巣音 マガタマ 第三部
F多田「はい、時刻は深夜2時30分。古来より魔の時刻とされています、丑三つ時を向かえました。えーではでは、みなさんOKですか」
羊地蔵「はい、OKでーす」
有機酸「ほい、トルティーヤも準備したからバッチリやで」
F多田「えっ、トルティーヤですか。あははっ、いいですねー。こちらは、葛餅出しました」
有機酸「あぁ、それもええなぁー。わしも天神様の参道に、子供ん時から行きつけの茶屋があってなぁ。参拝のたびに、そこで葛餅をよう食べるんよぅ」
羊地蔵「ひょっとして、おかみさんが小唄のお師匠さんされてるお店ですか」
有機酸「おぉ、そうや。羊地蔵さんも知っとるんかいな」
羊地蔵「えぇ、僕の叔母さんが一時趣味で小唄を習っていまして。そのお師匠さんが、天神様の参道で和菓子茶屋の女将さんもしているんだと、そこの葛餅が格別に美味しいからってお土産でよくもらっていました」
F多田「へぇ、そんなに美味しいですか。あとで場所を教えて下さいね」
有機酸「ええよ。ほむらさんにも地図付きで教えるから、行ってみてなぁー」
ほむら「えっ……は、はい。びっくりした……急に話を振られたので」
F多田「あははっ、ほむらさんは何か食べ物用意したのかな」
ほむら「はい。事前にフューリーさんから夜食が必要だと言われたので、うちのお店からパンプキンケーキを持ってきました」
羊地蔵「え、夜にケーキって女性的にNGなのでは」
F多田「いやいや、ほむらさんのお店のは……あっ、掲示板の方にお店の場所と俺的おすすめスイーツを写真添付で載せてあります。良かったら、ぜひお店でご賞味下さい」
ほむら「宣伝ありがとうございます。その女子的には、深夜帯の間食自体に抵抗があるんですけどね。フューリーさんに『マガタマの決まり』だからって言われて用意しましたけど、これって理由あるんですか」
F多田「うん、それ説明してなかったね。えっとね、確か10回目からだったかな。それまでのマガタマ放送中にも色んな怪異が起こっていてね」
有機酸「あの頃は、特に恒例みたいになっとったなぁー。なんか起きて当たり前、言うんかなぁー」
羊地蔵「もう、僕らも諦めてましたからね。変な気持ち悪い音や声が入ったり、僕なんて首筋を撫でられましたからねぇ。部屋に僕しかいないのに、参りましたよー」
F多田「色々あったねー。俺が一番びっくりしたのは、濡れた頭の女が横の窓から覗いてことだわ。この部屋三階だし、あの窓は出窓だから覗けるわけ無いのに……あー、思い出したら、すごい鳥肌立ったー」
有機酸「わしもワインボトルが抜けた時は、腰抜けそうになったわぁー」
羊地蔵「あの時は音がすごかったですよねー。何かが爆発したような音がヘッドセット越しに聞こえてきたから、慌てましたよー」
ほむら「え、えっ、ワインボトルが抜けたって何ですか。爆発したような音って」
有機酸「あれは……フューリーさんが、人形の話をしとった時やったかなぁ。わしはボルドー地方の赤ワイン飲んどってな。グラスが空になったから注ごうとワインボトルを持ったんよ、そしたらバンッて音と同時にワインボトルの底が抜け落ちたんやわ。カーペットに赤ワインのでっかいシミが出来て、ごっつー嫁に叱られたわぁー」
F多田「あははっ、叱られたんですか」
羊地蔵「カーペットのクリーニングは値段高いですからねぇ。僕の部屋にも独身時代に買った羊毛のカーペットが敷いてあったんですけど、いつの間にかポリエステル製のカーペット替えられてましたからね」
F多田「羊地蔵さんの奥さんはしっかり者だからね。羊地蔵さんが、何かをこぼす前に替えたんでしょうけど。それにしても、気付かないうちに替えるってすごいね」
有機酸「わしの嫁さんも、わしが気付かんうちにパンツを赤パンに替えとったよ。それも、全部やで」
羊地蔵「いやいや、気付きましょうよ。てか、わかるでしょ。まさか、奥さんに着替えさせてもらってるわけじゃないんでしょね」
有機酸「いやなぁ。結婚してから、ずっと風呂あがりに用意してあるんのを身に付ける生活やから気付かんかったんやー」
F多田「その理屈からいくと、Tバックの下着でも履いちゃってますよね。それって、わははっ」
羊地蔵「や、やめて下さいよ。想像しちゃったじゃないですかー」
ほむら「あっはっは」
F多田「話がずれちゃったので、戻しますよ。そんな怪奇現象が連続したので、どうしたものかと放送中に相談していたら……あれは、羊地蔵さんのリスナーさんでしたっけ」
羊地蔵「はい、そうです。僕の放送の常連さんで、イベントにも参加してくれている魔虫さんという方で。言って良いのか分かりませんが、心霊現象総合商社という組織のCEOですね」
F多田「それって、本人が公言しているんですかねぇ。私もその名刺もらいましたけど、あはっ。とにかく、その魔虫さんが言うには、ポルターガイスト現象は空腹時に発生しやすいと。脳科学的な意味合いでは、脳内に栄養や酸素が不足すると幻視、幻聴を起こしやすいので、いずれにしても栄養摂取は効果的な手段であるって教えられてね」
有機酸「うん、思い返してみたらなぁ。放送中に何かしろ食べたり、飲んだりしとる、わしが怪現象少なかったよな」
羊地蔵「有機酸さんは、その代わりに食べてるその音が入ってうるさいって、リスナーさんに怒られてましたけどね」
F多田「正直なところ半信半疑でしたけど、ものは試しだと思ってリスナーさんにも呼びかけてやってみたところ。次の放送には、ほぼ何も起こらない状態だったので正式採用したんですよ」
羊地蔵「ほんと、びっくりするぐらい放送時の怪異が起こらなくなりましたからね。うちの放送でも使わせてもらってますよ」
ほむら「へぇ~、そんなに効果があるんですね。……でも、それって良かったですか。マガタマの魅力の一つだったんじゃないかなぁー。なんて、えへへっ」
F多田「それねー、難しいところなんよねぇー。俺自身は、体調不良なんかが起こらない限りは話ネタになるからさ。この手の職業をしているからにはさぁ。怪談話は欲しいけど、怪奇体験は欲しくないってのは、なんか違う感じだしね」
有機酸「まぁ~、わしとフューリーさんは何もせんでも月一くらいで怪異体験しとるからな。むしろ、マガタマを始めてから月一が月二、三に増えたくらいでは大差ないしな」
ほむら「はぁ~、そうなんですか。あれっ、羊地蔵さんはどうだったんです」
羊地蔵「僕はねぇ~。怪奇体験したいのに、なかなか起こってくれない体質なので喜んでたんですけどねー」
F多田「喜んどったんかい」
羊地蔵「ええ、まぁ。いや、もちろん首筋撫でられたのとか気持ち悪かったですよ。でもねぇ、よっしゃー怪談ネタが増えたぁーって思いもありましてね。ええ」
有機酸「でも、えらい泣き出しそうな声上げとったでぇー。あんときの羊地蔵さん」
羊地蔵「いやいや、だから泣きそうだったというか涙出ましたからね。怖いのも気持ち悪いのもあって、それと同時に怪奇が起きた喜びもあったんですってばー」
F多田「変だよ、それ。俺は正真正銘の怖がりだからさぁ、その時には早くいなくなってくれーって思うだけだよ」
ほむら「つまり、羊地蔵さんは怪談スポットに望んで行くタイプの人なんですね」
羊地蔵「えっと、基本的には怪談話を聞いて集めるのが趣味なんですけど。一人じゃなければ、結構自分から行っちゃう人間ですね。一人ではあまり行きたくないんですけどね」
F多田「その話ってさぁ。前に、俺と羊地蔵さんがケンカした時にも話してた話題だよね」
羊地蔵「あぁー、ですね~。あの時は、心霊スポット巡りしていますっていう人が掲示板に書き込んでそういう話になったんですよね」
F多田「そうそう、それで心霊スポット巡りなんて良くないよって俺が言ってね」
有機酸「なんやー、そんな流れの話あったんかー。わし全然覚えておらんけどなぁ」
F多田「あぁー、有機酸さんは別件でいなかったかも。あの時は、怪談スポットバスツアーやってた時期だったと思いますよ」
羊地蔵「たしか、そうですね。居たなら、早めに止めてくれたでしょうから。あれは、ネット通信だったから良かったですけど、実際に会って放送してたら殴り合いになってましたよ」
F多田「かもしれないね。あとで見たら、掲示板で止めに入った書き込みがかなりの数ありましたもの。ほんと、あの時はリスナーさんにご迷惑おかけしました」
羊地蔵「イベント会場でやってたら、僕が鼻から赤い物垂れ流しながら土下座してたでしょうからねぇ」
F多田「いやいや、羊地蔵さんは格闘技有段者じゃないですか。俺はなんにも習ってないから、土下座してたの俺のほうが可能性高いっしょ」
羊地蔵「絶対違いますよぅー。実戦経験ゼロですもん、僕。その点フューリーさんは…………ねぇ」
F多田「その変な間は、いらん誤解を招きかねませんってば。……ほらー、掲示板の書き込みが大変じゃないですかぁ」
ほむら「そもそも、なにがそんなに白熱した議論になっていたんですか」
羊地蔵「ううん…………簡潔に言うと怪談に対する立ち位置ですかね」
F多田「……そうだね。俺の場合にはさぁ、ほとんどが実体験の話だし、詰まるところは身近な人間の話が俺にとっての怪談の入り口だからさ。あんまり茶化したりとか、エンターテイメント性みたいなのは無くして『純粋な怪談』って言うのかなぁ。そういうのを聞いてもらいたいし、話したい人なんだよね」
有機酸「うん、そうやなぁ~。フューリーさんの話ってのは、上質なシングルモルト酒みたいな落ち着いた雰囲気の話が多いなぁ。その点、羊地蔵はブレンデッド酒のような多面的内容な話を好んでしとる感じなぁ」
羊地蔵「さすがは有機酸さん、例えが秀逸ですね。実際、僕自身体験した話よりも、誰かに聞いた話が圧倒的に多いのでねぇ。ある意味での脚色というのか、僕自身がその体験談を聞いたイメージを膨らませて話させてもらってますね。僕はどちらかと言えば、幽霊が見えないし、感じないので方向性としてそうなってしまうのかもしれません…………すいません、カッコつけました。本当は、単純に僕が楽しいからだけです」
ほむら「うふふっ、自白した。……あれっ、でも羊地蔵さんって大ネタの体験談ありましたよね」
羊地蔵「大ネタって言われると、戸惑うんですけど。僕自身の私見では、あの話は一緒にいた友人が引き寄せたというのか、僕は巻き込まれただけって感じがしてるんですよ。まぁ……もしかしたら、関係あるかもしれない出来事が僕の周辺であるにはあったんですけど。正直言って、結びつけたくないですねぇ~」
F多田「羊地蔵さんってさぁ、怪奇体験をしたいってよく言ってるけどさ。俺が思うに、普通の人以上にかなり怪奇体験してるし、分かっていながら曰くつきに突撃してる人だよね」
羊地蔵「…………どうなんでしょうねぇ~。一応、僕自身は出来るだけ怪談収集をしたいんですよ。ただ、体調不良起こしたりとか、そういった障りは受けたくない人間なので。できたら、誰かに凸してもらって体験談を集めるのが理想ですね。あははっ」
有機酸「ひどい奴っちゃなぁー。そんなん言うとると、いつか周り回って来んでー」
F多田「そうですよー。この業界にいると麻痺してしまうところですけど、祟りを軽く見てると某怪談蒐集家のNさんみたいに長期入院なんて事になりますよ。まぁ、Nさんは軽く見たというよりも引き寄せてしまっている感じですけどね」
羊地蔵「あぁ~それは勘弁ですよー。その話をあとでNさん本人に聞いたら、当初は全員が本物なのか半信半疑で取材を始めたそうですよ。でも取材を進めていくうちに、Nさんの第六感が危険警報ガンガンに鳴らし出したって言ってました。それこそ、ああやって目に見えるカタチで祟られるなんて、初めての体験だったと。二度とごめんなんだけど、この仕事をしてると避けられませんねって、諦め気味に笑ってました」
F多田「正直言って、すこし無茶は控えて欲しいんですけどねぇ。Nさんの場合には、彼を守ってくれてるのが強いからあの程度……って十分に重篤なんですけど。そうじゃない人なんかが、うかつに関わったりすると命取られる危険すらありますからね。いくら科学的に立証されてないと言っても、統計学的なデータでは障りがある可能性がかなり高いのですから」
有機酸「そうやなぁ~。証なんか無くても、体調に支障をきたすんのは良くないもんなぁ」
羊地蔵「ですねー。分かってはいるんですよ、分かってはいるんでけど、行ってネタを拾えれば小金が稼げますから。僕の場合はそこに加えて、怪談関係者と仲良くなっていずれは怪談の神様と共演したいって夢がありますから。あははっ、完全に願望ですけどね」
ほむら「羊地蔵さんって、そんなに怪談収集のために罰当たりな場所に行ってるんですか」
羊地蔵「そんな風に、直球で聞かれると答えずらいんですがね。う~、振り返って見ると、はいとしか言えませんね」
ほむら「そうなんですかー。最低ですね」
羊地蔵「っえ……えぇーー」
F多田「ちょっちょちょっと、ほむらさん。反応まで直球になってますってば。こりゃ、困ったなぁ。えっと先に言っておくべきだった事ですが、ほむらさんはですね。興味本位の心霊スポット巡りをしている人が嫌いで、動物専門の事象探偵になった経緯の人なんで」
有機酸「ほぉ~。ほな、羊地蔵さんみたいにチャランポランで怪談スポット突撃する人間は、大っ嫌いなわけやなー」
羊地蔵「ひ、ひどい、ひどすぎる。僕、マジで泣きますよ」
F多田「こらこら、有機酸さんまで追い打ちかける事を言わないで下さいよ。とにかくね、不謹慎な事をして幽霊や不思議な存在を笑いモノにする人が嫌いだってことでね。このマガタマに出演して頂くのに、3時間くらい話し合いましたから。もちろん、酒もタバコもなしで」
羊地蔵「3時間ですか。そんなに大変だったなんて、知りませんでしたよ。僕なら無理です、そんなにタバコ吸えないのはキツイですもん」
F多田「いや、俺も普通なら途中退場していたよ、きっとね。だけどさ、ほむらさんとの会話というか心霊談義はとても充実していてね。ほら、羊地蔵さんとケンカになった時も言ったけどさぁ。怪談っていうのは一歩間違えば、人の心を傷つけかねない危うさがあるんだよ。怪談を聞いてくれる人の大切な思い出や価値観に少なからず影響を与える事を念頭に置いて、真摯に向き合わないといけないのさ」
羊地蔵「う~ん…………フューリーさんの言いたいことは分かるんですよ、僕だって。自分自身もある一つの怪談を聞いた事で、ものすごい衝撃を受けて今日まで怪談バカを続けてきたわけですからね。その話がきっかけで出来た友人関係もありますし、僕の人生を大きく変えたのは揺るぎ無い事実です。だけど、それでもねぇー…………僕自身の中では、怪談がマンガや小説と同じような娯楽の一つだって感覚が強いんですよ」
F多田「いやいや、娯楽であるのは間違いないよ。娯楽だけど、解明できない不思議な話なんだけど。そこには、実在した亡くなった人、実在している体験者がいるわけさ。そこに心を寄せることが時に、怖かったり、優しい気持ちになれたりするところが、実話怪談の独特な良さ、味なのだと俺は考えているし、怪談語りをしていく上で蔑ろにしてはいけない部分なんだと、自分を戒めているところなんだ」
有機酸「……ふむ、そうやなぁ。フューリーさんの言うとる事は忘れてはいけない、人の道やと思うよ。そして、羊地蔵さんの感覚もよ~く分かる。わしは実話だけやのおて創作怪談を書いたりもしとるからなぁ。昔イベントプランナーやっとった時の経験から、どうやったら人を喜ばせられるか知っとるから、考えて工夫をするのは簡単な話やけど。そっちにばかり比重を置いてまうと、聞いた後に残るもんが薄っぺらいんよなぁ~。すぐに忘れ去られてしまう話になってしまう」
羊地蔵「それは…………そうですね。難しいんですよね、さじ加減というのか立ち位置が。……僕はどこかで、懐疑的というのか心の距離を置いておきたいんでしょうね。だから、どうしてもエンターテイメント性を外せないし、承認欲求と言うか目立ちたい思いが先走ってしまう。本当は飾り立てれば、立てるほど滑稽で僕自身が虚しくなってるんですけどね……」
有機酸「なんやぁー、羊地蔵さんと思えんくらいに真面目やなぁ~」
羊地蔵「ちょっと、そこで茶化さないでくださいよー。……なんか変な雰囲気なので、空気かえるのに僕から短いの2つやらせてもらいますね」
F多田「はい、お願いします」
羊地蔵「この話は、神奈川県在住でOLをしているAさんから聞いた話です。それはAさんが大学を卒業し、新入社員として働き始めて間もない頃の出来事。Aさんは毎朝、会社へと自分が運転する車で出勤していました」
Aさんの自宅から会社まで、約10キロの長い道のりがありました。朝の出勤ラッシュを避けるために、あえて山沿いの旧道を抜けるルートを選んで通っていたためです。その通勤ルートの途中には神社があり、その前を通る道路からも見える大きな赤い鳥居が建っていました。
それは、毎日社会人として初体験な出来事ばかりで、目まぐるしい日常に疲れを感じはじめた時期のことでした。
いつも通りの通勤ルートを会社に向かって車を走らせていた時、急な眠気に襲われて危険だと感じ車を左に寄せて停めました。
「自分でも気付かないうちに、日頃の疲れが溜まっていたのかなぁ。う~ん、眠い……目を覚まさないと。ここは神社前かぁ…………あっ、そうだ」
眠気を感じて車を停めた場所は、幸運にも神社の前の道でした。何が幸運かと言うと、この神社で交通安全祈願のお守りをもらった日に、境内で自動販売機を見かけていたのだ。その時に無糖のコーヒーが売られていた事もなぜか覚えていました。
車が通行の邪魔にならない場所にあるのを確認して、私は目覚ましのコーヒーを買いに自動販売機のある境内へと入って行きました。
早朝の神社の境内は、鳥のさえずりと境内を掃除するホウキの掃く音だけでとても落ち着いた雰囲気に満ちていた。この空間を歩くだけで、身も心も清められていくような清々しい気分に心が包まれていく。
「ただ単に、自動販売機へとコーヒーを買いに歩いているだけなのよね。うふふっ」
なんだか、そんな自分自身がおかしく思えて自然と笑みがこぼれてしまう。とはいえ、出勤途中であるがために足取りは早歩きになっている。それもまた考えるとおかしくて、笑みが止まらなかった。
チャッチャリン…………ピッ……ガコッン
結局、笑みを浮かべたままで目的の自動販売機に着いてしまった。私が覚えていた通り、販売機にはコーヒーが置いてあり、私は迷わずそれのホットを購入した。
その場でコーヒーを開けようと、缶のタブに爪を引っ掛けたところで動きを止めた。目覚ましにコーヒーを飲みながら車まで境内を歩こうと考えたわけだが、さすがに行儀が悪いなと思い直した。
「うん、車に戻ってからにしよう。それが大人、社会人よね」
こうして、私は足早に境内を歩いて車へと戻ることにしました。
「うん……あ、あの子か…………」
赤い大鳥居の近くまで来た時、鳥居の柱付近に同じように赤い四角いものが見えた。私は、すぐにそれがランドセルだと気が付き、そこに小学生の女の子がいることがわかった。
というのも、この道を通勤ルートにしてから毎朝女の子を見かけていたのだ。鳥居の柱の近くでランドセルを背負って立っている姿を、車で通り過ぎるたびに目撃していた。多分、一緒に登校する友達を待っているのだろうなと、とても微笑ましい気持ちで遠目に見ていた。
どんな女の子だろうと気になって、その女の子がいる柱の反対側にまわって見た。
黄色い帽子に薄緑色のジャージを上下に着て、身体を覆い隠せそうに見えるランドセルを背負っている。色白でまつげが長い、きっと大きくなったら美人になるのだろうなと素直に思えた。
「ん……なんだろう…………」
ふと、なにかに胸の中をくすぐられるような感覚がした。
「ゆ~みーちゃーん」
背後からそう言う声がして振り返ると、鳥居の柱で待っていた女の子と同じ薄緑色のジャージを着た同い年くらいの女の子が手を振りながら走ってこちらへ向かって来た。
その女の子は私の前を笑顔で手を振りながら、通り過ぎて待っている女の子へと走って行く。女の子が通り過ぎる時に、ランドセルの右側に付いているネームプレートが目に止まった。
そのネームプレートには、2年4組里中美玲と書かれていた。
「じゃあ、行こう」
その二人の女の子は、お互いうれしそうに微笑み合いながら手を繋いで楽しそうに歩いて行きました。
「……うーん…………なんだろう」
微笑ましい女の子達の後ろ姿を見送りながら、私はなんだか妙にモヤモヤとした思いに囚われていた。
「……って、いけない。遅刻しちゃう」
私は慌てて車に乗り込み会社へと向かいました。その頃にはなぜか、あの耐え難い眠気は消え失せていました。結局、せっかく買ったコーヒーはその日ずっとドリンクホルダーに置かれたままで、退社後に私と一緒に帰宅することになってしまいました。
その日から2日後、会社から帰宅した私にお母さんが封筒を持って思いもしない事を告げました。
「あなたがお世話になってた日向園の園長さんが、今日のお昼にいらしてね。あなたが昔担当していた園児さんが亡くなったそうで、明後日に葬儀が行われるそうなのよ。小学校に上がったばかりで、可哀想にねぇ」
「えっ……だれが亡くなったの…………」
私はお母さんから封筒を受け取り、封筒の中から折りたたまれた便箋を取り出した。それには葬儀告別式の予定が書かれていて、一番下の段に故人『里中美玲』と名前が書かれていた。
「………………」
私は二重のショックで言葉を失くしました。2日前に、私の前を満面の笑顔を浮かべて元気に通り過ぎた女の子が亡くなったこと。そして、その女の子里中美玲のことを私は完全に忘れていたということ。記憶には自信があるつもりだったのに、1年間一緒に過ごした女の子を今頃になって思い出すなんて自分があまりに情けなくて悲しくなりました。
今から3年ほど前、私は大学在学中に保育士の資格を取って、近所の日向園で保育士のアルバイトを1年間していました。お母さんが昔保育士をやっていたことだし、私自身が子供好きだったので楽しくアルバイトができて、就活の履歴書の項目にも書けるので一石三鳥だろうという考えで始めたものでした。
実際には楽しい事ばかりではなかったけれど、とても良い経験をいっぱいさせてもらえた。かけがえのない1年間を日向園で過ごし、園児達とも年の離れた友人のように仲良くなりました。
里中美玲ちゃんも、そんな仲良くなった園児達の一人でした。彼女は生まれつき身体が弱く、ときおり貧血を起こして倒れることがあったので、特に目を離さないようにして気を付けて対応していました。
私が日向園をやめる日に園長さんが、里中美玲ちゃんはもうじき病院に入院することになっているんだよと言っていたので、美玲ちゃんを励ました覚えもありました。
「そうか……美玲ちゃんだったんだ…………」
あの鳥居の前で女の子を見た時に感じた不思議な感情は、懐かしさとある種の予感だったのかもしれません。
翌日、上司に里中美玲ちゃんの葬儀出席のために休暇を願い出ました。入社して間もないこともあって、上司や同僚には嫌な顔をされましたが、私自身の中では葬儀に出席することが最優先でした。
そして葬儀当日。会場へと喪服を着て出席すると、懐かしい人達の悲しみに沈む姿がそこにはありました。
祭壇の中央に飾られた写真には、あの日に私が見かけた輝くような美玲ちゃんの笑顔がありました。頭で分かっていた事とはいえ、写真という現実を目にしたことで悲しみがより一層深くなり涙が溢れました。
それでも、葬儀に駆けつけた参列者の皆が美玲ちゃんを愛していたのだと伝わってくる良い葬儀であったことが救いであるように感じました。
葬儀を終えて家に帰ると、玄関先でお母さんが清めのお塩と手洗い桶を用意して待っていました。
私はお母さんから清めのお塩を受け取り、身を清めながら良い葬儀であったことを話ました。
「……そうなの。それにしても本当に可哀想よねぇ…………そう言えば昔、あなたの同級生の女の子も同じくらいの年で亡くなったことがあったわねぇ」
「……えっ、同級生…………」
そう、この時になってやっと思い出したのです。美玲ちゃんと同じように、私には小学校へ入学してまもなく事故で亡くなってしまった同級生がいたことを。
私はあわてて自分の部屋に戻って、幼稚園の卒園アルバムを開きました。
「……あっ……佐竹夕美。彼女だったんだ……」
そこには卒園記念遠足で、無邪気な笑顔を浮かべた女の子佐竹夕美ちゃんが幼い私の隣で手を繋いで写っていました。それは大鳥居の前で待っていたあの女の子に間違いありませんでした。
一体、どういうことなのだろうと私は混乱しました。だけど、すぐにある出来事を思い出しました。
それは小学校の入学式当日。目新しい小学校の校舎に、はしゃぎ過ぎて迷子になっていた私を夕美ちゃんが見つけてくれたこと。そして、入学式会場まで手を繋いで連れて行ってくれたと懐かしい思い出。
それからも時々、赤い大鳥居の柱の影に赤いランドセルを見かけることがあります。きっと、夕美ちゃんは迷わないように道案内しているのでしょう。
あの日、迷っていた私を助けてくれた時と同じように。
有機酸「ええ話やなー」
F多田「なんだか不思議な話だね」
羊地蔵「不思議ですよねぇ。真っ昼間、それも朝方に顔形まではっきりと確認しているんですからねー」
ほむら「う~ん、その後にもランドセルを見かけているのが、なお増して不思議な怪談ですねぇ」
羊地蔵「でしょ。Aさんも子供の時代の顔形だから、見間違いもあるんかもしれないなぁと思ってね。その近所で聞き込みしてみたり、地図で小学校が女の子達の去っていった方向にあるかどうかを調べてみんですけど。その方向にスクールバスの停留所なんかはないし、学校も20キロくらい先に高校があるくらいだったそうです」
有機酸「ほな、その女の子が霊界への案内役をしとるんやろなぁ~。二人ともに笑顔やったいうんが、ほろっとくる感じやねぇ~」
F多田「きっと二人とも、心から楽しく通ってるんでしょうね。なんだか、救われるような気持ちになる話だね。羊地蔵さんにしては、珍しい良い話だね。がははっ」
羊地蔵「そうでしょ~。こういうのも出来るんですよー、僕は~…………自分で言ってて、違和感がハンパないですねぇー。あははっ」
有機酸「ほんま、別人みたいやね」
羊地蔵「そう思うでしょ、有機酸さん。それでね、この話をとある怪談イベントで語ったんですよ。そうしたら、先ほどの会話でも出てきた魔虫さんが友人を連れて挨拶に来てくれまして。その時に聞かせてもらったお話が二つ目の怪談なんですけどね」
F多田「ほぉー、今の話に関連があるわけですね。では続けて、どうぞ」
羊地蔵「あ、いや直接的な関連はないんですけどね。その魔虫さんが連れて来た友人さんは、Yさんという映像関係の仕事をしている男性なんですが…………」
Yさんはその日のイベントが怪談会参加初体験だったらしく、とても興奮した面持ちで僕に握手を求めてきました。
「とっても、楽しかったです。特に羊地蔵さんのお話は心にしみました、ありがとうございます」
「えっ、あ、あぁ。こちらこそ、ありがとう……」
僕は正直言って、その気迫に圧倒されました。うれしい気持ちもあったんですがね、なんだか怪談の神様Iさんに会った時の自分を見ているようで、僕もこんな不審人物だったんだなとへこみました。
ともかく、お互いに挨拶を済ませて雑談タイムに入りました。
「…………そういえば、私も子供に関わる怪談が身近であったんですよ」
十五分ほど雑談をしていたら、急にYさんがそう話を切り出してきました。
「私はねぇ、今の仕事をする前には太陽光発電関連の会社に勤めていたんですよ………」
そう言って語り始めたYさんの話は、所々その会社での愚痴や面白い先輩や取引相手が居た話に脱線しまくっていた。途中なぜか小学校時代にコックリさんをして、初恋の相手本人にそれがばれた話も混じっていた。
バラバラに散らばって語られたYさんの話をまとめると、こういうことらしい。
Yさんが以前に勤めていた会社というは、その業界では有名な会社で社長も名物社長と呼ばれる人だったそうだ。社員に優しい社長さんで、社員の家族も誘っての慰安旅行定期的に行うほどアットホームな社風の会社だったので、Yさんは定年までこの会社で頑張って働いていこうと考えていたそうです。
そんなある日、Yさんが出社すると社長が玄関前をはき掃除していました。それも上機嫌らしく、鼻歌を鳴らして笑顔で社員たちを出迎えていたのです。
「社長、おはようございます」
「おぉ、おはよう。どうだい、元気かいY君」
社長と朝の挨拶を交わしてYさんは確信しました。社長の受け答えの声は明らかに弾んでいました。これは、よほど良い事があったに違いないなと。
「はい、元気です。元気ですけど、社長は僕以上に元気そうですね。何か良い事でもあったんですか」
「う~ん、わかる、わかっちゃうか~。あのね~、妻がさぁ~なんと妊娠したんだよー。最高の気分さー」
いますぐにでも小躍りしそうな社長のテンションに、少し面食らいつつも僕もとてもうれしい気持ちになりました。
社長は54歳、奥様は43歳で長年にわたって不妊治療に励んでいたことは、社内では誰もが知る話でした。僕自身も子宝に恵まれるという事で有名な神社、仏閣のお守りや御札を社長夫妻に送ったことが何度もありました。
それともう一つ、社長夫妻が業界内でも有名な理由がありました。それは『座敷童子』を信仰していることです。なんでも、奥さんの生まれ育った地域では『座敷童子』を氏神様の祠と並んで建てるのが一般的だそうで、会社でも神棚の横に『座敷童子』を祀った社が置かれていました。
もちろん『座敷童子』ということなので、幸運を運んでくれたり、願いを叶えてくれたりする存在だそうです。
ただ、よく言われる『座敷童子』のように見たり、現象に出会っただけでは何も良いことが起こらないのだと奥様が教えて下さいました。「では、どうしたらいいのですか」と尋ねると、奥様はただただ微笑みを返すばかりで何も答えては下さいませんでしたが、どうやら儀式があるらしいのだと社長がこっそりと話してくれて「妻はその方法を、私にも秘密にしているんだよ」と笑っていました。
「良かったですね、社長」
「あぁ、本当にありがとうなY君。あははっ」
その朝に社長が見せた満面の笑みは、今も僕の心に残っています。
それから2ヶ月ほど経過しようとしていた頃、世界的なニュースにもなった株価暴落事件が起こりました。それはショックだなんて言葉では、到底足りないくらいに大きな悪影響を世界全土に与えました。その経済的ショックは我が社にも悪手を伸ばしてきました。
破滅を告げる鐘の音のように鳴った電子音。それはショックの震源地と呼べるアメリカに置かれていた支社長からの電話でした。
秘書が電話に出て、社長へと取り次いで10分ほど経った時。
「……な、なんて事をしてくれたんだぁー。バカヤロー」
社長室から、ものすごい剣幕でそう怒鳴る声が聞こえてきました。普段の社長からは想像できない電話応対に、これは何かとんでもないことが起こったのだとその場に居た全員が想像できました。
アメリカ支社長との電話を終えて社長室から出てきた社長は、暗い顔つきで事情を説明してくれました。
どうやらアメリカ支社長は独断で住宅投資を行っていて、その仲介をマフィアと関わりのある業者に頼んで取引していたようなのです。それだけでも大問題なところに、今回の住宅関連の破綻が発生したことで事態は支社長一人の懲戒解雇では償いきれない最悪の状況を生み出してしまったのです。
それからの日々は、修羅場とも地獄とも呼べる日々でした。
社長は資金調達とマフィア対策に奔走し、社員の僕たちは得意先や下請けに足を運んで事情を説明してつつ、会社の存続を目指して努力しているので今後も安心して取引してもらえるようにと毎日お願いしを続けました。それでも契約を打ち切る取引先は後を絶たず、引き潮が去るように一斉に我が社から手を引いていきました。
3ヶ月ほど経った頃には、あらゆる手立てが絶たれていました。社長は度重なる心労により頬が痩せこけて、まるで別人のような人相になっていましたし。僕を含め社員全員が、どうしよもない状況を受け入れて倒産することへの覚悟を決めました。
プルルルルッ………………
そんな沈んだ空気の社内に鳴り響いた電話の電子音。この時の電子音は、いまでも僕の耳に鮮明に残っています。
それは大手総合商社からの電話で、我が社の太陽光発電機器のとある特許をかなりの好条件で、下請け込で買い取りたいという内容でした。奇しくも日本国政府が自然エネルギーの普及に本腰を入れ始めた事で、倒産という崖っぷちにあった我が社が救われる事となったのです。
しかも、それから2週間ちょっと経過したある日の海外ニュースに件のマフィア組織が逮捕されたという報道が載っていました。
こうして我が社に襲いかかった嵐が去り、これで日常が戻ってくると僕は思っていました。多少は給料が低くなったりするかもしれませんが、あの嵐を乗り越えた仲間たちとならやっていける。心からそう考えていたのですが……。
「みんなには申し訳ないが、会社をたたむことに決めたんだ」
ある日、痩せこけた頬が元に戻りかけてきた社長が、神妙な面持ちでそう切り出しました。
「どうしてですか、みんな今後もこの会社で頑張って行くつもりなんですよ」
身に過ぎた事を言っていると思いましたが、僕はどうしても我慢できなくて社長に詰め寄ってそう言ってしまいました。
「……すまない。私も苦楽をともにした君達と、これからも仕事をしていきたい気持ちでいっぱいだ。ただ……妻が……ぅぅ……」
そこまで言いかけると、社長は急に顔を歪ませて床に臥せって、むせび泣き始めました。
あまりの状況に、僕は慌てて膝を着いてむせび泣く社長の背中を撫でながら「どうしたんです、社長。なんでも話して下さいよ」と言って慰めました。
ひとしきり泣き続けたのち、社長は「ありがとう、ごめんなぁ」と言いながら涙を拭って事情を説明してくれました。
嵐のような日々が過ぎ去って、心機一転やり直しだなと色々と準備を進めていたある日の夜に社長が帰宅すると、家中が真っ暗で「妻は、まだ帰宅していないのかな」と思いながら順番に明かりをともして行くと、リビングで倒れている奥様を発見したそうです。社長は急いで救急車を呼んで、奥様と一緒に病院へと向かいました。なんとか奥様は一命を取り留めましたが、お腹の中の赤ん坊は残念ながら、すでに事切れていました。
ようやく授かった命を失った悲しみから、心病んでしまった奥様の療養のために、社長は会社をたたみ、売れるものは全て売却して、これからの人生を苦労をかけた奥様のために捧げていきたいのだと涙ながらに語ってくれました。
さすがに、そのような事情では「会社を続けて下さい」なんて口には出来ませんでした。しかも、社長はすでに僕ら社員のために再就職先を選択出来るようにと、いくつも手配してくれていたのです。
こうして、僕は社長が手配してくれた再就職先の一つである現在の映像関係の会社に勤務することになったわけなのですが……。
僕が社長夫妻と最後にお会いしたのは、社長夫妻が住まいを売って引っ越しをするというので、その引っ越しのお手伝いに行った時でした。その時にちょっとした後味の悪い出来事があったのです。
それは一通りの荷物を梱包し終えて、みんなでリビングにて休憩をしていた3時頃のことだ。
「キャァァアァーーー…………」
絹を引き裂く悲鳴というのだろうか、そんな印象の女性の叫び声が聞こえてきた。
「な、なんですか、いまの悲鳴……」
「あっ、ごめんっ……」
皆が互いに困惑して顔を見合わせるていると、社長が大急ぎでリビングを出て行きました。
僕と他数名が気になって社長の後を追いかけると、社長は三階の奥の部屋へと入って行きました。その部屋の中からは女性の叫び声が止むこと無く聞こえてきます。扉の前に立ってようやく、声の主が奥様なのだと僕は気が付きました。
「大丈夫、大丈夫だから、な。もう、いいんだよ…………」
叫び続ける奥様に、社長はそう言って優しく声をかけ続けているようでした。
しばらくすると、奥様の叫び声が小さくなり、社長の慰める声だけが聞こえるようになったので、僕は少しだけ開いているドアに耳を付けるようにして聞き耳を立てました。
「…………うぅぅっぅ…………ぅぅぅっぅぅ…………らしが……つ……った」
途切れ途切れで聞こえてくる声を判別しようと、僕は全神経を耳に集中しました。
すると…………。
「童子がぁぁぁ、私のあかちゃん、連れて行ったのぉぉぉぉー、ごめんなさいぃぃぃぃ」
「うわぁぁー…………痛ってぇ~」
突然、奥様が大声で叫ぶようにそう言ったことに驚いて、僕は勢いよく後ろにひっくり返り壁に頭をぶつけてしまいました。
その音に気が付いた社長が部屋から出てきてくれて、少し落ち着いた奥様と一緒にリビングに降りて説明をしてくれました。
どうやら奥様は、会社の窮地を知り信仰している座敷童子に助けて欲しいと祈祷をしたそうなのです。ただ、座敷童子にお願いをする時には絶対にやってはいけない決まりとして、前のお願いが完了成就するまで次のお願いをしてはいけないと言い伝えられていたのにも関わらず、奥様は会社の救済を座敷童子にお願いしてしまった。
奥様が祈祷してから1週間後に、あの大手企業からの助け舟がつかわされて、窮地を脱することができましたが、それから更に1週間後に、奥様が倒れてお腹にいた赤ちゃんを流産してしまったのだと。悲痛な表情で語る社長に、その場にいた皆が言葉を失ってしまいました。
羊地蔵「……という話を語ってくれました」
有機酸「なんやろなぁ~、嫌な話やなぁー」
F多田「せっかく、羊地蔵さんにしては良い話で終わっていたのに。自分から壊していくスタイルなんですね」
羊地蔵「なんかねぇ~、良い話って僕に合わないみたいです。ははっ、だってその良い話のつながりで、この嫌な話が飛び込んできましたからね。あぁー、それからAさんが言っていたんですが、どうもねぇー『座敷童子』の呪いというのか、祟りがあるっていう話は社長の奥さんの地域では有名な事だったようですよ」
F多田「だけど、普通は良い事ばかり起こるのが『座敷童子』だよねー」
有機酸「せやな。東北地方の民話でも、関西方面で聞くんのも、全部幸せを授ける話やしなぁ~」
羊地蔵「僕も聞いていた話は、全部そうでしたよ。有名な旅館なんかもありますからねぇ。だからこそ、これはイイ話をゲットしたなと」
F多田「その座敷童子というか、子供が現れてって話はね。実は、海外では悪霊だったりすることがあるんだよ」
有機酸「ほぉー、悪霊なんかいな。日本みたいに、幸せにしてくれるもんやないねんな」
羊地蔵「へぇー、そうなんですか。そういえば、妖精なんかも海外では悪霊として言い伝えられていますよね」
F多田「そうなの。だから、むしろ良い事をもたらしてくれる霊的存在って方が少ないんだよね。そもそも宗教的に亡くなった人や神様や天使的存在以外は、全て悪霊や悪魔とする教えが一般的な感じかな」
羊地蔵「あー、だから海外で罪を犯した人の墓が壊されたりするのかな。日本では亡くなったら扱いは平等ですものね、よほどの恨み辛みを抱えた怨霊でも祀っていますし」
有機酸「あれは祟られる恐怖心もあるんにゃろけどなぁ。さすがにイタズラなんかは、せんよなー」
F多田「にゃろけどって言ったね。まぁ、死生観に関しては、日本は独特なんだろうね。前に話した怪談でもそうだけどさ。死に別れってのは、何よりも辛いからね。輪廻転生ってのは、死への恐怖心を和らげる役割で生まれったと知り合いに精神科医や宗教学科の大学教授が言ってたけどさ。俺自身が子供を失って実感したけど、なんにも軽くならないよ。例えさ、俺のそばに亡くなった子供がいる、いつかその子供が俺の子として生まれ変わるって決まっていたとしても…………悲しいよ……なんにもさ…………冷たくなっていく我が子に……ね……俺はなんのチカラにも……なれないもんさぁ…………ごめんね……」
羊地蔵「……重いですよね。ほむらさんが怒る気持ちもわかります…………冒涜するような行動や言動はやっちゃダメだし、怪談を飯の種として扱う者は、そういう存在を尊ぶ気持ちを忘れちゃいけないし、聞く人にも話さないといけない義務があると感じますよ」
有機酸「うん、その通りやと思うわ。わしも心霊スポットツアーする時には、最初に参加者全員へ注意事項として話すんよ。お天道さまは見てはる、恥ずかしいような行動はしたらあかんってな」
F多田「大事だよね……。俺の高校時代の友人に早乙女って奴がいてさ、そいつ肝試しで行った場所の石碑を蹴り壊して、一週間経たないうちにバイクで事故ってその右足切断したからね」
羊地蔵「うわぁー、切断したんですか。なんで、そんなことしたんですかねー」
F多田「わかんない。ただ、それ見てた友人……そいつ、早乙女が石碑蹴った時にも、事故った現場にもいたんだけどね。どっちの時にも早乙女が急に笑い出したんだよって言ってたね」
有機酸「なんや、わけわからんなぁー」
ほむら「それって、取り憑かれた感じなんですかねぇ」
F多田「う~ん、どうなんだろうね。とにかくそれ以降、学校中のみんなが肝試しで無茶なことをしなくなったよ。地元でかなり広まった話だから、もし一罰百戒の天罰だとしたら抜群に効果があったと思うよ」
羊地蔵「そこで肝試し自体を、やめたりはしないのがいいですね。あははっ」
F多田「やめなかったねー、誰も。そこが怪談バカなんだろけどさ、わははっ」
有機酸「あのな、墓と罰っていうので思い出したんやけどな。ええやろか」
F多田「はい、お願いします」
有機酸「これは場所や地域は秘匿という添え書きとともに、寄せられたもんなんやけどな。Uさんという男性が体験した話でな。それはUさんが法事で実家へと帰省した時の話なんや…………」
実家のある村に帰るのは8年半ぶりくらいになる。
私は半ば家出同然で村を出た手前、近づき辛くて現在まで故郷を忘れたように仕事に没頭していた。いや、事実忘れていたのだろう。何度か実家や旧友たちからの手紙を受け取っていたが、封を開けて内容を確認してはダンボール箱にゴミでも捨てるように投げ入れていたのだから。
そんな私も今回の法事だけは、どうしても出席しなければいけないと思った。その法事が、本家祖父の七回忌法要だったから。私がいま生きていられるのは、本家祖父の存在無くしては語れやしない。
私の家庭環境は複雑だ。本当の両親は私が4歳の時に事故で二人とも亡くなっている。現在の両親は私の父の従兄弟夫婦が養子として私を引き取った。
孤児となった私ですが、それでも9歳になる頃までは幸せでした。そう、従兄弟夫婦に本当の子供が生まれるまでは…………。
「…………ずいぶんと変わるもんだな。あの頃は、緑が多かったのにな」
実家の最寄り駅から見渡す風景は、私にとって見知らぬ街のようでした。懐かしさというよりも、拒絶されているような疎外感が胸を突きました。
その心苦しさが、時の流れの無常さや生まれ育った街が「おまえがいなくとも、なんの問題もないさ」と見下げて笑っているような発展を遂げていたからだけでは無いのは、私自身が痛いほどわかっていました。
正直言って、出来ることなら二度とこの街に帰りたくないと思っていました。せめて、いまも消えずに残る左手のケロイド化した火傷痕が目立たなくなるまでは、近づくのも嫌だった。従兄弟夫婦は実子が生まれると、私を形式上ですら愛してはくれず虐待を加えるようになりました。この火傷痕もその一つ。自分では怖くて見れないけれど、背中にも熱湯をかけられた火傷痕がある。
そんな私のことを知っていながら学校も役所も、周囲の大人は何もしてはくれなかった。従兄弟夫婦が土地の有力者であること、私が実子では無いから愛情がないのは当然なのだと面と向かって言われたこともあった。
そんな針のむしろのような辛い虐待を受け続ける日々で、唯一救いだったのが本家の祖父だった。
本家の祖父は元陸軍中将で、戦時中に脳梗塞による左半身麻痺を理由に勇退し、以降は地元の尋常高等小学校の校長として終戦を迎えた。もしも、あのまま陸軍中将であったならば自分も東京裁判にかけられていただろうと、祖父は思い深かげに言っていた。
なんでも祖父も私と同じように、実の両親に育てられたわけではないらしい。詳しくは話してくれなかったが、祖父母が両親代わりになって育ててくれたのだそうだ。
そうした祖父自身の事情もあってか、度々虐待されては外で泣いていた私を祖父の住む離れで匿ってくれた。食事すらまともに与えられていなかった私に、すいとんやそばかきを作って食べさせてくれた。あの素朴な味は、私の身体だけでなく、心の空腹感をうめる栄養になりました。私にとって、生涯忘れられない思い出です。
その頃に、今回の法要について教えてくれた二歳年下で本家の末っ子であるタダシとも仲良くなりました。現在タダシは大学院で人工臓器の研究をしているそうで、当時の鼻たれ小僧からは想像できず時の流れは怖いものだと思いました。
恩のある祖父の七回忌と知った以上、私としては是が非でも礼を尽くしたい気持ちでいっぱいなのですが、本家の家族ともそれほど親しくないし、まして、従兄弟夫婦がいる場所に長居するのは拷問に等しい状況は避けたいので、法事の時間を見計らって直接お墓の方へと向かうことにしました。
お墓の入り口付近に近づくと、祖父のお墓の辺りに人山が見えました。現在も従兄弟夫婦が地元の有力者であることもあって、祖父と直接関係のない人間までもが参列しているのかと思ったが、どうも違うらしい。その人山は、喪服姿の人よりも私服の人が多いように見えた。
近づいてみると、それが祖父の七回忌法要など行えない事態だとわかった。人山を避けて山側の祖父の墓を見下ろせる場所に立つと信じがたい状況がそこにあった。
白い御影石の墓石が、バケツで赤黒い液体をぶっかけたように染められていた。
「なんだよ…………これ…………」
「Uさん、来てたんだ。なんだか、大変なことになったよ」
目に映った光景に呆然としていると、私を見つけたタダシが困惑した様子で話しかけてきた。
一体何があったのかタダシに問いかけてみると、タダシにもよくわからないが祖父の墓に来てみたら近所の人が祖父の墓の前で騒いでいて、駆け寄ってみたら現在のような惨状になっていたらしい。
「なぁ、あの赤黒い液体って…………」
「うん、血だよ……近寄ったら生臭いような鉄さび臭い感じがしたもん」
「それって…………」
「……人の血か」と言葉に出そうになったが飲み込んだ。タダシに聞いたところで分かるはずは無いし、何よりも私自身が考えたくも無かった。
それ以降は騒がしいことになった。地元の警察が来て事情聴取やら鑑識作業やらを開始して、一息つけたのは日がすっかり沈んだ夜のことだった。
当初の予定では、法要後にすぐ帰るつもりだった。それが法要どころでなくなってしまったわけで、法要を先送りするというのも変な感じだが3日後に改めて行うことに決まった。
この街にホテルや旅館などは無い。2つ先の街にはあるのだが、移動手段が徒歩かタクシーになってしまうので却下。もちろん実家に帰る気はないので、タダシに頼んで祖父が住んでいた離れに泊めてもらうことになった。
「ね、なんにも変わってないでしょ」
そう言うタダシの言葉に頷きながら、懐かしい離れの部屋を私は眺めた。本当になんにも変わっていない、厳しくも優しかった祖父がいないことを除けばあの頃の姿のままだ。
「今日は俺もここに泊まるかな。いい酒と珍味を、じいちゃんの生徒さんが送って来てくれたんだよ」
こうして、私はタダシと昔話や祖父との思い出話に花を咲かせながら良い酒を飲みました。人生において最良の酒って言うのは、こういう酒なのだろうなと満足感に満たされながら、いつしか眠りに着きました。
ブゥゥン…………ブゥゥン……
「……んっ…………」
携帯電話のヴァイブレーションの音が聞こえてきた。どうやら、耳障りなその音に目を覚まさせれてしまったらしい。瞬間的に自分の携帯電話を手に取っ手みるが、震えてもいないし着信を知らせるランプも点いていない。
「……んんっ……おい、タダシ……あれっ」
私のでなければ、タダシの携帯電話だろうと身体を起こして気が付いた。そのヴァイブレーションの音が聞こえて来るのは、室内ではなく庭だということに。
まさか、誰か侵入者でもいるのだろうか。そう思うと眠気はすっかり遠のき、気持ちが臨戦態勢になった。音を立てないようにゆっくりと立ち上がり、カーテンと木製のサッシ越しに耳をそばだてて様子をうかがう。
ブゥゥン…………ブゥゥン……
そのハムノイズのような音は止むこともなく、近づくことも遠のくこともせずに同じ位置にいるようだった。このままでは埒が明かないなと私は考え、カーテン越しにサッシの鍵をそっと開いてカーテンとサッシを一緒に引き開けて、音の主であるソイツを確認してやろうと覚悟を決めた。
「よし、いくぞ」と心のなかで自分を鼓舞して、一気に引き開ける。
「……ぁ……あっあ…………うわぁーーー」
私は思わず叫び声を上げた。カーテンとサッシを開けた向こう、私から3mほど離れた庭の中央付近にソイツが見えた。
そこには、大きさ2mくらいのパインアメのようなモノが発光しながら浮いていました。
私は言葉では言いようのない恐怖に襲われて、サッシを閉めることも出来ず部屋に這って戻り布団を被って震えているうちに眠ってしまいました。
翌朝、タダシに昨夜の恐ろしい体験を話すと「それは悪酔いしたせいですよ」と笑われただけでした。
だけど、朝起きた時に確認するとサッシは半開きの状態で、私が昨夜サッシを開けたのだけは間違いないのです。かと言って、冷静に考えてみれば信じがたい内容なのも間違いではなく、悪酔いが見せた幻覚と思ったほうが気も楽かなと判断しました。
朝食を済ませるとタダシや本家の人達と共だって、祖父の墓を掃除をするために墓地へと向かいました。清掃作業をしている途中に警察の人が来て、墓石にかけられた血は人のものではなく犬の血だったと知らせてくれました。そのことで多少は気が楽にはなったのですが、いずれにしても陰険な嫌がらせには変わりません。私は向けようのない怒りを掃除することへと向けて、祖父の墓を元通り以上のきれいな状態にしました。
その日の夜も祖父の離れに泊まることになったのですが、明日の七回忌法要に備えて酒を飲まずに就寝したおかげなのか何も起こりませんでした。タダシには「な、酒のせいだって」とまた笑われ腹が立ちましたが、悪い夢だったんだと忘れることにしました。
本家の祖父の七回忌法要も無事に終わって、タダシに駅まで送ってもらうと同じように電車で帰る祖父の友人が駅のベンチに座っていた。
「今日は、本当にありがとうございました。祖父も、きっと喜んでいることと思います」
「あぁ、礼なんて。戦友だからね、当然のことさ…………それより、なんか変わったことはないかい」
急に顔色を曇らせて、そう問いかけられた瞬間。私の脳裏には、庭に浮いていたパインアメのようなアノ物体が思い浮かびました。思い浮かぶ度に、恐怖も湧き上がってくるので必死になって打ち消しました。
「なっ、何がでしょうか」
「何がって……。もちろん、墓の呪いのことさ」
思いもしなかった『呪い』という単語に動揺しながらも、どういうことなのか聞いてみると。どうやら、例の犬の血を墓石にかけられた嫌がらせは『呪いの儀式』なのだそうだ。
この地方独特の儀式らしく、文献で江戸時代の頃からあったものらしい。それと、犬の血をかけるだけではなく、墓の場所に『咒』と呼ばれる決められた文字が残されているのだと教えられた。
そう言われて、祖父の墓の敷石にバケツで血をぶっかけただけにしては不自然なミミズがのたくったような線があった事を思い出した。
祖父の友人は、近所の人から敷石に文字のようなものが書かれていたと聞いて、ずっと心配してくれていたそうだ。
そこまで聞いたところで、祖父の友人が乗る電車が来てしまった。私は深く頭を下げてお礼を言って、祖父の友人を見送ったのだが、本心としては『呪い』についてもう少し詳しく聞いておきたかった。
それにしても、あのパインアメのような物体が『呪い』なのだろうか。なんともモヤモヤした思いを抱えたまま、私は帰路に着くことになりました。
羊地蔵「へぇー、パインアメですか」
有機酸「そや、丸くて黄色のドーナツみたいに真ん中に穴が開いてる飴」
F多田「あれ美味しいよね。飴なのに、ついつい何個も食べちゃうんだよなー」
羊地蔵「わかりますよー。僕は子供の頃にラムネに溶かして飲んでました」
有機酸「わしなんか、蛇口に詰め込んでつまらせては親に怒られとったわぁ~」
羊地蔵「何をしてるんですか。あははっ」
有機酸「水筒で溶かすんが面倒でなー。それはさておき、続きを話すんやけど」
羊地蔵「えっ、続くんですか。すいません、止めちゃって」
有機酸「それでなぁ。Uさんはパインアメの一件が気にかかりながらも、元通りの日常生活を送っとたんやけどな………」
あの日から三ヶ月ほど経ったある日、タダシから携帯電話に着信があったのです。
「おう、タダシか。どうかしたか」
「……Uさん、大変なことになったよ」
普段のタダシではないその落ち込んだ話声を聞いた瞬間に、なぜだか祖父の友人が言っていた『呪い』という言葉と庭に浮いていたパインアメのような物体がフラッシュバックして、あの夜の恐怖がよみがえってきた。
「えっ……た、大変なことって、何があったんだよ」
「俺も…………俺もさ、よくわかんないんだけど。母さんが回覧板を持って行ったら、叔父さん達が死んじゃっててさ。息子のKの行方もわかんないんだよ」
「はぁぁーっ…………なんだよそれ」
タダシの話ではどうにも埒が明かないので、上司に両親が二人とも急死した旨を伝えて有給をもらい故郷に戻ることにしました。いくら嫌っているとは言え、戸籍上は親子であるのだから社会人として行かざるを得ません。
たった3ヶ月ほどしか時間が空いていないので、駅前も実家周辺も代わり映えしないだろうと駅を降りたのだが……。
「……うわっ、なんだよ。この人の数は…………」
駅前には、明らかに地元の人間ではない2,30人の報道関係と思われる人間であふれていた。駅前の駐車場にも、各局の中継車や何々新聞と書かれたワゴン車が何台も停まっている。
これは余程のことが起きたのだろうと察しはついたが、まさか目の前の状態が私にも関係しているなんて想像だにしませんでした。とにかく、マイクを向けられても「観光客です」と足早に立ち去った。
本家へと近づくにしたがって、報道関係の車が田んぼ道に停車している姿が増えていく。報道人や地元の警察官の姿も目立ってきた。そのあたりで勘の悪い私にも、嫌な予感がよぎりはじめる。
本家の玄関前は、報道人とそれを規制している警察官で入れそうにない。そして、本家と庭二つ分隔てた
私の実家前には警察車両と黄色い侵入規制テープが見えた。
私は携帯電話を取り出して、タダシに本家裏手にある家から裏木戸を通って入るから閂を開けといてくれとメールをした。そそくさと、報道陣に気付かれないように裏手の家へと行って裏木戸へと向かった。
裏手の家のおばあさんが私に気づいて「大変だったねー」と声をかけてくれたが、あまりのんびりしてられないので会釈をするだけで許してもらって裏木戸から本家へと入った。
「Uさん、マスコミに捕まらなかったんだね。良かったー」
タダシがほっと安堵した顔で私を迎えてくれた。だが、私としては捕まらなかったことを喜ぶよりも状況確認が急務だった。
「タダシ、おばさんに詳しい話を聞きたいんだ」
「あ、うん。こっちの仏間にいるから」
タダシに案内されて仏間へと行くと、仏壇の前で一心にお経唱えているおばさんの姿があった。
それから先におばさんが語ってくれた話をまとめると、こういうことらしい。
回覧板を届けに私の実家へと行ったおばさんは、玄関を開けて声をかけても反応のない様子を不審に思って家に上がってみたそうだ。すると、居間に義父が、風呂場の脱衣所で義母が亡くなっていたという。しかも、息子で高校生のKの姿がどこにもなく、学校に連絡しても登校していないということだった。
この時点でも事件性が憶測できるのだが、その従兄弟夫婦の亡くなり方が駅前の報道陣を呼び寄せる死に様だったとおばさんは顔をしかめながら教えてくれた。従兄弟夫婦は二人とも余程苦しかったのか顔を歪めて手足を指の先まで丸めた状態で床に転がって亡くなっていたそうなのだ。
おばさんは現在でも、その時の二人の苦しそうな死に顔が脳裏から離れず毎日お経唱えて救いを求めているのだと言う。
その話を聞く限りでは、毒物による薬殺が考えられた。そして、息子のKが姿を消していることから警察でなくとも、第一容疑者がKであることは想像するに容易い。タダシが電話口で言った「大変なことになったよ」の言葉が、そのまま現在の私の心境だった、
この【事件】は全国区で報道され、すぐさま上司から「落ち着くまで有給にしておくから、心配するな」という電話を頂いた。私が戻ったら、会社に報道陣が押し寄せるとでも考えたのだろう。正式に有給が追加されたのだから、喜んで使わせてもらおうと良い方に考えることにした。
結果としては、それから葬儀埋葬を含めて四日を費やすことになった。それでも早い方だと刑事さんは言っていた。
通常【殺人事件】となれば一週間から十日くらいかかることがザラにあると言うのだ。司法解剖などが済んでから葬儀の手配となるために、場合によっては先に火葬をして後に葬儀になるケースも珍しくないと話してくれた。夏など気温が高いと遺体の腐敗が進み、仕方なくそうなってしまうのだろう。
そう【殺人事件】であれば、うちもそうなっていたのかもしれない。【殺人事件】であったならばだ。
私がおばさんから事情を聞いていたところに刑事さんがやって来て、私も事情聴取を受けることになった。どこから、私が故郷に来ている事と本家にいることが漏れ伝わったんだろうかと恐怖心を覚えたが、それ以上に少しでも早く、この厄介事を片付けたいという思いが強かった。
結局は、本家での事情聴取で終わらず私も警察署へ行き、従兄弟夫婦の遺体確認を求められた。おばさんとおじさんがすでに確認していたのだが、念のためにと言う事らしい。
事前に刑事さんには、家を出て8年以上家に帰っていないのだと伝えたのだが……。なにやら、刑事さんの「それでも構いません。所持品などで確認ができましたらいいので、お願いします」の言葉に裏を感じずにいられなかった。
そして実際に遺体安置所にて、従兄弟夫婦の亡骸と対面した瞬間にすべてを悟った。
従兄弟夫婦の死に顔は監察医が直したのだろう、おばさんが言ったような苦悶の表情ではなかった。そう、なかったのだが……従兄弟夫婦の顔色は黒に近い濃い紫色で所々に黒い点が浮かんでいた。付き添った刑事さんが言うには、通常では考えられないほどに遺体の腐敗が進んでいるらしい。
そんな状態だからこそ、早めに荼毘に付す必要性があること。本件が状況的に事件性が高いことから、遺体が火葬される前に確認作業を明確にしておきたかったのだと説明されました。
私は刑事さんから渡された遺体確認の書類にサインをして、気持ちが沈んだままで本家へと送ってもった。
本家に帰ると、おばさん達に自分が目にした状況と刑事さんから言われた話を説明した。私から話を聞いたおばさん達は一応に顔をしかめたが、心の何処かで覚悟していたらしく菩提寺の住職にはお願いしてあると知らされた。その後に、遺産相続の話になったのだが、私は実家に住む気がない旨を伝えておばさん達にお任せするということに決まった。
翌日、昼頃に刑事さんが本家を訪れて予想もしなかった事柄を伝えられた。
「ええと、今回の一件ですがね。科学捜査研究所に調べてもらったところ、毒物の類は検出されませんでした。ので、警察としては事件捜査としては取り扱わないことになりました」
「えっ、どういうことなんです。それじゃあ、本当の死因はわかったんですか」
「あぁ、いえ……その……。検死結果などから判断すると、死因不明ということになります。なんと言うのか、本当に申し訳ない」
刑事はそう言って、私達に頭を下げた。なんで刑事さんが謝ったのか分からなかったし、何よりも死因は不明だが事件性はなかったという見解に言葉を失った。
もし本当にそうであるなら、なんで息子Kの消息が不明のままなのか納得が出来ない。それこそ、Kが何者かに連れさらわれた可能性だって、十分に考えられるはずなのに地元警察は現在行われているKの捜索を中止して失踪人として捜索願いを私達に提出してくれと言うのだ。
なんともすっきりしない気持ちのままに、上司からの小間使いをしに来た刑事さんを私達は見送った。
あの刑事さんがこの件について何一つ悪く無いことは、頭を下げた時に見えた心の底から悔しそうな横顔が物語っていた。私も下で勤める人間だからこそよく分かる、悲しい話だが組織において個人の見解は無視されるものだ。
それからは、おばさん達が葬儀の手配などを一切をしてくれて、つつがなく葬儀納骨を行うことが出来た。私は残された息子として、不本意ではあったが喪主を務めた。地元の有力者である従兄弟夫妻の葬儀ゆえか、政財界で有名な人間からの香典や電報が数多く寄せられていた。
葬儀自体に問題はなかったが、何を勘違いしているのか私に対して擦り寄ってくる人間達には、ほとほと困った。喪主であるのだからと、本心を深層意識のコキュートスまで沈めて大人な対応に徹した。我ながら自分をほめてやりたい気分でいっぱいだ。実際、葬儀終わりの夜はタダシ達と軽く宴会をしたわけだが。
昨夜の宴会によるダメージを感じながらも、さすがに一週間休むのは社会人として問題があるので昼頃の電車で帰えることにした。本家のおばさん達にお礼を言って帰宅することを伝えると、紙袋いっぱいに自家製野菜を詰めてお土産に渡してくれた。
駅のホームで左手にぶら下げた重い紙袋をどうしようかと、思案しているとタダシが改札を抜けてやって来た。
「ん、なんだタダシ。どっか行くのか」
「うん、隣町の本屋にマンガ買いに行こうと思ってさ」
「ふぅん、大人としては勉強しろよって言うところなんだろうけどな。俺自身やってないから、言えた立場じゃない。あははっ」
勉強なんてものは強制したところで学べる限界があるというのが、私の経験上痛いほどに学んだことだ。社会人になってからも学ぶことは山ほどある、一生勉強という言葉は教訓と言うより事実でしかない。
「……あのさぁ、Uさんに伝えておきたいことがあるんだけど」
隣で同じように電車を待っていたタダシが、なにやら言いにくそうにそう切り出してきた。
「おう、なんだよ……」
明らかにタダシの様子が違っていることに、嫌な予感が胸の中でふつふつと湧きだした。
「俺さぁ~、Uさんとじいちゃんの部屋に泊まってからさ。あの後にも、何度か友達と遊ぶのに使ってたんだぁー…………」
そこから先にタダシが語ったことは、私を震え上がらせるのに十分過ぎる話でした。
タダシが大学院の友人たちと祖父の部屋で宴会をして、そのまま酔っ払って部屋の明かりも点けたままに眠りへ落ちってしまった、そんなある日の夜こと。一度眠ったら朝まで起きないほどに眠りの深いタダシが、ふっと部屋の中で目覚めたそうなのです。
「……ぅ……あれ、なんだぁ~…………ほえっ……」
タダシ自身、夜が明けぬ前に目覚めたことに訝しがっていると更に妙なことに気が付いた。寝付く前に木製のテーブルを囲んでいた友人たちの姿が部屋にない。
もしや友人達は勝手に帰ってしまったのかなぁと刹那考えたが、すぐにタダシが起きていた時点で帰る電車が無くなっていたことを思い出した。友人達の懐事情を知っているタダシからすれば、友人達がタクシーで帰るなどという選択肢は早々に除外できたそうだ。
「……んっ、なになに」
酔っ払っていることあって、まだ半分寝ぼけた頭のタダシの耳に妙な音が届いた。
「……ぅぅっ……ぁぅぁっ……」
それはテレビの怪談番組などで、幽霊が登場するときに聞こえてくる効果音というのか、生気のない虚ろで気持ちの悪いかすれ声のようなものだった。
タダシはパニックを起こしそうになりながらも、部屋が明るいこともあってなのか。その声の聞こえる場所を確かめようと思った。さすがに、目を閉じて音の位置に集中するのは怖すぎるので、両耳の後ろに手の平を当ててパラボナアンテナのように探り当てようとしたらしい。
すると、かすかな音の位置はどうやら庭の方向から聞こえて来るようだった。そこでタダシは私の語った話を思い出した。まさか、例の話のパインアメなのかと恐怖心を感じながらタダシは音のする方向へと近づいて行った。
障子戸を震える手でゆっくりと開くと、廊下を挟んだ庭へとつながる木製のサッシが人間一人が通れるくらい開いているのが見えた。廊下に足を踏み入れ後方の部屋から指す明かりを頼りに、木製のサッシの近くに置かれた踏み石の上にあるはずのサンダルを探そうとしたが見つからない。
「……ぁぁっ……ぅぅぅぁっ……」
「うわぁっ…………痛っててて……ふぁっ…………」
突然、気持ちの悪いかすれ声がより近くで聞こえたことに驚いて、タダシは空中前転するような形で庭に転がり出てしまった。踏み石は飛び越えたので、土の地面に尻を打ち付けたのみで大した怪我はしなかったそうだ。
それよりも、尻餅をついた体勢でタダシの目に映しだされた光景のほうが問題だった。タダシのいる場所の前方5mほどの所に竹で組まれた生け垣がある。その生け垣は指二本くらいの間隔をあけて縦に並んでいるのだが、その隙間から生け垣の向こう側が見えた。
そこには、友人達だと思われる人影がタダシと同じように尻餅をつき肩寄せ合っている姿。そして、彼らの前方に目をやると、ぼんやりと光りながら浮かぶパインアメのような1mほどの物体が見えたのだ。
それらを確認した瞬間に、タダシは猛烈な恐怖心に襲われて頭を抱えてうずくまってしまったそうだ。そして、夜空が明けてきて庭に光が指しはじめた頃に恐怖心がなくなったのだと語った。
私の中では、酒酔いによる悪い幻覚だと心の隅に追いやっていたのだが、タダシやその友人達も目撃した事で無視できなくなってしまった。
「……それでさぁ、Uさん。俺は見てないんだけどさ、友人達はパインアメがUさんの実家に溶けこむように消えたのを目が離せずに見てたそうなんだ。もしかしたらなんだけど、今回の件に関係があるんじゃないかな…………俺達がそれを目撃したのって、おじさん達が亡くなる2週間ぐらい前だったんだよ」
真実がどうなのかは分かりません。ただ、パインアメのような物体が無関係だとは思えませんでした。現在も息子のKは行方不明のままです。
そのあと数年後に私の実家は取り壊されて、現在では本家の長男が新築の家を建てて住んでいます。
お盆やお彼岸には帰郷して祖父の部屋で寝泊まりをしていますが、あの不気味な音を聞くことも、パインアメのような物体を見ることも二度とありませんでした。
有機酸「……と、いうような話を聞いたなぁ」
羊地蔵「怖えぇぇ~」
F多田「なんだか、ものすごく嫌な感じのする話だね~」
ほむら「そのパインアメのようなモノが、呪いだったんですかね」
有機酸「なんていうんか、どうしても関連して考えてしまうよなぁ」
羊地蔵「だけど、呪いは本家のお墓にかけられたのに、分家の人に呪いがいった理由が不明ですよね。それも遺体の腐敗が異常進むってのが、呪いの影響っぽい感じがして嫌ですね。本当に、そんなことってあるんですかねー」
F多田「いや、羊地蔵さん。それはねぇ、意外とあるよ」
羊地蔵「あるんですか」
F多田「あるある、俺が発見した遺体でもあったよ。もちろん、それが呪いだったとは言わないけどさ。とあるマンションに友人が住んでてね、そこってのが観光地近くだったからホテル代わりに皆で利用してたんだぁ。そしたら、同じ階のある部屋の前を通ったら異臭がしてさ。前にも言ったけど、俺は遺体の匂いってのを知ってるから、すぐに友人に管理人へ連絡させたら、やっぱり亡くなってたらしいんだよ。自殺だったそうなんだけどね」
有機酸「ほんまによう縁があるんやなぁー。フューリーさん」
羊地蔵「そうですよね。僕なんて全然ないですもん」
F多田「あのうー、俺自身あんまり嬉しくことだから。そんな縁なんて無いほうが理想的なのよ、ほんとにさ。でね、季節が冬だったことや異臭が玄関ドア越しでもしていたから、亡くなってから数日は経ってるんだろうと俺は思ってたんだよ。ところが、友人がご近所の方々と話をしていたら、発見される前日に目撃した人が出てきたのさ。その後、コンビニの監視カメラにも姿が映っていたのが確認されたのでって、警察が友人のところにも聞き込みに来たことから事実だったんだろうなぁ」
羊地蔵「へぇー、コンビニのカメラにも映ってたんなら生きていたんでしょうね」
有機酸「せやけど、異臭がしたってことは腐敗しとったんやろからなぁー。わからんなぁ~」
F多田「うん、さすがに警察が遺体の状況を詳しく説明したりはしないからねぇ。ただ、そのことで聞き込みをしたということは警察側も疑問に思ったって証拠だからさ。最終的には、自殺だったという事で一件落着になってるけれども、通常では考えにくいよね。他にも似たような現象を、それこそ実際に目にした事もあるよ。それは話として、ちょっと長いしグロいのでやめとくけどさ」
有機酸「そんなん言わんと、話しいや。今日はフューリーさん、やっとらんのやし」
羊地蔵「そうですよ、最後はフューリーさんがトリを取らないと」
有機酸「ん、トリ……おぉ、こんな時間なんかいな」
F多田「現在の時刻4時12分ですね。本当ならば、あと6時間くらいは放送やりたいんですが……」
羊地蔵「あははっ、それは死にますってぇ。それにイベント開始しちゃってますよ、その時間」
有機酸「イベント開始が9時30分やからな。ここでお開きせんといかんなぁ」
ほむら「私も仕事があるので無理ですよ」
F多田「うん、予定していたよりも時間が経つのが早かったね。それだけ充実していたってことでね。はい、本日のマガタマ50回目記念放送はここまでとさせて頂きます。あーというか、あれだね。なんか物足りない感じがするから、次回も記念放送第二部ってことでゲストさん呼んでやろうか」
羊地蔵「おぉ~、いいですね」
有機酸「そうやな、普段なら6時までやっとるのを1時間切り上げたわけやし。ええんちゃうか」
F多田「はい、では次回も記念放送ということでね。ゲストのほむらさん、長時間ありがとうございました」
ほむら「はい。こちらこそ楽しい時間を過ごさせて頂きありがとうございます。聞いてくれたリスナーの皆様には、私の拙い語りをお聴き頂いてありがとうございました」
F多田「また今度、ほむらさんの予定が空いたらね。ぜひ、ご出演をよろしくお願いしますよ。そうだ、他の事象探偵の方と一緒に来てもらえると良いかも」
羊地蔵「それはイイですね。ぜひ、例のオカルト担当の方を連れて来てもらってねぇ」
ほむら「えっ……う~ん、とりあえず頼んではみます」
F多田「よろしくお願いしますね。というわけで、リスナーのみなさんには実現した時を乞うご期待くださいと夢をつなげまして。マガタマ50回目放送、これにて終了とさせていただきます。えー、本日のイベントに来られる方は、そちらでもよろしくお願いしますよ。では、みなさんおやすみなさい」
羊地蔵「おやすみなさい」
有機酸「ええ、夢を」
ほむら「おやすみなさい」
ゆっくりと回り出すオルゴールの音色が流れ、マガタマのエンディング曲『朱の眠り』が響いた。幻想的でありながら、儚さを感じさせる音楽と妖艶な幼声を持った歌手・死牙ユニの歌が夜明けの空へと溶けてゆく。




