第165話 小さな勇気と怒り
遅くなり申し訳ありません。
まったりお楽しみください。
※残酷なシーンがあります。
…… とうさま。かあさまが。かあさまがーー ……
「シルヴィア!? どうしたのですッ!?」
耳に障害のあるシルヴィアとの会話は念話だ。普段であれば声を出さずに娘の言葉に応じる習慣が身に着いた筈だったのに、思わず声に出していた。動揺してる為か声に出たことすら気が付けていないエト。だが褒めるべきは、立ち止まらずに娘に問い返せたということだろう。
…… か、ーーにーーーー、とーーまーーーー ……
「シルヴィアッ!! おのれーー」
途切れ途切れになる娘の声にエトの全身から怒気が滲み出る。地下空間を埋め尽くす暗闇の中では見ることも叶わないが、エトの怒気に呼応する形で彼の体から黒い霧状のものが湯気のように立ち昇り尾を引いていたのだ。
が、それすらも霞むような出来事がエトの身に生じた。
ボロッと音がするかのように彼の全身が疾走中に崩れたのだ。崩壊と言うしか無い有様だろう。エトから苦悶の表情も、痛みを堪える呻き声も漏れ出ることはない。更に、崩れ落ちた四肢や体が足元に転がるどころか、霧状になって霧散してしまったのだ。
誰かがこの様子を見ることが出来たなら、あまりの光景に身を強張らせたことだろう。しかし、高速で闇の中を移動するエトの動きに誰も付いて来ることが出来なかった。
霧と化してしまったエトを眼で追える者はもはや誰も居ない。何処に居るのかすらわからないのだ。ただ、エトであろう存在を識別できるとすれば、凍てつくような殺気を放つ何かが近づいてくるという恐怖だけだろう。
実際地下迷宮に棲む小動物たちは、逸早く彼の進行方向から身を引いていた。彼らはその殺気が危険なものだと本能的に察しているのだ。敢えて危険に身を晒すこ筈もない。
やがて、霧は夜の帳が降りた空へその身を踊らせる。その瞬間、周囲のあらゆる生き物たちが息を殺し憤怒の塊から身を隠す。音の消えた月下を駆ける災厄が行き過ぎるのをただ祈るように待っていたーー。
◆
時は少しだけ遡る。
サフィーロ王国が所有する地下迷宮の開口部を背にすると、その南に広がる王都カエルレウス。
月光に照らされた青い瓦屋根に昼間のような鮮やかさはない。それでも遠目に青さを湛えてる街並みが“青き貴婦人”と称される都を彩っていた。
南北に長く頑丈な城壁で囲まれている都は、中央にある王城を境に北に貴族街、南に庶民街と大まかに住み分けがなされており、比較的住み良い都としても名が知れ渡っている。
ーー王都の南区。
城壁の内面に程近い小さな森に囲まれた場所で、下弦の月に微笑み掛けられるように孤児院が静かに佇んでいた。以前の朽ちて其処彼処が崩れかけたような形跡は何処にもない。ここ数ヶ月の間に建物も塀も綺麗に修繕され、作物を育てる畑を開き、鶏や牛を飼育して自給自足が適うようににもなっていた。
その敷地の更に奥に2階建ての1軒家と丸太長屋の輪郭が見える。ログハウスの方には明かりはない。1軒家の1階に油灯であろう暖かな光が窓から漏れ出ているのが見える。その明かりを目指して静かに近寄る1人の影も、月は照らしていた。
「シル、食べ過ぎですよ?」
「ゔ〜んんあ」
「ほら、口の中に食べ物を入れたままで話さない」
…… サラのごはんは、おいしい ……
「もう……。ふふふ、ありがと」
幼い女児が成人女性とテーブルを挟んで食事を楽しんでいた。女児はスープを染み込ませたパンを口の中いっぱいに詰め込んでリスのようにハムハムと美味しそうに食べているのが判る。食事の時間が楽しいのだろう、彼女の宙に浮いている足がパタパタと機嫌よく動いているのだ。
サラと呼ばれた灰青色の癖のない髪を肩に掛かるくらいで切り揃えた。若い女性が幼女の反応に呆れたような、それでいて嬉しそうな吐息を漏らす。露草色の瞳が優しげな色を湛えて幼い女児を見詰めていた。
コンコンコン
不意に玄関の扉がノックされる。
「シルはそのまま動かないで。なるだけ早く食事を終わらせて」
…… はい、かあさま ……
緊張した面持ちで椅子を引き腰を上げるサラ。サラの言葉を理解したのか、女児は食べる速度を上げるのだった。もきゅもきゅと口を動かす娘の仕草にサラは苦笑すると、玄関扉の前に移動する。
「どちら様ですか?」
玄関の横にいつも置いている護身用の長剣を引き寄せると、サラは扉越しの気配に問い返すのだった。ロングソードを引き寄せた時にカチャリと金具の擦れる音がする。
サラ自身、冒険者ギルドの受付嬢に収まるまでは上から数えたほうが早いCランクだったのだ。それ以上のランクには届かず、自ら限界を悟って剣を置き転職したのだが、まだ剣は使える。その思いがサラに剣を握らせていた。
「夜分に申し訳ございませぬ、奥様。ゴールドバーグ候爵家の者でございます」
「ゴールドバーグ家の方がこのような南区の外れに何の御用でしょうか?」
サラはその言葉に訝しむ。ゴールドバーグ候爵家と言えば上から数えたほうが早い王家の近習だ。それが南区の寂れた場所に来るはずがない、と。
「はい。ご主人のエト殿の事で至急お伝えしなければならぬことがあり罷り越した次第です」
「……失礼を承知で申し上げます。生憎、主人は外出しておりませんので夜分にお尋ねになられた見知らぬ殿方を家に招き入れることは出来ません。そのまま続けていただけますか?」
サラは差し障りのない理由で相手の出方を探ることにした。不安は大きくなるが、後には愛しい娘が居る。不用意に見知らぬ男を招き入れて、危険に身を晒すつもりなど毛頭ないのだ。
「ごもっともです。ご主人に於かれましては迷宮内で行方知れずとなったと連絡が入りました。ご主人が身に着けておられた短剣を持ちしたので、本当に行方知れずとなったのがエト殿か確認を願い致します」
その答えにサラの美しい眉がピクリと動く。すぐに返答せずゆっくり瞬きをして厳しい視線を扉に向けると、ゆっくりはっきりと答えを突き付けた。
「……火急の知らせと聞き驚きましたが、それは主人の短剣ではございません。お引き取りください」
「これは異な事を仰られます。当方と致しましても依頼をお受けくださった手前、無碍には出来ませぬ。それを一瞥もなく追い返されるのですか?」
それでもまだ食い下がろうとする男に言い知れぬ不安を募らせるサラだったが、深呼吸して敢えて強気に押して見ることにした。多少の事ならこれまでの経験で何とかなる、という判断も彼女の背中を押したことは否めない。
「……佇まいから察しますと、ゴールドバーグ家からお越しになったというのは本当なのでしょう。ですが、主人は普段より短剣を身に着けてもいません。言葉巧みに誘い出そうとしておられるのは見え見えです。お引き取りください」
「……」
…… かあさま、さがって! ……
不意に頭の中に娘の声が響く。
「えっ!? きゃあっ!?」
反応が遅れたが、左腕が何かに引っ張られるかのように後に引かれたお蔭で、目の前に破壊音を伴って突き出てきた黒い腕の貫手を避けることが出来た。だが、そこを冷静に考えている暇など無い。
バキバキと扉を破壊し、蝶番の付いている側から扉を引き千切るように開け、月夜に照らされる外へそれを放り投げた男がコツコツと足音を響かせながら家の中に入ってくる。体格の良い老紳士がそこに殺気を静かに纏って立ち止まった。すぅっと老紳士の双眸が細められる。
エトよりも頭1つ高い。肩幅も胸の厚みも、老人と評するには無理があると言いたくなるほど張りがあるように見えた。身に着けている執事用の服が張り裂けそうななのだ。
「若いな。……だが流石、あのエトが見初めただけはある、と言っておこう」
「な、なんですか、貴男はッ!」
じっくりと頭の先から足元までサラを視察して老紳士は口を開く。サラが声を荒げるも動じることなく、侮ることなく彼女を観察していた。
自分と目の前の若い娘には超えようのない実力差が存在する。先程の貫手で事が済むはずだった。しかし現実はそうではない。顔を見られただけでなく、不可解な何かが手を貸したことで、必殺の一撃が躱されたのだ。それが脅威となりえるのか確認できるまで迂闊に手は出せぬ、老紳士は自分にそう言い聞かせていた。
「ーー」
「下がりなさい。1歩でもそれ以上入ると容赦しません」
鞘から長剣を抜き放ち、剣先を震えることなく老いた侵入者に向けるサラ。
「ふっ……気の所為か。己との実力差を感じれぬということは幸せなことなのかも知れぬな」
だが老人はその行為を鼻で笑い、サラに聞かせるというよりかは独言のように声を漏らすのだった。そして躊躇なく一歩を踏み出す。
…… かあさま! ……
「えっ!? かふっ、な、何が……」
先程と同じように娘の声が頭に響く。サラは瞬時に体を動かそうとするのだったが、目の前から男の姿が消え、ドンと言う衝撃を右胸に感じ視線を落とし目を瞠る。赤い液体に塗れた黒い腕の貫手が突き出ていたのだ。それを認識したサラは焼け付くような激痛に襲われ、喀血する。
「むぅ……ずらされた? ーー魔法具か? まあ良いだろう」
「がっ!」
その結果に侵入者は首を傾げた。自分が狙ったのはこの女の心臓なのだ。明らかに逸らされたのがわかる。だが、自分に与えられたのは即死ではなく、死に至る傷を与えること。目的は果たせたと言っていいだろう。そう己に言い聞かせながら、サラの体全身を包み込む翠色の光を一瞥して、椅子から降りようと藻掻いている幼い女児に目を留める。
…… とうさま。かあさまが。かあさまがーー ……
「ほぅ、念話か。幼いとは言え侮れぬな」
ドサッと椅子から滑り落ちるように床に降りた幼い娘は、必死の形相でサラの下に駆け寄る。未だ4歳にも満たない幼女の足がそれ程早いはずもなく、とてとてと足音を響かせながら血塗れになった母親の前で立ち止まり、男の前に立ちはだかったのだ。
「し、シル、ヴィアーーに、げ、て」
「んんんーーッ!?」
両手を目一杯広げて両足を踏ん張る幼い娘の姿に、サラは痛みに耐えながら涙する。声を絞り出すも、シルヴィアは頑なに頭を振るのだった。幼いながらに自分が守らねば、と言う思いがあるのだろう。
それは彼女の生い立ちも関係する。
僅か3歳にして、血を分けた両親を目の前で惨殺されるという経験を経た彼女は、その悲しみと心に伸し掛かる現実によって声を失った。“念話”という珍しい能力に目覚めたのは、彼女をその悲惨な現場から救い出し、養父となったエトと四六時中時間を過ごしたことが起因する。エトと親しい関係になったことで、ルイからの恩恵を受けて発現したのかも知れないとエト自身は考えていたが、答えは出ぬままであった。
また親を失いたくない! そう幼い子どもが想うのも無理からぬことだろう。咥えて、彼女の呼び掛けにエトが応えてくれた事も日の上を勇気づけたのだ。父が帰って来てくれる! その思いが彼女の背中を支えていた。
だが、彼女を身を下ろす双眸に感情の揺らぎはなく、冷たく幼女と油灯の光を映していた。
「殊勝な心掛けだ。だが運がなかったな。恨むならお前の父親を恨め。ぬあっ!?」
片膝を付いてシルヴィアの背丈に合わせた老いた侵入者は、ゆっくりと血塗れになっていない左手を伸ばし、彼女の首に手を掛けようとした。その瞬間、何かに驚いたように男が手を引いたのだ。同時にシルヴィアの小さな身体を赤色の光が薄っすらと包み込んでいるのが、男の眼に見えた。
「おね、がいだ、から、に……にげて。シルぐっ!」
「んぁだ! んあ! や、だっ!!」
その間にもサラは娘の身を案じ、何とか動く左手で娘のスカートの裾を弱々しく引く。それでもシルヴィアは固辞して首を振る。自分の気持を声に出して。
「シル、あ、あなた、声がーー。がはっがはっ」
…… かあさま! とうさまが、くる。ねちゃ、だめ! ……
その最後の声にサラは痛みを忘れたかのように目を見開く。意味のある言葉を出したのだ。思わず出した声の所為で再び喀血する。既に相当量の血がサラから流れ出て床を染めていた。傍から見ても長くは持たないだろう。それでも、彼女とを包み込む翠色の光によって幾分出血が抑えられているかのようであった。
「またマジックアイテム。それなりに対策はしていたということか。ふん、小賢しい。だが致命傷が与えることは出来なくとも、傷は作れる。くくくっ大事にしていたモノを奪われた貴様がどうなるか、見ものだな……」
「シル、に、げ……!」
トスッ
「ぁかっ」
時間の流れがその瞬間だけ音もなく緩やかに過ぎてゆく感覚をサラは感じていた。自分の右胸を貫いた黒い貫手が、シルヴィアの胸に吸い込まれるように近づいていくのをただ見守ることしか出来なかったのだ。何か柔らかいものに突き刺さる音が無情にもサラの耳朶を打つと、時は元の速さに戻る。
男の貫手は突き抜けることなく、親指を除く4本の指がシルヴィアの胸や腹に穴を穿っていた。指がずるりと抜けた途端、ゆっくりと仰向けに幼く小さな体がサラの方に倒れかかる。それを懇親の力を振り絞って受け止めたサラは泪ながらに男を罵るのだった。
「シル!! かはっ! よ、よくも、こんなーー」
…… か、ーーにーーーー、とーーまーーーー ……
シルヴィアの体に開いた穴から血が溢れだし、見る間に服を赤く染めてゆく。必死に父を呼び求めるが意識が混濁し始めたのか上手く言葉にならなかった。4歳に満たない小さな身体にこの傷は重症だ。泣き叫ばずに何とか意思の疎通を図ろうとした非凡さを考えれば、彼女の持つ強さを垣間見れた気がする。
自分の呼び掛けに何処かで父が応え声が聞こえた気もしたが、シルヴィアの意識は直ぐに闇に呑まれていく。
「ふん、他愛も無い」
〈〈契約者の血を確認〉〉
〈〈血ノ守護契約を発動します〉〉
〈〈契約者の命が著しく危険に晒されていることを確認〉〉
〈〈危険を排除します〉〉
「何だ? 指輪!? 首飾りもか!? ちぃっ、厄介なものを!」
突如として無機質な女声が鉄錆臭の立ち籠める家の中に響き渡る。良く聞くと、2人の声が重なっているようだ。それに応えるかのように、血溜まりの中で倒れる2人の下で微妙にずれた幾何学模様の魔法陣が現れ閃光を放って消えるのだった。
〈奥方様、何と御労しいーー。このヴェルデが御守りいたします故、暫しのご辛抱を〉
〈御姫様、よくぞ頑張られました! このロッサ誇りに思いまする〉
サラの横に翠色に発光する人型の何かが跪き、シルヴィアの横には、赤色に発光する人型の何かが跪いていた。透けて見えるということは実体がないということであろうか。
〈〈下郎、貴様のしたことは万死に値する。死を持って償うが良い〉〉
「“守護者ノ装飾”か! ぬおっ!」
男は突然正面から叩きつけられた見えざる力に吹き飛ばされ、家の外で背中を打つのだった。
〈やはり、十全には程遠い〉
〈ならば、旦那様がお戻りになるまで御2人の命を繋がねばならぬ、ロッサ頼めるか?〉
〈無論。我の火に【癒やし】はない。ヴェルデに任せる〉
「あぐっ、体が熱い……!? あぁ……ッ」
〈これは!? 奥方様、御気を確かに! 【癒やす風】よ〉
色の付いた何かが急に呻き始めたサラに近寄り、何かを口走るとサラとシルヴィアの周りに微風のような風が旋回し始める。それをチラッと横目で確認した赤い何かが滑るように外へ飛び出すのだった。
〈参る! 【焰杭】〉
「ぐあああっ! 莫迦な!? 高が火の魔法で竜鱗を貫くだと!?」
赤く発光する人型が右腕を振ると渦巻く炎の槍を思わせるモノが一直線に飛んで行き、起き上がろうとしていた男の右腕貫き地面へ再び押し戻したのだ。
〈我らを侮るな。その火は古の焰。下位の竜皮など恐るるに足らぬ〉
「言わせておけば!」
静かだか怒気を孕んだ声に、男は吠える。とても暗殺者とは思えない挙動だが、恐らく本人は怒りのためにそこまで理解できていないのだろう。不利な体勢であるもののこの男の持つ力は人族のものとは違い、人外のものだ。その人外の暗殺者が歯を食いしばって杭を引き抜こうと藻掻くも、微動だにしない。そこへーー。
ゾクリッ
温度が下がったのでは!? と錯覚するほどの殺気が足元から吹き出し、全身の肌が粟立つ。赤く光る人型に肌があるのか疑問だが、少なくとも老いた暗殺者は己が身に起きた事情に狼狽えていた。
「なっ!?」〈ッ!?〉
指向性のある殺気の元に視線を向ける2人だったが、赤く光る人型は躊躇なくその場へ跪く。時間を稼ぐという目的を成し遂げれたことに安堵し、降り注ぐ殺気に慄きながら、その到着を待ち侘びていたーー。
◇
霧が夜の帳が降りた空へその身を踊らせた瞬間、王都の中、遥か南で赤い何かが煌めいた。夜空に輝く星の煌めきのような小さな光だが、何故かエトの眼を引いたのだ。
地下迷宮から自宅まで約11里《44km》の距離がある。それだけの距離があるなかで気付けたエトの異常さと、光源の強さが際立つ。だが、どう考えてみても一瞬にして自宅に戻ることは不可能だ。現実問題、何処かで冷静に物事を考える自分が居ることを意識しつつも、エトは今、怒りに身を任せていた。
「【影遁の門】」
この魔法を日中で使う場合、視認できる範囲の影しか出入りできない。だが、暗闇や夜になると一気に有効性の幅が広がる。其処彼処が影で埋め尽くされるからだ。そしてどの場所でも魔法の門を開けるようになる。
そう唱えたエトがズルリと空間に吸い込まれるのだった。
【影遁の門】。文字通り門を潜ればそこは常識が通用しない空間となる。大前提として影に潜ることなどそもそも不可能なのだ。それが魔法で歪に物理法則を歪めその隙間を移動できるように世界に干渉している。言い換えれば、その空間では己の魔力次第でどうにでもなると言う訳だ。
「あの光、どうやら炎のようですね。見知らぬ気配もありますが、ーーーー!」
有り余るという事ではないが、己の魔力を大量に消費して推進力に変えたエトは目の前に突き立つ炎の杭のような、槍のような物を見て呟く。しかし、瞬時に気にしていた気配が弱々しくなっていくのに気付き一気に外へ飛び出すのだった。
「貴様はッ!?」〈旦那様!?〉
「【影杭】。黙りなさい。それ以上喋るなら首を撥ねます」
「ガハッ」〈ーーッ!?〉
霧から上半身だけ実体化したエトの射殺すような冷たい視線を受けて男は絶句する。いや、それだけではない。闇夜から湧き出たかのような薄暗い5尺程度の杭が5本、男の体に突き刺さったのだ。あまりの出来事に赤く発光する人型の何かも同時に身を竦ませたのは、無理からぬことだろう。
「サラ! シルヴィア!! こ、これは」
〈旦那様、お待ちしておりました。我らは旦那様に見出して頂いたーー、いえ、御挨拶は後に、我の力では失われてゆく命を緩やかにするのが精一杯です。旦那様、申し訳ありません〉
「見出したーー。いえ、礼を言います。わたしの“お守り”も、もうじき効果が切れるところでした。サラ、聞こえますか? 時間がありません。わたしは貴女を失いたくはない。わたしと永遠を生きてください」
全身を実体化させたエトが右腕でサラを抱え上げ、サラを覗き込む。開いた左腕でシルヴィアを抱え上げて抱き寄せる。傷など気にしないかのような振る舞いだ。微風がまだ周囲で風を巻いている。
「……だ、だんな、さま、シル、シルを……」
背中から伝わる温かさと求めていた声に気付き眼を開けたサラが出した言葉は、娘を気遣う声だった。それに優しく微笑みながら応えるエト。だが、内心彼は焦っていた。
「シルヴィアは大丈夫です。命の危機ではありますが、貴女より時間があります。問題はサラ、貴女です。シルヴィアからは返事をもらっていますが、貴女の返事がまだなのです! 聞かせてください!」
エトがこう尋ねるには吸血鬼として譲れない理由があったのだ。その間にも、命の源が流れてゆく。薄れ行く意識の中でサラは何とか思いを口にするのであった。
「……は、い。……だ、んあ、さ、まと、いっしょ、にーーあっ」
それを聞いたエトは躊躇なく首筋に己の牙を突き立てる。
「(【眷属化】)」
エトは自分の体から多くのものが引き抜かれる感覚を初めて味わっていた。元来、スキルによらず【眷属化】を行う場合、回数を重ねる必要がある。しかしエトが用いた方法は事前に眷属になる者から受入れるの意思を確認していなければならなかった。そうしなければ、スキルを使ったとしても眷属ではなく、吸血の贄になるだけなのだ。それでは傷を癒せない。
だからこそ、緊急時であるにも拘わらず、サラの意思に拘ったのだ。スキルによる【眷属化】は部下ではなく伴に永遠を過ごす家族を作る為のものであり、3度しか使えない。その2回をエトは使うつもりでいた。
1つはサラに。もう1つをシルヴィアにーー。
ゆっくり10数える程の時間が異常に長く感じられたが、エトがサラの首筋から口を離した時、サラの口から艶のある吐息が吐き出される。彼女から溢れ出す血は止まっており、その傷も塞がっていた。それを確認したエトは、シルヴィアの首筋に牙を立てる。
「(【眷属化】)。グゥッ」「んぅ」
自分を回復させる間もなくスキルを使うエトへの負荷は相当なもののようだ。サラの時と比べると半身が持って行かれたような喪失感に襲われ、意識を失いそうになるが何とか耐える。
「ふぅ……」
口をシルヴィアの首筋から離したエトは長く息を吐き出すのだった。安堵から来るものだろう。実際2人からの出血は止まっており、傷も見当たらない。血色は悪いままだが……。
〈ーー旦那様〉
「ああ、貴方も外の方も2人を守ってくださったのですね? ありがとうございます。危機は脱しました」
2人を床に寝かせ、翠色に発光する人型の何かに頭を下げたエトはゆらりと立ち上がる。老紳士の双眸には2色の杭に撃ちぬかれたまま藻掻いている男の姿が映っていたーー。
「安心はまだ出来ませんが、一先ず落とし前を付けさせてもらいましょうか。ヨーゼフ」
最後まで読んで下さりありがとうございました!
書きたかったシーンではあるのですが、自分の中の映像と文章がマッチせずに時間ばかり過ぎてしまいました。少しでも伝われば嬉しいです。
ブックマークやユニークをありがとうございます!
気が付いたらPVが100万を超えていました。ユニークも10万超え。
本当でしょうか。震えてきます。
でも、励みになります♪ ありがとうございます! m(_ _)m
誤字脱字をご指摘ください。
ご意見ご感想を頂けると嬉しいです!
これからもよろしくお願いします♪