第169話 妖精郷
大変長らくお待たせしました。
申し訳ありません。
まったりお楽しみ下さい。
「良い天気だな〜〜」
“決まった経路を吹く風”を身に受けて帆を張り、波間を進む様子をぼーっと眺めながら、僕は知らない内にぽつりと呟いていた。
「ふにゅ……」「もう……食べれません〜〜」「すぅ……すぅ……」
胡座を組んだ僕の足元にはだらし無く縋り付くように寝そべる美女たちが居る。ダークエルフのナハトアとカリナ。それに蛇竜王女のゾフィーだ。幾ら広いとはいえよく檣楼から落ちないものだと思う。特に、ゾフィーの体重は蛇の下半身もあるから相当なものだ。良く壊れないもんだな。
僕らは数日前にイケメン猿魔王の魔道船へ送ってもらい、のんびり船旅を楽しんでる最中さ。
テティスさんから「海都へ御連れしたい」と懇願されされたんだけど、面倒事の匂いしか感じなかった僕は速攻で断った。難しい言い方で何っていったかな……。あ、そうそう固辞した。丁重にそれでいてきっぱりと、ね。
今はというと、船室の中でいちゃいちゃするのも憚られるから、一番後ろのマストにある檣楼という半円板の見張り台の上で日向ぼっこと魔力を抑える訓練をしてる。
いや、僕はそのつもりだったんだけど、この娘たちは依存度が妙に上がってしまい、何処に行くにも付いて来るんだ。これは……ちょっとまずいかな。気持ち良さ気に寝るナハトアの頬をぷにぷに突きながら、僕は苦笑した。
目的地にもうすぐ着くみたいなことを昨夜イケメン猿魔王が言ってたから、順当に行けばシンシアやギゼラたちと久し振りに逢える。逢えるのは嬉しんだけど、この状況は明らかにハーレムを増やしたって見られるよな。自分たちの許可無く増やさないようにときつく言い含められてたんだったっけ……。
「ふぅ。いかんいかん、これくらいで漏れてるようだと、使い物にならないぞ」
思わず、動揺してしまい魔力纏の厚みが増える。
今しているのは魔力纏を極薄す状態で身に着けることだ。
気配を消すことはそもそも僕は不死族だから関係ない。
アンデッドが出たと気付かれるのは、そもそも身に纏う“穢”を生ある者たちが感じ取るからだ。そして、何故か僕にはその“穢”がない。あるのは魔力、それも変質しかかってる曰く付きの魔力だ。
それが今までかなりの範囲で駄々漏れになっていたらしい。そのお蔭で体が発光してたんだから、知らない内に痛い人になってたという訳。まあ、正確には人じゃなく生霊なんだが、恥ずかし言ったらありゃしない。
まあ、そういうのが抑止力になるのは理解できるから必要な時にはぶちまければいいんだけど、普段から周りを萎縮させて生活したいとも思わないし、魔力が高いから生意気だと絡まれるのも面倒だからヤダ。だったら、普段は抑えれるようにしようじゃないか、というのが始まりだ。
それこそ呼吸と同じように自然に薄っすら纏えるようになるのが理想形だ。今はその形が出来たとしても意識しなきゃ無理。この状態で魔力感知とかもしてみたたら、【魔力制御】というスキルが手に入ったよ。少し前に覚えた【魔力操作】とは違うものらしい。
これは個人的な感触だけど、両方あって初めて自分の魔力を放出系以外で自由に出来るような気がした。
でも、初めて異世界へ来た時に受けた説明では、『チート防止のためにステータスに載っている以上に覚えられないようにしています』という話だったけど、随分増えたのは確かだ。
そもそもパッシブスキルの方の制限を掛けてなかった気がする……。あの天然女神様のことだからなぁ……あり得るな。ははは……、そこは知りませんでしたで通そう。
「ふぅぅぅぅーーーーーー」
眼を瞑り、ゆっくりと行きを吐き出しながら心を落ち着かせてゆく。
自分の魔力を感じ取り、それを収縮させて蓋をするようなイメージだ。それも、完全に蓋を閉めて魔力を切り離すんじゃなくて、細い1本の糸のようなものをそこから伸ばす。その糸を伝って薄い魔力纏の維持を行う。
それができたら、体表の薄い魔力纏が毛糸のセーターのように糸を解れさせるようなイメージで、周囲に蜘蛛の巣のような網を極細の糸で平面構築してゆくーー。
「ん?」
ふと視線を感じ眼を開け得るとカリナと眼が合った。
「ルイさん、それがどれだけ凄いことか分かってます?」
僕の太腿に顎を載せたまま上目で宣うカリナに「?」と良く分からない表情を返しておく。
「はぁ。惚れた弱みというか、仕方ないなぁ……」
小さく溜息を吐いてゆっくりと上半身を起こすカリナは、両腕で上半身を支えたまま僕に顔を寄せた。
「いいですか。普通の人はここまで魔力を自由に使えません。エルフもそうです。使えたとしてもそれこそ何百年って研鑽を積んで初めて出来るシロモノなんですよ? ウチの婆様みたいに……」
「最後なんて?」
ボソリと付け加えた言葉は聞き取れなかった。
「いえ、良いんです。ルイさんが非常識の塊だって改めて分かったってことです!」
「いや、そんなに長い言葉じゃなかった気がするけど?」
「ん……」「ん〜〜〜〜っ」
少し声が大きくなった所為か、寝ている2人が身動ぐ。おっと、漸く静かになったんだ、もう少し寝てもらっておこう。
「まあ、褒められたってことで納得しておこうかな。ん」「あん、もう、ん……」
何か言いたげだったカリナの唇をさっと奪い、もう一度ゆっくりと蓋をする。我ながら爛れた生活だなと思う。こういう文化が受け入れられているというのも、この世界の魅力なんだろうな。ゆっくり舌の感触を楽しんでから、ある疑問を口にする。
「そう言えばさ、カリナもナハトアも、大事な祭りがあるっていうのにギリギリになるまで戻らないっていう態度だったよね? なんで?」
「ーーーーもぅ、今それを訊くんですか?」
ジト眼で見られた。ありゃ、地雷分だかな?
「まあ、聞きたいと思った時に2人が居なかったっていうのもあるんだけど、ほら、ヴィルの背中に乗っていけば色んなことは避けれたはずだろ? それなのに2人も頑として陸路が良いって聞かなかったよね。なんで?」
「はぁ……。ナハトアの事は何か聞いてるんですか?」
「う〜ん……。特には聞いてないか、な。職業が職業だけに使役できるアンデッドを探してる時に僕の話を聞いて、森に来たら眷属化の儀式に巻き込まれて僕の眷属になった。……程度のことは聞いたかも知れないな」
「そう、ですか……」
何だか歯切れが悪いな。ナハトアの事を話すのを躊躇ってるのか、それともナハトアとの繋がりも深いみたいだから、どちらの関係も説明する必要があるのか、だろうな。
「あ〜言い難かったら無理にとは言わないよ」
「いえ、大丈夫です。別にナハトアも秘密にしようと思ってた訳じゃないでしょうし。こいつの場合、ルイさんが好き過ぎて言い出せなくなった口でしょうから」
そう言ってカリナはクスリと微笑った。
「ーー」
「ルイさん?」
「ああ、ごめん。そんな顔見たことなかったなって思ってね。思わず見惚れちゃったよ」
我ながらクサイ台詞だと思う。向こうにいたらまず口にしなかっただろうな。
「ーーっ。もう、雰囲気壊すかと思ったらすぐこれだし……ん」
「ははは……。ごめんごめん。じゃあ、教えてもらえる?」
頬を赤くするカリナのお強請りに応えて、軽く唇を奪ってから催促してみた。あとの2人はまだ寝ているようだ。
「じゃあ、ナハトアのことから話しますね」
そう言ってからカリナはナハトアが島の外に出ることになった経緯を教えてくれた。
纏めるとこうだ。
シムレムは主にエルフ族が住む場所で、特にハイ・エルフと言ったエルフ族の中でも高位の種が住む場所らしい。これを知っているのは一部のエルフだけだと言ったカリナはそこに含まれるんだろう。
そしてエルフ族の主な目的は聖なる大樹とも妖精が宿る樹とも呼ばれる、世界樹の1つを守っているのだという。そして、ナハトアが関係してくるのはここだ。世界樹を守っていく為に色々な手順や手入れ、緊急時の対処法、儀式の作法などなど代々受け継いで来たものがある。それが失伝しないように、死霊魔術師が口伝を伝える霊を護るのだという。
その職務を任せられるだけの力を示すために、島外へ出て力ある霊を使役して戻って来る。それから、その責任を任せられるかどうか詮議が待っているのだとか。意外に狭い門だな。因みに、候補者は何人くらい居るのかと聞いた処、10人だと教えてくれた。勿論、カリナ自身は除いての話だ。
ナハトアが島を出たのは12,3年前らしいが、それまでに2,3人の死霊魔術師が出戻っているらしい。カリナが島を出ることになったのは“ケルベロス”の海賊船に攫われた所為なので、半年前くらいだ。
何で捕まったか、これまでは聞かなかったが、どうやら島での仕事に嫌気が差して逃げ出したところを運悪く捕まってしまったのだとか。連れ戻そうと追いかけてきた者たちも何人かは一緒に捕まってしまったらしく、あの海賊船に居たのだとカリナは教えてくれた。
じゃあなんであの時知り合いなんです、的な反応を示さなかったのかと訊いた処、それを言うと彼らと一緒に寄り道も出来ず一直線で島に連れて帰られるのが眼に見えたから言わなかったのだそうだ。加えて、ナハトアとの再開も大きかったらしい。
ナハトアの方といえば霊を使役するに至っておらず、契約した亡霊はLv1だったから戻る気にもならなかったとか。気持ちは解る。先に戻ってる候補者から散々嘲られるのが容易に想像できる。で、カリナも戻りたくはなかったから渡りに船とばかりにこちらに残ったのだと説明してくれた。
カリナの話を自分の中で処理すると、ナハトアもカリナもエルフ族の中で結構特殊な官職に就いているが、目的を達成していない、逃げ出したという後ろめたさから牛歩戦術をとっていたという訳だ。
「ちょっと待って。ナハトアはヴィルもイルムヒルデも契約してるだろ? それじゃあダメなのか?」
僕の問いかけにカリナはチッチッチッチッと舌を鳴らしながら人差し指を振った。
「分かってないですね、ルイさん。この島で求められているのは霊体なんです。なので、幾らナハトアが強力なアンデッドと契約出てたとしても、霊体でなければ評価の対象にならないんですよ」
そうか。ホノカやナディアは亡霊だから一応求められている最低ラインはクリアしてるだけで、力があるという項目はクリアできてないもんな。
「何で霊体が必要なのか、は結構大事なことだったり?」
「ーー」
それには答えずにカリナは黙って肯いてくれた。つまり、これについては深く訊いてほしくないということだろう。だったら訊いても大丈夫そうな事にするか。
「ふ〜ん、じゃあさ、カリナは何をしてたんだい? 逃げ出すようなこと?」
「そ、そっちに振りますか」
「興味がないって言ったら嘘になるだろ? カリナが逃げ出すくらいの仕事って聞いたら気になるさ」
「ううっ、面倒臭くなったんです」
「え?」
「だから、単調で代わり映えもしない、出会いもない女ばっかりの陰気臭い所で働くのが嫌になったから逃げたんです!」
「しーーっ」
「あ」「んん……」「すぅ……すぅ……」
カリナの声が大きくなりかけたので、慌てて人差し指を口の前に立てる。うん、まだ寝てる。魔力纏の厚みも問題なし、と。
「なる程ね。そりゃ毎日同じことの繰り返しだったら飽きるわな」
「そうなんです。それなのにあのクソババアときたらーー」
「ん?」
今クソババアって言ったよね。婆ちゃんが居るのか、あるいは職場のお婆ちゃんなのか……どっちだろ。
「い、いえなんでもないです」
「で、何してたの?」
「か」
「か?」
「……か、巫女を勤めてました」
「かんなぎ。……かんなぎ、ねえ」
伏し目がちに教えてくれたカリナの言葉に戸惑う。何だったっけ。どっかで聞いたことのある言葉だよな。……仏教系じゃないな。じゃあ、神道系?
「ルイさん?」
「ああ! 巫女か!」
確か、巫女と書いてかんなぎとも読む場合が合った……。あれ? 何で日本語なんだ?
「あ、ルイさん“巫女聚”のこと知ってるんですか?」
「え、あ、知らないけど」
「あ……」
「……ひょっとして自爆?」
「わたしが言ったって言わないで下さい!?」
「おわっ!? 分かった、分かったから!」「カリナ五月蝿い」「もう着きましたか?」
飛び付くような勢いで縋り付いてきたカリナを留めながら、周りに気を遣うものの既に遅く、寝る娘たちが起きてしまう。あ〜やっと寝てくれたんだけどな。
「何呑気に寝てるのよ! あんたが話さないからわたしがルイさんに話しといてあげたからね!」
僕を挟んでナハトアの正反対に回りこんだカリナが、左右の腰に手首を当てて悪戯っぽく宣言する。いつもの光景だ。ここからナハトアの導火線に火が着く流れなんだけど……。
「はぁっ!? あんたルイ様に何話したのよっ!?」「きゃっ!?」「そりゃあもう色々と! ねえっ、ルイさん!」
巧く乗せられてしまってる。ナハトア、いい加減に学習しろって。巻き込まれたゾフィーは寝起きで上手く対応できずにあたふたしてる処だ。変温動物と同じような生態であれば日中は動きやすいはずなんだけど、そこは人の体があるから違うんだろうな。
「うん? ああ、まあそう、だな?」
カリナの言葉に首を傾げながら肯いておく。
「何話したか知りませんけど、ルイ様、こいつの言ったことは殆ど嘘ですから!」
「いや、内容を確認せずに殆ど嘘って、ある意味凄いな……」
「すいません、こんな莫迦で」
「殺すっ!」「きゃあっ!」「へへん! そんなとろい動きじゃ掴まえられるもんですか!」
「ああ、落ちるなよ〜。程々にな」「あっ」「莫迦っ!」
半円板状の檣楼を逃げまわってロープを伝って上に逃げようとしたカリナの手が滑る。
「おっと! 言った傍からこれだ」
「ご、ごめんなさい」「っとに莫迦なんだから!」「ふふふふっ」
寸前で抱き止めて檣楼の上に連れ戻すと、カリナはお姫様抱っこされたまま身動きが取れず、その状態のままぱしりとナハトアに頭を叩かれてた。ゾフィーはといえば何時もの通りその様子を微笑ましく見守っている。
彼女の場合責任感と好奇心が暴走しなければ、深窓の令嬢みたいにおっとりしてるのだ。癒やされる。このタイプの娘は僕の周りに今まで居なかったな。
お姫様抱っこから解放して檣楼にカリナを下ろした時だった。
「島が見えたぞーーーーっ!!」
船の最も高いマストにある檣楼から、張りのある声が響き渡る。皆、その声につられて帆の隙間から舳先の方へ視線を送った。漸く海上生活から解放されるという安堵感の方が強いんだろうか。
僕としては船旅自体を楽しめてたのでそうでもない。ただ、雲の流れる先に見える小さな島でどんな祭りがあるんだろうかと僕は思い巡らし、興奮と期待に胸を膨らませるのだったーー。
◇
同刻。
シムレムの遥か上空。
1頭の黒竜が巨大な翼に風を受けて緩やかに滑空していた。
黒竜の眼下では、陽の光に照らされ銀色に輝く雲が綿毛のように引き裂かれ、無作為にくっつき風に流されてゆく。
その黒竜の2本の前足で抱き抱えられるかのようにして運ばれる、馬車の姿が風情を台無しにしていた。通常よく見る2対車輪の馬車ではなく、3対の車輪を持ちさらに胴長な馬車が黒竜に抱えられているのだ。
島の中央部にある山頂に三日月型の湖と、周囲の樹木よりも抜きん出て巨大な樹が聳え立っているのが、黒竜の双眸に映った。黒竜の位置から見えている大きさからすると、それら2つはかなりの大きさであろうことが容易に推察できる。
グルッ
小さく鳴いて黒竜が翼の角度を変え、旋回しながら降下し始めた。頷いたような仕草に見えたのは気のせいだろうか。
漆黒の翼の端から端まで凡そ28間。鼻の先から尾の先まで凡そ11間もある巨大な黒竜の空を舞う姿は気品に満ちており、何処か神々しさを感じさせる。それは大樹に近づく存在に気付いた地上の者たちにとっても同じであった。
と同時に、動揺も走るーー。
何故なら、黒竜が降りてきているルートは門外不出の秘事。結界に守られたシムレムにあって綻びではなく、唯一意図して開けられていた見えざる天空の門だったのだ。そこを黒竜が見出した。慌てふためかぬほうが可怪しかろう。
降下する黒竜の眼にも、大樹の根本で待ち構える棒のようなモノを持った者たちが集まり始めているのが認識できるようになっていた。棒の先端が陽の光を反射してキラキラと光っているのを見る限り、槍のようなものだろう。そう思いながら黒竜は翼を羽撃かせながら、ゆっくりと三日月湖の岸に己が抱えていた馬車を下ろすとその横に降り立つのであった。
ザワリと周囲がざわめく。
2、30人の女たちが白衣と緋袴という巫女装束特有の出で立ちで、片手に薙刀を握りしめ、半円を描くように黒竜と馬車を取り囲む。これ以上先には行かせぬという気概の表れなのだろう。険しい表情の中に潜む、敵意と怯えの入り混じった視線からも彼女たちの心の揺らぎが手に取るように分かる。
誰か1人でも動こうものなら、それを切っ掛けにして雪崩のように黒竜へ乙女たちが向かうであろう。そんな緊迫した中、老いた女の声が響き渡ったのだ。その壁を掻き分けるように、千草を羽織る腰の曲がった黒肌の老婆が杖を振り回しながら現れる。
「待つのじゃ! 敵意を向けてはならぬ! 薙刀の刃を下げよ!」
老婆以外は皆見目麗しいエルフの女性たちだ。肌の色が黒いダークエルフも居れば、肌の白いエルフも居る。周囲の醸し出している雰囲気を察するに、神聖な場所であることは理解できた。つまり、この場では肌の色の違いから来る軋轢のような、嫌悪感を感じることは出来ない。一丸となって眼の前の有事に応っているのだろう。そこに老婆が現れたのだ。
老婆もダークエルフ特有の肌と耳をしている。彼女の発した声に皆が従っている処を見ると、それなりの地位に居る者だろうと推察できた。唯一千草という上着を纏って居ることも、その裏付けとなるだろう。
ぎぃ……
蝶番の軋む音がしんとなった一体に静かに響く。馬車の扉が開いたのだ。そこから1人のすらっと背の伸びたエルフの老婦人が清楚なワンピースの裾を揺らしながら降り立つと、ざわざわとエルフたちにざわめきが生まれた。品のある立ち姿と、左手に持つ彼女の背を超えるほど長い杖に視線が集まる。
「ねえ、あれヘクセ様じゃ?」「嘘っ!?」「ヘクセ様は何百年も帰ってきてないわよ?」「でも、似ていない?」「そうかしら」「ほら、あの杖」「深林の魔女」「本当に祭りに合わせて帰ってきたの?」「聖樹の杖が何よりの証拠でしょ?」「あれが聖樹の杖なんだ」「あなた聞いてみなさいよ」「嫌よ、何でわたしが!?」
「静まるのじゃっ!!」
老婆の一喝に再び静寂が戻る。
「久しいね、ダーシャ。それとも“伯”と呼ぶべきかねぇ?」
「ーー深林の魔女リューディア様、よくぞお戻り下さいました。御帰還を御待ち申し上げておりました」
「ダーシャ?」
リューディアの前に進み出た腰の曲がったダークエルフの老婆が、リューディアに声を掛けられるとすぐさま彼女の足元に平伏すのだった。胡乱げな視線を足元に落としながら、リューディアは眉を顰める。
それもそのはず、リューディアよりも眼の前で平伏す老婆のほうが歳上であり、いつもであれば憎まれ口を叩き合った仲であったはずなのだ。それが完全に仕える者としての分を弁えた振る舞いなのである。あまりに帰省を伸ばしすぎたかとも思ったが、リューディアはあることに気が付く。
「何故わたしに畏まる必要があるのかねぇ?」
「畏れ多くも、リューディア様からは森人様たちと同じ雰囲気を感じまする。壁を乗り越えられたのですね。おめでとうございます!」
「「「「「「「「「「おめでとうございます!!!!!」」」」」」」」」」
老婆の言祝ぎに和する形で、半円で陣取って居た巫女たちも平伏する。
“森人”と言われてリューディアも相好を崩す。
シムレムにおいて、“森人”とはハイ・エルフやハイ・ダークエルフの事を指す称号だ。現に自分もその枠に収まる立場であると言われれば肯かざるを得ない。だが、そもそもこれは自らが壁を破ったからではなく、ルイの眷属になったことで得た、謂わば勿怪の幸いだ。
それ故に、畏まる面々を前に笑みを堪え切れなくなったのである。
それと同時に、ルイの事を詳らかにする危険も憶えたのだった。それからチラリと馬車の開いた扉に視線を向け頷く。同乗者を呼び寄せるためだ。
ざくっと杖を地面に刺してからリューディアは口を開く。
「それと、客人だよ。皆、粗相のないようにしておくれ。シンシアももう良いよ」
リューディアに促され、黒竜の姿が人形へと縮んでいく様子に一同は眼を奪われる。その横で、馬車からエルフではない面々が姿を表したことで再び騒然とし始める。
「魔族っ!?」「獣人も!?」「嘘っ、高位竜族!?」「エルフが1人も居ない」「まさか操られて……」「脅されてるとか」「エルフ以外が聖樹の傍に居ていいの!?」「嘘でしょ!?」「魔族めっ」「汚らわしい獣人風情が……」「しっ、ヘクセ様の御客人よ!」「でもーー」
「静かにおしっ!」
「済まないね」
リューディアの後ろに、高位黒竜を初めてとした、エルダートレント、吸血鬼、吸血鬼、魔人、魔人、魔人、人兎そして青鬼の、合わせて9名がずらりと並び立つ。リンの姿はそこにはない。本来であれば巫女たちにとって、直ちにでも追い出したい輩なのだが、余りの力の差に固唾を呑むことしかできなくなっていた。
小さな溜息と共に、老婆へ詫びるリューディア。
しかし老婆は意に介した風もなく緊張を身に纏わせ始めていた。伏しているためその表情までは見えないが、明らかに咎める口調で言葉を紡ぎ始めたのだ。
「リューディア様。御存知の通り、ここは神聖な場。禊を済ませた巫女たちしか入れぬ場所です。如何に森人様といえど、例外は認められておりませぬ。この咎」
「そこまでです!」
老婆の言葉がその口から出終わらぬ内に、老婆の背後から童女の声が凛と響き渡るのだったーー。
後まで読んで下さりありがとうございました!
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ご意見ご感想もありがとうございます!
“感想が書かれました”って出ると未だにドキッとなってビックリしてしまいますが、力になります!
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これからもよろしくお願いします♪