第124話 生け贄
※残酷な表現があります。
「隼!?」
眼の前を通り過ぎた鳥を見た瞬間にそう口走ったのには訳がある。一瞬だ。新幹線も吃驚というくらいの速度だった。羽撃かずに斜め一色線に街の北側に飛び去っていったんだよね。そうなってくるとそんな速度で飛べる鳥類なんて何とかツバメか隼くらいのものだ。眼の前を通り過ぎていった鳥は大きかった。消去法だね。
「だけどすぐ上からあれだけの速度が出るものか?」
素直に疑念が湧いた。もっと高い位置から降りてこなければあれだけの速度はなないはず。羽撃いてなかったんだから。
何故?
急ぐ必要があったから?
何故急ぐ?
姿を見られたくなかったから?
何故見られたくない?
姿を見知っている者が居るから?
そいつから隠れたいってこと?
何故隠れたい?
来たことがバレないため?
バレて不味い事があるのか?
ーーーーなる程ね。その場で腕組みして思考に沈んでいたんだけど、何となく見えてきた。今日中に動きがあるな。よし。気合を入れるために両頬をばしんと叩いて部屋に戻ることにした。まだ寝てる。もう少し寝かせておくか。今すぐ動きがあるわけじゃないだろうから。
それまで何する? ああ、あの向こう傷のおっさんとまともに話してなかったな。自己紹介がてら情報収集しておくか。扉をすり抜け廊下に出ると急ぐ理由もないので順路通り食堂に降りる。おっさんともう1人の男? フードを冠っているから顔は見えないけど、体格的に男性だろう人物と隅のテーブルで何やら話し込んでいるのが見えた。あのイエッタとか言ったかな。彼女は居ないのか。
「おはようございます!」
居た。厨房の方で手伝いをしているみたいだ。その挨拶におっさんたちも僕の姿に気付く。明らかにフードを冠った人物が狼狽してるのが分かるんだけど、気付かないふりをして若い女性の方に挨拶を返すことにした。
「おはようございます。早いんですね。貴女もこの宿の方ですか?」
「いいえ! 女将さんに頼まれまして断れずにずるずるお手伝いをしてます」
「ははは。それは難儀でしたね」
「いえ! 命令されることはあっても頼られることはなかったのでちょっと新鮮なんです。女将さんも言い方ですし」
ふ〜ん。命令される側の人間だったということか。それも上下関係がかなり厳しい部署。でもいい笑顔で笑う娘だな。華が咲いたような笑顔を見せるイエッタを見ながらそう思うのだった。ちょっと突いてみるかな。
「もう驚かれないんですね?」
「あ、ええ。昨夜は失礼しました。ラドバウト様から普通の生霊と違う存在だと諭されましたので、今日は平気です。でも本当に“穢”がないんですね?」
あの向こう傷のおっさんがラドバウトさんね。それにしても駄々漏れじゃないですか。もし諜報部的な組織に在籍していてこれなら首飛ぶぞ?
「ええ。迷宮で呪いを受けてしまってこの様です。肉体を一時的に着けれる場合もあるんですが、いざという時のために今はこの体で動いているんです。慣れると便利ですよ」
「そうなんですね。あ、すみません。詮索するなと言われてました」
「ははは。良いんですよ。誰だって眼の前に生霊が居れば驚きます。攻撃されなかっただけでも良しとしなくては」
「でも、その体だと朝食は無理そうです……ね?」
そう僕の半透明にぼんやりと光る体をまじまじと見つめながら呟くイエッタに苦笑しながら答えてみた。警戒心ゼロだね。
「残念なことにね。でも、女将さんの美味しい料理は僕の連れが食べれてくれるよ」
「あ、そうでした。まだお休みでしょうか? 準備をした方が良ければ言ってください」
「ありがとう。まだ誰も起きてなかったから、もう暫くは放って置いていいと思う。それよりも、ラドバウトさんとお話したいんだけど、声を掛けてもらえませんか? イエッタさん」
これ以上話してても必要な情報は引き出せそうになかったので、隅でこちらの話に耳を傾けているおっさんたちに取り次いでもらうことにした。さて、怒られなきゃ良いね?
「はい。え、あれ? わたし自己紹介していましたか?」
「いえいえ、昨晩ここでそう呼ばれていたのを思い出しただけです」
「そうですか。えっと何とお呼びすれば良いのでしょうか?」
「ルイです。ちょっと変わった生霊ですがどうぞ宜しく」
「よろしくお願いします! 少しお待ちください。聞いてきます」
そう言ってペコリと頭を下げてお辞儀すると、足取りも軽く食堂の隅に席を取る男たちの所へ歩み寄るイエッタちゃん。うん、足運びが素人じゃないな。訓練された歩き方が無意識に出来るということはそれなりの訓練を積んだ証拠なんだろうけど、何だろう、この残念な気持ちは。
「ラドバウト様、ルイさんがお話をしたいそうです」
「莫迦か、お前は!」
「ふぇっ!?」
開口一番、やっぱり怒鳴られてた。そりゃそうだよね。
「何処の町娘だ! 勝手に人の名前を教えるな! それところっと仕入れた情報を吐くな! 全く甘やかしたら直ぐこれだ」
「も、申し訳ありません!」
ちょっと助け舟出すかな。恐縮して項垂れるイエッタちゃんの後ろにすぅっと近づいて庇うことにした。それで話が上手く進めば儲けものだからね。
「まぁまぁ、話すように仕向けたのは僕なので怒らないでくださいませんか?」
「えっ!? えええっ!?」
「ちっ。で、何の用だいルイさんよ?」
イエッタちゃんは分かってないが、向こう傷のおっさんは流石に分かってるという訳だ。さて、ここからだぞ。
「そんなに邪険にしなくても良いじゃないですか。そちらの方は僕の事を知っておられるようですし。自己紹介がてら情報交換とかいかがですか?」
「へぇ。回りくどくないっていうのはオレも好きだぜ」
「話が早くて助かりますよ」
「それは賭けるだけの価値があるかどうかにもよるだろ?」
「結構自信がある情報なんですけどね?」
「ほぉ。聞かせてもらおうじゃないか。オレはラドバウト。こいつらの元締めだ。昔王宮に仕えてたこともあるが今は無職さ」
「清々しい自己紹介ですね」
経歴までサラッと言えるなんてなかなか出来ることじゃないよ?
「ここは嘘言ったところで直ぐバレちまうさ」
「なる程。僕はルイと申します。もともとはサフィーロ王国に住んでたんですが、やんごとなき事情でこちらに飛ばされまして、紆余曲折を経てこの街に来た処です」
「随分と端折ったな」
ええ、基本自分のことは話さない人なのですみません。ちらっとラドバウトのおっさんの隣りに座る男に視線を向けるが俯いたままで表情が読めない。判断は任せているということか?
「今回の件とは関係のない部分ですからね」
「はん。それで自身がある情報とやらを教えてもらおうか?」
「その前に、1つ確認しておきたいことがあります」
「何だ?」
「クリスティアーネ殿下について何処までご存知ですか?」
「「「っ!?」」」
結構な爆弾発言だったみたいだぞ? イエッタちゃんは驚いて僕の顔を凝視してるし、席についてた2人は腰を浮かせてる。無表情なんて今更出来ないくらいに驚いたね。
「であればこの情報はかなり価値があると思われます」
「何者だ?」
上手く主導権を握れたようだけど、不信感は払拭できるどころか増してるような気がするな。ラドバウトのおっさんの双眸がすぅっと細くなった事からも分かる。やれやれ。
「お節介焼きの不思議な生霊ですよ。それで、ここには“耳”か“眼”が潜んでいたりはしませんか?」
「なっ。何処まで……(吹けば消し飛びそうな生霊に見えるのは虚像ってことか)。ここには居ない」
警戒してるね。当然だ。僕は得体の知れない生霊なんだから。このまま話しても良いんだけど、一応確認を取るか。
「処で、イエッタちゃんとこちらの方は同席していただいても良いんですか?」
「構わない。結局伝えることだ。その手間が省けたと思えばいい」
「なる程。では1つ。ご承知の通り、クリス姫が駐屯所に入られていますが、姫の近くにケルベロス手の者が居ます」
「やはりそうか」
やはり、ね。味方になる可能性があるということかな? でもまだ確定じゃない。
「順を追って話します。これは姫から直接聞いた話と僕の憶測も含んでいると思って聞いてください」
「待て、直接だと?」
「ああ、そこまで調べていなかったんですね。ええ、一緒にエレボスの山を越えてきたんですよ」
「なっ…!?」
「これはクリス姫に限らず姫付きの皆さんからも聞いた話ですが、遠出をしようと王都から抜け出た所で誰かと逢って話をしたそうです。そして、気が付いたら海賊の船の中に奴隷の首輪を着けられて乗っていた、と」
「おい!! (しれっととんでもねぇ事言いやがった!)」「「っ!!」」
うん、リアクションとしては上々だな。
「残念ながらそれが誰だったのか覚えてないそうですよ? その海賊船がグラナード王国のラエティティアという港街を襲撃した際に偶然居合わせた僕たちが救い出せたという訳です。そのときにその海賊船がケルベロスの物だということが分かったんですけどね」
真実を混ぜて嘘を言う必要はない。ここは信頼を得るための場だから。
「俄には信じられん話だな。(おいおいおい、海賊船って言うがオレの情報だと3隻あったはずだぞ? それも海洋を越えれる大型帆船だと)」
「うん、これを信じろという方が無理な話だとは承知しています。結果はどうあれ、無事にこの街に送り届けることが出来たまでは良かったんですが」
「怪しい動きをしている……と?」
やはりこのおっさん相当できる人っぽいな。理解が早い。
「仰る通りです。昨夜も襲われましたしね。その内の1人は催眠を掛けられて、一緒に消すつもりで宿に送り届けられてましたよ」
「それはジルケの事か?」
釣れた。関係者か。
「どうやら宿での一悶着は知っておられるようですね。流石に耳が良い」
「止せ。皮肉にしか聞こえん」
「それで彼女は無事ですか?」
放って来たから気はなってたんだよな。無責任過ぎると言われても仕方ないけど、危険はないだろうと思ったからあのまま寝かせたんだ。
「ああ、オレの手の者が送り届けた。だが、襲われただと? お前が襲ったのではないのか?」
無事なら良かった。
「正確には僕の下僕が……と言った方がいいですね。僕の居た部屋に敵意を向けていた者は全員始末しました。1人捕まえて吐かせるのを忘れてたのは手痛いミスですけどね。その後で昨夜ここに来る時にもバレないように運んでもらったし」
「なっ。(20人は暗部が居たと聞いている。それを始末した? 死体も残さずに、だと?)」
「ここから本番です」
「聞かせてもらおう」
驚いて見を見張ったラドバウトだったけど、直ぐに表情が引き締まった。王宮に仕えてたと言ったけど、それこそ騎士団長クラスじゃない?
「僕はクリス姫を手に入れようとしている者が国の中枢に居ると踏んでいます。国に関係のない組織を使って手に入れて、国を私しようと画策しているんでしょうね。それも随分と根回しが出来た状態にある。それが、あと少しの所で横槍を入れた僕たちの存在が邪魔になった。クリス姫を王宮に連れて帰られては計画が破綻する可能性があるから。ならばーー」
「この街を出て砂漠を渡る際に手を下す、と?」
素晴らしい。出来れば協働したいな。
「どう思われますか?」
「悔しいが、その通りだ。オレたちもそこまでの情報は得ていないが、ここ2、3日の内に動きがあると睨んでたのさ」
「いきなり信用してもらうのは難しいとは思いますが、手を貸していただけませんか?」
言いたい事は先に言っておく。ダメ元でね。
「何? (どういう事だ?)」
「僕たちには戦力はあっても地の利も人の利もない。現地で手を貸してくれる人が居れば渡りに船なんでけどね」
「何を考えてる?」
「いや〜何と言っても、僕らはシムレムに向かってる途中でクリス姫と関わってしまったんですよね。普通なら我関せずなんでしょうけど、可愛い女の子が困ってるとおじさんも放っとけなくてですね、ついお節介を」
「金か? それとも名誉か? (そんな人助けを酔狂に出来る奴が居るわけがねぇ)」
「お金も名誉もそれなりに持ってるので必要ないですね。欲しいものは自由な時間なので、この件に関しては全く望めない」
「だったら?」
「しいて言うならば自己満足? お節介をしてあげれました! いや〜良かった良かった! という満足感が欲しいだけなんだとおもいます」
まぁ、そんな言い訳みたいな理由で信じてもらえるとは思ってないんだけど、実際そうなんだよな。
「余所でやれば? (おいおいマジかよ)」
「嫌ですよ。何で見ず知らずの人のために僕の貴重な時間を割かなきゃいけないんですか?」
「即答かよ。言ってることが矛盾してねぇか?」
「どうしてですか? クリス姫たちとは1ヶ月以上一緒に旅をしてきたんですよ? 知らない仲じゃないでしょ?」
呆れられてるね。ラドバウトだけじゃなく他の2人にも。それにしても、この2人は話さないね。任せてるのもあるんだろうけど、僕を見極めようとしてるのかな? それで信じてもらえるなら易いもんだけどね。
「ふ〜これからどうするつもりだ?」
大きく息を吐き出しながら、何かを決めたような顔付きになるラドバウト。ここで未定とは言えないよな。大まかな予定だけでも言わなきゃ。
「一先ず宿を引き払って街の外で野営でもしようかと考えてます。早ければ今日中に動きがあるでしょうからね」
「ならいい場所がある。こいつに案内させるから見てきてくれるか? そこで待ってもらって、動きがあり次第オレとイエッタが合流して後を追う」
顎で隣りに座っている男を指す。部下なんだろうね。それにしてもーー。
「信用してもらえるんですか?」
「正直3分だな。だが悪いやつじゃねぇというのは分かる」
「根拠は?」
「勘だ」
「ははは。そういうの好きですよ。分かりました。これからよろしくお願いします。メンバーは後で紹介しますね」
ここで100%信用できたと言われるよりかはよっぽど安心だ。あとは積み重ねていけばいい。フードを冠ったままの男に先導されて宿を出ると、僕は潜伏場所であろうポイントへ向かうことにした。
◇
「ラドバウト様、良かったのですか?」
生霊が宿を出て行ったのを確認してイエッタが口を開く。心配そうな表情でラドバウトを見詰めているのだが、彼は特に変わった様子はない。それでもイエッタの視線に付き、彼女の問掛けを思い出したかのようにボソリと気持ちを漏らすのだった。
「ああ、あれは敵に回しちゃいけねぇ奴だ」
「え?」
思わず聞き返す。ラドバウトが強者であることはイエッタ自身よく知っている事だ。その男の口からそのような言葉が出るとは思っていなかったのだろう。そんな気持ちを察したのか、ふっと鼻で笑いイエッタに理由を説明するのだった。
「オレは“死の気配”を感じることが出来る。だからその気配がある奴には近づかない。だがな、アンデッドは別だ。奴らは既に死んでいる。死んでも動いているということは“死の気配”を纏ったまま動いているということだ。これがどう言うことか分かるか?」
「“穢”、ですか?」
イエッタは昨晩ラドバウトが言った言葉を思い返していた。そして辿り着く。
「正解だ。だがルイには“穢”がねえ。“死の気配”がないんだよ。そんな奴に敵対すると碌な事がないのは経験済みだ。信用する? あいつの言葉を信じるだけなら1割だな。眼で2割。不足はオレの勘だ」
吐き捨てるように、自分に言い聞かせるように気持ちを綴る。それから朝食と一緒に出されていたグラスに入った水をぐいっと飲み干してグラスをテーブルに置くとルイたちが出て行った扉を見詰めるのだったーー。
◇
潜伏場所に改めて移動してから二刻《4時間》は過ぎていた。
何もせずにただ待つのも退屈なんだけど、潜伏先は3階建ての1軒屋だった事もありそれぞれが自由な時間を過ごしてると言ってもいいかな。この街の家は四角く3階建てのものが多い。本当、中東の街に来たような錯覚になるよ。僕は3階でのんびり魔力操作の練習さ。まだ前回【実体化】してから3日経ってないからまだ使えない。
「さて、どうしたもんかな……」
思わず不安要素が脳裏を過ぎり、言葉になって漏れ出てしまった。催眠と魅了だ。所謂、状態異常として括ることの出来るものだ。防ぐ手立ては予めそうした状態を繰り返し受けることで、耐性スキルを取得するというのが通常の対処法となる。僕はというと、チートでそれを付与することが出来るんだけど、していいものかどうか正直迷ってるんだ。
前は一緒に居る娘たちを眷属にという気持ちにも動かされて熱っぽい状態のまま行動してた自覚はある。今は? と聞かれると、何処か一歩引いた所で見てる自分も居るのは確かだな。よくラノベの主人公が自重なく行動するというテンプレは読んできたけど、いざ自分がその立場になるとヘタレっぷりがいい感じに邪魔をしてる。ま、もう少し様子を見てどうするか決めよう。
「ふ〜」
今してる魔力操作の練習は【槍影】のスリム化だ。槍というより太い氷柱の様な突起物が本人の影から突き出るんだけど、これが固く鋭くならないものかな? と挑戦してる処。なかなか上手くいかない。1mm縮めるだけでもかなりMpが消えてる。おまけに集中力を切らすと直ぐに霧散してしまうから大変だ。だから面白いんだけどね。そこへーー。
「ルイさん、向こう傷のおっちゃん来たよ〜」
下からカリナの声が聞こえる。名前で呼んでもらえてないのか。第一印象が悪いから仕方ないな。潜伏先を教えてもらって戻ってきた時、険悪な状態だったんだ。
宿屋のおばちゃんの説明では下心が表に出ちまってたと言うことらしいんだけど、朝っぱらから何やってるんだか。鼻の下を伸ばして挨拶でもしたんだろうね。ドーラとフェナの尻尾が逆立ってたからよっぽど嫌だったんだろう。という訳で1階に降りると、彼女たちから全く敬意を払ってもらえないおっさんがボリボリと頭を掻きながら玄関口に立っていた。
「よぉ。イエッタには先に街の外で待たせてある。今から出かけるが問題ないか?」
「ええ、なさそうです。行きましょう」
代表して僕が返事をすることになった。完全にスルーの方針らしい。やれやれ。大きく鼻から息を吐き、女性陣に眼で合図を送って家を出る。もともとアイテムバッグがあるお蔭で手荷物は殆ど無いんだ。ラドバウトの背中を追いながら僕たちは街の外へでたーー。
◇
20人程の人間が隊列を組んで進んでいる。皆何かに乗っているようだ。駱駝のような背の高いゆったりした動きではない。蜥蜴……のようだ。ずんぐりした体型で砂蛙に見えなくもないのだが、表皮が刺々しく尾があり、蛙にはない立派な鈎爪という武器が砂を蹴っていた。
シドン砂漠において通常乗り物と言われるのはこの砂蜥蜴だ。駱駝も居るのだが、この世界では乗り物よりも家畜としての扱いのようだ。この砂蜥蜴のお蔭で辺境の街から王都まで10日程での移動が可能になった事実を考慮すれば、駱駝よりも好まれることは頷けるだろう。歩けば30日は掛かる砂漠を3分の1の日程で渡れるのだ。利用しない手はない。
20人の隊列はクリス姫たちであった。ジルケの駆る砂蜥蜴の後ろにクリスが乗っている。ロミルダや5人の護衛騎士たちもそれぞれ乗り合わせているのが見えた。太陽は中天からかなり西に傾き始めている。それでも一番気温が上昇するタイミングだ。通常であれば選ばない時間帯と言える。徒歩での旅の場合、日中に砂漠を渡ることは自殺行為に等しい。気温が下がった夕方から夜にかけ移動し、日中は休むというのが基本なのだ。しかし砂蜥蜴を用いた場合事情が異なる。砂蜥蜴は夜間は体が冷えすぎて動けないのだ。実際、陽が昇っても体温が上がるまで動けないという欠点はあるものの、速度を考えれば安全なのである。
振り返ると国境の街フィーニスが小さく見えた。
「殿下、日暮れまでもう一刻御座います。距離を稼ぎたいので今暫くご辛抱くださいませ」
「……」
ジルケの駆る砂蜥蜴に近寄る一騎の砂蜥蜴。それに乗るのは、他の兵士たちとは装いが違う男だ。恐らく位の高い者であろうと言うくらいは分かる。額当てがついたターバンに羽飾りが付いているのだ。クリス姫もそれを知ってか、ただ黙って頷くだけだった。幼い顔の眉間に皺を寄せながら。
半刻後、異変は訪れた。
突然、砂蜥蜴が足を止めたのだ。それも揃って。
「不味いな。近くにサンドワームが居るようです、ご注意ください」
その言葉にクリスはぎゅっとジルケの服を握りしめるのだった。それがジルケにも伝わる。
「姫様、何が起きても決してその手をお放しになりませんように!」
ジルケの言葉に頷くクリス姫。彼女としては船もそうだが砂漠を渡ることですら初体験だったのだ。前回は記憶がないのだからどうやって砂漠を渡ったのかすら覚えてない。
「クルト!」
「はっ!」
「砂除けの笛を持っているな。吹きながら先駆けを命じる」
「畏まりました! 姫様、行って参ります!」
羽飾りのある男に呼ばれて共に旅をした護衛騎士の1人が進み出る。どうやら羽飾りの男は部隊長のようだ。その男に命じられて、クルトはクリスに一礼して砂蜥蜴の腹を蹴るのだった。頷いて見送るクリスの眼にクルトが懐から取り出した掌程の大きさの棒笛が咥えられるのが映る。
ーーーーーーーーーー!
人の耳には聞こえない高い音が笛から発せられている。一団からクルトが500mは離れた時だろうか。彼の右側の砂が急に盛り上がったかと思った途端、巨大な茶色い表皮に覆われた蚯蚓が合わられたのだ。その口元に凶悪に尖った歯が円形に幾重にも並んでいる。
「うわわわぁっ!!」
覆い被さってくる巨体と恐怖に彼は動けなかった。離れていた仲間たちが一同に叫ぶが動けずに居た。動けば振動で自分たちが襲われるのが理解っているのだ。砂蜥蜴もそうだ。本能的に危険を察して動こうとしない。
「クルト!!」
「クルトが!!?」
「ちっ、笛が効かないだと!? 皆動くでない!! 動けば我らまで巻き込まれるぞ」
「いや、クルトが死んじゃう!」
「姫! ああなっては誰も助けられません! ご辛抱ください!!」
「いやああぁぁぁ! クルトぉぉ!!」
ジルケの背で泣き叫ぶクリス姫をジルケが感情を押し殺して懸命に諌める。今は彼よりも姫の命が大事なのだ。すまぬ。と心の中でクルトに詫びるのだった。
「あがっ! ごひゅっ! お、お逃げ、、、ゔっ」
巨体に貪られ、血糊を残して彼は砂の中に飲み込まれていったーー。
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