三十秒の
ピンポン、とチャイムが鳴った。
アサミはソファーから腰を上げた。玄関へ向かうと、ドアを開ける前に、まずはドアスコープを覗き込んで外の様子をうかがう。運送業の制服を着た中年男性が見えた。アサミはドア越しに、はい、と返事をした。
「どちらさまですか」
相手は、某大手運送業者を名乗った。
そう言えば、実家から小包が届く予定になっている。
アサミはドアを開けた。案の定、小包だ。両手で抱えるほどの大きさの段ボール箱である。受け取ると、思いのほか、軽い。
ドアを閉め、施錠すると、リビングまで荷物を持って行った。
床の上に置き、早速、開封した。
箱の端からガムテープを剥がし始める。が、几帳面な梱包に悪戦苦闘する。遂にはぞんざいに引き破ったが、別に構わないだろう。箱は、開けたあとは捨てるだけなのだから。第一、誰の目にも留まらない。
封を開き、最初に目に入ったのは数枚の紙だ。手紙らしい。荷の中身はその下にあり、新聞紙に包まれているため、一見では分からない。
まずは手紙を読もう。
アサミは学生である。某美容系専門学校に通っている。高校卒業後、家を出、学校近くのマンションで一人暮らしを始めて二年が経った。
母親からは時おり小包が届く。野菜、米、菓子、レトルト食品、それから市販の冷凍食品だ。母の調理済みの料理が冷凍されて入っている場合も少なくない。などと、中身は主に食料品である。自炊が苦手な単身者にとっては、受け取ってこれほど嬉しいものはない。
その母から、
「また何か送るけど。欲しい物ある?」
と電話が入ったのが先週のことだった。その翌日に、発送した旨を報告するメールが届いた。その仕事の早さには、毎度、感心する。
また、手紙が添えられているのも常だ。いつものこととは言うものの、母の気遣いは細やかで、アサミは思わず微笑んだ。笑みが零れた。
が、手紙に目を通して、あれっと思った。
機械的な文章が細かく並んでいる。これは、Wordのような、パソコンの文書作成ソフトウェアで作ったのだろう。無論、平素の母であれば手書きのはずだ。
何かが違う。と、アサミは違和を感じた。
手紙の初めの方には、
「TAYA様」
という、覚えのない宛名が記載されている。
更に読み進める。
「この度は、本サイトをご利用くださり、誠にありがとうございました」
ここでアサミは伝票の控えを見た。まさか、と思う。だが、果たして、届け先に記載されている住所と氏名は、彼女のものではなかった。
(私宛の荷物じゃない!)
やっと、そのことに気がついた。
運送業者が配達先を誤ったのだ。また、アサミの方も、実家からの荷物と思い込み、その間違いに気づかないまま受け取ってしまった。
こんなことがあるものなのか。
と、アサミはやや放心する。
すぐに我を取り戻すと携帯電話を手に取った。母に電話をかけて、
「別の人宛ての荷物が届いたんだけど、どうすればいい?」
と、相談をするためだ。
着信履歴から母の名前を選び、発信ボタンを押す。繰り返される呼び出し音を聞きながら、アッと思った。あることに考えが及んだ。
今、あとを追えば、先ほどの男性を掴まえられるのではないか。
となれば急ごう。アサミは電話を切った。母の携帯電話に着信が残るが、この際、仕方がない。ことが済んでから事情を話せばいいのだ。
リビングを出た。玄関へ走った。もたつく所作でドアを開錠した。
外へ出る寸前に、一瞬、部屋着姿であることに躊躇する。だが即座に吹っ切った。日中であれば人目が気になるが、今は夜だ。他の住人の目に留まることもないだろう。サンダルに爪先を引っかけながら、廊下を駆け抜ける。階段を飛び降りるようにして階下を目指した。
マンションの入り口は裏通りに面している。
その暗がりに出て、周囲を見渡すが、男性の姿は既にない。
足早に、曲がり角の先まで足を延ばした。
誰もいない。やはり、立ち去ったあとだった。
(間に合わなかった……)
とぼとぼと部屋へ戻る。
再び、小包の前に座り込んだ。
さて、どうしたものか。一人暮らしを始めてからといもの、実家からの荷物を数え切れないほどに受け取ったが、このような事態は初めてのことだ。無論、全くの予想外だ。対処が分からず、アサミは途方に暮れた。
(あ、そうだ)
本来の届け先は分かっている。アサミ自身がその人物に連絡を取り、事情を話し、手渡しに行く、というのはどうだろうか。
あるいは、送り主に対して同様にする。
しかしこれには難点がある。
荷は、既に開封されている。しかも、だ。大雑把なアサミはかなり手荒い方法で封を開けた。見ると、張り巡らされていたガムテープは中途半端に破り取られている。全て剥がされていないのは、途中で面倒になり、そこからは素手で無理矢理こじ開けたからだ。
「荷は開封されている」
そのことを知った受取人の心境を考える。
いい気持ちはしないだろう。自分宛ての荷物が他人の目に触れたとなれば、中身が何であれ、不快に思わないはずがないのだ。
そのうえ、アサミは手紙さえも開いている。
全文こそ読んではいない。が、それを信じてもらえるだろうか。
(もしも、中身がとても大事な物だったら? 他人には絶対に知られたくない物。見られたくない物。例えば、お金とか、麻薬とか、……死体とか? それで、ヤバい事件に巻き込まれたりしたら、どうしよう……)
否定的な考えに陥るときりがない。
駄目だ。受取人とも、送り主とも、顔を合わせるべきではない。
と、そのときだ。伝票の隅に記載された電話番号を見つけた。
サービスセンターだ。
ここに連絡を取り、事情を話し、相談をすればいいのではないか。
即座に電話をかける。夜ではあったがオペレータが出た。アサミは経緯を説明した。相手は、平謝りの末、ドライバーに事情を伝えると返事をした。今から荷物を受け取りに行くと言う。
時刻は21時に近い。非は相手にあるとは言え、その二度手間を考えるとさすがに申し訳ない。だが、荷物の本来の受取人こそ最優先だろう。アサミは運送業者の申し出を受け入れることにした。
さあ、これで解決だ。
ここで母から電話が入った。
そうだった。先ほど着信を残していた。
アサミは母に今までの出来事を話した。
「今から来てくれるって? 良かったじゃない」
母の声はあっけらかんとしている。
「でもさ、箱を開けちゃったの。しかもね、中に手紙が入ってて、それ、お母さんからのだって勘違いして、読んじゃった。最初のところだけ少しね」
「手紙?」
「お買い上げありがとうございます、みたいなやつ」
「じゃあ通販かな」
「多分ね」
それなら、あの手紙が、パソコンで作成された無機質な文面であったことが納得できる。それに、とアサミは考える。受取人の名は本名ではなかった。確かローマ字でつづられていたはずだ。
この人物は、個人名を晒すことを避けている。
なぜだろう。
一体、この人物は、通信販売で何を注文し、購入したのだろうか。
「どうせアンタのことだから、箱なんか、適当に開けちゃったんでしょ?」
うん、と曖昧な声でアサミは頷いた。
母は続けた。
「手紙は読まずに直しておきなさい。箱を開けちゃったのは、仕方ない。念のために、配達のオジサンに言っといた方がいいかもね。別にアンタが悪いことしたわけじゃないんだから、気にすることはない。大丈夫。悪いのは、配達先を間違えたオジサンの方なんだから」
「うん」
「でも、箱は出来るだけ元に戻しておきなさいよ」
「あれ?」
「なに?」
「私、ガムテープ持ってた?」
母は呆れた声で笑った。
「引越しの時に、アンタの部屋に一つ置いていったと思うけどね」
では二年前の話だ。アサミは携帯電話を片手に持ったまま、押入れの扉を開けた。中には、四、五段ほどの引き出しのついたチェストがある。主に衣類を収納しているが、下段では、使用頻度の少ない日用品を仕舞い込んでいる。引越し以来、ガムテープは使った覚えがない。だからここに入っているはずなのだ。
自由の利く手で中を探ると、見つかった。
「それじゃあね。解決したら、また電話ちょうだい」
「うん。ありがとう」
アサミは電話を切った。
途端、ほっと息が漏れた。スピーカー越しに聞いた母の声が、思いのほかのん気で、つられて、アサミも落ち着きを取り戻すことができた。
さて。
運送業者が訪れる前に、箱を整えなければならない。
まずは手紙を直そう。数枚の用紙をまとめ、とんとん、と四隅を揃える。
先の考えが再び沸いた。
(この人は、何を注文したのだろう)
疑問は、やがて邪心へと変わった。
(手紙を読みたい!)
アサミの良心の全てが、それは間違いであると叫んでいる。
だが悪心の方は。
減るものではない、と囁いていた。ただ読み上げるだけのことだ。しらを切ってしまえば、真相など誰にも分からない。紙に指紋は残るが、
「母からの手紙と間違って手に取った。一、二行を読んだだけ」
この弁明で切り抜ける。第一、今の時点ではこれに嘘はない。
アサミは、苦笑した。
自分の行き過ぎた妄想が滑稽でならなかった。
一体、どこの誰が、この紙切れについた指紋を調べるというのだろう。
察するに、TAYAという人物は通信販売で何かを購入した。であれば、手紙の内容は、恐らくこうだ。販売業者から購入者へ向けた礼文である。もし、アサミであれば、読まずに捨てるところだ。肝心なのは商品だ。手紙ではない。
でも、とも思う。
大げさだが、これは善悪の一線と同じだ。
アサミはそれを越えるのをやめた。
悪心を押しのけると、手紙を読まずに直そうとした。
そのとき、アサミの視線が文面の上を流れたのだろう。不意に、
「三十秒の」
という文字が視界に入った。
またたく間に好奇心を抱くと、もう駄目だった。読んでしまっていた。
全文はこうだ。
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TAYA 様
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ご注文の品は以下の通りです。
N906弾。正式名称 Iaduuyk-Awnnak Bomb
小包の開封とともに起爆装置が作動し、約十分後に爆発します。
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最後となりましたが、TAYA様のご冥福と来世でのご多幸をお祈り申し上げます。
では、約三十秒の余生をご吟味ください。
敬具
「自殺志願者の庭」 管理人
jisatsushigansha@garden.co.jp
http://www.jisatsushigansha_garden.co.jp
2010年7月 完結