巣音 マガタマ 50回目記念放送 第一部
これはインターネット無料音声配信サイト『巣音』の怪談番組【マガタマ】のアーカイブスである。
フューリー多田、有機酸、羊地蔵のおっさん3人による、奇々怪々な怪談雑談放送。
これは、インターネット無料音声配信サイト『巣音』で放送されている番組の記録である。
<8月2日 午後11:00 番組名 マガタマ>
ドビュッシー作『月の光』がバックに流れている。
F多田「お晩でございます。フューリー多田で御座います」
ハスキーな中年男性の声が響く。
F多田「本日、この回をもちまして『マガタマ』は放送50回目を迎える事が出来ました。ここまで続けて来れたのは一重に、リスナーの皆様とご出演いただけた方々のお陰です。心より皆様のご愛顧に感謝を申し上げるとともに、これからも弛まず『マガタマ』らしいコンテンツをお届けしていきたいなと考えております。では、ともに群雄割拠の巣音戦場を戦い抜いてきた戦友のお二人をお呼びいたしましょう。まずは、有機酸さん」
有機酸「はい、有機酸でございます。本日も、有機酸の入った飲みの物を片手に、参上つかまつりました。よろしくお願いいたします」
男性にしては、声が高めで関西なまりの人懐っこい声が聞こえてくる。
F多田「よろしくお願いします。ちなみに、今回の飲み物は何をご用意されたのでしょうかね」
有機酸「今日はね、しそジュースやねん」
F多田「おぉ、しそジュースですか。夏にぴったりな、健康的な飲み物ですね」
有機酸「うん、せやね。前回なぁ、ほれ白ワインでやらかしてもうたやろ」
F多田「あはは、やらかしたって。まぁ、掲示版では最高に面白かったと書かれていましたけどね」
有機酸「いやぁ、アーカイブ聴いてなぁ。わちゃーやってもうたわぁ~思うてな、ほんまに反省したんよ」
F多田「あははっ、なるほどね。本日は真面目な有機酸でお送りするわけですね。では続きまして、羊地蔵さん、どうぞ」
羊地蔵さん「どうもー、羊地蔵でーす。50回目、本当にめでたいですねー。もしかしたら、こういう形式の怪談放送で50回まで続いたのって。巣音では、このマガタマだけだったりするんじゃないですかねぇ~?」
甲高く、少し掠れたハスキーな声が響く。
F多田「あぁー、そうかもしれないですね。他の番組は、朗読や事前に決められた話を順番に構成して流していますから。うちのように、ほとんど何も決めずに雑談形式の怪談を垂れ流してるユルい放送は、巣音でうちだけですねぇ~。いいのかな?」
三人の笑い声が響く。
羊地蔵「そのね、ユルさが大事なんですよフューリーさん。僕も長く怪談放送やってますけど、なかなかマガタマみたいな空気感は築けてないですもん」
F多田「いやー、重厚な感じの放送もやってみたいなって言ういちびり心もなくはないんですよ。ただ、私が初めて羊地蔵さんの番組に有機酸と共に出させてもらったのがこの形式だったので「あ、これもアリだな!」って。これでやって行けたら楽しいだろうなっていうのが始まりだからね」
有機酸「そうそう、おっさん3人でダラダラと番組をやるのも、おもろいやろなぁーって話やったしなぁ。パソコン含めて放送機材をイチから準備して始めたわけで」
羊地蔵「その一から初めた番組が、放送3回目にして僕の番組の3倍のリスナーさんが来場してくれていましたからね。正直な話、失敗した、僕の冠でやるんだったなぁ~と。わははっ」
F多田「あははっ。それこそ羊地蔵さんが怪談会などに乱入しては、マガタマの宣伝してくれたおかげですからね絶対。ご自分の番組はそっちのけで宣伝してくれて」
羊地蔵「そっかー。今度から自分の番組を宣伝……うー、でも僕のは不定期放送だから無理かぁー。宣伝しといて、当日に怪談イベント参加で中止とかありえますからね」
F多田「ハハッ。その怪談への情熱は、本当に尊敬しますよ。では本日もよろしくお願いします」
羊地蔵「はい、よろしくお願いします。ただ、ちょっと怪談会でネタをだいぶ使ったので被ってたらごめんなさい」
F多田「え~さて、先ほども申しましたが50回目ということで事前告知にも書きましたが。特別なゲストさんをお呼びしております」
有機酸「ほう、ゲストさんね」
羊地蔵「あぁ、あの方ですね。前回放送で匂わせていた」
F多田「えぇ、香ばしい匂いのあの方です。ではどうぞ、事象探偵さんお入り下さい」
ほむら「こんばんわ、パティシエール兼事象探偵のほむらです。本日は記念すべき50回目に招かれ、非常に緊張しております。どうぞ、よろしくお願いいたします」
どこかで聞いたことがあるような人懐っこい女性の声
F多田「ようこそ、マガタマへ。いやぁー、やっと披露できますねー」
羊地蔵「フューリーさんの肝いりですから、期待してますよう」
ほむら「あ、いや。あの……」
有機酸「うむ、どうしても聞かせたい言うてたなぁー」
F多田「リスナーの皆さんも、多大に期待して頂いて結構なので……」
ほむら「ちょ、ちょっと待ちましょう。ハードルが高飛びくらいに上がってますよ。えーと、リスナーのみなさんは気楽にお聞いてくださいね、どうかお願いします。先に言っておきますが、フューリーさんみたいな霊感を持ち合わせてなどいない普通の人なんですからね、私」
F多田「それはこの前も言ったけど、ほむらさんはありますって霊感が。だって、ロケで同行した時にも誰よりも先に霊の目撃があった場所に反応していたしさぁ。それこそ、誰にも教えられていないのに、その場所を凝視してたんだよ」
ほむら「いやでも、別に何かが見えたわけでもありませんし。あの時は猫の声が聞こえてきた場所を見ていただけですもの。私は大の猫好きでして、普段でも猫レーダー張って生活しているのでね」
F多田「でも、猫なんかいなかったよ。声だって、現場で聞いた人も他にはいなかったからねぇ」
羊地蔵「あの映像見ましたけど、猫なんて映らなかったですし、ヘッドホンして何度聞き直しても猫の鳴き声はありませんでしたよ。もしかして、見えない猫がほむらさんに語りかけていたって事ですかね」
ほむら「えぇー、どうなんでしょうね。本当に私自身は見ようとしても、見えない人なので」
F多田「ロケ終わってから打ち上げでね、色々と話していても思ったんだけどさぁ。なんか、動物や虫にに守られているような感じがするんだよね」
ほむら「う~ん、そうですね。思い返すと、人霊が関わる話より動物や虫が出て来る不思議な体験の方が多いかもしれませんね。守られているかどうかまでは、わかりませんけど」
F多田「いやいや、虫に守られている典型的なお話があるじゃないですか。我ながら、絶妙なネタフリでしょっ」
ほむら「あー、その話からしましょうか」
有機酸「ほぉ、そういう話があるんかいな。聞かせて、聞かせて」
羊地蔵「僕も聞きたいです。それって、渋谷の会でフューリーさんが話してた話にも関わる話ですよね」
F多田「そうそう、ほむらさんに話して頂いてから補足しますよ。じゃあ、お願いします」
ほむら「えっと、掲示版に事象探偵って何ですかって質問があったので、事象探偵とは何かについて話しておきますね。この世界で起きる出来事の関係性を解き明かして、事象学という学問まで昇華する事を目的に、趣味で調査をしている者達です」
羊地蔵「へぇ、すごく学術的なんですね」
ほむら「あくまでも、趣味でというのがポイントです。私以外にも事象探偵仲間がいますが、全員が別に本職を持っています。ちなみに、私はお台場の方でバリスタを本職としてやっています。もしお立ち寄りの際はよろしくお願いします」
F多田「ロケの時にコーヒーを持参してくれて、みんなコーヒー党なのに今までに飲んだことがない最上級に美味しいコーヒーだって口々に言ってましたからね。豆の焙煎から手掛けているから、ほむらさんが歩いてくる方向から香ばしい匂いがしてねぇ」
羊地蔵「それで、香ばしい匂いの人だったわけですね」
ほむら「友人達にも、私が来るとコーヒーを飲みたくなるって言われますよ。では、お話をさせて頂きますね。この話は5年前に北海道のある街で、私がバリスタの修行をしていた頃に体験した話です。当時の私は北海道の親戚宅に居候をさせてもらいながら、修行中のお店に通っていました。」
当時の私は事象探偵ではなかったのですが、事象探偵をしている方が作ったSNSコミュニティサークルに加入していて、事象探偵さんの様々な調査報告書やこぼれ話を読むことが、帰宅後の至福の楽しみでバリスタの修行も、日々驚きと発見に満ちていて楽しい毎日を過ごしていました。同僚の人達も良い方ばかりで、お客さんとも仲良くなり気持ちにも余裕が出来てきた、そんなある日のこと。
「ちょっと、まほろさん来てくれる」
忙しい時間帯を過ぎた夕方4時頃、フロア担当のS先輩が呼ぶ声が聞こえてきました。
「はい、何ですかぁ」
声のする方向に行くと、そこは道に面した窓側の奥から一つ手前の席でした。
「はぁ~、またですかぁ」
その席の横で上機嫌で立っている先輩、そして席に座っているお客様の姿を確認すると、ため息混じりのそんな言葉が私の口からこぼれ出ていました。
そこに居たのは、フロア担当のS先輩と常連さんの近所で編み物教室を開いているKさんでした。この二人は大の怪談好きでして、嫌がる私に怪談を聞かせるのでほんとに困っていました。
「そんな声だしても、あんたも好きなんでしょうに」
満面の笑みで、そう言うS先輩。左頬のえくぼが小憎らしい。
「だからぁ~、怪談が好きなんじゃないんですってばぁー」
「今日はKさんが、とびっきりの話入手したんだって」
「ほむらちゃんに聞かせたくて、休憩早めに取っちゃったのよ」
Kさんも満面の笑みを浮かべて、私に語りかける。
「うぅー、わかりましたぁ。こんどは何の話ですか」
いつも、この二人の楽しそうな顔に負けてしまう私。Kさんはお客様だから大事にしないとね。
「ほむらちゃん、夢鬼って話知ってる」
「夢鬼ですか……えっと、夢を食べるバクの話なら知ってますけど」
「違う、違う。ほむらさんって本当に都市伝説も知らないのね」
S先輩がいたずらっ子のような、笑みを浮かべて言う。
「と、都市伝説の話なんですか」
「えぇ、都市伝説でも夢鬼というの話があるのよ。ただ、私が聞いた夢鬼はね、実際にうちの生徒さんが体験した本当の話なのよ」
Kさんの語る話のほとんどが生徒さん達から聞いた話で、どれもが聞いた日のシャワーで背後が気になって仕方がなくなるほどに怖い話ばかりでした。
その日の夢鬼と言う話も、声を上げてリアクションしてしまう怖い話でした。
ほむら「この夢鬼の話は、とりあえず割愛しますね」
羊地蔵「えぇ~、話さないんですかぁー」
ほむら「ちょっと、理由があって後にまわします」
有機酸「なんか、わけありなわけやね」
ほむら「はい、ライブでは短くまとめて語ってしまうのですが。今回は、完全版を話そうと思いまして」
F多田「俺の達ての願いでね。ライブでは尺が長いので無理だけど、完全版を聞いた俺としてはリスナーさんに、ぜひとも、完全版を聞いてもらいたいという思いから今回来てもらったわけですよ」
ほむら「では、続けますね。Kさんの話に私が声を上げて怖がっているのを、S先輩とKさんがひとしきり楽しむと解散となりKさんは帰って行きました。」
その後はいつも通りに仕事をこなし、ロッカールームで帰り支度をしていると。
「ほむらさん、ちょっといいですか」
私と同じバリスタ修行をしているYさんが、躊躇しがちに話しかけてきました。Yさんはおとなしく背も低めな女の子なのですが、私と同じく他県から北海道に来ていたこともあって、私はすぐにYさんと仲良くなりました。ただ、Yさんはあまりおしゃべりが得意ではないようで、ほとんどが私から話しかける事が多く、Yさんから話しかけて来るなんてことはありませんでした。
「ん、Yさんどうかしたの」
「う、うん。あのね……」
ただでさえ、おとなしく小さいYさんがより小さくうつむいている。
「どうしたの、なんでも言ってよ」
昼間の夢鬼話で心のテンションがダダ下がりしていた私ですが、同い年だけど小さく可愛い妹のようなYさんの力になろうと無理やり元気を出して答えました。
「実は……ね。私引っ越ししたの」
「あ、うん聞いてるよ。私は仕事だったのお手伝いに行けなかったけど、S先輩とかが引っ越しの手伝い
行ったらしいね」
「うん、先輩達が手伝ってくれて助かったんだけど。部屋がね、その……」
「部屋……。部屋がど、どうかしたの」
この段階で、すでに嫌な予感が私の頭をもたげ始めていました。
「部屋が、少し変なんです」
はい、きました。予想通りのセリフですよ、みなさん。
「へっ、変って」
心構えが出来ていたのに、ドモってしまう小心者な私が悲しい。
「実は、ですね……」
それから彼女が話してくれた変な事というのは、すぐに理解できる内容ではなかった。簡単にまとめれば、夜に変な音が聞こえるということだった。
ただ、その音というのが毎回違うらしいのだ。彼女も私と同じく怪談が苦手な人間で、もしも霊の仕業だとしたら、なんて考えるだけ涙が溢れてくるほど怯えていた。
「ほむらさん、私どうしたら良いと思う」
涙で目をうるませて助けを求めるYさん。同性だけど、ドキッとしてしまう。
「そうねぇ、えっと…………」
もしも、私がYさんの立場だったら…………想像するだけで泣きそうになる。なんとかしなくちゃ、そもそも怪談話に詳しくない私に何が出来ると。あれれ、怪談に詳しい人物なら近くにいるではないか。
「Yさん、ちょっと待ってて」
「え、待つんですか。はい」
状況がよく理解出来てないであろうYさんをロッカールームに残し、私は思い当たりの人であるS先輩の元へと向かった。
まだ、仕事の後片付けをしていたS先輩にいきさつを話すと「おやおや、あたいの出番かい」と嬉しそうに答えて力になってくれることになった。
後々になって聞いたのだが、S先輩は無類の怪談好きなのに関わらず、実際の怪奇体験がまったく無いので、そういう機会を日頃から待ち望んでいたのだという。
「え、S先輩も助けてくれるんですか」
「うむ、この私に任せなさい。たちどころに解決してしんぜよう」
仕事着のエプロン姿で見得を切るS先輩。私は必死にこみ上げる笑いを抑え込んでいました。
どうやらYさんも、怪談好きなS先輩のことが相談相手として思い浮かんではいたらしいのですが。職場の先輩であること、その部屋への引っ越しを手伝いに来てくれたことが躊躇する理由になっていたようでした。
Yさんが私に話したのと同じ内容をS先輩に話すと、しばらく考えるような仕草で歩き回っていたS先輩が立ち止まり手を叩いた。
「Yさん、今度泊まりに行っていいかな。もちろん、ほむらも一緒で」
S先輩はYさんの方に振り返って、満面の笑みでそう言った。
「え…………うちにですか。はい、良いですけど」
すこし戸惑いつつも、了承したYさん。
こうして、私の自由意志に関係なくYさん宅への宿泊が決まりました。当然ながら、楽しいお泊り会ではなく、怪奇調査目的の宿泊である。
正直なところ、私はS先輩に「私は行かなくても、いいですよね」と、涙目で宿泊回避を懇願していたけれど、心のどこかで不思議な高揚感を感じていました。
その後3人のスケジュールやYさんが私達を泊める準備などで、5日後にYさんの家に向かうことに決まりました。
当日私とYさんは仕事が休みで、夕方仕事終わりのS先輩と店で合流してからYさん宅に向かう計画となりました。
それまでの待ち時間で、気休めにでも神社に行こうということになり、私とYさんは一緒に近くの神社でお参りをした後、真剣にお守りと御札を選び入手してからお店へ向かいました。
参拝してきたことをS先輩に話すと「まさかだけど、安産のお守りはないよね」と予想通りに茶化してきた。
Yさん宅に向かう途中コンビニに寄り、眠気覚ましになる飲み物や食べ物を調達していると。
「あら、ほむらちゃん」
振り返るとKさんが立っていました。
「あ、Kさん。こんばんわ、奇遇ですね」
「ほむらちゃんも買い出しかしら」
そう言うKさんが持つカゴの中には、サンドイッチやレトルト食品がたくさん入っていた。
「えぇ、まぁ。そんな…………」
「うわぁ、Kさんだぁー。ちょうど良かった、実はね……」
話をしていた私とKさんの間に割り込んで、S先輩がいつものテンションで入ってきた。まるで、バスケットボールのディフェンダーのような肩を入れた割り込みに、私はバランスを崩しそうになった。
S先輩がKさんにYさん宅の事情を説明すると、驚いた顔をした後に残念そうな顔にKさんはなった。
「そうなの。出来たら私も力になってあげたい所だけど、これから友人達と降霊会なのよ」
「えっ、こ、降霊会ですか」
「そっか、今日は降霊会の日だったのね。残念だわぁー」
声が裏返ってしまうほどに、Kさんから出てきた言葉に驚いている私とは対照的に、S先輩は普段と変わ
らない態度で会話を続けている。
「そうだ、Kさん。教えて欲しいんだけど、この建物って事故物件なの」
ストレートにS先輩はKさんにそう尋ねた。それは、私もKさんに聞こうと思っていた事だった。
生まれた時から住んでいるKさんならば、Yさんの住むマンションで過去に何かあったら知っているだろうと考えていたからだ。
「このマンションのこと。う~ん、私の知る限りでは事件も、何も起きてないはずよ」
「そうですか……」
何か手がかりが掴めると期待していただけに、S先輩と私は肩を落とした。
「それじゃあ、友人達が待ってるから。何かあったら、明日お店で教えてね」
「はい、何も無いことが一番ですけど」
こうしてKさんと別れ、夜食の詰まったコンビニ袋をぶら下げてYさんのマンションに向かった。
「私の部屋は、ここの4階なんです」
そう言って、Yさんが指差す先を見て言葉を失った。
「すごいでしょう、ほむらさん。引っ越しの手伝いに来た時、わたし腰抜かしそうになったもの」
S先輩がそう言うのも、うなずける。目の前にある建物は一般的なマンションじゃなかった。
「あのYさん、部屋なんですけど。何LDKなの」
「えっと、7LDKです」
「………………」
私は再び言葉を失った。聞いたことのない単位に軽くめまいを覚えた。S先輩は、そんな私を楽しそうにニヤニヤして見ている。
「それじゃあ、付いてきてくださいね」
「…………うん」
放心状態で付いて行くと入り口はオートロック、建物に入るとホテルのようなロビーに警備員が二人立って警備している。本当は高級ホテルなんじゃないかと思えてくる。
警備員さんに会釈しながら音声ガイダンス付きのエレベーターに乗り4階へ、ゴミ一つ落ちていない通路を抜けてYさんの部屋の前に来て気が付いた。
「あぁ、ここって外国の高級ホテルグループが建てたマンションだ」
すこし前テレビで、住人目線のカメラでロビーから部屋の中まで歩く映像を見たことに気付いたのだ。
「なによ、いま気付いたの。マンションの前で驚いていたのは、単に外観に驚いていたのね」
S先輩が呆れたようにそう言う。その先輩の後ろでYさんが、必死に笑いそうになるのを堪えながら鍵を開けているのが視界の端に見えた。
「どうぞ、入って下さい」
「お邪魔しまーす」
「うわっ……おじゃまします」
一度テレビで見ていたとはいえ、実際の印象というものは違うようでマンションというよりも、新築の一軒家の玄関から眺めた景色そのものだった。
玄関から真っ直ぐに8メートルほどの廊下、扉が右手側に3つ、左手側に2つ、正面に1つありマンションの一室とは思えない落ち着いた高級感のある雰囲気でまとまっている。
右手側の一番手前の部屋へYさんに案内された。そこはリビングルームのようで、高級感のあるソファーや大画面テレビなどが置かれていた。
「なんとなく分かってたけど、Yさんてお金持ちのお嬢さんなの」
「えっ、う~ん。一応お父さんは会社経営してるけど」
「いやいや、一応じゃないわね。ほむらさん、Yさんのお父さんの会社って日本第3位の証券会社よ」
「に、日本第3位ですか……超の付くお嬢様じゃない、Yさん」
「えー、普通のお父さんだよぉー」
照れくさそうに下を向くYさん、にやにやして私を見ているS先輩、そして、おそらく間抜けな顔をしているだろう私。
それからしばらくは、Yさんへの様々な質問や晩ご飯をみんなで作ったりで時間は流れていった。
以前から、なんとなくYさんの持ち物がブランド物の良品ばかりだったので、もしやという思いはあったが段違いのお嬢様だとは考えもしなかった。
Yさんの質問への答えがどれもテンプレートなお嬢様な日常ばかりで、本当にそんな世界があるんだなぁと遠い目になってしまうばかりだった。
「そういえばYさん、音がする場所ってどこらへんなの」
「あ、はい。えーとですね…………」
晩ご飯の後片付けを終えた頃、S先輩が本題である異変について聞きはじめた。
どうやらS先輩なりに、気を利かせてYさんが私達がいる状況に慣れるのを待っていたようだった。
「お二人に相談した後、思い返してみたのですが……」
そう言って、立ち上がったYさんは扉を開けて廊下に出た。私達もYさんの後を追うと、玄関の反対側の位置にある扉の前で立ち止まった。
「この扉の先には、両親やゲストの方が泊まりに来たときの部屋があるのですか……」
そういって扉を開けると、同じような廊下があり扉が左右に少しずらして配置してあった。正面の行き止まりの壁には風景絵画が掛けてある。
「リビングルームで聞こえることもあるのですが、多いのはこの周辺で……」
私達はYさんが異音がしたという場所を調べてみました。
だけど、別に変なところや音がしそうな物もありませんでした。奥に飾られている絵画もYさんが書いた物で異常なし。というか、美術大学などに通っていない人が書ける絵のクオリティではないことが、私にも
理解出来る画力で自分も努力しなければと焦燥感に駆られた。
仕方なく3人でリビングに戻り、おしゃべりやお菓子を食べながらYさん言う、問題の音がする時間を待った。
ところが………………。
「……ん……ほむ…………ほむらさん、起きて下さい」
「……う~……ん……あれ……」
気が付くと、Yさんが私を揺り起こしていました。いつの間にやら、私は眠ってしまったようです。
「ごめん、Yさん。寝ちゃったみたい、ほわぁぁー……」
つい、あくびが出てしまう。テーブルにある飲みかけのコーヒー飲料を飲み干して、周りを見ると少し離れた床でS先輩が気持ちよさそうな寝顔で寝ているのが見えた。
「あ、S先輩も寝ちゃてるんだ。Yさんは眠く…………どうしたの」
Yさんの顔を見て寝ぼけている場合では無いことが、すぐに分かった。Yさんは今にも泣きそうな怯えた表情を浮かべていた。
「お、音……音がします………」
「えっ、おと……あ、なに…………この音」
時計を確認すると深夜3時を過ぎた頃だった。まさに異音が聞こえてくるという、Yさんの証言通りの時間に私にも音が聞こえてきた。
「そうだ、S先輩を起こさないと。S先輩、起きて下さい…………」
寝ているS先輩を揺り起こそうとしたが、全然起きる気配がない。
困り果ててYさんを見ると、首を横に振ったのでYさんも起こそうとしたがダメだったのだなと察した。
状況は最悪だった。目の前では、涙目のYさんが私を見つめながら、私の右手を両手でかすかに震えながら掴んでいる。
「…………うん。た、確かめに行こうYさん」
「……ぇ……は、はい」
使命感だけを心頼りに、二人で異音の場所を確かめることにした。もちろん、昼間に買ったお守りと御札をしっかりと手に持って。
廊下に出てみると、やはり異音はYさんが話していた奥の扉から聞こえてきているようだった。
廊下の明かりを付けて周囲を窺うが、音が聞こえてくる扉の奥以外に異常はなさそうだった。
「Yさんの聞いた音って、この音なの」
Yさんは黙って首を横に振った。
「こんな音は、はじめて聞きました。……え、なに……」
「ちょ、ちょっとYさん」
私の右手を掴んでいたYさんが、急に手を離して奥の扉に向かって歩き出した。
なぜだか嫌な予感がして、歩いて行くYさんの肩を掴んで止めようとした。
その時…………。
「ぇ…………うっ……キャァァァーーー」
突然、Yさんが悲鳴を上げて尻餅をついた。
「だ、大丈夫。どうしたの…………Yさん」
私は2メーターほど先で、尻餅を付いた状態のYさんを助け起こそうと近づこうとして、異変に気付き足を止めた。
Yさんの体が目で確認できるほど震えていた。しかも、Yさんは奥の扉の下の方を凝視しているようだった。
「Yさ…………えっ。あぁ、電気が……」
急に廊下の電気が消え、周囲が暗闇に包まれた。半開きだったリビングルームからも明かりが刺さない事からブレーカーが落ちたのかもしれない。
視覚が奪われ感知出来るのは、私とYさんの息づかいと前方から響いてくる謎の異音だけ。
逃げ出したい、この場からいますぐ離れたい。そんな気持ちが津波のように押し寄せていた。
そんな極限状態の私を更に追い詰めるような、考えたくない事態が起こる。異音が少しずつ私達の方へと近づいてきているのだ。
「う……うそ、近づいてきてる……」
暗闇の中で距離の判断が出来ないが、確実に音が近づいてきているのを感じる恐怖。
無意識に自分を抱きしめるような体勢を取る。本当は目を閉じて座り込みたい気分だが、異音が近づいて来るにしたがって音が膝より下の位置だと分かるので怖くてどちらも出来ない。
「……っ…………こ…………で」
Yさんが、何か口ずさんでいる。
「な、なに、Yさん。え、どうし……」
私一人じゃない、近くにYさんがいる。それが心の支えだった私は出来るだけ平静を装って話掛けた。
「…………こ、来ないでぇぇぇぇー」
突然大声でYさんがそう叫び声をあげた。あまりのことに、びっくりした私は尻餅を付いてしまった。
「イタタッ…………ん、うそ……」
尻餅を付きYさんと同じ姿勢になったその時に、私は出来ることなら知りたくなかった異音の正体に気が付いてしまった。
それまでは、ぼんやりとした判別出来ない音だった。破裂音とも、摩擦音とも、打撃音とも言えない、音の種類が不明なままで、とにかく気持ちの悪い感じの音。
それが異音の位置と同じ高さになった今は、この周囲の見渡せない暗闇の最中で脳裏に浮かんでくる。
ペタッ……ペタッ…………ズズー…………
手を付いて体を引きずる音。ゆっくりと、確実に近づいて来るその音に恐怖のあまり体が震える。
いますぐ立ち上がって、Yさんと一緒にリビングに逃げ込まなくちゃと、そう思うのに動けない。金縛りになっているわけでも、腰が抜けたわけでもないのに体が思うように動かせない。
「わ、Yさん、逃げて」
「………………」
とにかく、自分よりも迫り来るモノと距離の近いYさんを逃さないといけない。異常な状況下でも頭だけは冷静な判断が出来る状態だった。
だけど、肝心のYさんからなんの反応もなかった。
ボトッ……ボト……ボトボトッ……
暗闇の中で、何かが複数床に落ちる音が聞こえた。
数日後になってYさんが、この時に何があったのかを教えてくれました。
そう、この時ただ言い知れぬ恐怖で体をガタガタと震わせていた私よりも、はるかに恐ろしい体験をYさんはしていたのです。
「…………え…………なに…………」
そう言って音のする方向へ近づいて行ったYさん。この時Yさんには、異音の中に人の声のようなものが聴こえたそうなのです。
そして、その声を聴き取ろうとして近づき…………。
「……ホォ……ノォミィィ……」
と呼びかけるノドの潰れた人の声を聞き取って、悲鳴を上げて尻餅を付いてしまったそうなのです。
しかも恐怖はそれだけで終わらず、廊下の明かりが消えて暗闇に包まれた瞬間から、Yさんの目には扉の向こう側から体を引きずりながら近づく男の姿が、闇に浮かび上がるように鮮明に見えたというのです。
一筋の光も刺さない廊下で、更に正面にあるはずの壁や扉をも透過して、灰色の顔をしたスーツ姿の男性がYさんを見つめたまま床を張って迫って来る。
もしもこの時、私がYさんと同じ体験をしていたら耐えられず発狂していたと思う。
そんな状況でYさんは金縛りになり、体を動かすことも、目を閉じることも出来ない状態だった。
近づいてくる男の這う手はゆっくりと動いているのに、近づくのがそれよりも早く感じる。あと3メートルくらいに近づいた時に、男の姿がはっきり見えた。
灰色の顔に黄ばんだ色の瞳、左頬に逆三角形のホクロがあり、ペンシルストライプのスーツにネクタイのない青味がかったシャツを着た40代半ばの男性で、全身が水を被ったように濡れている。
「……ィ…………ホォ……ノォミィィ……」
そう虚ろに口ずさみながら男が近づく。Yさんの位置まで残り1メートルと迫った時。
ボトッ……ボト……ボトボトッ……
Yさんと男との間に、何かが上から降って落ちてきた。
それは暗闇の中で、ぼんやりと赤く光る30センチくらいの大きなムカデだった。
ムカデは十数匹床に落ちてきて、Yさんの前で横に並ぶような布陣を取ると、男を威嚇するように半身を持ち上げて跳びかかっていった。
その次の瞬間には廊下の電気がつき、Yさんの前に先程までいたムカデも灰色の顔の男もいなかったのだとYさんは言った。
「…………あ、明かりが……Yさん、大丈夫」
廊下の明かりが戻り、私が周囲を見渡した時にも電気が消える前と同じ体勢のままのYさんがいるだけでほかに何もいませんでした。
私が立ち上がり、Yさんの元へと駆け寄るとYさんは堰を切ったように泣き出し、私もYさんと抱き合って泣いてしまいました。
その後、朝までリビングで残った夜食を食べながら二人で夜明けを待ちました。もちろん、気持ちよさそうに寝息を立たているS先輩も一緒に。
羊地蔵「怖えぇ~、なんて話持ってるんですかぁー」
F多田「怖いでしょう。でも、この話まだ続くんですよ」
有機酸「ほう、後日談があるわけやな」
ほむら「はい、本当の意味での後日談があります」
その翌日から、次のマンションが決まるまでYさんはS先輩のマンションで暮らすことになりました。
さすがに、肝心な時に眠ってしまった事を反省して引き受けたいのだとS先輩がYさんに言っていましたが、Yさんが次のマンションに移った後に私だけに本当の理由を話してくれました。
実は、S先輩が寝ていたのはYさんと私が異音に気付いた時まで、私がS先輩を起こそうと呼びかけた時にはすでに起きていたのだそうです。
ただ、床に直に寝ていたS先輩は異音の正体をすぐに理解したらしく、恐怖感からタヌキ寝入りをしていることに決めたのだと教えてくれました。
そして電気が消えてからは、体を丸めて時が過ぎるを待っていたけれど、いつの間にやら本当に寝てしまったのだとか。何度もごめんと拝むS先輩が可愛らしかったので許しました。
それと翌日いつも通りにお店に来たKさんに、体験した内容を話すと。
「…………なるほどねー。ほむらちゃん、大変だったわねー。多分だけど、そのムカデは毘沙門天様の化身で二人を加護して下さったんだと思うわ」
「毘沙門天様ですか。でも、なんで」
「それは、ほむらちゃん達がお参りした神社が毘沙門天様に縁のある社だから。今は廃れてしまったのだけれどね。私の祖母の頃までは、毘沙門天様の宿をしていた地域なのよ」
「毘沙門天様の宿ですか」
「そうよ。宿というのはね、地域の家が持ち回りで神様のご神体や真言の書かれた幟などの入った物をまわして、神様の宿となって祭る行事でね。昔は娯楽がなかったから、それを口実に宿役の家で宴会をしていたんだって、祖母が懐かしそうに話してくれたわ。なんでも宿の宴会には、男の人が宿に呼ばれる神様と、女の人が呼ばれる神様が決まっていたそうよ。祖母もその日は家の事を忘れて、女性だけで夜明けまで騒いだって言っていたわ」
「へぇ~、面白い風習ですね」
怪談は苦手だけど、こういう話は大好きなので良い話を聞いたなぁと私は気分が良くなりました。その日の夜、家に帰ると親戚のおじさんの帰りを待って、他にも同じような郷土話はないかと聞いてみました。
「ん、土地の風習かい……あぁ、爺さんに聞いた話ならあるけど。だけど、なんで急にそんな話に興味持ったんだね。なんか、この前まで落ち込んどったのにさ」
どうやらYさんの一件で私が気落ちしていた事に、おじさんは気付いていたようだ。
私は余計な心配をさせてしまった事をおじさんに謝って、気落ちするに至ったいきさつについて話した。
すると、おじさんはポンと膝を叩いて「おぉ、そりゃあれだな」と言うと立ち上がって私を神棚の前へと呼んだ。
「おじさん、どうしたの」
「うんうん、これだよ、これ」
そう言って、おじさんは神棚と並んだ位置にある長細い1メーターくらいの木の箱を指差した。
「え、これ。なに、この箱全然いままで気が付かなかったけど」
「これが、毘沙門天様だよ。さっき言ってた宿の箱さ」
「えぇー、おじさん家が宿だったの」
詳しく話を聞くと、どうも本物の宿の道具らしいのだが、おじさんが小学生の時に行事が廃止されて以来、最後の宿だったおじさん家に一式が残されたままで現在に至るということだった。
私は親戚の家に来てから出勤前に、仏壇と神棚に手を合わせるのを日課にしていた。それで毘沙門天様が信心深い私を助けてくれたのだと、おじさんは興味深そうに腕組みしてうなずいていた。
信心深いもなにも、そもそも存在にすら気付いていなかったのに助けて下さるとは、なんと寛容な神様なのだろうと心より感謝しました。もちろん、毎朝の日課は親戚宅を出る日まで続けましたよ。
それともう一つの後日談、これは去年の秋に判明した話です。
事象探偵として活動する内に怪談話にも慣れて、それも含めて事象の一部なのだと考え直し始めた私に友人から「だったら、怪談会に行こうよ」と誘いが来て参加することになりました。
そこで怪談を話していた方の中に、フューリー多田さんもいました。そして、ある程度時間が深まって会場の参加者が体験した怪談を語る時間となった際に、友人が私に人前で怪談を語ってみる事も経験だと言ってきたので「なるほど、確かに事象探偵として経験は大事だな」と変な納得をしてYさん宅の一件を語りました。
すると、フューリー多田さんが「それって、川の近くにあるマンションかな」と私に問いかけ、怪談会なので色々実名で説明しているうちに「うわぁ、それ俺の話とリンクしてるよ」と共通点のある体験談を話してくれました。
有機酸「それが、フューリーさんとほむらさんの巡り合わせなわけやな」
F多田「そうなの。俺が話す10年以上前の体験談で『笑う男』というのがあるんだけど、それとリンクしている内容がほむらさんの話でね。簡単話すと、俺の友人が引っ越したマンションの部屋が、サラリーマンの男が無理心中をしたその部屋だったという話でね」
羊地蔵「あー、あの救いの無い話ですかぁー。どんよりするんだよなぁー、あの話」
F多田「語ってる俺だって、いまだにへこむからね。サラリーマンの幽霊の俺はその笑い声だけ聞いて、家主の友人が男を目撃して腰を抜かしたって話なんだが。故人とはいえ、個人情報なので語らなかった男の特徴がそのままズバリでね」
羊地蔵「そのまま的中なんですか」
有機酸「そらぁ、えらい話やなぁ」
ほむら「ほんと、まさか一致するなんて思いませんでした」
F多田「…………うん、全員にスルーされたわけだけど。いいや、それでね……」
羊地蔵「いや、そこはスルーするところが落ちなので」
有機酸「せやな、優しさや優しさ」
ほむら「え、どうかしたんですか」
F多田「なるほど、ほむらさんは天然だったのね。それで話を戻すと、俺がリンクしている確信を持ったのが無理心中した男の奥さんの名前が、ほのみさんだったのを新聞記事で俺が見て覚えていたのさ」
羊地蔵「うわぁ~、名前のつながりですか。もう動かしようがないじゃないですか」
ほむら「私も教えられて、鳥肌が立ちましたもの」
F多田「俺もほむらさんが話している時から鳥肌立ってさ。まさかなぁーって」
羊地蔵「つまり、フューリーさんが体験したマンションの同じ土地に、新築マンションが出来てほむらさんの友人が引っ越したという事ですよね」
F多田「いやいや、違うよ羊地蔵さん。現在も俺の話のマンションは別で建ってるからね」
羊地蔵「えぇー、どういうことですか」
F多田「つまりね、ほむらさんの話のマンションと俺の話のマンションは別の建物なんだけど近所にあるのさ。2つは隣あってはいないんだけれども、距離にしたら徒歩5分くらいの範囲なんだよ」
有機酸「はぁー、霊が移動しとるっちゅう事やな」
F多田「そうそう、事象をつなぎ合わせると結論としてそうなるよね」
羊地蔵「いやいや、えぇー。そんな、はた迷惑な話あるんですか。フューリーさんの笑う男の話だと、地縛霊の典型例だったじゃないですか」
F多田「いやさ、前にも番組で地縛霊について話し合った回があったけれど。俺は地縛って言うのは無いと思うんだよ。俺の体験談でも、亡くなったその部屋以外で霊が出てきた事が多数あるもの」
有機酸「うん、そうやな。わしもそんな気がするなぁー」
羊地蔵「えー、有機酸まで地縛霊否定派なんですか」
有機酸「否定派かいう事になるかわからんけども、わしが体験したものや他の人から聞いた話から判断すると、縛られてはいない感じやな。例えば、十年以上電車通勤しとる幽霊の話なんかもあるしな」
羊地蔵「あぁ、ありますね。生前の行動を繰り返すタイプのやつですよね」
F多田「そうだね。羊地蔵さんは知らない事かもしれないけれど、電車って定期的に新しい車両に入れ替わったり、整備で違う車両になっていたりしてるんだよ。運行ダイヤだって、10年もあれば変わって当然だしねぇー」
羊地蔵「うわぁ~。言われてみれば、その通りですね。移動するんだー、最悪だわぁー」
ほむら「最悪ですよねぇ。地縛霊のルール通りなら、Yさんがマンションを移る必要もなかったし、私もあんな嫌な体験をすることもなかったはずですから」
F多田「ほんとその通りだね。地縛霊のルールって言葉もすごいけどさ。それこそ、ほむらさんが不在の時に同じ事態にYさんがなっていたら、どんなことが起きていたのか。考えるだけで恐ろしいよね」
羊地蔵「ですよね、完全に悪霊ですもんねぇ。もしかしたら、最悪の事態になっていたかもしれませんね」
有機酸「うん……あのな、わしの知り合いにも悪霊に持って逝かれた奴がおるんやけどな。そいつも、Yさんみたいに急にわけわからん状況に巻き込まれて、それでノイローゼみたいになって死んでしもうたんやわ…………なんか今の話と重ねてしもうて……あん時わしにも,何か出来たんやないか思うと……なみだ……涙がなぁ……」
羊地蔵「有機酸さんが、番組の初め頃に語ってくれた話ですね……僕も思い出すと目頭が熱くなりますよ」
F多田「あの話も不条理だもんねぇ。ほむらさんと話をした後に気になって、今も北海道に住む友人に問い合わせてみたのさ。あれから10年経ったのに、いまだに家賃が相場の半分くらいらしくてね。どうも、その部屋だけでなくマンション全体で怪異が起こってるそうなんだよ」
羊地蔵「えぇ~現在もですか。なんてしつこい幽霊なんでしょう」
F多田「いや、それがねぇ羊地蔵さん。違う幽霊達らしいんだわ」
羊地蔵「ん、どういうことです。しかも、達って」
F多田「あのね、俺が友人達と体験した時期以降にやっぱり噂が広がったそうなんだ。でも、しばらくは問題の部屋や部屋前の廊下での目撃例で済んでいたんだけど、ある時期からエレベーターで心霊体験をする人が出たそうなんだよ。それも、ランドセル背負った女の子でさ」
羊地蔵「え、小学生の女の子が出るんですか。なんか、以前にそういう事件とかあったんですかね」
F多田「ないない、別に女の子がエレベーターで亡くなったとかも全然無いのさ。それなのに目撃証言や手を引っ張られた体験者が昼間にも出て、マンション周辺で話題になっちゃってるんだってさ。それ以降は、マンションのあちらこちらで怪異が起こるという心霊スポットになってるそうなんだよ」
羊地蔵「なんなんでしょうね。確かにそういう場所の話ってよく聞きますけど、呼び寄せる何かがあるんでしょうかね」
有機酸「うむ、昔から怪談話の定番である因縁の地というヤツやね。最近では、ほとんど聞かへん類の話やけどな」
F多田「そうだね、俺の話でもコレと沖縄での話くらいかな。あんまり頻繁にあっても、困るんだけどさ。でね、友人の話だと夜のサービス系の住人が多いそうなんだけど。どうも、その系統の商売人にはプラスに働くようで、そこの住人の店は流行るらしいんだよ」
有機酸「ほぉー、おもろいなぁー。もしかして、幽霊が人を呼ぶんやろか」
羊地蔵「あぁ、なんか聞いたことがありますね。客商売の場所では、霊能者の人も全部払ったりせずに霊を残すって。そうしないと、お客さんが寄り付かなくなって店が潰れてしまうとか」
F多田「それはあるねぇ。いまだから話せる話だけど、何度か怪談話を載せてもらった雑誌出版社が幽霊屋敷ならぬ幽霊ビルに移転した事があってね。あんまりに色々な心霊現象があるので、ビルに入っている他の会社に呼びかけて共同でビル全体をお払いしたそうなんだ。その話を聞いてから2年くらい経った頃に、俺の担当だった男からメールがあってね。その会社が潰れて、違う出版社に勤め先が変わりましたが、今後もよろしくお願い致しますって連絡が来たんだよ」
有機酸「へぇー移転して、2年で潰れてしもうたんかいな」
F多田「そう。まぁ、移転先が幽霊ビルだった時点で、経営難っぽい感じはあったんだけどね。潰れないために家賃の安いビルに移動したんだから、いくらなんでも会社が潰れるのが早過ぎるなと思って、直接会って聞いて見たんだよ。そしたら、お払いをしてから一月後に大口スポンサーの社長が亡くなって、その会社の経営方針変更でスポンサーが外れたんだってさ」
羊地蔵「うわぁ、大打撃じゃないですか」
有機酸「せやなぁ。スポンサーからの資金が無くなっては、経営立て直しも出来へんもんなぁ」
F多田「だよねぇ。俺も、それで潰れたのかぁって納得してたらさ。そいつが言うには、それだけだったらば、いまも会社は存続していたそうなんだよ」
羊地蔵「え、それだけじゃなく、他にも何かあったんですか」
F多田「その出来事を皮切りに、細々とした様々な連絡ミスとか機材トラブルが連発したそうなんだ。それで、他のスポンサーや関係者が離れていって倒産になったらしいのさ。しかも、お払いを共同でやった他の会社も次々と色々な理由でビルを出て行ったそうで、彼がビルを最後に訪れた頃には、ビル全体がガラガラの状態になっていたそうだよ」
羊地蔵「それって、全部霊障だったんですかね」
F多田「どうなんだろうねぇ。ただ一つ確かなのは、お払いをした日からビルへの訪問販売や飛び込みの営業が激減して、普段長居していた来客が用事を済ませるとすぐ帰るようになったこと。そして、その理由について、ビル内にいる人々が大なり小なり感じていた、なんとも言えない居心地の悪さだろうって話くらいだね」
有機酸「あるなぁ~、表現出来へん居心地悪い場所なぁ。ワシは、滋賀にあるダムがダメやね」
羊地蔵「えぇ、ありますよね。そこにいること自体が気色が悪いというか、言い様のない圧迫感がある場所ってなんなんでしょうね」
F多田「うーん、なんだろうねぇ。古来から引き寄せる場所や遠ざける場所っていうのは、鬼や神が宿る場所だとも言われるけどさ。そのビルなんて、数年前に集団自殺の現場として新聞やニュースで報道されたからね。それもねぇ、その自殺者の中にメールをよこした、その男もいてさぁ」
羊地蔵「えぇー、亡くなったんですかぁー」
有機酸「ほぉー。そりゃあ、びっくりやなぁ。それも因縁なんかなぁ」
F多田「わかんないけどねぇ。さてさて、時間的にも丁度良いので、ここいらで休憩にしましょう。えーと、15分後再開でお願いしますね」
羊地蔵「はーい」
有機酸「うん、そうしようかぁ」
ほむら「はい」
F多田「では、休憩に入りまーす」
音楽が、月光から70年代のジャズに切り替わった。