第121話 スカーフェイス
2016/7/21:本文誤字修正しました。
2017/8/26:本文誤字修正しました。
「こんにちは〜」
「ぶー――――っ!!」
宿に入った途端、豪快に吹き出す男が食堂の隅にいたーー。
「ん?」
「ごほっ! ごほっ! ごほっ! ふぅ〜」
咳き込みながらジョッキをテーブルのに戻した男と眼が合っちゃった。白茶色の右頬に爪か刃かで付けられたであろう太い傷痕がある。向こう傷。
「あ、どうも。驚かせてすみません」
「おう、良いってことよ」
ぺこりとお辞儀をして宿の人が居るか声を掛ける。案外おおらかな人らしい。
「こんにちは〜」
「って、待てまて待て! さらっと流そうとしたなてめぇ! 生霊が日の陽向に宿屋に来るか!? ありえねぇだろ!?」
なんて思ってたら結構繊細な人だったみたい。これが普通の反応か? 少し違う気もする。だって腰の刃物抜いてるし。何だか知らないけど怒ってる。驚かせた所為か?
「落ち着いてください。急になんですか」
「これが落ち着いて居られるか? 居られるのか? 居られる訳がねぇ!」
居るの三段活用? いや自問自答の新しい型だね。
「はいはい〜。あら、珍しいお客さんが来たね」
奥から小太りのおばちゃんが前掛けで手を拭きながら出て来た。イスラム教みたいな宗教はないらしくこの街の女性は眼だけ出したり、眼も隠したりはしていない。飛来してくる砂対策でスカーフのようなもので頭髪を隠している事が多い。確かヒジャブとかいうんだったか? いや、あの言葉ではないです。絶対。おばちゃんもスカーフを頭から掛けている。
「珍しい!? おばちゃんそれで良いのか!?」
喰い付きが良いおっさんだねぇ。あ、今はこっちだ。
「あ、こんにちは。突然にすいません。宿の予約取れますか?」
「予約かい? そんなもん取らなくたっていつでも来れば良いのさ。ウチみたいな所は開店休業みたいなもんでね。今日みたいに変わりもんが来るくらいさ」
流行ってない割に、下町のお薦めということは何かしら良いところがあるからなんだろうけど、差し詰めご飯が美味しいということかな。後ろの方で剣先を床に付けてぶつぶつ言ってるおっさんの声が聞こえる。うん、あれは後回しだ。
「あれか? オレは酔っ払って夢でも見てるのか? 宿のおばちゃんと生霊が普通に喋ってやがる……」
「今別の宿を取ってるんですが、訳ありで夜に4人来ます。入れそうな大部屋がありますか?」
「あるよ。へ〜あんた生霊なのに“穢”がないんだね? 長生きするもんだ」
「「えっ!?」」
僕と後ろのおっさんの声がハモる。いやそこじゃない。“穢”がないって普通の人に言われることはこれまでなかった事だ。裏返せばこのおばちゃんはそうでないということになる。
「“穢”のない生霊だと!? そんな奴が居るのか? 居るな。眼の前に居やがる」
おっさん、いい加減居るの三段活用は止めてくれ。
「一般の方にそれを指摘されたのは初めてです。あ、部屋があるのなら助かります。何せ女の子たちなのでね」
気にはなるけど、それを伏して宿屋を営んでいるということはそういう事だ。話したければポロッと話してくれることもあるだろう。ただ、今回の滞在でそれだけの信頼を得られるかといえば無理だけどな。
「いいねぇ、詮索しないのかい? それにしても女の子4に連れ込むたぁ隅におけない生霊じゃないかぃ。いいさね。晩ごはんは出せなけど顔くらいは出してあげるよ」
「話が早くて助かります」
おばちゃんの軽い冗談にも微笑み返しで対応する。泊めてもらえるならこれくらい何ともない。
「良いのか? これで良いのか? 生霊がハーレムだと?」
いやおっさんだいぶ溜まってるみたいだね。というかウチの娘に手を出したら大変だよ?
「じゃあ、夜に来ます。あ、すみません。その前掛けをお借りしてもいいですか?」
「はぁ? これかい? 何に使うってんだい?」
「僕がここに案内できる自身がないので鼻の良い娘に渡そうと思いまして」
「そういうことかぃ。構わないよ。汚れているけど、ほら使っとくれ」
「ありがとうございます。あ、そうだ。この近所に服を売ってるお店がありますか? おばちゃんお薦めの店とか?」
「店かぃ? そうだねぇ。この通りを壁に向かってちょっといくとマギーの洋裁店ってのがあるのよ。そこなら旅の服とか見繕ってくれるさ」
「マギーの洋裁店ですね? 分かりましたありがとうございます。じゃあまた後で来ますね」
「あいよ」
「いや、だから可怪しいだろ? いくら“穢”が出てない生霊だとしても危険なことには変わりねぇだろ!? ん? ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーっ!!」
おばちゃんに礼を言ってお辞儀をし、振り返ってみるとまだ向こう傷のおっさんが喚いていたので普通に肩に手を置いてやった。まさか普通に触られるとも思ってなかったようで、何度か僕の顔と自分の右肩に載ってる僕の手を見返して気絶した。おい、おっさんそれでいいのか?
「何だい、強面のわりに肝っ玉の小さい男だねぇ。こっちで面倒見ておくから行っちまいな」
「お手数をお掛けします。本当なんだったんでしょうね、この人?」
食堂の床の上に伸びしてまった向こう傷のおっさんを一瞥して外に出て教えてもらった洋裁店に行ってみることにした。お留守番たちのご機嫌取りに何かしら買っておこうと思ったのと、おばちゃんに新しい前掛けをプレゼントしようと思ったんだ。今回は特に探すこともなく辿り着けた。
おばちゃんの紹介ということもあってか、生霊姿を過剰に怖がられることもなく。眼欲しい物を購入できた。砂漠の移動の際につかう覆い布とかもあったからついでに買っておいた。ご夫婦で営んでいてどちらも人の良さそうな方だったな。でも普通の人は違うような違和感もあったけど、その違和感がなんなのか上手く説明できないし、喉に引っかかった魚の小骨のように気なることでもなかったので忘れることにしたよ。で、上空に上がって銀の竪琴亭に戻ることにした。明るい内に動いてる方が目立たないだろうからね。
◇
時間は少し遡る。
ばしゃーーっ!!
「ぷあっ!? 何でずぶ濡れ……。何か言うことあるかい、おばちゃん?」
頭から水を滴らせながら向こう傷の男が慌てて上半身を起こす。男の視線の先には宿の女将の左脇に抱えられている平桶だ。その端からぽたぽたと水雫が床に落ちている。
「情けないねぇ、しゃきっとしな! 生霊に触られたぐらいで気絶するなて最近の王国騎士団長様は腑抜けたもんだねぇ」
「っ!!」
小太りの女将の言葉に男が飛び起きて一気に間合いを取る。男から殺気が吹き出し食堂に充満するが、女将は何処吹く風か気にしたようにない。それどころか不機嫌そうに眉間に皺を寄せて説教を始めるのだった。
「あんたねぇ、眼を覚ましてもらっておいて礼の一つも言えないのかい!?」
「ーー。おばちゃん何者だ?」
女将の問いに答えず男は眼を細める。動揺しているのだろがその行動がお小太りの女将のことばを肯定していることに気が付いていない。やはりおおらかなのか、天然気質なのか意見が別れるところだろう。
「はぁ、あんたねぇ、今まで気絶してたんだよ? 首を取ろうと思えば取れたってのが分からないのかい?」
空いた右手を腰に当てて呆れた口調で男に語り掛ける。いや、話していることは至極真っ当な事実なのだが、宿屋の女将が口にするような内容ではない。世間話ついでにポロッと口走った程度のような感覚に襲われるのだ。
「はぁ、返す言葉がねぇな。すまない。助かった。それとオレは王国騎士団長じゃねぇ。前だ。気絶したのはオレの体が訳ありだからだ。怖いわけじゃねぇ」
未だに気が付かぬ男は大きく息を吐いてどかりとその場に腰を下ろすのだった。ふっと張り詰めていた空気が緩む。脅しても無駄だということに気が付いたのだろう。
「……まぁいいさ。それで、泊まるのかい? 飯だけかい? 飯と酒で銅貨10枚だよ」
一瞬だけ眼を細めた小太りの女将さんだったが、男に右手を差し出してそう勘定を迫ったのであった。
「はぁ、泊まるよ。あの生霊も気になるしな」
ガクッと項垂れながら答えると女将さんに鼻で笑われる。男の返事を聞いて食堂の厨房の方に入ってくのだった。奥から男の気持ちを見透かしたような大きな声が響いてきた。
「どうだかね。案外連れの姉ちゃんでもあわよくば引っ掛けようと思ってるんだろ? 悪い事は言わないから止めときな。あんたじゃ分が悪いよ」
「こちとら日照りが続いてるんだよ。良いじゃねぇか甘い夢見たってよ! っと」
その言葉にガバッと顔を上げて喰い付く。釣り易い、釣られ易い体質のようだ。自覚はないみたいだが。売り言葉に買い言葉ではないものの、言葉尻を拾うのは上手いようだ。そこへ奥から部屋の鍵が放られて、弧を描きながら飛んでくる。
「だったら他をあたるこったね。ほれ、部屋の鍵だよ。201、覚えときな。飯は朝と晩だけ、昼は別料金だからね。1泊銀貨1枚。先払いで貰うよ」
「へいへい。それにしてもけったいな婆さんだぜ」
ゆっくり立ち上がりながら濡れた髪の毛をワシャワシャと手で掻いて水を飛ばす。ポツリと呟いた何気ない一言に部屋の気温が下がったような感覚に襲われ、男ははっと女将の方を見るのだった。
「誰が婆さんだい? 別にウチに泊まってくれなくったって良いんだよ?」
「ほ、ほら、銀貨1枚とさっきのメシ代だ」
別段何も変わった風には見えない女将さんだったが、男はブルっと身震いしてカウンターに食事代と宿泊代を置いて2階の部屋に駆け上がって行くのだった。その後ろ姿が完全に消え去ってから小太りの中年の女将はくっくっくっくと押し殺した笑いを漏らす。
「なんだい。面白くなってきたじゃないか」
先程までの人の良い女将が振り撒いていた愛想のいい笑顔とは真逆の、凄みのある笑みがその丸い顔に浮かんでいたーー。
◇
砂蛙の憩い亭2階201号室。
「ふぅ参ったぜ。何だあのババア。底が見えやしねぇ」
向こう傷を持つ男が備え付けのベッドに着の身着のままどさっと身を投げて天井を見ながら呟く。そこへーー。
カツン
と小石が窓にあたる音がした。勢い良く無言でベッドから降りると窓ガラス越しに通りに目を向ける。宿の向かいにしっかりフードを冠った男がこちらを見上げていることに気付く。その男が指さす方向に目を向けるとあの生霊が上空に昇って行くところだった。
「浄化されたのか? まさかな。しかし、気絶してただと? そこまで死の定業に抗ってる存在だっていうのかよ……。ステータス」
◆ステータス◆
【名前】ラドバウト・フェン・バッカウゼン
【種族】テイルへルナ人 / 人族
【性別】♂
【職業】ロードナイト
【レベル】85
【状態】加護
【Hp】8160/8160
【Mp】6343/6343
【Str】1172
【Vit】918
【Agi】923
【Dex】663
【Mnd】635
【Chr】461
【Luk】461
【ユニークスキル】強撃Lv39
【アクティブスキル】騎士剣術Lv71、武術Lv51、盾術Lv63
【パッシブスキル】偽装Lv33、乗馬Lv67、旅歩きLv81、警戒Lv79、料理Lv21、野営Lv51、火耐性Lv80、地耐性Lv64、威圧耐性Lv43、毒耐性Lv34
【装備】焔のロングソード、砂蠍の胸当て、砂蠍の籠手、砂蠍の足鎧、砂蚯蚓の小盾、マント、ターバン、マジックバッグ、綿の下着
【所持金】金貨20枚、銀貨63枚、銅貨88枚
ラドバウトは目を疑った。古来より生霊に触られると彼らの持つ冥府の手で無条件に吸い取られるはずなのに、ステータスが変わっていないのだ。確かに自分の肩に手が置かれていたはずーー。
「“穢”がないばかりか、“吸収”しない生霊だと?」
自分の常識を完全に覆す存在に動揺が隠せない。思わず右手で口を覆い、ゆっくり頬を上下に扱く。いつ手入れをしたのか忘れたが、無精髭がその動きに合わせてジョリジョリと自らの存在を訴えていた。
「いや、気にはなるが。それはついでの話だ」
ラドバウトは自分に言いきかせると部屋を後にする。そんな横入れしてきた存在のために自分が今ここに居るのではないのだ。その思いが彼を動かしいていたのである。ガチャリと鍵が掛けられとんとんと食堂に降りていく靴の音が2階に響いていた。
「おばちゃんちょっと出てくる。鍵はここに置いとく!」
「あいよ〜! 気を付けて行くんだよ〜!」
ラドバウトの呼び掛けに奥の方から間延びした声が返って来た。何か手が離せないことをしてるのだろう。夕食の仕込みか? と考えながら鍵をカウンターの上に置いて宿を出る。たまたま吹き抜けた砂塵を含んだ風に顔を顰めたが、目的の人物が眼の前に居るのを確認すると頷き合って路地に消えていくのだった。すっと首に掛けていた顔覆いの布を引き上げてーー。
半刻後ラドバウトの姿は西区の薄暗い家屋の中にあった。部屋の中央に丸テーブルが置かれており、そこに火の灯された蝋燭が燭台に挿されて柔らかい光を放っている。
「報告を聞こう」
「は、先程クリス殿下と思われる方が駐屯所に入るのが確認できました」
「ロミルダ、ジルケ、他5人も一緒だったようです」
「待て。姫付きのメンバーが変わってないだと?」
ラドバウトは瞬時に状況を整理し、可能性を組み立てる。その間にも報告が出るがある事に結論が繋がった。
「は、わたしも確認しましたが間違いありません」
「不味いなーー」
わざと情報を流して泳がせたってことだ、と言うことはーーと気配を探る。
「ラドバウト様?」
「今日はこれで解散する。引き続き調べてくれ。2、3日の内に動きがあるはずだ。くれぐれも慎重に頼む」
「「「「はっ」」」」
薄暗い部屋の空気が揺らぐ。蝋燭の火が大きく揺れていない処を見ると風ではないらしい。ラドバウトはただ黙ったまま物思いにふける。するとーー。
こんこん
家の扉をノックする音が聞こえてきた。
「鍵は開いている。思いの外早かったじゃないか」
ゆっくり扉が開かれると、外の陽光が差し込み来訪者の影を部屋の奥にまで伸ばす。かちゃりと鯉口を切る音だけが静かに部屋の中に届けられた。
「ふん。語る口はないということか。だが止めておけ。お前では勝てねぇよ。力不足だ」
「しっ!」
ラドバウトの言葉が終わるか終わらない内に来訪者の白刃が燦めく。だが、何の手応えも残さずに空を切る。焦りの色が襲撃者に浮かぶ。一撃必殺を命じられていたのだろう。それが何の手応えも残さなかったのだ。
「悪いが手を出したからには手加減しねぇ。そんなに生き急がなくても良かったのによ」
「ぐはっ! ば、莫迦な。剣先が見えないだと?」
ラドバウトの声が襲撃者の耳元で突然にし、背中から胸に掛けてロングソードの刃が顔を覗かせる。光を反射させない不思議な刀身だ。一度の交錯で致命傷を負ったのは襲撃者の方だった。
「あぁ悪いね。闇討ちが最近多くてな。聞かれると面倒だから刀身を真っ黒くしてるのさ。昼間っから仕事熱心だったが相手が悪かったな」
「ぐふっ」
突き刺した剣を捻ると、一気に襲撃者の体重がラドバウトの手に伸し掛かってくる。事切れたということだろう。そのまま体を引きずって戸口まで連れて来ると、剣の刃を引き抜いてそのまま外の路地に放り出すのだった。左右を確認することもなくぱたりと扉を閉める。
「全く、上からの命に阿呆みたいに従うだけじゃ人形と同じだろうがよ……」
苦々しく床に唾を吐き、ラドバウトは裏口に回るのだった。いずれ死体を見つけた人間が騒ぎ出すのは目に見えている。その前に姿を消せば問題ない。
かちゃっと静かに裏の勝手口の扉を開く。そのまま扉だけすぅっと開け放ち様子を見るが誰かが襲い掛かってくる様子はない。だが完全に断ち切れていない気配があるのだ。ラドバルトだからこそ気が付いたと行ってもいいだろう。
「やれやれ、もっともしなやつをよこしやがれってんだ」
そう短く悪態をつくと勝手口から飛び出し、対面の家の壁に背中を貼り付ける。次の瞬間に足元へ投擲用のナイフが6本地面に刺さるのだった。裏路地は石畳で舗装されてないのだ。砂漠に面する街だけのことはある。投げナイフについで大きな影が頭上から降ってくる。
「阿呆かっ!! 何を莫迦正直に正面から来てやがる!」
暗殺の基本すら出来ていない襲撃者の行動に我を忘れたラドバルトの拳が、降ってきた影のこめかみに消える。
「きゃあっ!!」
「女!?」
吹き飛ばされる襲撃者と声にはっと我に返るのだった。右拳はぐっと握りしめられたままだ。房中術で夜伽の際に目的を遂行する女暗殺者は沢山見てきたが、襲撃者の中に居るのは初めてだった。それ故、彼の心の中にいたたまれない気持ちが湧き上がってきたのも事実だ。
「こんな小娘を使うほど質が落ちたということかよ。ちっ」
ラドバルトの一撃で意識を刈り取られている女襲撃者の顔多いをずらしてみる。まだ20代に届いたかどうか言うくらいの若い女性だ。その顔を暫く見ていたが、ターバンの上からガシガシと頭を掻くと、自分のマントを襲撃者の女に着させて器用に背負うと宿に向けて帰路につくのだった。背中に当たる柔らかいものの感触に鼻の下を伸ばしているのを気付かせないように覆い布で口元を隠してーー。
しかしそんな努力が砂蛙の憩い亭の女将に敵うはずもなく、宿に帰って顔合わせた途端一撃で砕かれていた。
「下心が表に出てきちまってるよ。そこまであからさまだと逆に気持ちが良いくらいだね!」
「なぁっ!?」
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