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レイス・クロニクル  作者: たゆんたゆん
第二部 アーブルフェリックの泪 第一幕 港街
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第108話 戻って来た者たち

 

 ……イくん。……


 「はぁっ!?」


 「わっ!」「きゃっ!」「えっ!」「なにっ!?」


 唐突に出した声に4人が飛び上がる。いや、その、ごめん。そんなにびっくりして涙目にならなくても……。


 「声が聞こえなかった?」


 火柱がまだ立ち上ってるお陰で周囲は明るい。見渡せる範囲で注意を向けても声の主は見当たらない。いや、そもそも声など聞こえてなくて、幻聴とかーー。


 ……ルイくん。……


 ほら来たーっ!


 「今聞こえなかった?」


 再度皆に確認するものの、4人はゆっくり首を横に振るのだった。可怪しいな。


 『スザはどうだい? 何か聞こえたり感じたりしないかい?』


 意識を頭上に向けて聞いてみる。


 『ーールイ様。何か居ますわ。ワイの浄化に(あらが)ってるのが。くぇぇっ!』


 『それ本当なの!?』


 『そんな嘘ついてどうしますのん』


 ナハトアの確認にもスザは憮然として答えていた。意思疏通するのは満更でもないらしい。いや好きそうだな、ナハトアのこと。


 ……ルイくん、ごめんなさい。本当はあの時に死んでたはずなのに、未練が残っちゃったの……


 「え、それは、あの、ナディアさん!? 嘘でしょ!?」


 次の瞬間、ぞわっと周囲の温度が下がったように感じ、肌が粟立(あわだ)つ。この感覚は“(けがれ)”だ。つまり、スザの炎に耐えれる不死族(アンデッド)がこの中に居るということになる。


 「「「「っ!?」」」」


 “穢”を感じ取った4人の警戒レベルが一気に羽上がる。ドーラやフェナは登頂部が逆立ってる気がする。カティナやシェイラたちのそんな姿をまだ見たことないから、ある意味新鮮だ。っと、今はそこじゃなくてこっちだ。


 「ナハトア、分かるかい?」


 「ここまで“穢”がはっきりしてくると嫌でもわかります」


 「と言うと?」


 「亡霊(レヴナント)です。それも2体」


 「「「「2体!?」」」」


 ……わたしも居るのよぉ~♪……


 「まさか、ナディアさんとほのか(・・・)さんなのか!? 別たれた!?」


 ……わたしもびっくりなのよぉ~♪ あぁら、ドーラにフェナも居るのねぇ~♪……


 「「っ!?」」


 ……大丈夫よぉ~♪ もう何もしないわぁ~。ルイくんに怒られちゃったし、これからはルイくんにベッタリよぉ~♪……


 「「は?」」「「えっ?」」「強力なライバル出現ね……」


 2人の姿が火柱の中からゆらりと現れる。半透明だが、さっき見た姿と瓜二つだ。見紛(みまが)うことはないんだけど、カリナ何さらっと劇薬を振り撒いてるんだ!? は? どういうこと?


 「いまいち状況が呑み込めてないんだけど?」


 ……わたしたちあの瞬間に事切れる寸前にルイくんがわたしたちの名前を呼んでくれたでしょ?……


 確かに呼んだ。人格が既に成長しすぎて1つの器に2つの人格が宿っていたんだから、どちらだけが主人格とは言いにくい状況だった。だから2人の名前を呼んだんだけど。それくらいで、亡霊(レヴナント)になるものかよ!?


 ……あの時に「あぁ、もう少しルイくんと居れたらなぁ」って2人が思っちゃったの。そうしたら女神様の祝福が発動しちゃった見たいで……


 女神の祝福!? あったな。確かにそれらしきユニークスキルを見た記憶があるぞ。あれの所為(せい)か。また厄介なものをーー。


 ……厄介なものをって思ってないかしらぁ~。ダメよぉ、ルイくん顔に出やすいんだからぁ~♪……


 それを口に出すお前もどうかと思うぞ?


 「それで2人はどうしたいんだい?」


 まずは意思の確認だ。ドーラとフェナは完全に威嚇中で、僕とナハトアの前に出てきて僕たちを守ろうとしてくれてる。恐らくだけど、ナハトアはついでにだろう。僕の方に2人が寄ってるから。カリナはと言えば、早々に距離をとって成り行きを見守ってる。その身代わりの早さには頭が下がるよ。


 ……わたしたちのご主人様に……


 「「「ダメェェェェッ!!」」」


 3人に拒否られた。僕はまだ一言も声を出してないというのに。


 「わたしたちだって許して貰ってないのに!」「そうです!」「あんな胸、いやらしい……」


 は? ナハトアさんや? 何を言ってるのかね?


 「えっと、お友だちからではいかがでしょうか?」


 ……良いわ。良いわよぉ~♪……


 「「ご主人様!?」」「ルイ様!?」


 ドーラとフェナがびっくりして振り向く。ナハトアは横から凝視してる視線が痛い。いや、スザの炎で消えないんだったら、浄化も無理だろう? 放っておくと回りに迷惑がかかること請け負える。なら目の届く処に置いておくのが一番という結論に至ったわけだ。


 ぽんっとナハトアの右肩に左手を置いて、優しく微笑みかけておいた。


 「ナハトア、宜しく!」


 「ルイ様!?」


 「亡霊(レヴナント)って言うなら、そのままの姿で付きまとわれると僕たちにとって悪影響がでる。放っておいても僕たちにも回りにも影響がでる。だったら手っ取り早く【従者】になってもらった方がナハトアの命令で僕から離しておけるんじゃない?」


 「あっ!?」


 悪魔の囁きだったかもしれない。ナハトアにとって都合のいい理由を挙げてみたんだけど、効果覿面(こうかてきめん)らしい。ナハトアの顔にやる気と歓びの色が浮かんで来たのが分かる。視線を感じてカリナの方に顔を向けると親指を立てて笑ってた。お前も好きものだね。


 「それに清算は必要だよ。ドーラもフェナもまだ君たちの事を(ゆる)してる訳じゃない。彼女たちの信頼を勝ち得るとこからがスタートだよ? ドーラもフェナもいい()だから、意地悪はしないと思うけどね。ね?」


 そう言って後ろから2人の鎖骨辺りに腕を回して抱き寄せたらーー。


 「「ふぇぇっ!?」」


 可愛らしい叫び声をあげてた。うん、ケアはこれで良し!


 ……ルイくんは女誑(おんなったら)しなのね。もう誑し込まれているから嫌とは言えないわねぇ~……


 「ぷっ!」


 カリナが吹き出したのをキッと睨み付ける、けど説得力がないのは自覚してる。でも肯定はしたくないんだ。


 「そこは違うからね!」


 『どうでもえぇけど、ルイ様はよせんとワイもあんまり時間ないで?』


 どうでも良いことはないが、スザの言葉で頭が冴えた。アイテムボックスから2本のクノペシュを取り出しナハトアに手渡す。


 「彼女たちが使ってた武器だから、依代(よりしろ)としては申し分ないと思うから使ってくれるかな?」


 「ありがとうございます! ルイ様!」


 「と言うことでナハトアは死霊使い(ネクロマンサー)なんだ。だから、彼女と【従者契約】しておけばいつでも傍に居れる。これが今でききる最大の譲歩だけど……どうかな?」


 ……惚れた男性(ひと)の傍に居れるのに、好きも嫌いもないわよねぇ~♪ お受けします……


 「どっちが誰なのか僕には見分けつかないんだけど、1人はナディア・ロカ。もう1人はホノカ・ダイジョウジという名前だからね」


 「ナディア・ロカ、ホノカ・ダイジョウジ……」


 ナハトアは名前を間違わないように何度も口に出し始めた。ここはもう任せても大丈夫だろう。邪魔をしないようにカリナの傍までドーラとフェナを急かして移動する。


 「あたっ!」


 取り敢えず黙ったままカリナの頭を(はた)いておいた。口は災いの元だぞ、カリナくん? 叩かれた当の本人はけろっとした顔で微笑んでた。やれやれ。


 『スザ、もう少し持ちそうかい? 必要なら魔力吸っても良いからね?』


 『おおきにルイ様。ほな、そうさせてもらいますわ。あ、せや。デンとラクが呼んでもらえてへんって()ねとったで? クエェェッ!』


 頭の上でスザが翼を広げて座リ直しながら鳴く。そう言われて見れば確かにそうだね。おっとこれは結構吸われた感じがするぞ? 炎を維持するための力って結構燃費悪いってことか。次からは無理を言っちゃダメだな。


 「【従者契約(バレットコントラクト)】!」


 ちり~ん ちり~ん


 鈴の音が優しく鼓膜を撫でた。懐かしい音だ。見ると、クノペシュの柄の先端に真鍮色(しんちゅういろ)に輝く鈴が1つずつ揺れていた。思惑通り、クノペシュが召喚具になったということだね。2本とも。


 『終わったみたいやな! ほな、ルイ様おおきに! クエェェッ!』


 『あ、スザ、ありがとう! デンとラクに宜しく!』


 一段と火柱の火勢が大きくなったと思った瞬間、炎がふっと消えて辺りが暗闇に包まれるのだった。火葬も首尾良く出来たみたいだね。消えた炎と一緒にスザの姿ももうない。見上げた星空は綺麗なんだけど、肝心な足下が全く見えないんだな。


 「光り在れ。【発光(ライト)】」


 「カリナ、光魔法使えたんだ! 助かるよ。ついでに燃え(かす)がないか見てもらえる?」


 「良いですよ」


 何て思ってたら、カリナが気を利かせてくれた。意外にしっかり者な面があるよな。カリナの出した光で丸太の祭壇があった場所に目を凝らすけど、何もない。綺麗さっぱり燃え尽きたようだ。約束は果たしたけど、これはこれで頭が痛いよ……。


 「ほい、ナハトア。これが(さや)だよ」


 先程拾い上げていた鞘つきのベルトを手渡す。ナハトアがそれを腰に巻いている様子を見守りながら、ヴィルのケースとの違いに気付く。そう、ナディアとホノカの姿が見当たらないんだ。鈴の音を振り撒きながらクノペシュを鞘に戻したのを確認してからその疑問をぶつけてみた。


 「ヴィルは気儘(きまま)に出入りしてるよね。でも2人がそう出来ないのはどうして?」


 「単純にレベル差だと思います。ヴィルとわたしではヴィルの方が上です。逆にナディアとホノカは亡霊(レヴナント)ととはいえ、レベル1なので自由に出入りできないのです」


 ほぉ、それは面白いな。レベル1と言うことは僕が吸ったのも関係してるかもな。


 ……でも、言いたいことは言えるわよぉ~♪ そうね。そこは問題ないみたい……


 「えっ!? 普通ならそれも無理なのに……」


 女神の祝福を受けてる時点でそりゃ普通じゃないわな。エレクトラという名前じゃないのは覚えてるけどまた女神のこと聞いてみるかな。今は不貞腐(ふてくさ)れてるであろうヴィルの待つ馬車にもどるのが先だ。


 「さ、ヴィルもご機嫌斜めになってるだろうから、馬車に戻ろうか。積もる話は帰りの道すがらすればいい」


 パンパンと柏手(かしわで)を打ちながら皆を促し、カリナが出してくれた明かりを頼りに来た道を戻るのだった。ただ、ドーラとフェナが妙にご機嫌で左右の腕を抱き締めて放さないんだ。どうしようこれ? と思ってナハトアに視線を送ったらぷいっと顔を逸らされてしまうし。その様子を(さかな)にカリナがニタニタ笑う。参ったな。


 (なか)ば諦めつつも馬車に戻った頃にはヴィルと別れて半刻(1時間)が過ぎていた。荷台の上で豪快な(いびき)をかきながら不貞寝(ふてね)をしてたヴィルをフェナに起こしてもらい、ギルド会館へ戻ることにする。まだやるべきことが山積みだ。こんなに忙しくしなくてもいいのに。


 満天の星空に散りばめられた無数の宝石たちが、荷馬車に揺られながらいちゃついてる僕たちをくすくすと笑うかのように(またた)いていたーー。




             ◇



 同時刻。


 (ようや)く空が夕焼けの色を拭きとろうとする頃、エレクタニアの領主邸前の中庭で独りの老紳士が1頭の大きな農耕用の馬に(くら)を着けていた。背中まで伸ばし首の付け根で束ねた銀色と灰青色の髪が、彼の動きに合わせて馬の尾のように揺れている。


 彼の回りには20人前後の人だかりがある。彼を見送るつもりで出てきたのだろうか? 薄暗くなりつつあった中庭を照らすために複数の油灯(カンテラ)へ明かりが灯されていた。その(あか)りに照らされて、腰まである銀髪を揺らしながら1人の美少女が歩みでる。その真紅の瞳には不安の色が浮かんでいた。


 「どうしても行くというのですか? エト」


 「はい、リーゼ様。あの時(・・・・)、ルイ様は組織を作ってもよいと(おっしゃ)られました。昨年の王都での一件は、情報次第で事前にどうにかなったと感じております。この国にわたくしどもの拠点がある以上、必要な情報収集網を今のうちに作り上げるべきだと、アイーダ様にも知恵を頂きました」


 少女に向き直り、軽くお辞儀をする老紳士。彼の右眼には片眼鏡が光っている。どうやら鞍の固定は出来たようだ。


 「アイーダ?」


 少女にしては思わぬ名前が出たのだろう。名前の主にふっと視線を飛ばす。そこに居たのは胸まで伸びた緩やかな癖のある金髪を()き上げる妖艶な雰囲気を漂わせた麗人だった。羊を思わせる黒い巻角が印象的だ。


 「あぁ、すまないね、リーゼ。でも、入れ知恵じゃないんだよ? 粗方構想が練り上がったものを見せれられて、足らないところを指摘してくてって言われちまったんだよ。断れないじゃないかぃ」


 そう答えて、アイーダは肩を(すく)めるのだった。リーゼとて責めるつもりで視線を向けたのではない。アイーダの方もそれは理解(わか)っているようだ。


 「はぁ。エト、貴方は昔からそう言う事に長けてましたわね。こちらに落ち着く前は前魔王(・・・・・)にも一目置かれていたとコレットから聞きました」


 「ーー過去の栄光は恥ずべき教訓でございます。それにすぐさま事を起こす訳でもございません。一月(ひとつき)のんびりと街道旅を満喫して、リューディア様に頂いた身分証明証で冒険者なるものを体験してからでございます」


 再びお辞儀した老紳士の口元には優しげな笑みが浮かんでいた。これからの事が楽しみなのであろう。そんな姿に再度諦めたかのように溜息を()くリーゼの横に、肩に掛かる金髪を払いながら女性でも見惚れるような美貌の麗人が並び立つ。


 「辺境伯の処へは顔を出すのか?」


 「シンシア様におかれては何かご用の趣がございましたか?」


 (おもむ)ろに問い(ただ)された真意を図りかねて、問い返す。


 「いや、特にないのだ。ただ奥方に逢うようなことがあれば挨拶を(ことづ)けたいと思っただけだ」


 「然様(さよう)でございましたか。ようございます。こちらから御目にかかることはないかもしれませんが、その折には必ず」


 「宜しく頼む」


 シンシア自身もその答えに満足したのだろう。ゆっくりとリーゼの肩に手を置いて微笑みかけるのだった。その笑みにリーゼも微笑み返し、横合いから出て来た陰に視線を向ける。


 「エトよ。これは餞別だ」


 「あなた!」


 ドワーフの夫婦がエトに何かを携えてきたのだが、物を手渡した時に出した言葉を(たしな)められ瞬間的に首を竦めていた。頭が上がらないのだろう。微笑ましい光景だ。


 「そう言う意味じゃねぇ! なんつうか言葉の(あや)だ!」


 「これはこれは、予想以上の出来映えでございますね。流石はベルント」


 ドワーフから手渡された左腕用籠手(ガントレット)には腕の部分に、(なた)のように分厚い40cm程の刃が2本の足で固定されていたのだ。それだけでもかなりの重量であることは想像がつく。しかし老紳士は事も無げに左腕に装着して見せたのだった。動きを確認して、ベルントにお礼を口にするエト。それは盾というよりも、押切ることを前提にしたような造りに見えた。


 「これを盾といって(はばか)らねぇ、その心意気が気に入ったのよ!」


 その様子を満足そうに眺めたベルントは、がはははと豪快に笑うのだった。そして、懐から(ろう)で封印した羊皮紙の巻物を取り出す。


 「コレットにはちゃんとした円形の盾をお願いしますね?」


 エトの注文に職人らしい答え方をしながら、その羊皮紙を手渡すのだった。


 「はん、分かってらぁ! それとこれは紹介状だ。昔馴染みのドワーフの鍛冶師が王都にいる。俺の師匠のようなもんだ。だから、道具はそこで手入れしてもらえるよに書いてある。昔の俺だと門前払いだろうが、打ったもの見せたら問題ねぇはずだ」


 「これはありがとうございます。さて、名残惜しくはございますがそろそろ出発致します。皆様もそのおつもりなでしょうから、先輩面出来るように頑張って参りますね。コレット、リーゼ様を頼みましたよ」


 リーゼの背後に立つ銀髪をボブショートに切りそろえた侍女に、エトはそう声を掛ける。リーゼ、エト、コレット、彼らの共通点は真紅の瞳の持ち主であり、銀髪を有しているということだ。彼らにしか分からない気持ちも恐らく交わした視線の中に含まれているのだろう。


 「お任せください」


 優雅な一礼で、エトの言葉に応える彼女の姿を一瞥(いちべつ)してエトは馬上の人になる。ふわりとフドー付きの黒いローブの裾が広がり、腰に下げた長剣(ロングソード)の鞘が灯りに照らされて黒く光った。どさりと鞍に尻を預ける音がして、エトは皆の方に振り向く。この老紳士、黒尽くめの出で立ちに(こだわ)ったようだ。


 「では、行って参ります」


 馬上からお辞儀をするエトに見送る面々から送り出す言葉が掛けられ、手が振られるのだった。


 「うむ、気を付けてな」「気を付けて」「「いってらっしゃぁ~い!」」


 輓曳馬(ばんえいば)の背に揺られ皆に見送られて領地を旅立つエト。その背を押すかのように優しく吹き抜ける微風(そよかぜ)は、森の薫りを運んで彼の装具や肌に(まと)わせて送り出すのだった。


 「ふふ。まさかわたしが一人旅に出る日が来ることがあろうとは……感慨深いものがありますね。ブラッドベリ卿と出逢う前ですから、500年は優に超えていますか。はは。そうですね。お前とも、ブリッツともそれ程の付き合いということになりますか」


 領外へと続く石畳をゆっくりと輓曳馬のゆっくりとした大きな歩幅に揺られながら、エトは(つぶや)く。視線を馬の方に落とし優しくその首筋を撫でるのだった。それに応えるように巨馬が鼻を鳴らす。意思の疎通が図れているということだろう。


 「旅はまだこれからです。ブリッツとも交代しながら行きますからそのつもりで居て下さい。貴方だけ(よん)んでいると(すね)ねてしまいますからね。ふふ」


 気が付くと領地の端に辿(たど)り着いていた。ふと振り返ると、暗がりの中で遠くに見える屋敷の外門に人影がぼんやり見える。領外に出るまで見送りに出てくれていたのだ。


 「ふふ。本当にリーゼ様は良い方々と巡り合われましたぞ、旦那様。これも御二人がルイ様を屋敷にお導きくださったお蔭でございますなーー。そう言うと笑われますか。ふふ。さて、それでは皆様しばしのお別れでございますよ」


 多くに見える人影を眼を細めて見ながら手を振ると、エトは向き直って巨馬の腹を軽く蹴り、漆黒に塗りたくられたような森の闇の中へ馬を駆って行ったのであった。森の中に突然現れた大きな陰に驚いて、鳥たちが羽撃(はばた)き、悲鳴を上げる。その様子を見届けた人々は老紳士が領地を出たことを悟り1人、また1人と己が家に、屋敷に姿を隠して行く。


 ただ満天の星空に散りばめられた無数の宝石たちが、姿を隠した見送り人たちに変わりいつまでも手を振り続けるように(またた)いていたーー。






             ◇






 この日から一月後、王都へ無事辿(たど)り着いたエトの左腕に乳離れしたばかりと思われる幼い女児が抱き抱えられていたのだった。


 「あ〜、うぁ〜〜」


 まだ言葉として声を発せない女児の顔を撫でながらエトは困ったように(つぶや)く。


 「やれやれ、どうにか王都に戻ってきましたが、どうやらわたしもルイ様のお節介が伝染(うつ)ってしまったようですねーー」


 いつも冷静沈着の老紳士が狼狽(うろた)え、そわそわしていたーー。


最後まで読んで下さりありがとうございました!

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