に清めましたが、完全に消えることはないでしょう。わたしの力が弱まってる所為でもあるのですが……」
半透明のエルフの言葉に一同は耳を疑った。【状態異常耐性】のスキルレベルは最大なのに、寄生されているのだから。その言葉にリューディアの眉間に皺が寄る。前々から恐れていた事態になったからだ。心の中でジルに詫びながら、リューディアは用向きを尋ねることにした。
「コズエ様。ジルのこと、ありがとうございます。それで、どのような御用向きなのでしょうか?」
「そうでした。3日ほど前、港町に近い聚落から疫病の知らせが届いたのです。最初の知らせはダークエルフの里からでした。そのため思い至らなかったのですが、エルフにもその病が感染り、数日で亡くなるものが出始めたのです。体の一部が黒く変色して死んでしまう疫病です」
「「「「「「「「「…………」」」」」」」」」
9人はただ黙って続きを待った。既に自分たちの手に負える問題ではないと感じつつ。
「わたしの居た世界では、黒死病と呼ばれていました」
「「「「「「「「えっ!?」」」」」」」」
リューディア以外は耳を疑った。つまりこの半透明のエルフも、異世界人だと吐露したのだから。
「そんなに驚く必要はないですよ。あなたたちの主人もわたしと同じ存在であることは聞いていますから。それよりも、ペストです」
「それよりも」ではない、とリューディア以外の面々は心の中で突っ込んだのだったが、リューディアが騒がない手前、何とか自分を制することができていた。睨むような視線で先を促すと、半透明のエルフは微笑みながら話を続ける。表情を見る限り、自分の悪戯が成功した、という満足気な顔だ。イラッとする感覚に襲われながらも、一同は話に耳を傾けていたのである。
ダーシャは部屋の隅で一連の成り行きを慄きつつ見守っていた。
「わたしのお願いは、この島に来たあなたたちの主人に会わせて欲しい事と、この疫病を島から排除するのにあなたたちの主人の手を借りたいと言う事なの。報酬は“世界樹の実”」
「コズエ様、本気ですか!?」「っ!?」
「寧ろそれくらいしか出す物がないと言って欲しいわね」
リューディアの驚いて問い質し、ダーシャが息を呑むが、半透明のエルフは素知らぬ顔で即答するのであった。
聖樹祭はこのためにあると言っても過言ではない。つまり、100年に1度実る“世界樹の実”を収穫して祝う祭りなのだ。その実は世界樹の声を受けた神祇伯によって、誰が得るか選ばれる。その説明を続けようとした矢先ーー。
「申し訳ありません。どうやらマスターが必要としておられるようで、喚び出されました。後のことはお願いしますね」
そう言い残すと、アピスは音もなくその場から姿を消すのであった。
久し振りに逢う主の温もりを思い、胸を躍らせながらーー。
後まで読んで下さりありがとうございました!
ブックマークやユニークをありがとうございます!
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ご意見ご感想もありがとうございます!
“感想が書かれました”って出ると未だにドキッとなってビックリしてしまいますが、力になります!
引き続きご意見やご感想を頂けると嬉しいです!
これからもよろしくお願いします♪