第116話 安堵と懸念
※動物虐待のシーンがあります。
2016/7/11:誤植修正しました。
ステータス画面が出た瞬間に2つの声が同時に僕を咎め、右肩から左腿にかけて白い線が走った。
「えっーー」
灼けつくような痛みを感じた。それと同時にごっそり何かが抜け落ちたような感じが続く。生霊なのだから痛覚がある訳もないのに、そんな感覚に襲われたんだ。その疑問も瞬くと解決される。体が所謂右側から袈裟斬りされたように二分しているのだから。
『愚か者め、気を抜いて斬り合ってる最中に【鑑定】を使うなど気でも触れたか?』
「ぬぅっ。余の角を掴むとは不届千万! ゴゥッ!」
立ち止まった白豹王に【黒嘴の弾幕】の残っている鴉たちが所狭しと突き刺さり、ふわっと黒い煙のようなものを昇らせて消えていく。その痛みに耐えかねてか腹立たしく咆えるのだった。
『主よ、無事か?』
僕の眼の前には漆黒の巨人の姿をした何かが立っていた。身長は3mはあるだろうか。その右手が白豹王の角を掴んでいたのだ。そりゃ、動けんわね。今の内に回復しておく。油断しないようにと思った矢先にこれだ。
「え、あ、ああ。ダメージはあるけど問題ない。【静穏】」
『この白猫どうしてくれよう。主が間抜けであったことを差し引いても、手を上げたことは見過ごせぬ』
何だか酷い言われような気もするんだけどーー。
「戯れ言を! 召喚された者が余に敵うとでも思うたか? ギャン!!」
眼の前で起きたことに目を疑った。恐らく皿のように大きくなってるに違いない。タユゲテ様の障壁はまだ効果が切れてないから直接には見えないだろうけど、神様の視力がどれくらいのものかわからないので放おって置く。何が起きたかというと、漆黒の巨人が角を持ったまま白豹王を壁に叩きつけたのだ。天井からパラパラと埃と小石が降ってきた。
「うぇっ!? マジで!?」
驚かないほうが可怪しいよな。ただ、そんな莫迦力があるとも思ってなかったから予想外です。召喚主もびっくりさ。
ギャンッ!! キャンッ! ギャンッ!
とまあ無言で壁や床に叩きつけられる白豹王。王の威厳は何処へやら。そんな気品はまるっきり見えない。ボロボロだ。この動物虐待が10分近く続き、ボキンっという鈍い音によって終わりを告げられることになる。漆黒の巨人の右手には白豹王の角が握られていた。持ち主はというと、僕たちから5mほど離れた所に投げ捨てられて荒く呼吸している。つまり根本から折ってしまったということさ。握力どんだけ凄いんだ!?
「容赦無いね〜」
『主よ。当然だ。我を統べるのは主のみ。その方を辱めたのだ』
い、いや、辱められた訳では……。もしもし?
「やっと消えましたか。 白豹王!?」
背後でタユゲテ様の声がする。振り向くと、口元に手を当てて今にも白豹王に飛びつきそうな気配がしたので左腕を伸ばし制しておく。危ないですって。
「大丈夫、死んではいません。ボロボロですけど」
「そう、ですか。それで今も支配されているのですか?」
「そうなります。先ほど見たステータスだと【状態】が加護/支配/寄生+になっていました。つまり精神支配も受け、寄生されて体も操られていると言ったほうが良いでしょうね。体を操るためにMpを消費していると言ったところでしょうか」
それが僕の出した結論だった。Hpは回復してダメージを受けたために減っていたけど、最初はMp全快だったんだ。それが魔法を使っていないのにMpが減ってるということは、体を動かすためにMpを使っているということになる。厄介な状態だ。本当の自分は奥の奥の方に閉じ込められてるんだろうからね。
これができるという事は相手の事を道具や駒としか見ていないって事だ。腹立たしい。というか久々にムカついた。まだ問題は解決してないんだけどね。
「タユゲテ様、迂闊に近づかないようにしてください。むっ!」
再び僕の前に出ようとしたタユゲテ様を制す。と同時に白豹王の下に幾何学模様の魔法陣が現れ、閃光と共に消え去ったんだ。あれはーー。一瞬の出来事だったけど、僕は閃光が届く前にそこに居なかった人物を視認することが出来ていた。体格の良い大柄な執事風の男が一礼して去っていったのを。いや、その男と視線が交わった事に一抹の不安を覚えるのだった。何者なんだ?
「転移魔法。使える奴が居るんだな」
気掛かりな事に触れるのを避けて、当たり障りのないことを呟いておく。もっともタユゲテ様には聞こえてるんだろうけどね。
『主よ。分捕り物だ』
漆黒の巨人から僕の二の腕くらいの長さはありそうな1本の角を受け取る。重いな。
「ああ、ありがとう。助かったよ」
ん? 巨人さん何か言いたそうだね。良いよ、聞いてあげようじゃないか。
『処で主よ』
「なに?」
『我も主の傍で自由に動きたい。器となる肉体を用意して貰えぬだろうか?』
「却下。今回の事は本当に助かったけど、それとこれとは話は別。でも忘れてる訳じゃないからその内に名前と一緒にね」
これは前から決めてたことだ。確かにこの魔法は強力でサポートとしては申し分ない。ただ、召喚するのにMpが10,000も飛ぶんだよ? で、性格に難ありとなれば下手に肉体を与えてトラブルを引き起こされるよりはコントロールできるようにしておきたいのが本音だ。勿論、肉体という器を手にした時の変化に興味がない訳じゃない。先延ばしってことかな。
『致し方あるまい。この度は引き下がろう』
そう言い残して漆黒の巨人は来た時と同じように何処へともなく吸い込まれて行くのだった。ふぅ。「その内にね」という言い訳もどれくらい使えるか分からないな。
「タユゲテ様、白豹王の角です」
「……」
僕から受け取った角を大事そうに胸に抱えて眼を瞑る、タユゲテ様。その表情は憂いに沈んでいるようであり、何かを決意したようにも感じた。
「ーー白豹王の加護を取り去りました。直ちに状況が変わらないのでしたら、少しでも危険度を下げるのも眷属を生み出した神の勤めです。ルイくん」
「は、はい」
「もしこの先白豹王に遭うことがあれば、遠慮はいりません。楽にしてあげてください。支配されたとしても自我が失くなったわけではないでしょう。自分の奥深い所で後悔を泣き叫んでいるに違いありません。あわ良く解放されたとしても、辱めを負ったまま生き恥を晒す事はしないでしょう」
確かにプライドが高そうだったな。ま、その時なったらその時だ。
「分かりました。可能な限りそうします」
「では、そこの雪豹こちらに来なさい」
僕の答えに満足したのか、タユゲテ様がここへ案内してくれた雪豹を呼び寄せる。呼ばれた雪豹は項垂れたままその前に来るのだった。まぁ、自分たちの王があんなことになれば落ち込んで当然だよな。
「白を冠する名前はあの子に与えてしまいましたので、貴方にはこの名を授けます。“銀豹王”と今日より名乗りなさい。群れを率いるのは貴方です。そしてこの角を」
寄ってきた雪豹の額に左手を当てて、タユゲテ様はそう宣言する。それから右腕で抱えていた角を雪豹の額に優しく立てるとーー。先程の閃光よりも一段と強い光が洞窟内を満たすのだった。「眼が〜」と叫ぶ程ではなかったから大丈夫さ。
「おお〜」
眼を開けてみると、先程の白豹王とあまり変わらないくらいの大きさになった雪豹が恭しく頭を垂れていた。タユゲテ様の使役獣としての矜持を得たということかな。
「ルイくん、手を出してもらえるかしら?」
「え、あ、はい」
言われるままに右手の掌を上に向けて差し出すと、ちょんと触れられた。やっぱり神様は霊体でも簡単に触れるみたいだな。
「これで良し。じゃあ長居しちゃったけどこれで帰るわ」
というか、今の遣り取りはなんだったんだろう? おっと、結局助けられなかったからな。謝らないと。
「……あ、お力になれなくて申し訳ありませんでした」
「良いのよ。ルイくんは一杯頑張ってくれたわ。それで十分。エル姉様に何か伝えたいことがあれば特別に伝えてあげるわよ?」
「じゃあ、2つお願いしてもいいですか?」
「良いわ」
「みんな元気にしてます、が1つ。もう1つは僕の眷属に手を出すと喉元に咬みつきます、とお伝えください」
誰に、と言わなくても気付いてくれるよね。
「ーー良い度胸ね。良いわ。わたしも言いたいことあるから伝えてあげましょう」
一瞬驚いた表情になるが、楽しそうに腕組みをして微笑んでくれた。美人の微笑みは癒やされるなぁ。
「ありがとうございます」
「ふふふ。じゃ、またねルイくん♪」
その腕組みを片手だけ外して顔の前で手を振ると、タユゲテ様の姿はぱっと消えてしまった。いや〜峰越えでこんな大事に巻き込まれるとは。女神絡みでファミリアの抗争って、マフィアとかヤクザの抗争とかにイメージが重なるな〜。でも抗争に発展しないのが一番だけど。あ、そう言えば。クリス姫とフェナは!?
「ルイ殿、ありがとうございました」
新しく王となった角つきの雪豹がお辞儀をするように頭を下げる。いや、王様になったんだから振る舞いに気をつけないと。
「いや、礼を言われることは何も出来ていませんよ。結局逃がしてしまったし……。というか、王として名をもらったんだから無闇に頭を下げないように堂々としてください」
「いえ、十二分にしていただきました。は、はぁ。こればかりは慣れるしかありませんね。そ、そうでした。他のお連れの方も洞窟に到着したようです。ご案内しましょう」
そこは「案内しよう」、ですよ。耳が良いのかなぁ〜。それとも念話みたいなものがあるか?
「あ、ルイ様!」「「ご主人様!!」」「ルイさん」「ルイ様ぁ〜〜!」
来た道を戻り、蟻の巣のような構造の洞窟を進んでいくと先程と同じような広いドーム状の空間に出た。そこに皆がそろっていたんだ。うん、無事に着けて何よりだ。雪豹たちが近寄ってこないのは、恐らくナハトアの所為だろう。自分ではどうしようもない薫りだからな。
結局、群れが落ち着かないだろうからと僕たちだけの為に小さめの空間へ案内してもらい、そこで一晩を過ごすことにしたよ。銀豹王として皆に言わなきゃいけないこともあるだろうからね。都合の良い言い方をすれば気を利かせた、かな。
明日から山登りの再会だ。そんな気概を持ちつつそれまでのストレスと疲れが意識を蝕み、安全な場所で休めるという安堵感が子守唄となって僕を除いた皆を深い眠りに誘っていた。慣れない雪山登りは考えている以上に体力を奪ってたんだろうな。
「ふぅ……あの男一体何者だ? いつから居た?」
そして僕は寝入った皆に【疲労回復】を掛けて周り、あの時に見た男の事を思い浮かべながら、ふわふわと漂っていたーー。
◇
同刻、とある屋敷の地下室。
「お嬢様ただ今戻りました」
本当に地下室だろうか? と思うほど広がりがある空間だ。陽の光が壁の隙間からも全く差し込んでいない処を見ると事実なのだろう。当然明かりもない。それ故に広く感じられるだけなのか。唯一あるのは、たった今帰参を報告した男の持つ燭台に灯る蝋燭の明かりだけだ。
「首尾はどうかしら?」
暗闇の奥から幼い女性の声がする。
「は。思わしくありません」
「女神の邪魔が入った?」
「いえ」
男の答えに周囲の空気が張り詰めたものになる。
「説明しなさい」
「は。お嬢様の眼を付けられた白豹王ですがある者に角を折られ、前足を喰われました」
男の報告に奥の闇が揺らぐ。身動ぎしたのだろうか。
「へぇ。随分とやってくれたわね。何者なの?」
「生霊でございます」
「レイス? アンデッドの?」
「然様でございます」
「たかだか生霊ごときに白豹王が遅れを取ったというの?」
「正確には彼ものの闇魔法によってでございます」
男の持つ燭台が揺れ、蝋燭の火も揺れる。
「そこまで?」
「恐らくは極めた者だと」
「闇魔法を? 知られている全ての属性魔法の中で一番習得に時間がかかる闇魔法を?」
「はい。知識でしか知り得なかった“常闇の皇帝”を使役しておりました」
「っ!? そ、そこまで。よく生きて帰れたこと」
「ありがとうございます。覚醒めた白豹王との戦闘中に到着いたしましたので、息を潜めておりました。角を折られ運良くわたしの所に飛ばされてまいしましたので、躊躇わずに巻物を使って帰ってこれたという次第でございます」
「そう。時空魔法って失伝してるからその巻物も貴重なのだけど、持たせておいて正解だったわね。それにしてもその生霊気になるわ。お前の見た感想はどう、ヨーゼフ?」
「は。大きな違和感が一つ御座いました」
「それな何かしら?」
「“穢”がないのです。加えれば、魔法使いとしては状況判断、魔法発現速度、魔法の選択から使用までの思考速度も眼を見張るものが御座いました」
「“穢”がない? アンデッドなのにそんな事があるのかしら? 女神の唾つきと思う?」
「恐らくは」
「まぁ良いわ。一先ず欲しいものは手に入ったのだから。その生霊について情報を集めてちょうだい。あの子の傷が言えたら顔が見たいわ。頼んだわね。わたしはこれから御父様と会食で忙しいのよ」
「御父様、で御座いますか」
「ふふふ。そうよ。今わたくしはサフィーロ王国の貴族、ゴールドバーグ侯爵家の養女なのですからーー」
暗闇の奥で気配が動く。ヨーゼフと言われた男はその気配が消えるまでその場に立ち尽くしていた。見送っていたのだろうか。いずれにしても、彼女の気配が失くなったのを確認して彼は踵を返したのだった。コツコツと革靴の踵と床の触れ合う音が地下室の壁に吸い込まれていく。歩くリズムに合わせてゆらゆらと踊る蝋燭の火が暗闇の求愛を嫌い、差し出される手を振り払っていた。
◇
同時刻。サフィーロ王国王都カエルレウス南区にある冒険者ギルド。
カエルレウスは王都の名を冠するだけあって広い。2,500ヘクタールはある。メートル法に直すと5km×5kmだ。東京の面積が218,800ヘクタールだからそこまで大きいとは言えないだろう。詳しく言えば東京23区の品川区ぐらいの大きさだ。と言っても四角い都市ではない。凡その広さがそれくらいという事で、実際はピーナッツのような形をしていた。都市の西側には大きな湖を含む湿地帯が広がっている。その湖を背にピーナッツの真ん中辺りで王城が鎮座しているのだが、それだけの広さだと冒険者も移動が大変だ。おまけに都市の形状が円ではないために、西門がない。
それで北で依頼を達成した冒険者たちが南にある冒険者ギルドへ長い時間かけて来るよりは、北にもあってもいいだろうと言う話が出るのにさほど時間は掛からなかった。それで現在王都には北と南に冒険者ギルドが存在しているのだ。
その南区にある冒険者ギルドに奇妙な組み合わせの訪問客が居た。
「夜分に申し訳ありません」
「あ、はい」
受付カウンターの女性は礼儀正しい声掛けに驚いていた。冒険者ギルドはランクが上がれば依頼の性質上それなりに礼儀作法を求められるようになるものの、最小から礼儀正しい人は数えられるほどしか居ない。しかもガラの悪い若造どもだ。しかし眼の前に居るのは老紳士であり、腕に3歳位の女児を抱いている。明らかに場違いな組み合わせと言わざるを得ない。
「この娘を抱いていると目立ちますので、こうして夜分に失礼したのですが、冒険者の登録は可能でしょうか?」
「はい。ええっ!?」
流暢な問い掛けに思わず頷いたものの、思わず老紳士を見返すのだった。
「し、失礼ですが、今冒険者の登録とおっしゃいましたか?」
「はい。やんごとなき事情で働く必要が出まして。老骨に鞭打とうとやってまいりました」
そう言って老紳士は腕に抱く女児に顔を向けて優しく微笑むのだった。女児の方は嬉しそうに老紳士の無精髭を触ってニコニコしている。受付の女性は、紳士の言葉と女児を見て内心納得するのであった。可愛い孫娘のためなのですね! そう思ったのだ。
ギルド会館は王都に陣取ってるだけあり、カウンター前の共用スペースもかなり広い。時間的に遅いがそこに屯っている者、依頼を済ませて一息ついた者、待ち合わせをしている者など様々だ。勿論老紳士の話が自然と耳に届いてくる。
「そ、それでは身分証をお出し頂けますか? 一応初めてのケースなので大丈夫とは思いますが確認を取ってまいりますので」
「畏まりました。これでございますね?」
「は、はい、ありがとうございます!(ふえぇぇ。流れるような動きだわ! 何処かの執事さんみたい!?)」
懐から取り出した身分証を老紳士は受付の女性に手渡すのだった。それをぼ〜っとして見惚れていたが我に返ってバタバタと2階へと駆け上がって行く。その後ろ姿を見詰めながらーー。
「ふふ。元気なお嬢さんですね」
と老紳士は笑ていた。
「おい、じいさん!」
「はい。わたくしのことでしょうか?」
「子守しながら冒険者になるって? 止めときな! ゴブリンに殺されるのが落ちだぜ。可愛い孫も居るんだ考えなおした方がいい」
無骨な男が老紳士にそう声を掛けてきた。からかっているようには見えない。口は悪いが気遣っているようだ。それが分かったのか老紳士は優しく微笑み、ゆっくりお辞儀したのだった。
「老骨の身を案じてくださり感謝致します。一戦から引いた身ではありますが、これでも若い時に剣を振るった経験ございます。無理な事をせずにこの娘を養うにはやはり冒険者でコツコツするのが良いと思いまして」
「もしかして、拾い子か?(じいさんと似たところがまるでねえもんな)」
老紳士の視線の先に女児が居る。その女児に同じように視線を向けた男が確認するのだった。
「お察しの通りでございます。耳を患っておりまして、孤児院でも預けられないのです」
そんな事を話している処へバタバタと先程の受付女性が降りて来た。血相を変えて。
「え、エト様! 申し訳ございませんが、奥の部屋にお越しいただけますか!?」
「はて。何か問題でも?」
「さてな。まあ、じいさん頑張りな。俺はギュンターっていう。また機会があったらあんたの武勇伝を聞かせてくれや」
「はい。では、失礼致します」
エトはそう短く誘いの言葉に頷いてから、受付女性の待つ所へ移動するのだった。そのまま2階へ案内される。
コンコン
「ギルドマスター。お連れしました」
「入ってもらいなさい」
ある扉の前に案内されて、受付女性がノックすると中から女性の声が帰ってきた。がちゃりと扉をあけて中に入るように手で促されたエトがお辞儀をして部屋に一歩入ると、1人の女性の姿が両袖型の大きな机の向こうに見えた。幼顔の女性であり、背丈は130㎝台しかないように見える。ただ、エトには見覚えがある姿だった。
「ドワーフ」
「あら、よく分かりましたね。こんなチビだけどギルドマスターをしてるのです。よろしくお願いしますね。立ち話もなんですからどうぞお掛けください」
エレクタニアで唯一ドワーフの女性であるベルントの妻を見慣れていたお蔭だろう。丁寧な対応に頭を下げながら席に着く。女児は静かなままだ。ただ、じ〜っとドワーフの顔を見ている。
「ありがとうございます。失礼致します」
「早速ですが、エレクタニア所属というのは本当ですか?」
エトが部屋の中央にあるソファーに腰を下ろしたのを見て、ギルドマスターの女は椅子から降りてとことことエトの前に来るのだった。質問しつつ、手に持ったパピルス紙をソファーの前にある膝丈のテーブルに置く。
「間違いありません」
「そうですか。では、この紙に名前を書いて頂けますか?」
「それに何か意味が?」
エトの問い掛けに一瞬困った表情を出すのだったが、直ぐにそれを引っ込め一連の行動の理由を説明するのだった。意味が理解らなかったエトだが、ギルドマスターが嘘を言っているように見えなかったのでテーブルに置かれたペン立てに手を伸ばす。
「すみません。何か契約をさせようと言うことではないのです。ただ、エレクタニアの方には身分証明と直筆の筆跡を確認する通達が出ているのですよ」
「……然様でございますか。そうであれば致し方ありません」
「あゔあぁあぁ〜」
手に持った羽ペンを奪いとろうと女児が手を伸ばす。
「これはダメですよ」「ゔあぁ〜う〜」
エトの制止にも気する訳もなく、女児は羽ペンを手に取り、パキンと見事に負ってしまった。
「「「あ……」」」
思わず言葉を失ったが、エトには見えていた。折った羽ペンから煙のように魔力がすぅっと昇ったことに。眼を細めたが片眼鏡を直すふりをして何喰わぬ顔で頭を下げたのだった。
「申し訳ありません。弁償致します」
「あ、いいのですよ。只の羽ペンですからお気遣いなく。代わりは沢山ありますから。それに書くだけでしたらわたしの」
「ありがとうございます。幸い、手持ちがございましたのでそれで失礼します」
「あ、そうですか」
ギルドマスターが自分のテーブルからペンをとりに動こうとしたのだが、エトはやんわりと断り懐からマイ羽ペンのケースを取り出す。その様子に2人の女性の顔が引き攣るが、気付かない振りをしたままサラサラっと自分の名前を綴るのだった。書き終えたパピルス紙をギルドマスターに渡すと、自分の机に戻り何かを確認し始める。しかしそれも30を数え終わる前に終わっていた。
「年齢は、まあ怪我しないように依頼内容を選べば問題なし、身元も確認できた。手続きを続けましょう。処で、そちらのお嬢さんは身分証明をお持ちかな?」
「いえ、旅の途中でこの娘だけ助けることになりました。これも何かの縁と思い養女にしようと考えているのです」
「では一緒に身分証明を作ればいいでしょう。名前はあるのですか?」
「……いえ、今まではありませんでしたが、これからは“シルヴィア”と呼ぶことにします。むぅ!?」
その瞬間女児の体が光りに包まれる。外見的な変化は見当たらないが、エトは冷や汗が背中を流れ落ちていることに気付いた。
「「えっ!? 今のは?」」
「さあ、よく分かりません。夜まで何かと忙しかったので疲れて変なのもを見たのかもしれませんね。(これは……やってしまいましたね。まさか“名付け”親になってしまうとは)」
「そ、そうですよね(ふぇぇ)」
「……(何が起きたのでしょうか? エレクタニア所属の者は特殊だと聞いてましたが……)」
「処で、冒険者の登録とはいつもこのように面会が必要なのですか?」
「いえ、これは特例です、実はわたしたち冒険者ギルドという組織は国を跨いで運営されています」
「それぞれの国に協力はするものの、独立した組織だという事でしょうか?」
「その理解で間違っていません。それ故、わたしたちを助けてくれた方への恩義は適正な範囲で返すようにしています。今回もその適用例で、ルイ・イチジク様がわたしたちの窮地を救ってくださいました。そのお願いを聞き届けるというのが今回エトさんに適用されたという訳です」
「な……(こんな所でルイ様の名前を聞くことになるとは驚きです。ふふふ。退屈してないようですな)」
「驚かれましたか?」
「ええ、いつもわたくし共の斜め上をゆかれる御方ですので驚かされてばかりです」
くすっと微笑む老紳士を2人女性は一瞬見とれてしまうのだった。
「サ、サラ、ここで2人の手続きを済ませてしまいましょう。用意しなさい(人間相手にな、何をドキドキしてるのかしらわたしは!)」
「は、はい!(ほ、本物の紳士だぁぁ〜)」
サラと呼ばれた受付嬢がバタバタと部屋を出ていきすぐに戻ってきた。エトの身分証と白紙の身分証と記入用紙を持って。それをギルドマスターに手渡す。
「手続きは簡単です。エトさんは身分証をお持ちなので、冒険者であるという情報を加えます。シルヴィアちゃんは何も情報がないのでエトさんに最低限の情報を埋めていただいた上で身分証を発行しましょう」
「ありがとうございます」
「では、この水晶に触って頂けますか?」
促されてエトがソファーを立ち、ギルドマスターの前にある水晶に触れる。一瞬だけ淡い光が増す。
「職を持っておられますか?」
「はい」
「では、その説明は不要ですね。冒険者ギルドではジョブの変更、設定も行っていますので必要な時には声を掛けてください。これで冒険者登録は終わりです。身分証をお返ししますね」
「ありがとうございます」
「それと、この用紙にシルヴィアちゃんの情報を記入して頂けますか?」
自分の身分証と、記入用紙を受け取る。
「畏まりました」
受け取った用紙にすらすらと情報を綴っていく。30を数えるまでもなく、書き終えてギルドマスターに戻すのだった。
【名前】シルヴィア・スベストル
【種族】テイルへルナ人 / 人族
【性別】♀
【職業】ーー
【出身】エレクタニア
【備考】エトの養女
「ありがとうございます」
ギルドマスターはその用紙を受け取ると水晶に被せる。すると先程と同じように水晶の光が増す。実は身分証明を作成するために用いる記入用紙は特殊なもので、書き込んだ情報が水晶に吸い込まれる性質が付与されているのだ。その情報を水晶を通して身分証に焼き付け、本人の血を持って確定される仕組みになっている。因みに用紙は再利用されている。
「初めてみました。そのように造られるのですね」
「そうですね。普通は奥で処理しますから。後はこの身分証にシルヴィアちゃんの血を1滴つければ完了です。宜しいですか?」
「お願い致します。何か傷つけれる尖ったものがありますか?」
「こ、これをお使いください」
サラが小さなナイフを差し出す。果物の皮を剥いで切り分けるのにちょうどいいサイズだ。
「ありがとうございます。シルヴィア、少し痛いかもしれませんが我慢してくださいね」
エトは耳の聞こえない養女にそう語りかけてその小さな左手の人差し指をチクリと刺すのだった。よく手入れされたナイフのようで力を入れなくてもすっと柔肌を貫き、ぷくっと小さな血珠が顔を覗かせる。その指を誘導してギルドマスターの持つシルヴィアの身分証に血を付けるのだった。
先程のように粗相をする事もなく。滑らかにことは進む。この娘にはなにか不思議な感覚が備わっているのだろうか? ふとそんなことを考えながら自ら受け入れた養女の横顔を安堵と共に幸せそうに眺めていた。傷ついた自分の人差し指をちゅうちゅうと吸う愛らしい仕草に惚気けながらーー。
最後まで読んで下さりありがとうございました!
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