第139話 抱擁
大変遅くなり申し訳ありません。
田舎の一大イベント、稲刈りの参加で思考が止まっておりました。
まったりお楽しみ下さい。
※残酷な描写があります。
2017/8/25:本文脱字修正しました。
「【静穏】! あれ?」
「ルイ様! どうされましたか!? 早く回復を!」
「魔法が使えない?」
どういう事!? 状態異常耐性はLvMaxのはず。……いや、LvMaxが上限じゃないな。精神支配の耐性スキルは無効となってるんだから、LvMaxの状態だから100%問題ないと言ってる訳じゃないってことだ。盲点だったな。自分で選んでおきながら都合よく忘れてるって呆れを通り越して笑えるよ。
「くくくっ」
「ルイ様!?」
ナハトアの切羽詰まったような声の響きを耳にしながら僕は彼女を救うために飛ばされる瞬間のことを思い出していた。僕の目の前からエレクタニアの食堂とそこに居合わせた者たちの姿が消え何もない虚無の空間に浮かんでいる時の事だ。
◆
目の前には右手に白木の杖を持ち、左手で長く伸びた白い顎髭を撫でながら楽しそうに笑う背の曲がった老人が浮かんでいる。頭髪も長く頭角を表す程には額が侵食してるが、禿げてはいない。見事な白髪だ。オールバックにして入るものの束ねてはいない。
「この空間時間の流れが可怪しいですね?」
「ほう、分かるかね? 興味深いな」
「何となく。感覚的なものなので説明は出来ませんが」
「フォッフォッフォッ。それでも良い。さてお主を送り届ける前に話をしておかねばならぬことがある」
「何でしょうか?」
その言葉に僕の中の警戒レベルがまた1つ上がった。まだ名前すら聞いていない。おそらくは神族の、それも御偉いさんに眼を付けられたくはないからね。
「フォッフォッフォッ。そんなに警戒するでない。名前は明かせぬが今のところ危害を加えるつもりはない。寧ろ守っておる側じゃぞ」
「ああ、あのスキルは大変助かっています。ありがとうございます」
そうだ。【強奪阻止】はこの爺さん作だとエレクトラ様が言ってたな。礼を言えただけでも良しとしよう。
「話というか、お願いじゃな」
「お願い? 神様が僕に?」
「うむ。お主、吸血鬼のスキルを持っておるな?」
「ええ」
確かに持っている。シンシアに出逢う前に森で襲われた時に吸収したものだ。ただ、使い勝手というか付与先が定まらなかったからスキルドレインプールに保管したままなんだよね。
「あれは危険なものでな、お主が誰かに譲渡する前に回収させてもらおうと思ったのじゃ」
「神様ですよね?」
「うむ」
「エレクトラ様より上の」
「そうじゃな」
「僕の知らない内に取り去ることも出来たのでは?」
「そうじゃな」
「何故お願いに?」
「ふむ。エレクトラの眷属になってくれた礼と思えば良い。あれだけ眷属が居らなんだからな」
「お願いされなければこう言う事もなかったのですが、差し出すことでの僕のメリットは何でしょう?」
「お主らの身に着けた今あるスキルに関して1つだけ願いを聞いてやろう。これでどうじゃ?」
悪くない。神様相手に僕はそんな不遜な考え方をしていた。何となくだけど心が読めるんだろうから、隠し事は出来ないという意識が何処かにあるんだ。だから僕が黙ってあれこれ自問自答してても筒抜けのはず。そう思って目の前の老人を見ると、にこやかに微笑みながら自慢の顎髭を撫でていた。
「分かりました。では、わたしを含めた眷属の精神支配耐性をもう一段階上げて頂けませんか?」
「ほう、そうきたか」
「はい。身に着けたスキルで共通のものは限られるので。それに状態異常耐性よりも精神支配耐性の方が優先順位が高いので……」
「フォッフォッフォッ。悪くない選択じゃな。良かろう。契約はなった」
「えっ!?」
そういうが早いか老人は右手に持った白木の杖を掲げる。すると、僕の体が光に包まれ光の小さな珠が10数個飛び出て、白木の杖の上に固まるのだった。その後で一段と体から出る光が強くなったかと思うと、すすっと引いていく。痛みも脱力感も高揚感もない。何も感じなかった。
「感謝するぞ。ルイ・イチジク。ではお主の眷属のもとに送り届けようかのう。いろいろと制限を着けた後でこう言うのも何じゃが、なるべく早く領地に戻るようにな」
「はぁ。善処します。うおぉぉっ!? 嘘でしょっ!?」
そう答えた途端に足元に渦が生まれて吸い込まれてしまった。聞いてない! こんな二層式洗濯機の排水のような吸い込まれ方で吐き出されるなんて!! 覚えてろぉぉぉ〜〜〜〜!!
◆
あの時説明を詳しく聞かなかった僕も悪いんだけどね。一段階上がるとどうなるか。まぁ今となっては文字を見れば一目瞭然なんだけど。将来的というか、近い内に状態異常耐性どうにかしないといけないという事だな。けど、それよりも脱出だ。
魔法は使えない。恐らくだけどこの杭のような者が魔法の発現を阻害してるってことだ。方法は限られるな。1、無理やり体を動かして杭から抜け出る。2、実体化を解く。3、誰かに抜いてもらう。4、その他を試す、だな。1に関しては無理。動かない。じゃあ2だ。
「【解除】」
何も置きない。Mpを使うスキルは封じられたと考えたほうが良さそうだな。
「ルイ様ーっ!!」
今にもこっちに飛び降りようとしているナハトアと眼が合う。流石に呼び掛けに応えないでいるのは不味いだろ。でも、この杭みたいな物を触るとミイラ取りがミイラになる可能性もある。だったら越させちゃダメだ。
「ナハトア、ちょっとヘマをした。でもこっちに来ないように! この杭に触ったらナハトアも魔法が使えなくなりそうだ」
「そんな……」
落胆した声が小さく聞こえた。3もダメ。4……。特に考えてなかったな。どする? せめてこの杭が何なのか分かれば対処出来るはず。杭を調べる……。調べる。鑑定!?
「ナハトア! 僕に刺さってる杭みたいな物を【鑑定】してくれ!」
「え、あ、はい! 【鑑定】!」
何かに体の中を覗きこまれているぞわっとした感覚が湧き上がってきた。【鑑定】で見られたということを感じる度にこの感覚が鋭くなってきたような気がする。でも、この感覚を研ぎすませることが出来れば【鑑定】スキルを使われた相手を瞬時に見極めることが出来るようになるだろうな、とぼんやりとした確信もあるんだよな。
「ごほっ! ど、どう?」
「は、はい! 【呪われた火竜の爪杭】です! 5つの爪を結界の様に打ち込む事でその結界に触れている者の魔法を封じる呪具です」
呪具。魔道具の一種だろう。あの技量の血晶石を作り出す道具も呪具という表記だった。魔道具と呪具の意味合いはまだよく分からないけど、何となく望まれないことや怨みに関係するものが呪具なような気もする。覚えていたらリューディアにでも聞いてみよう。どうしても咳き込んでしまうな。なので短い言葉しか話せない。
「解除法は!?」
「杭を抜くか、破壊することです!」
そう来たか。体が杭で縫い付けられている以上、さっき試したもの以外を試す必要が有るってことか。どうする? 巨人は黒い炎の壁に阻まれて身動きが取れないか、炎に喰われたかで何も半のがない。声も音もないから帰って不気味ではある。追撃がないのなら今のうちだ。
使えそうなスキルあるのか? ヴィルを読んできてもらって抜いたほうが早くない? いや、人型で翼を出すのもMpが関係してるはず、だったらこの杭に触った時点で落ちるよな。間違いなく。それは使えない……。他に何かないか?
「やはりわたしがそこまで!」
「ダメだ! ごほっ! 魔法で降りてくればこれに触った時点でごほっごほっ! 落ちる! これで落ちたらただじゃすまない!」
ナハトアを止めながら必死に考えるけどこういう時上手く考えが纏まらないんだよな。要するに今発生してる結界が無くなるか、力が働かなくなればいい。それにはどうする? 角度を変えろ。動かせるのは左腕だけなんだからな。
結界が今より弱くなればいいんだ。弱くなる。濃度が薄くなる。薄くなる。薄める。そうか!
「【中和】!」
加護スキルがあった! 女神様からもらった加護を発動するように意識を向ける。途端に体から何かが抜けるような虚脱感に襲われた。何だ? Mpを諸費した感覚じゃないぞ!? 何かが動いたのは分かったけど、何かは分からない。それよりも。
「ナハトア! 結界はどうなった!?」
「まだあります!」
舌打ちしたい気分だった。発動はしたものの効果がなかったってことだ。もう1つに望みを賭けるか。【共鳴】。確かエレボス山脈に住む雪豹たちが使っていた女神様の加護だったな。今思えば高音で何かの周波数を合わせてるような感じだっ……。音!? 周波数!? そうか!
自由なというか、原型を留めている左手で右肩に刺さった杭のような爪を握りしめて一縷の望みを賭けるこのにした。もうこれしかない!
「【共鳴】!」
イイィィィィィィ―――ン
「きゃっ!」
スキルを発動すると同時に先程と同じように虚脱感が現れ、聞き取れないような高音が鼓膜を震わせるのが分かる。それ以上に痛みを感じれるのであれば相当耳が痛いはずだ。ナハトアの叫び声が聞こえてたから今頃は耳を抑えてるはず。高音は更に高くなっていき、ある瞬間で左手に握っていた杭のような爪の存在がふっと消えたのが分かった。
視線を動かすとさらさらと砂か灰のような粒子になって手から抜け落ちて宙に舞ってるのが見える。行けたか?
「ナハトア、結界は!」
「あ、もうありません!」
「【静穏】」
ナハトアの「もう」と言う時点で【静穏】を掛けた。何となくだけどHpが気になったのもある。【鑑定】を使えなかったのもあるけど、加護スキルはMpではなくHp消費で賄われ発現するのでは? と思ったからだ。だとすれば結構なHpが飛んでいった可能性がある。放って置くことは考えられない。それに四肢が欠損してるから悠長に構えて居れるわけでもないしね。
「良かった……」
頭上でナハトアの安堵の声が小さく聞こえたけど、問題は下だ。【舞い喰らう闇の盾】が消えて両足の蛇が消え、両腕が消えた状態で立つ巨人の姿がそこにあった。死んでなかったようだな。僕の体はまだ壁に縫い付けられたままだけど、順次【共鳴】で分解していく。
当然自重に耐えれなくなって自然落下が始まる。落ちながら【静穏】を掛けて傷を癒やし、地面に近づいた時に壁を蹴って落下の力を跳躍の力に変え問題なく地面に降り立つことが出来た。
『貴様は何者だ? 何故オレの悲願の邪魔をする?』
『悪いね。こうなるにはそれなりの理由があっての事だろうけど、僕はクリス姫の味方だ。それに技量の血晶石の存在を僕は許さない。それを身に着けている者もだ』
『なっ!? 技量の血晶石事を!? そ、そうかミスラーロフ様の計画を邪魔したのは貴様か!』
『みすらーろふ?』
技量の血晶石の事に触れると巨人の表情が驚きに彩られる。今初めて知った言葉じゃない。前から知ってる秘匿情報が漏れてることへの驚きだ。それにミスラーロフね。ピンとこない名前だったけど、技量の血晶石との繋がりであの男の顔が浮かんできた。そうか、あいつの名前はミスラーロフか。
王都の宿屋の前で殺り合った男も気になるが、それよりも目の前の巨人に対する警戒レベルが上がりっぱなしなんだよな。というのもギリシャ神話上の巨人は怪力で知られていた。それこそ山を投げる程の膂力だ。王宮の壁を壊すだけの力ではないはず。先祖返りであるならばその力を出せるはずだけどまだ見てない。両手足の先はないが動けないこともないだろう。
どん!
「ガハッ」
一瞬何が起きたのか分からなかった。ただ、胸から下が妙にすうすうする感じがしたかと思うと大量に喀血しているのに気付く。何があった!? 目の前には巨人の体がある。さっきまで居たであろう場所の地面が大きく凹んでいるのが見えた。転移かと感じるくらいの速さで移動して僕の体を殴ったようだ。その結果僕の左半身が肉片と化して飛び散ってる。脳が焼き切れそうになるような痛みに襲われて絶叫しそうになったけど、辛うじて回復魔法を叫ぶ。
「【静穏】!! 【治癒】!!!」
可怪しい! さっきの爪は痛みを感じなかったぞ? 刺さって千切れて大出血だったのに何が違うんだ!? 霊体と物質の体を同時に治す! 治して躱すぞ!
実際レイス・ロードの時には実体化しても生身の痛覚は無かった。触覚は存在してたけどね。変化が在ったのはレイス・モナークに格が上がってからだ。触覚や性欲が出て今は痛みも感じれるようになった。でも、感じない時もある。何故?
「ちっ、そんなこと考えてる暇はないってか!」
巨人の肉体が先程よりも膨れ上がってるのがわかる。筋肉量が増えたということか。でも切断面から出血が始まってるってことは諸刃の剣だな。さっきは不意を突かれたけど、タネが分かれば対応できる。巨人の攻撃を躱しながらタイミングを測る事にした。その間にも地面や壁に大きな穴や窪みが轟音と共に無数に生み出される。
『ちょこまかと!』
『当たれば即死だっていうのに誰が好き好んで受止めるかよ!』
巨人の攻撃を躱しながら気付いたことがある。それは熱を感じるってことだ。頬や胴を掠めていく剛腕から焚き火にあたってる時に感じるような熱気を感じたんだよね。空気摩擦では説明できない熱量なんだけど……。これと痛みを感じたことに関係があるかも知れないな。
待てよ。そもそも霊体は魔法か魔力を持った物で攻撃すればダメージを受ける。肉体を着けてる時も同じ法則で攻撃を受ければダメージと一緒に痛みも感じるということか!? いや、それは嬉しくない機能だよ。むしろ要らない。
『ガアアァァァァーーッ!!』
段々意識を保つのが難しくなってきたのか、体の自己崩壊が始まってるのか分からない。吼えながら熱を纏った腕を振り回す巨人。状態を見るにそろそろ限界だろう。何て言えば適当なのか判らないけど、狂戦士化? の時は得意な魔法も使えないみたいだ。もう目の前の動くものに全力で反応しているって感じ。見た目が怖いけどね。後は呼び込むだけだ。殴りに来た着地点にーー。
「【這い寄る牙顎】」
トラップ的に魔法を敷設するだけだ。意志を持つ底なしの顎に喰われると良い。
『ぎゃあぁぁあぁぁあぁぁーーーっ!!!』
ぶおっという風切音と共に僕の顔すれすれを巨人の左腕が通り過ぎ、返す右腕で引っ掛けるように振り回そうとした矢先、ガクンとバランスを崩して倒れ込む姿が視線の先に在った。間髪入れず巨人の絶叫が王宮の空に響き渡る。巨大な口が地面に現れ彼を噛み砕き飲み込んでいるのだ。
バキン、ゴキンと骨を噛み砕く音や咀嚼音が痛みに耐えれずのたうち回る巨人の叫びに掻き消されそうになっている。ある種のスプラッターだな、これは。周囲にこの状況を見守る視線が多数あることを僕は気付いていた。戦いが終わりそうという気配を感じ取ったのか、単なる好奇心なのか分からないけどね。
いずれにしても普段見ることのない衝撃的な光景に嘔吐する人たちが沢山居た。御愁傷様です。ふと強い視線を感じて見上げるとナハトアと眼が合った。うん? 泣いてる? ウル目になってるような気もするけどちょっと良く見えないな。心配かけたのは間違いないし。一先ず大丈夫だって事を見せておくかな。
ほら、何処も怪我してない。大丈夫だろ? 大きな声出すもの恥ずかしいから、そんな風に見えるように両腕をいっぱいに開いてナハトアに向けてにこっと笑ったらーー。
「ルイ様ぁぁぁぁぁーーーーーっ!!」
ナハトアが飛び降りた。同じように両腕を広げて。
おいぃぃっ!! そんな加速が加わった体重に耐えれる訳無いだろっ!? 冷静に突っ込めてるならまだ余裕があるのか? なんて自己分析しつつ、巨人の様子を見ると既に姿がなかった。早食いだな。でもまぁーー。
「助かったよ」
そう血糊をベッタリと着けた口を開いたまま佇む【這い寄る牙顎】にそう一言かけると、すぅっと消えていくのだった。その間にもナハトアの顔が近づいてくる。どう受け止める!? ええい、男は度胸だ! どんとこい! 受け止めた瞬間後ろに飛べるように足の位置を調整してその瞬間を待つ。
「【浮遊】!」
「え!?」
目の前でナハトアの落下速度が霧散した。うん、綺麗サッパリ。ふわっとした状態でそのまま僕の腕の中にナハトアが降りて来て、訳も分からずに抱き締められた。えっと、「大丈夫だよ」と表現したつもりが「おいで」に脳内変換されたってことでいいのか?
「よくぞ御無事で」
「ああ、ごめん、心配かけたね。もう大丈夫だから」
頬を摺り寄せて囁くナハトアの声が耳を擽る。鈍い僕にもこれは分かるよ。どうやら好意を寄せてもらえているらしい。勘違いというレベルではなく、だ。一先ず行き場を探していた広げっぱなしの両腕でナハトアの体を抱き締める事にした。彼女の体臭に混ざって甘い香りがする。誰かをこうやって抱き締めるのも久し振りだな。もう少しこの柔らかい感触を味わっておこうと思ったらーー。
「「「あ゛ーーーーーっ!! 何抜け駆けしてるの!」してるんですかぁっ!!」」」
と姦しい声が降って来た。どうやら【魅了】や【誘惑】状態から解放されてるらしい。見上げると、謁見の間の奥に避難した面々の顔が見える。これで王女様失踪事件は解決かな? カリナ、ドーラ、フェナが窓から身を乗り出して叫んでるけどナハトアは素知らぬ顔だ。僕の方からは見えてないんだけど、きっとそうだと思う。逆に火に油を注いでる気もするけど、気付いてない方向で処理した方が無難だな。うん、そうしよう。
戦闘が終わっただけで何かが進展したわけではないけど、皆の笑顔や遣り取りを見ていると自然と頬が綻ぶな。キラキラ輝く太陽の光が眩しい。ナハトアを抱き締めたまま太陽を見上げ、2ヶ月近く留守にしている領地の事がふと脳裏を過ったーー。
「どうしてるかな……」
◇
「どうなさっているのでしょう……」
雨を降らせる曇天を窓ガラス越しに見上げつつ、溜息に混じらせるように長身の女性がぽつりと呟く。180㎝はあろうかという背丈だ。ただ、大きな女性という括りではなく、女性らしい美しい曲線を有している。恐らく三つ編みにしたであろう髪を後頭部に結い上げで綺麗に纏めた髪型はシニヨンというものだ。彼女の美しさを十二分に引き立たせるものと言えるだろう。
フリルの付いた白いカチューシャとロングエプロン。髪の色と同じ藍色のロングワンピース。襟と袖口は白色で清楚感を際立たせている。袖にフリルは付いてない。襟元には大きい瞳のような半円型の琥珀が飾られており、藍色のスカーフを留めるためのブローチの役割を果たしているようだ。この出で立ちから察するに彼女はこの屋敷の侍女であろう。
そこへ彼女よりも更に年若い少女が足早に近づいてくる。
「エレオノーラ様、リューディア様が御呼びです」
服のデザインはよく似ているが、決定的に違うのはスカート丈の短さだろう。少女自身の太腿の半分もない長さなのだ。エレオノーラと呼ばれた女性は彼女より上の立場にあるらしい。同じ侍女同士が様という敬称を着けて呼ぶことなど無いからだ。
「そうですか。分かりました。今どちらにおいでですか?」
「書斎にてお待ちです」
「分かりました。ありがとう、ノエミ。貴女も仕事に戻りなさい」
「はい」
エレオノーラの一重の少し切り上がった眼が更に細くなり優しく弧を描く。彼女に声を掛けられた少女は緊張した面持ちで向きを90°変え、1歩窓の側に寄ってからお辞儀をするのだった。それを満足そうに見てからゆっくり頷くと、エレオノーラはリューディアの待つ彼女の書斎へと足を向けるのだった。
◇
その部屋は本棚に囲まれた円卓が1つとテーブルを挟んで向かい合う椅子が2脚あるだけの、とてもシンプルな配置だ。部屋に唯一ある窓の下に揺り椅子と丸い天板の小物テーブルも見えるが気にはならない。部屋の中央に位置した円卓で品の良い老婦人がティーカップに入ったお茶を口に運ぼうとしていた。
こんこん
「エレオノーラです」
ノックの音に顔を動かすとポニーテール状に束ねられていた美しい白髪がふわりと跳ねる。お茶を一口含んでから老婦人は入室を促すことにした。
「お入いり。思ったより早かったじゃないかい」
「丁度用事が終わったタイミングでしたのですぐに伺えました」
「悪いけどお茶を入れてくれるかい? あたしも下手だとは思ってないんだけど、あんたやアルチェにはまだ届かないからね」
「ふふふ。アーデルハイド様と名前を並べて頂けるのは光栄ですわ。失礼します」
「ああ、そのままお茶を入れながら聞いてくれたらいいんだけどね、どうやら“北の君"が動いているらしい」
カチャッ
「も、申し訳ありません」
“北の君"という言葉を耳にした瞬間、エレオノーラの手元が狂いポットの底でカップを擦ってしまう。普段であれば在り得ない粗相なのだが、彼女自身老婦人の言葉に動揺したということだ。この2人、よく見ると耳の形が人とは違う。耳の頂が長く尖っている。凡そだが、倍くらいの長さだろう。そう、彼女たちは人族ではない。エレオノーラはハイニンフ、リューディアはハイエルフだ。どちらの種族も人目に触れるとは稀で生涯眼にすることなく人生を終える人族も少なくないという。
「おや、あんたでも動じることがあるんだね?」
「ご冗談を。わたし自身、自分が非の打ち所のない女だとは思っておりません。如何にして欠点を補おうかと日々思い悩んでおりますのに……。それにしても、“北の君"でございますか? あちらの魔王は動かないことで有名だったはずでは?」
エレオノーラの金色の瞳が一重の奥で光る。強い視線ではないが、リューディアの真意を探ろうとしているのだろう。リューディアの方は特に気にした事もなくお茶を飲み、ふぅっと息を吐く。少しの間お茶から立ち上る香りの余韻に浸ってから口を開くのだった。紫色の瞳がじっとエレオノーラの瞳を捉えたまま放さない。
「確定情報ではないんだけどね、“北の君"が動いてるのはルイ様に逢うためだとしたらどうする?」
「なっ!? ほ、本当ですか!?」
エレオノーラはその言葉に思わず上半身が前のめりになってしまった。愛する主に危険が迫っている。彼女の中の認識はその一言に集約された。全ては主のために。それが彼女の存在意義なのだ。
「まだ理由は分からない。接触してくるとしてもお互い手の内が分からないからね。情報も少ない」
「それはここも危険があるとお考えですか?」
「友好か敵対か。どちらとも言えないんだよ……。ん? どうかしたのかい?」
ぞくり
エレオノーラは背筋に悪寒が走った事で表情を険しくする。表情も今までとは異なりかなり緊張した面持ちになっていた。それをリューディアが問うたのだ。
「リューディア様、申し訳ありませんが玄関までお付き合い願いませんか? 招かねざる客が来たようです」
「ほう。件の客かい?」
エレオノーラの言葉にリューディアの眼が細められる。
「分かりません。ただ、領内に1歩踏み込んだ所で立ち止まったのです」
その問に首を振りながら答えつつ彼女は胸の前で両手を重ね、エプロンの襟元をぎゅっと握るのだった。窓から見える曇天は未だに陽の光を遮り、先程より強めに雨を降らし始めている。遠くで鳴っていた雷鳴が気がつくと近くで鳴っていた。それに合わせて雷光が一瞬だけ地を照らし、轟音を響かせる。
招かねざる3名の旅人はマントに付いたフードを深々と被り、雷鳴轟く中雨に打たれつつその場に立つ尽くしていたーー。
最後まで読んで下さりありがとうございました!
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