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第二章 見習いのための先生(2)

 案の定、タスクは迷子になった。

 食堂から出た後、道に沿ってそれらしく歩いてみたらこのザマだ。

 どこも似たような景色で自分がどこをどう通ってきたのかも分からなくなる。

 通りすがりの人にでも聞けばいいのだが、隣国との戦の勝利の余韻で暇をもらった――喜ぶべきできごとなのだから、家族と祝ってきなさいと休暇をもらった人が多いらしく、普段は歩行人が途切れることなどなさそうなここには、タスク以外の人影が見当たらない。

「どうしようかな……本当に」

 迷ったならこれ以上変なところに行かないよう、城内をよく知った他人が来るまで待っていればいいものを、タスクはさらにうろちょろとどこか分からない道を歩む。

 ふいに、チリーン……、という澄んだ音が聞こえてきた。

 人かな、と思ってきょろきょろと周りを見回すが、相変わらず人影はない。だが視線を下に落とすと、すぐにその音の出所が分かった。タスクの足下に黒猫が一匹、ちょこんと座っていたのだ。その毛並みの色とのコントラストがきつい白色の首輪に付けられている小さな鈴が、先程の綺麗な音を出したのだろう。

 猫の真っ赤なその緋色の目が、イヴァリースを嫌でも連想させる。ただの猫だと分かっているのに、何故か大獣に見つめられているかのような威圧感を感じた。

 元から動物好きのタスクは、その猫を撫でようとして腕を伸ばした。が、黒猫はサッとその手を避けた。

 嘲笑うかのように猫は鳴き、身を翻して走り出した。だがそれも数歩だけで、少し進んでは動かないタスクを振り返って、しばらく躊躇うかのように待ち、そしてゆっくりと歩き出す。その繰り返しだ。

 その姿がまるでついておいでと言っているみたいで、タスクは何も考えず猫を追い始めた。

 タスクから結構離れた――正確に言うなら、タスクの走る速度が遅いがために開いた距離なのだが、その先を走る猫が塀に囲まれた角を曲がった。

 当然タスクもその角を曲がろうとし――。

「おい!」

 ドンッ!――誰かと正面衝突した。

 ガラガラとその人が持っていた木箱やらバスケットやらが落下し、転がり、派手な音が上がる。

「ったた…………」

 互いに尻餅をついたが、相手の方が起き上がるのが早かった。

「どこ見て歩いてるんだよ!」

 予想外に幼い声に顔をあげると、質素な身なりの少年が仁王立ちで立っていた。

 リベルタの代表的な色である金髪に、緑がかった深い青のブルーの目をしている。赤いチェックのバンダナのようなものを首に巻き、飾り気のない白いシャツに茶色の短い吊るしズボン、タスクやオドラータのと比べるとずっと生活感のあるブーツを履いていた。

 その服装からして使用人だろうか。それにしては年若い。イヴァリースよりもニ、三年程若く見える。十二歳前後だろう。

「ご、ごめんなせェ」

 タスクは慌てて立ち上がった。

 名も知らぬ少年はタスクの服に目を留めて、次に視線を顔に移し、小さく鼻で笑った。……毎度のことながら当のタスクは気付いていない。

「あーあ……。せっかくちゃんと入れていたのに……。どうしてくれるんですか、騎士見習い様」

 な、何でオラが見習いって…………あぁ、そうか。

 リベルタの軍では、地位によって服のデザインや装飾品が異なるのだ。少年はそれで判断したらしい。

「う……え、あ……。ご、ごめん…………」

 白石の石畳の地面に広がる惨状を見て、タスクは頭を下げた。

 馬鹿正直に親切な田舎少年のタスクは、転がった野菜類を片付けるのを手伝う。

 幸いに潰れているものはなかったが、二人でバスケットや箱に詰め直している間、少年はずっと嫌見たらしく文句を言っていた。

「ところで…………えっと、ねぇ、中庭ってどこにあるか分かる?」

 全部片付け終わったところで、タスクは少年にそう聞いた。

 さっきの黒猫はどこかに行ってしまったし、ようやく城内に詳しそうな人に巡り会えたのだ。聞くしかないだろう。

「はぁ?」

「中庭…………。来いって言われたけど……来たばかりで、分からねェんすよ」

「あんたそれでも本当に見習い? 冗談だろ? ……いえ……まぁ…………。えっと、中庭ですか? 第一庭園とかじゃあなくて?」

「い、いえ……、た、たぶん違うと思う……」

「中庭……。ハァ。こっちです、どうせぼくもそこ通るんで」

 最後の方が若干棒読みだった気がしたが、タスクは笑顔を浮かべて、ありがとと礼を言った。

 腕に荷物を抱えた少年と人気のない道を歩く。

 タスクが話しかけても適当な相槌しか打つことをしないので、少年との会話はできなかった。せっかく会ったんだから少しでも仲良くなった方がいいのに、とタスクは思っているのだが、どうやらこの少年の考えはその正反対のようで、どうでもいい人とのおしゃべりなんて体力の無駄だと思っているのが対応からありありと伺われた。

 気まずい沈黙の中、二人はとぼとぼと歩き、やがて回廊に出た。

 回廊の片側は建物の壁だが、もう片方には等間隔おきに馬蹄形のアーチが広がっていた。日の光を浴びて温かな象牙色に染まる石造りのその優雅なアーチからは、これまた美しい庭園が見えた。

 敷地全体を覆う、丁寧に切りそろえられた青々とした芝生。しっかりと水やりをされているのか、遠くから見ても草の柔らかさが分かる。所々芝生の下のレンガが剥き出しになっているのは、アクセントとしてわざとしたものだろう。庭園全体を囲むように、色形ともに可愛らしい花を咲かせた低木が植えられており、隅の方にはやや小さいが噴水まであった。

 ここが中庭だと、使用人の少年は言う。

 タスクが庭の素晴らしさに感動していると、突然隣の少年が引きつった声をあげた。

「どうしたんだぇ?」

「あ、あの人…………」

 少年はボソッと呟いて、噴水の横を指さした。

 タスクは気付かなかったが、そこにはどこに行っても目立ちそうな二人組みが立っていた。

 一人はその端正な顔立ちで、そしてもう一人はどこに行っても浮きそうな雰囲気と服装で。全てを和ませてくれそうなうららかな庭の日和の中でも、明らかな異物として目立っていた。

 オドラータとイヴァリースだ。

 イヴァリースは不気味なハーフマスクを着けたままで、形の良い唇を不満げに歪ませていた。

 オドラータが困ったように何かを口にし、対するイヴァリースは短く答えてから黙り込む。何を話しているのかはさすがにタスクのところまでは聞こえてこない。

「イヴ……えーっと、……あの人が、どうか……?」

 自分の受けた忠告を思い出して、出かかった名前をごまかすが、少年は全く気にしていない。気にかけようともしていないようで、漆黒しか纏っていない少女を嫌悪の表情で凝視していた。

「どうしたって……。だって、“仮面の人”だから……」

「え? オラあの二人と待ち合わせを」

「……正気ですか?」

 少年は信じられないとでも言いたげに顔をしかめた。

「本当にそれでも騎士見習いなんだか……。待ち合わせってか、どうせ呼ばれたんだろう。リベルタ城内で“仮面の人”を知らない人はいないって聞いた……。それ程有名なんですよ、仕事を完璧にこなすのと、残酷さと、あと冷酷さで。あの人のこと、何にも知らないんですか? それは……幸せですね。一回あいつ……、あの人が仕事しているところ見てみればいいですよ。あれはもう……、見ているだけで充分地獄を味わえるから。あんなのとまともに話せる人の正気を疑いますよ、ぼくは」

 そう言い終わると、少年は小さく身震いした。

 タスクが口を開かないうちに少年はさっさと歩き出した。理由は、中庭にちゃんと案内したんだから文句ないだろう、という訳なのだが、たぶん、見たくないのだろう、毛嫌いする人達を。

 両手に抱えた、積み上げられた木箱を危なっかしげに揺らして歩く小さな影が見えなくなったところで、タスクはオドラータ達のところへいった。ずっと立っていたままでは意味がない。

 先にイヴァリースがこちらに気付いて、不機嫌さに顔を思いっきりしかめた。顔の下半分だけでそうだと分かるから、実際はかなり……嫌がっているのだろう。

「それで? オズ、何するの?」

 一言一言に刺々しさがちらついている。本能も鈍感だが、それでもタスクはイヴァリースからにじみ出る何かに冷や汗をかいた。

「これからオズは軍事会議なんでしょ? さっき昼まではあたし一人でしろって言ってたよね。……この愚民にいろいろと切り刻……、教えるのを」

 何だが不吉な単語が聞こえてきたが、タスクは幻聴だと信じることにした。

 首を斬られると言われても現実味はないが、切り刻むなら、料理をしていてときどき包丁で切ってしまってできる傷を全身に散らした感じだろう。想像はしたくないが。そもそもタスクの狭い思考力では想像すらできないのだが。…………幸いといえば幸いかもしれない。

 オドラータは徒労と呆れの混じった溜息をハァと吐いた。それを受けて、対するイヴァリースはむすぅっと頬を膨らませてそっぽを向く。

 二人の間のタスクは、会話の流れが分からずおろおろすることしかできない。なんとなく分かるのは、イヴァリースが自分のことをとことん嫌っているらしいということのみだ。だが、それも理由が分からない。

「…………とりあえず、基本の構えを教えてやれ。弓にしても槍にしても、剣から始めるものだろう。あとは……、時間があればでいいけど、リベルタ語の基本の字でも教えてやってくれ」

「う・わ・あー、めんどくさいぃ」

「…………素直だな」

「本当に嫌なんだけど。何でイヴァがしないといけないの?」

「……手があいているから」

「あたし、仕事ちゃんとあるのに……。分かった、じゃあ剣でいいんだね?」

「あぁ、頼んだよ。会議が終わればオレも来るからさ」

 まだふてくされるイヴァリースの肩を叩き、惚けているタスクに視線を一瞬だけ投げかけ、オドラータは二人に背を向けた。

 その姿が見えなくなると、黒ずくめの少女はチッと舌打ちして、苛立たしげに腰に下げた剣の柄を指で叩いた。

「おい愚民!」

 冷たく鋭い声に、タスクはビクッと肩を震わした。

「へ、へぇ!」

「上着を脱げ。動きにくいし見ているだけで暑苦しいし邪魔。剣は? ……持ってきてないのか。ハッ、やっぱり愚かだね。まぁいい、オズに言われて今日は私が持ってきたからな。明日から自分で借りてきなよ、木刀でも鈍刃でもさ」

 とにかく斬れないものを明日から借りて持ってくればいいらしい。

 言われた通り上着を脱いだはいいが、汚したくないからどこに置こうと悩んでいるとイヴァリースから怒号がとんできた。渋々タスクは芝生の上に新品の服を置く。

 ここでは持ち物は大切にというフレーズを気にする人はほとんどいなさそうだが、食物も衣服も何もかもが乏しい、むしろ全くないと言ってもいいぐらいまともなものがない暮らしをしてきたタスクは、母親の正確を引き継いでちょっとしたものでも大切にしたがる節がある。周りからそう認知されていないのは、自分が不器用なせい……なだけだと思う。

 ちなみに昨日シェイディア達を呆れさせた、剣のあの悲惨な状況は、いけない仕事(・・・・・・)をしていた父が手入れをおこたったのと、あと兄がおもしろ半分に豪快且つ乱暴に扱った結果だ。タスクは関係ない。……見て見ぬ振りで手入れしなかったのは自分だが。

 まぁそんなところもあり、せっかくの新しく綺麗な服を汚したくなかったのだ。イヴァリース曰く、お前みたいな奴は少し汚れてくたびれたのを着た方がそれらしい、らしい。酷い言い草だが。

 タスクが、渡された刃の丸まったつ――まり人を斬るのにかなり苦労しそうな剣を持つと、イヴァリースは深いため気を吐いた。

「……構えから駄目だね」

 構えというのは案外オリジナルのものが多いが、それは馴れた人がするもので、初心者中の初心者がそんなことしたら危険だ。

 タスクの構えは……、本当にそれで構えているつもりなのか怪しいものだった。オリジナルどころかベースの基本すらもスルーして劣化の限りを尽くした感じだ。

 …………虫取り網じゃあないんだからさぁ……垂直に持ってどうする訳? 振るの? 剣って振るけど、振るけど!! ……でも、ねぇ…………?

 苛立ちながらタスクに構えについて細々と教えること約十分、イヴァリースは数歩は馴れてタスクの構えを見た。まだかなりの違和感を覚えるものの、一応形だけはできていた。

「まぁ……何とかなるはずだから」

 イヴァリースにとってタスクは虫けら同然で、ちょっとやそっとの間違いを正す気はない。つまり今死なれようが戦場で一分も保たなかろうがどうでもいい訳で。というよりむしろいなくなってほしいと思っている。

 魯鈍なのと要領が悪いのとで、ちゃんとできていないのを見ると腹が立ってくるが、指摘するのが面倒くさいというのもまた事実だ。

「次は、そうだねぇ。お前素振りしても怪我しそうだしできなさそうだから、じゃあ、私にかかってこい。斬る覚悟で」

「え……でに当たったら痛いし…………」

 心配げなタスクを、無用な心配を向けられたイヴァリースは鼻で笑う。

 ――それが、昨日あたしを斬ろうとした人の言葉か。

 心中辛辣に嘲りながら、イヴァリースは自分の剣を抜いた。タスクの練習に合わせた鈍刃だ。

「あたしがお前みたいな愚図に斬られるはずないだろう。怪我させるなんてのも愚民には何千年も早いね。フンッ、当たり前でしょう? それよりも自分の心配をしなよ」

 刺々しく言い放って、イヴァリースは自分の剣を斜めに構えた。防御するときの基本の形だ。

 ……本当にやっていいのかな……? で、でもやれって言われてーから、やった方が……やらないと。

 タスクはしばらく躊躇していたが、やがてぎこちない動きで駆け出した。

 イヴァリースにとって、その速度は真面目にやっているのかと聞きたくなるぐらい遅いし、構えがもう乱れてるしで不格好極まりないのだが、タスクにしてはこれが精一杯だ。

「わああああっ」

 いう人が言えば威勢良く聞こえるのに、タスクがやるとどうしてこうも情けなくなるのだろうか。

 鈍く光るその鉄の塊を振り上げて、仮面の少女に向かって下ろす――。

 その直後、タスクの手に痛みが走った。

 持っていたはずの剣がない。イヴァリースがはじき飛ばしたのだ。

 イヴァリースはただ剣を上にあげただけで力はほとんど入れていなかったのに、タスクの剣は実に呆気なくその手をすり抜けてしまった。

 とりあえず、一つはっきりしたことがある。それが分かっただけまだいい方か……、とイヴァリースは溜息を吐き出した。

「なぁ愚民……、お前頭で覚えられないみたいだから、徹底的に叩き込むことにするよ、その体に」

 しびれる両手を握ったり開いたりしていたタスクは、その言葉にきょとんとした表情を浮かべた。




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