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第一章 裁かれ人の幸運(2)

 さんざん愚痴を言って、イヴァリースはようやくマントを脱ぎ捨てた。ついでに、ここに歩いてくる間顔を隠していた仮面もはぎ取る。

 素性により顔をしょっちゅう晒すわけにはいかないのだ。

 オドラータが溜息をついて、イヴァリースが脱ぎ捨てたものを拾った。

「……もう少し慎みをもてよ?」

「知らない。誰も見てないからいいの。そもそも血に汚れる職業の人のどこに慎みが」

「……嫌うぞ」

「えーやだそれ」

「……じゃあせめて落ち着いて。一応これは仕事だから」

 むすっと頬をふくらませ、少女は武器を手に取る。

 自覚はないが、他人から見ればイヴァリースのプライドはかなり高い。表にはあまり出していないものの、愚かしい人間と馴れ合うことを毛嫌いしている。これも出自に関わることなのだが、長い付き合いの人は知っているものだ。当然リズエルも知っているはずなのに、自分にこんな仕事をよこすなんて不機嫌にならずに何となれと言いたいのだろうか。

 おまけに相手は愚民中の愚民だし。

 向こうを見ると、ここの広さに感動したらしくボケーッと立っている少年がいた。

 今日は盛大に祝うべき日なので、この修練用の広場に自分たち以外の人影はない。だから彼の姿がまともに視界に入る。不快極まりなく腹立たしい。

「おい愚民、剣を抜け。貴様のその腰のものは飾りじゃあないんでしょ?」

「へ、へぇ……いえ、はい!」

 少年はもたついた動作で、剣を鞘から抜いた。

 今や貧困最下層の市民でも持ちはしない、木製の鞘から出てきたのは、思った通りの状態の剣だった。

 柄の部分は泥と手垢にまみれているし、肝心な刃はと言うと、錆が浮き出ているし、刃こぼれしていないところを探す方が難しいと思うぐらいだ。

 シェイディアは隠すことなく呆れの表情を浮かべ、戦闘経験が豊富な残りの三人は嘲笑すらもできなかった。

 ひ、ヒドイ……。これは酷すぎる……。

 三人共がそう思う程、愚民の所有物の剣は使い物にならなかった。

 見た感じ、手入れをされたことはほとんどないみたいだね……。されたのは良くて五、六年前かなぁ。悪くて十年以上……? その後は放置されていたのか。

 品定めしつつ、イヴァリースはハァと息を吐いた。

 きっとこの愚民は、剣をまともに扱ったことがないのだろう。鞘から抜くとき、正しい持ち方、というか安全な握り方をしていなかった。それと剣の心得がある者には、誰だって手入れの心得もあるものだ。

 しかしここまで悪化するなんて、よっぽど前の持ち主の扱いが酷かったのだろう。付着した血を拭うこともしなかったのが見て分かる。

 それとも元が粗悪品なのだろうか。分からないが呆れを通りこして哀れみを覚えてくる。

「あー……の、リズエル様? あたし、素手でやった方がいいですか……?」

「……いや、それはさすがに……。オズ、そこら辺の箱から似たような短剣を……」

「オレ……いえ私、服持ってるんですけど」

「イヴァリースッ、慎みを持ってください!」

「え〜、別にそれ下着」

「発言も!」

 リズエルは額を押さえて、端に並べられた木箱から短剣を取り出し、それを愚民の少年へ投げ渡した。

 それが鈍い音をたてて少年にぶつかったものだから、イヴァリースの嗜虐心も興が醒めてしまった。

「さっさと鞘から抜きなよ、愚民」

 イヴァリースが嘲笑を含ませながら言い放つと、少年はまたもあたふたと剣を抜いた。

 シンプル尚且つしゃれたデザインのブーツで踏みにじるように白石の地面を進んで、愚民の前に立つ。

 素顔と本名を知られた上、オドラータが属するシェイディアの軍を横切った低底人間なんぞの命をここで助けるわけにはいかない。

 口元に冷笑を刻み込んで、少年を嘲笑うように睨みつけた。

「へぇ、まともな構えも知らないんだ?」

 少年は戸惑いの色を浮かべた。きっとこの愚民は、構えというものが存在すること自体知らなかったのだろう。

「さぁかかってこい。じゃなきゃああたしから行くぞ」

 イヴァリースがレイピアをさっと上げると、少年が間抜け丸出しのかけ声を上げて切り掛かって——、というより、何と表現したらいいのか……。そう、無理に例えるなら、虫取り大好きな少年が網を振りかざして走ってくるような感じだと言うのが一番良いだろう。もっとはっきり言うならそれの劣化版、というところだろうか。

「うわああああぁぁぁっ!」

 耳を覆いたくなるような哀れな叫びだ。

 戦場に行ったらまず最初に敵の餌食になる遅さと鈍さで振られる短剣をひらりと避けて、イヴァリースは力を込めることなくレイピアを前に突き出す。

 これはリズエルからの命令だ。攻めはできる限りせず、受け身だけをとれ、と。

 あまりにも弱い衝撃に、というか衝撃とすらも呼べないような力に、もうからかう気すら失せてしまった。

「ただの愚民か……」

 少し刺激を与えたら良いのかもしれないと思って、レイピアを振る。

 指弾に使うぐらいの力すらも入れていない。それなのに——、どうしてこうもこの少年は弱いのだろうか。

 イヴァリースの剣を中途半端な体勢で受け止めたせいだけではないだろうが、短剣は少年の手を離れて、慌ててそれを掴もうとした彼はと言うと、無様もなくこけた。

 踏みたくなる衝動を抑えつけ、イヴァリースはにべもなく少年に言い放つ。

「貴様も一応人間の端くれだろう、立て愚民」

 オドラータやシェイディア、リズエル達へ語りかけるときの可愛らしさと温かさが一片も含まれていない声と、首もとに突きつけられた金属の冷たさに少年はバッと立ち上がった。

 魯鈍そうな目をして、すりむけた手のひらをさすっては痛いなぁなどとぼやいており、腹立たしいことこの上ない。

「終わりか? 下らないね、さっさとしなよ。あたしにはそんな暇ないんだからさぁ」

 名も知らぬ少年は再び短剣を握りしめて、馬鹿にしてるのかと聞きたくなるような速度でイヴァリースとの間合いを詰める。

 と、そこで振られる少年の剣。

 それを後退することで避けて、イヴァリースはわざと斬られやすい体勢をとった。構えを解いたのだ。

 欠片の隙もないようだったら誰でもやりづらいだろう。誘い込もうという算段なのだ。

 思いどおりの動きで、少年が斬りかかってくる。

 上から降ってくる刃をまたも避け、イヴァリースは溜息をついた。

 つまらない。救いようがないくらいに弱すぎる……。目と耳をふさいでも殺せるんじゃないかな。

 そう思った直後、目前に光が見えた。

 白い石畳と砂を踏みにじる、ジャリッという音がした。

 スッとイヴァリースの頬に向かって流れる短剣——。


「!?」


 驚きを抑えながらも瞬時に軌道を判断。最小限の動きで首を傾けると、短剣は僅かなところでそれた。

 見上げると相変わらず間の抜けた表情がある。

 こいつ……!

 戦場に馴れた者も、そうでない者も見逃してしまうささいな違和感に気付き、本能的に身体が動く。

 まず足払いで少年の支えをなくし、短剣を持ったままの彼の腕を捻り上げる。そこでガラ空きに——もともとガードされてなかったが、一番狙いやすい腹に勢いをつけた右足のつま先を埋める。

 うっ……、という肺から空気が抜けるくぐもった声がした。

 さらに少年の脇腹に向かって回し蹴りを喰らわそうとして……寸前で我に返って、無理に動きを止めた。

 少年は地面にへたりこんで呻いている。

「……ったー……」

「……フンッ。レイピアで刺さなかっただけ良かったと思え愚民。それと痛い痛いうるさいから黙れ耳障りな」

 イヴァリースは観戦していた三人を振り返った。

 全員に今のが見えたはずだ。今の——、先程の少年の一振りを。

 ここでは玄人でもイヴァリースと五回打ち合えれば良い方で、千人隊長などの中途半端な力しかない人間ならば、イヴァリースに近付くことすらもままならない。

 つまりこの少年は、その千人隊長すらも上回ったのだ。まぐれだとしても、甘っちょろいハンディキャップ付きだとしても、斬り損ねるところまでしたのだ。最も、その張本人である愚民の少年は何も知らないのだが。


「……気に入った」


 シェイディアが呟いて、二人に近寄ってきた。オドラータとリズエルもそれに続く。

「……おもしろい。斬り捨てるにはもったいないと私は思う」

 少年が顔を上げたのを見て、イヴァリースはその頭を押さえつけた。

「ところで愚民よ。お前の名は何と言う」

「え、ええと……タスク……」

「ほう。ではタスク、今日からお前は騎士見習いだ」

 愚民、いやタスクは、どう反応したら良いのか分からなかったのか、どもりながらありがとうございますと礼を言った。

「良かったな愚民。一生シェイディア様に感謝しろよ」

 オドラータが言うと、タスクは首をかしげた。

「シェ……イ、ディア……?」

「シェイディア様だ! この世間知らず、さっさと陛下の名前を覚えろ愚民!」

「へ、へぇ……」

 あとその訛りもどうにかしたほしい。

「そうだな……、こいつはオズの軍に入れてもらっていいだろう。今日はもうけいこしなくていいぞ、祝いの日だ。私はもう行く。民に挨拶しないとな……」

 そう言ってから、シェイディアはリズエルを連れてどこかに行ってしまった。

 残った三人——、イヴァリースは不機嫌そうに眉をひそめ、オドラータは困り顔をし、そしてタスクはぼんやりとしている。

 マントと仮面を装着して、イヴァリースはオドラータにどうするの? と聞いた。

「ん? 何がだ?」

「こいつの部屋」

 あぁ……。愚民少年の上官となってしまった将軍は、そう頷いて考え込んだ。

 レイピアをもてあそびながらイヴァリースも思考を巡らす。

 はっきり言ってもいいなら、愚民がどうなろうと自分にはどうでもいいことだ。故に牢屋に閉じ込められようが厩にぶちこまれようが何とも思わない訳で、むしろ消えてくれた方がずっと良いと思う。

 消えて欲しいと言えば……。

「あー、オズぅ」

「?」

「良いのがいたよ。思いついちゃった」

 あいつなら部屋も広いし世話もできそうだし、世間知らずの愚民にとってもいろいろといい面があるだろう。……悪い面の方が多そうな気がするが、人生何事も経験だと割り切ろう。

「いたか? 誰か……」

「うん、あのヘタレ……いいんじゃないかな〜、成金のジルクン」



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