第142話 魔王領へ
第4幕開始です。
まったりお楽しみ下さい。
2017/1/8:本文誤植修正しました。
2017/1/21:本文誤植修正しました。
宮廷魔術師マテウスの謀叛を鎮圧し、ミカ王国第一王女エルネスティーネ・カレンドゥラ・フェン・ヴァルタースハウゼンの腎臓疾患を癒やしてから2日、僕は王宮内で充てがわれた部屋の中をフワフワと浮かびながら暇を持て余していた。ナハトア、カリナ、ドーラ、フェナは纏めて1室に押し込まれたようだけど、今は僕の部屋で銘々自由にしている。
個人的には「それじゃあお大事に!」と大手を振って出て行きたかったのに、是非とも! と泣き付かれたんだ。王様に。そう、王様に。うん、あのおっさんにだ。ちゃんと饗したいし、公式の場で礼をいいたいから生身を着けれるまでこの部屋に居てくれという訳だ。どちらも面倒だから要らないって言ったんだけど、騒ぎが大きいから沈静化させるためにも身代わりが要るんだと。
身代わりなら誰でも出来るんだから、僕じゃなくてもいいだろ? と直訴したものの頑として受け入れてもらえず今に至る。
事の結末は侍従や侍女が教えてくれたよ。マテウス、ロミルダの家は両名とも死亡しているとは言え、一族郎党断絶だそうだ。士爵の血筋を輩出した由緒ある家から謀叛人が2人も出たんだから仕方ないよな。
刑の重さを聞いてみるとどうやらこの世界でも八虐という重罪は存在するみたい。謀反・謀大逆・謀叛・悪逆・不道・大不敬・不孝・不義の8つ。上から3つ目の重い罪を犯した事になる彼らには同情の余地はない。
エルネスティーネ姫も経過は良好のようだ。大体この時間になるとーー。
こんこん
「ルイ様、エルでございます」
お茶を口実にやって来るんだ。ナハトアが良い顔しないから後のフォローが大変なんだよ。
「どうぞ。今皆も居ますが、それでも宜しければーー」
言い終わる前に扉が押し開けられ、姫様とお付の侍女3人が入って来る。侍女2人が押すそれぞれのワゴンにお茶のセットと、フルーツなどの甘味が載せられているのが見えた。胸元の際どいドレスを着てるんだけど、流石大人の女性。転移先の地下であった母親に似て美人さんであり、マシュマロも桃もたわわに実っている。色で落とせと王様に命じられたのか、自発的なのかはわからないけどね。嫌いじゃない、おほん。好きなだけに眼のやり場に困る。じっと見てると4人の視線が冷めてくるんだよ。良いじゃないか。こっちは2ヶ月近く我慢してるんだからーー。
「ルイ様。皆様、今日はシムレム産のお茶でございます」
いや、僕はほら生霊だから飲めないんだって。
「「へぇ」」
僕の代わりにナハトアとカリナが反応する。そう言えば2人ともシムレム出身だったな。女性陣は甘い物とお茶を貰いにワゴンの方に集り始めるものの、始めからそれを画策していた姫様がそそくさと僕の傍までやって来るのだった。
「ご機嫌麗しゅう存じます、姫様」
「嫌ですわ、ルイ様。わたくしのことはエルと御呼び下さいと申しておりますのに」
「ははは……。流石にそれはないでしょう。僕は姫様に御逢いしてまだ3日と経っていないのですよ? いきなり愛称で呼び合うには些か急ぎ過ぎだと思いますが?」
「そんなことはございませんわ」
「ルイ様の御心は病床において憔悴しておりましたわたくしの心にしっかりと伝わってまいりました。心で感じたのでございます」
そ、そうですか。綺麗な娘だけに残念さが滲み出ているのは何故だろう? 似たような口調だけど、ディーの方が好きだな。ふふ、身贔屓過ぎるか。
「お茶、美味しいかい?」
「はい「ええ」」「「美味しいです」」
立ち飲みで行儀が良いとはとても言えないが、4人は受け皿を片手にティーカップを傾けていた。反応を探ると好感触だ。シムレムに着いたら僕も試してみよう。貴重なお茶だろうか分けてもらえないだろうしね。
「それは良かったね。珍しいものをありがとうございます、姫様。ナハトアもカリナも久し振りに故郷の味を楽しめたようで嬉しい限りです」
「またそういう……」
姫様の隣りまで降りて来てペコリと頭を下げておく。恋人以上を今の僕に求めてもダメだ。王族をハーレムに加える気はさらさら無い。余所の国の政に巻き込まれるだなんてまっぴら御免だ。姫様は面白くないだろうけどね。
「ははは……。申し訳ありません。これは僕の性分なので御容赦下さい。わたしと言ってないだけでも随分碎けているつもりなんですよ?」
「む〜〜」
「そういう膨れっ面の姫様も可愛いですね。御馳走様です」
「もう! ルイ様ったら、嫌ですわ!」
照れ隠しにぽかりと肩を叩こうと思った姫様の左手がすっと僕の体を通り抜けて空を切る。うん、生霊には物理攻撃というか物理的な障害は意味がないという証明が眼の前で示せただろう。こんな体に興味を持つほうが可怪しい。
「驚かれましたか? これが生霊という生き物です」
「でも、“穢"や“吸収"はありませんわ。治療して頂いた時にわたくしに御触りになったはずなのに何も起きてないだなんてーー。侍女から話を着た時には耳を疑いましたわ」
「この体が規格外ということですよ。僕以外の生霊に遭遇することがない事を願うばかりです。強力は【浄化】魔法でもなければ生きて逃げれませんからね」
そんなことは王宮に居る限りないだろうけど、立場上注意を促しておいた。普通の不死族を僕と同じと考えることは自殺行為だからね。言わずにいてそうなったら目覚めが悪い。まぁ自己満足なんだけど……。
「……き、肝に銘じておきます」
「そう言えばラドバウト殿はどうなりましたか?」
ラドバウトはクリス姫失踪に伴い騎士団長の職を辞し、その行方を探しながら反王宮派を潰していたらしい。クリス姫が王宮に帰って来たことで捜索の仕事はなくなった訳だ。聞いてみたのは単純に好奇心からなんだけどね。
「はい。ラドバウト卿は王国騎士団長の職に戻りましたわ。留守の間団員の甘えが気に触ったらしく、今日も訓練場で怒鳴っていることでしょう」
「復職ね。イエッタちゃんは?」
「彼女はラドバウト卿の副官兼秘書扱いですわ。ーーーールイ様?」
体の良い小間使ね。まぁ手元に置いておきたい感じは一緒に旅してる時からあったからな。無難な位置に落ち着いたってことか。ゲルルフは百人隊長に戻ったって聞いてるし、ジルケもクリス姫付きの護衛騎士のままだ。色々あったけど、何とか落ち着いたな。まさか海賊船での縁がここまで絡むとは思わなかったよ。
「ん? ああ、すみません。ちょっと考え事をしていました」
「もう、ルイ様ったら。わたくしが居りますのに……」
覗き込まれるように姫様の顔が近づいて来たのに気付く。ぼーっと考え事をしている時に呼んでくれたようだけど気が付かなかったみたいだ。お蔭で姫様の表情が曇る。あう……ナハトアたちの視線が冷たい。でも王宮から一緒に旅に出ることはないだろうから、こういう王族との付き合いも良い勉強の場だ。
結局当たり障りのない会話を楽しんでお茶の時間を終え、特に何かをすることもなくダラダラと1日を過ごす。皆が寝静まってからが僕の時間だ。生霊だから三大欲求が欠落してるんだよな。格が上がってからは肉体を着けてる時に限ってその縛りが無くなったみたいだけどね。今は何も感じない。だから夜に鍛錬ができるんだ。
旅をしてる時は基本僕が寝ずの番だ。だから何もすることがない一人の時間を持て余してしまう。それを解消するために魔力操作の訓練をしたり、霊体のまま重さを感じない杖をアイテムバックから取り出して型を反復練習をしたりしてるんだ。ん? 昼間しないのは何故かって?
昼間から僕努力してるんですよ! って自己アピールなんか気持ち悪過ぎだろ? 努力の下積みが大切だってことくらい百も承知さ。でも、あからさまなのは嫌いなんだ。ずぶの素人なら手取り足取り教えてもらう必要があるだろうけど、自分に必要な基本はもう覚えている。後はそれを昇華させるだけだ。だからエレクタニアに居る時も早朝に鍛錬してたんだから。
◇
翌朝、【実体化】の縛りが解けたので王様にその旨を伝えてもらい、僕たち5人が謁見の間に出向くことになった。
「【実体化】。ふぅ」
あの時に受けた注射のようなものから入ったであろう液体の影響はなさそうだ。取り立てて意識が混濁することもなければ、体が肥大化することも、熱を感じることもない。至って正常だ。心配そうに見詰めるナハトアとドーラの視線に気付いた。
「ドーラ、僕の体臭変わった?」
「いいえ、ご主人様の体臭は今日も良い匂いです」
う、その答えは違うと思うぞ?
「そ、そうか。あ、ありがとう。ナハトアもそんなに心配そうに見るな。この通り問題ないんだから」
「はい」
ナハトアの表情と声にチリっと胸の奥で何かが火花を散らしたように感じたけど、気の所為だったのかもしれない。そもそもそんなふうに感じたのかどうかも怪しい。普段みないナハトアの表情に見惚れただけだろう。それを口にするのも恥ずかしかったから、何も言わずにナハトアから視線を外しておいた。そのタイミングで扉がノックされる。
侍従に案内された僕たちは謁見に臨み、そこで感謝と褒美をもらう。ありがたい御言葉と士官するか、それが無理であればしばらく食客として滞在してもらえないかと請われたけど、潔くきっぱり断ったよ。目的はミカ王国でのんびりすることじゃなく、シムレムにナハトアとカリナを連れて行く事なんだから。カリナはついでだけどね。
その事を王様に告げると妙に納得してくれた。こっちとしてはあっさりし過ぎて心配になったけど……。
感謝と送別を兼ねての晩餐会がその後催され僕たちは当然強制参加。その間に時間が取れた僕はナハトアとカリナに正確な祭りの時期について聞いてみることにした。クリス姫を護衛するという依頼を受けはしたものの、その際に魔王領の話に喰い付き過ぎて聞いてなかったんだ。
「処で妖精の都え……える」「妖精郷です」
ナハトアに被せられた。ジト眼で見られてしまう。覚えにくいんだから仕方ないだろ?
「そうその妖精郷の祭り何て言うんだっけ?」
「聖樹祭のこと?」
せいじゅさいっていうのか。カリナがそう確認してきた。でも僕の中ではどういう樹が絡んだ祭りなのかよく理解できていない。だったら聞くしかないよな。
「せいじゅっていうのは聖なる樹の事? それとも精霊の樹の事?」
「聖なる樹よ。樹齢2000年は経つはず。はっきりとは解らないけどね。あたしやナハトアがまだ生まれてない時からシムレムに聳え立つ樹だよ。その樹が一番元気になる時に祭りをして樹に感謝するのが祭りなんだ」
いつになくカリナが饒舌だ。故郷の話ともなればテンションが上がるのも理解る。ナハトアもカリナも嬉しそうだ。ドーラとフェナはシムレムの出ではないらしく話に加わり難そうだな。ま、仕方ないか。後で分かる範囲を教えておこう。
「それで、その聖樹祭は後どれくらいで開かれるの?」
「ここまで約2ヶ月掛かってますから、あと4ヶ月程で月が満ちると思います」
あの時点で半年前の話だったのか。でも、ここからシムレム迄時間は間に合うんだろうか? ナハトアの答えに内心首を傾げながら確認してみることにした。
「明日か明後日には出発する予定だけど、その日程で大丈夫? 祭りに間に合わないってなったら洒落にならないんだけど?」
「問題ないと思うな〜。王都から魔王領まで約2ヶ月、魔王領との国堺を東に進んで海まで出るのに1ヶ月少々。港からシムレムまで風次第で3〜5日だから、着いて少し体を休める時間も取れるはず」
「カリナの言う通りです。その日程も多く見積もってなので、何事もなければ3ヶ月程あれば十分間に合います」
それなら良いか。旅のための支度は昨日の内に済ませたし、食料、装備は問題ない。あとは移動手段か。
「2人がそう言うなら信じるよ。あとは移動手段だけど、何か良い案がある?」
「あ、あの、ご主人様?」
その問掛けにフェナが手を上げた。
「何? フェナ」
「ラドバウトさんが昨日来られた折に、砂蜥蜴を用意してくださると言われていました」
「あ、そうだったね。何処まで使えるんだろう? ミカ王国出るまでかな?」
「ご主人様。それも後で確認して見られては如何ですか?」
思いついた疑問を口に出すとドーラが提案してくれた。確かにね。分からない者同士があれこれ推論していても結論には辿り着かないだろうからな。僕は良いとして、4人が砂漠の移動を先の旅で経験出来て良かった。過酷な旅だから用心するに越したことはない。
あれこれとこれからの旅談義に花が咲き、気が付けば晩餐会の時間になっていた。特に御色直しが必要という訳でもなかった僕らは、そのまま迎えに来た侍女に案内されて立食型の晩餐会に参加することになる。案内されたのは大広間だ。そこに並ぶ数多くの円卓の上にある料理とお酒を味わいながら、僕たちは二度と逢うことがないであろう人たちとの会食を楽しむのだったーー。
◇
同刻。
東テイルヘナ大陸の南方。周囲に山なく、一面に広がるのは草原と湿原。その見渡す土地はとても肥えているようには見えなかった。遮るものが何もないためか、南洋からもたらされる潮風が作物を育ちにくくさせているのだろう。この大陸の南端に広がる大湿原の中にそれはあった。
壮麗な造りの階段井戸。上空を飛ぶ鴎の視点で見ることが出来れば息を呑むであろう構造物が、大湿原の中に掘り下げられていたのだ。階段の長さは100m。幅は30mと言ったところか。最深部まで地表から50m近くあろうかと思えるが、底で水面が揺れていた。
大きな水源がないこの地域において水は死活問題だ。その問題を解決までは行かなくとも軽減しているのがこの階段井戸の存在であろう。雨季の間、この階段井戸にはなみなみと水が蓄えられ貴重な水源地へと姿を変える。過酷な環境で生活を営んでいきた先人たちの叡智が形となって引き継がれてきたのだ。
宛ら神殿にも見えるその構造物の上部には無数の横穴のような通路口が空いており、そこから無数の獣人たちが出入りしているのが見える。銘々に水瓶を持って水を汲みに行く者もいれば、階段を上がりきり湿原へ狩りに出かける者達の姿も見受けられた。
階段井戸の周辺に聚落らしき建物がないことから、彼らはこの階段井戸の中で生活を営んでいるのだろう。階段井戸の町。生きてゆくための水がそこにあるのだ、人々や動物にとって貴重な資源と言える。そこに集まり命を繋ごうとするのは自然の摂理だろう。
しかし、遥か上空よりこの地を俯瞰すれば似たような階段井戸の町が点在していることに気付く。中でもこの階段井戸の倍の大きさはあろうかという建造物が、南洋に面する大陸南端の崖から5kmしか離れていない所に鎮座していたのであった。
構造体としては階段井戸と同じ作りだ。ただ他と一線を画しているのは、底に水がないということだろう。本来水があるであろう場所に巨大な二枚扉が鎮座していた。金色の大剣が交差する意匠が扉に施されている荘厳さに眼が奪われる。
その扉の遙か先である男の思惑が、実を結ぼうとしていた。
「それで、その娘達は生霊の男に囚われているというのだな?」
「その通りでございます、陛下」
絢爛豪華な玉座に30歳に達しているだろうか、という男性が座っている。頭に王冠がある事と跪く男の言葉から判断するに、王のようだ。随分と若いという印象は否めない。だが金糸雀色の剛毛髪を短く刈った風貌は鋭く、王者の風格を漂わせていた。深緋色の瞳にじっと見据えられた男は短く言葉を発した後一段と頭を垂れ王の言葉を待つ。
「ミスラーロフ。面を上げよ」
「は」
若年の王の前に跪いていたのはあの男だった。王の言葉に促されて顔を上げるミスラーロフ。
「俺の眼を見てもう一度言ってみろ。俺に何をさせたい?」
王は彼の報告に興味を示したのか、再度詳しく報告するように促すのだった。王は右腕で頬杖をしたままだ。半袖の衣を身に着けている王だが、手の甲だけ黄金色の獣毛が生え出ていた。左右の手だけでなく足の甲もだ。
「は。その生霊の男が無理矢理従わせていたのは6人の娘たちです。人族が2人、そのうちの1人は年端も行かぬ娘です。そしてダークエルフが2人、犬系の獣人と猫系の獣人が1人ずつ居りました。その生霊の魔法の練度は凄まじく、わたしも危うく命を落としかけ、命からがら逃げ帰ってきた始末。その強力な魔力で娘達を虜にしているのです」
「年端も行かぬ娘だと……?」
頬杖を解き、身を起こす王の一言に周囲が剣呑な雰囲気に包まれ始める。いや、周囲に控える文官武官たちが慄き始めたと言って良いだろう。
「は。幼いながら眼に力を秘めているようでした。その力故に囲われているのでしょう。ダークエルフは隣国シムレムの民。近く聖樹祭があることを考えれば彼の民を助けておけば良い縁を結べるやもしれません。それに陛下。獣の民は我が国民。どうぞ御力をお貸し下さい」
どうやらこの国は獣人を中心とする構成で政を行うようだ。確かに言われてみれば左右に控える文官武官の殆どが獣人であり、ミスラーロフのような魔族や人族は数人しか見当たらない。
「我が民を救い出すのに力を振るうことは吝かではない。だが俺も莫迦ではないぞ? 言葉巧みに担ぎだされるというのは面白くない。それ程この案件を押すからには思惑があるのだろう?」
玉座で足を組み替えながら、小さく右手を返す身振りを添えて王は男に鋭い視線を向ける。
「さ、流石は陛下。眉毛を読まれてしまいました。力を持つ娘達であればぜひ陛下の御力で御令室に」
「助け出した事を笠に着て、俺に恥知らずな事をせよと?」
ぶわっと殺気に似た威圧感がミスラーロフに叩きつけられる。
「め、滅相もございませぬ! 無理にという話でないのです。は、発言を御許しい、頂けますか?」
その威圧に耐えながら、ミスラーロフは苦しそうに言葉を発する。やはり王の機嫌を損ねるということはどの場合も危険極まりないということだ。
「許す」
「あ、ありがたき幸せ。助けた上で、期限を御切りになれば宜しいかと愚考します」
「期限だと?」
「はい。陛下におかれましては、加護を御持ちです。共に居る時間が長ければ長いほど異性は己の中の感情と戦わねばなりません。それで、助けだしたことに関して恩義を感じる必要はないが、妻を必要としている、考えて欲しいと決定を委ねるのです」
「続けろ」
玉座の背凭れに背中を預けながら王は顎で促す。
「は。例えば10日時間を与えて10日後本人の意志を確認し、後宮に入らないという決定をするのなら安全な所へ送り届けるのです」
「…………筋は通っているな」
少しだけミスラーロフの論を黙考した王はぽつりと感想を漏らす。それと同時に張り詰めていた空気が緩み、一同はほっと胸を撫で下ろすのであった。
「では陛下、準備を始めても宜しゅうございますか?」
「ああ、事が整ったら言え。俺も手を貸そう」
「ありがとうございます!」
恭しく頭を垂れたミスラーロフはその姿勢で腰を上げ、数歩下がった後に踵を返す。一同も王に対して頭を垂れている中、ミスラーロフは謁見の間を後にしたのだった。誰か1人でもこの時の彼の表情を見ることができていたなら、きっと戦慄したであろう。氷のように冷たい表情で左右の口角だけが上がっていたのだから。
「クククッ。これで上手く素材が集まればーー」
ミスラーロフが踏みしめる石畳に彼の革靴がコツコツと小気味の良い音を響かせている背後で、謁見の間に通じる扉が重厚な音を立てて閉じられる。何処からともなく宮殿内を吹き抜ける微風は磯の薫りを纏っており、海が荒れ始めたことを声を潜めて告げていた。これから起こることを予見するかのようにーー。
◇
翌朝。
僕たちは荷物を纏め、王都の南門を背に立っていた。宿泊場所が王宮だったお蔭で王様達とはそこで別れを済ませることができたんだけど、クリス姫が大泣きして大変だったよ。エル様も泣いてたみたいだけど気付かないふりで押し通した。あそこで変に気があると思われたら厄介な事になるからな。敢えてそサラッと別れを済ませたよ。
ジルケやゲルルフ、ラドバウト、イエッタは南門まで見送ると言ってくれたんだけど断って挨拶を済ませた。しんみりとした別れは嫌なんだ。多分もう遭うことはないだろうけどね。
クリス姫を救い、王宮の危機を救ったということで名誉爵位を贈られそうになったけど、全力で断ったんだ。そんな面倒なのは御免だよ。エレクタニアだけで十分。なので幾らかのお金と砂蜥蜴とミカ王国内で身の安全を保証するを王家の紋章と証明を貰っておいた。これから2ヶ月は砂漠とオアシスの繰り返しだ。面倒事は避けたいから助かる申し出だったんだよ。口を利いてくれたおっさんには感謝だな。
「さて、じゃあ行こうか」
ドーラとフェナは正直ここに残して仕官しても良いって言ったんだけど、結局付いて来ることになった。だから、ナハトア、カリナ、ドーラ、フェナ、そして僕の5人でシムレムを目指すことになる。
フワフワと宙に浮く僕に促されて4人は砂蜥蜴に騎乗した。もう慣れたものだ。もう一度だけ王都の方に視線を向けた後、僕は4人の顔を見て頷くのだった。朝陽に照らされた砂はまるで嵐の前の静けさを湛えた海のように音もなく眼の前に広がっている。
僕の後を追ってマントのフードを深く被り直した4人の操る砂蜥蜴が続き、静かに砂の海へ再び進みだす。砂蜥蜴たちの砂を蹴る音が、何だか僕たちを引き留めようと懸命に手を伸ばしてきているような、そんな後ろ髪を引かれる感じを僕の中に湧き上がらせていたーー。
最後まで読んで下さりありがとうございました!
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誤字脱字をご指摘ください。
ご意見ご感想を頂けると嬉しいです!
これからもよろしくお願いします♪
P.S:次話から少しSSが間に入る予定で居ます。