平成の菩薩
大学三年生のとき、はじめて告白された。
相手は同じサークルの後輩の美人のA子。
突然のことで、気が動転していたせいか、わけの分らないことを口走っていた。
「美人は苦手なんだよね。」
もともと、アマノジャクな性格ではあったのだが、考えていることと逆のことが、ポンポンと口から出てくるのだった。
「派手な服装や、濃いめの化粧には、ほんとうんざりするんだよね。」
A子は予想外の僕の返事に苦笑いしていたが、頭にきているのが手にとるとうに分った。
「あんたねー、なにさま!」
そう言って去ってゆく後姿を眺めながらわが身を呪った。
二度とこんなチャンスは訪れないだろう。
なんでこんな時にまともな反応ができないのだろう。
その日の帰り道、道路でずっこけ、転んだデブ女を助けあげ、やさしい言葉をかけたあげく、デートにまでも誘ってしまった。
ほんとうに自分でも、信じられない、これはなにかのいやがらせ?
それから数ヶ月がたち、A子が風俗で働いていたことがうわさになり、学校にも来なくなった。
学校の帰り道で縁のあったデブ女、B子はずいぶんスマートになり、僕に尽くしてくれた。
よく見るとなかなかどうして可愛い、なんだか得した気分。
大学を卒業し、彼女の父親方の親族が経営する小さいけれど財政基盤のしっかりした会社に入ることとなった。
彼女と結婚した僕は、会社の経営親族のひとりとみなされ、重要な会議や商談に同席を許された。
ボロを出さないようにと、できるだけ黙っていようとするのだが、決まって最後のほうで、意見を求められた。
そんな時、またアマノジャクな性格が出て、ネガティブな意見、不利と思えるような案件を擁護し、口からでまかせの小理屈を言うのが常であった。
しかし、その小理屈が意外と説得力あったっていうか、ことごとく僕の賛成するほうに決断が下され、そしてことごとくそれは成功に繋がった。
たちまち僕は社内で評判になり、より重要なポスト、より重要な決断の場に立たされるようになり、次第に過激になっていった。
飛躍的に業績が伸び、社内だけではなく評判はその業界でも注目を集めるようになると、いろいろな会社との業務提携話が持ち上がってきた。
そのなかの、言わば業界の老舗ともいえる一社と業務提携する運びとなり、会社は熱気に包まれた。
いよいよわれわれの会社も、一流会社の仲間入りと、誰もが信じて疑わなかった。
条件交渉もスムースに進み、最後の契約会議に両社の社長ならびに重役たちが、相手方の会社の会議室に集まった。
当然、僕もその中にいた。
会議は双方に笑顔が絶えない状態で続けられ、署名、捺印が滞りなく行われようとした瞬間、まさにその時であった。
「私にひとこと言わせてください。」
手を上げた僕に、異様な不安を感じたのは両社の社長だけではないことは明らかであった。
それほどまでにある種の僕の風評は業界の外にまで聞こえていたのである。
僕自身でも抑えられない、僕の口から出てくる言葉は、相手方の会社の誹謗、中傷の何ものでもなかった。
たちまち会議室は修羅場と化した。
商談は打ち切られ、追い出されるように、我々は会議室をあとにした。
その帰り道、僕はあるNPOにさらわれるように居酒屋に連れ込まれ、ある書面にサインをさせられた。
あくる日、会社に行ってみると案の定、あえて僕と口を聞くものはいなかった。
会計係の課長がやって来て、居酒屋でサインさせられた書面をデスクに置いて行った。
「井戸堀り隊」と書いているのが目に付いたが、すぐに興味を失い、家に帰ることにして会社を後にした。
それからしばらくは、会社を休むことにした。
一週間がたったころ、突然、社長以下重役達が我が家にやって来て、僕に経済新聞を見せ、口々に感謝の意を述べ始めた。
その新聞には、先日業務提携を結ぼうとしていた会社の、巨額の粉飾決算の記事が第一面を飾っていた。
あのとき業務提携をしていれば、わが社はひとたまりも無かったであろうとのことだった。
それからさらに三ヶ月たった頃、資金提供した例のNPOが活躍してたアフリカのある国に、レアメタルが見つかり、わが社と専属契約を結びたいとの申し出があったことが伝えられた。
それからのわが社は目を見張るものがあった。大きな社屋を新たに構え、社員も大幅に増えた。
業界屈指の地位を不動ののもとし海外の支社も、以前の数とは比べものにならないほどに増えた。
社長になった僕は有能な幹部に実務を任せ、業界の風雲児と騒ぎ立てるマスコミも避けて、人目がつかぬようスポーツジムなどに通ったりした。
ここまでくると会社も順風満帆で、僕の大胆な決断などが必要な場面もすっかり少なくなった。
そろそろ引退を考える時期にきていた。
「今度の定例会で次の後継者、社長を指名し、私は引退します。」
会社は久々ぶりに火のついた騒ぎになった。
大半の予想では、僕に代わって実質的に会社を運営していた副社長が最有力であった。
僕も実際にそうしようと思っていた。
しかしその時、僕の口から出た言葉は意外なものだった。
副社長を支社に出向させ、新社長に指名したのは、重役名簿の一番最後に載っている、僕も初めて聞く名前の者であった。
後で聞いた話だが、副社長には、無能な取り巻き連中が集まり始めていて、わが社は次第に、大会社病になり始めていたそうだ。
それに比べ新社長に指名した男は、先代の社長が目をつけ可愛がっていた有能で誠実、他人の嫌がる仕事でも積極的にやる、縁の下の力持ち的存在で、社の隠れたヒーローだったらしい。
引退した後の僕は、ボランティアや趣味の世界に明け暮れた。
講演の依頼や、政治家えの転出も求められたが、表舞台に出ることは全て断った。
謎の経営風雲児、というのが僕につけられたニックネームだった。
そしてこの世ですべき事を完ぺきにし終えた僕は、家族に見取られながらその日を迎えた。
「天国か地獄、あなたは現世の功徳により天国に行く権利がある。当然天国へ行くでしょう?」
あの世の門の前で、僕を待っていた閻魔大王がそう聞いてきた。
「いや、地獄に行きます。」
死んでも、僕の性格は変わらなかった。
「すばらしい!、天国へ行くべきお人が、自らの意思で地獄へ行くと言ったのは、地蔵菩薩いらい、あなたが二人目です。」
僕のようなアマノジャクが以前にもいたんだ、と驚いた。
「あなたのことを、平成菩薩と命名させていただきます。」
そう言って、閻魔大王は神妙に頭を下げた。