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カルテ【01】:貴族令嬢と囁くイヤリング

挿絵(By みてみん)

【カルテ01:耳部知覚過敏による感覚飽和の記録画】

「いらっしゃいませ」

 俺は、来店してくださったお客様に声をかけた。


 完全予約制なので、予約時にある程度の情報はカルテに記載済みだ。

 俺はカルテに、すっと目を落とした。


 ┌────────────────────┐

 名前:アナスタシア

 年齢:十八歳

 性別:女

 職業、身分:貴族令嬢

 呪いの装備:イヤリング

 症状:耳元で囁く声が聞こえる。衣服が擦れるだけで過敏に反応。眩暈、ふらつきなど。

 └────────────────────┘


「お待ちしておりました、アナスタシア様ですね。さあ、こちらへどうぞ」

 俺は丁寧に、清潔な解呪室のソファーへと案内した。


「よ……、よろしくお願いします……」

 アナスタシアは少し顔を赤らめながら、ソファーに腰を下ろした。


 金色の髪が座る仕草でふわっとなびく。

 貴族の娘らしい優雅なワンピースが、シワを作りながら折りたたまれていった。


「あれから、症状にお変わりはありませんか?」


「え、ええ……。時折、耳元で……その、色々と囁かれて、立っていられなくなることが……。あと髪が擦れるだけで、あの……」

 彼女はそう言って、細い指先で自身の耳元を隠すように押さえた。


 呪いの影響か、それとも羞恥からか。白く透き通るような耳たぶは、林檎のように赤く染まっている。


「分かりました。では、状態を確認させていただきますね。失礼、少しだけ髪を上げますよ」


 俺はアナスタシアの後ろに回ると、彼女の柔らかな金髪を両手で優しくまとめ、上へと持ち上げた。


「ん……」

 彼女が小さく息を呑み、身を縮める。


 ふわりと、高価な白百合の香水と、極度の焦燥による微かな汗の香気が混じり合い、立ち昇ってきた。

 それと同時に、今まで髪に隠されていた、白く透き通るようなうなじが露になる。

 細い後れ毛が数本、緊張から僅かに汗ばんだ肌に張り付いていた。


 貴族の令嬢らしい、繊細でどこか無防備なその曲線から目を逸らし、俺はメガネのフレームを叩き、術式を起動した。


 カチリと音が鳴り、レンズ内に魔力深度マッピングが展開される。

 彼女の耳元に絡みつく不吉な黒い瘴気が、神経の奥深くへ向かって網の目のように這い回っているのが見えた。


 瘴気の歪み、絡み具合を念入りに確かめる。

 感応増幅型――神経系に直接干渉し、僅かな刺激を数倍にして脳に伝えるタイプだ。

 女性の装飾品に多い厄介な呪いである。


「失礼します、少し触れますね」


 俺は、対呪グローブをはめた手をイヤリングへと近づけた。


「あっ……!」

 触れる前から、アナスタシアが引きつった呼吸を漏らし、肩をビクンと震わせた。


 グローブ越しとはいえ、俺の魔力が接近しただけで、彼女の過剰になった知覚が強烈な拒絶反応を示したのだ。


「……これは、かなり奥深くの魔力中枢まで根を張っていますね……。これより魔力を同調させて、異常を引き起こしている瘴気の中心へ干渉を開始します」


「は、はい……」

 彼女は視点の定まらない瞳を伏せ、ぎゅっと自分の膝の上で拳を握りしめた。


 俺は集中を高める。

 グローブの指先から細い魔力の糸を紡ぎ出し、彼女の耳たぶに同化するように絡みついた黒い瘴気へと、ゆっくりと魔力を滑り込ませていった。


 アナスタシアはぎゅっと目を閉じる。

 そして、身分ゆえに声を殺そうとする葛藤から、必死に膝をつかんでいた。


「くっ……ふ、ぅ……っ」

 彼女の体が不規則に跳ね、魔力同調による過剰な呼気が漏れる。


 深部への干渉により、彼女の細い肩が抗えない生理的な震えを起こしている。

 知覚の混濁が激しく、俺の僅かな魔力の浸透すらも、彼女の脳内では全身を揺さぶるような強烈な衝撃として伝わっているのだろう。


 彼女の顔は急速に紅潮し、魔力中枢への過負荷による魔力酔いに陥りかけていた。


 黒い瘴気の最深部。

 そこにある呪いの核に魔力が触れた瞬間、脈打つ核がずるりと位置を変え、さらに奥の神経群へと逃げ込もうとした。


「……逃がすか」

 そう短く呟くと、俺は核の退路を塞ぐように大きめの太い魔力の楔を素早く打ち込んだ。


「ゔ……っ、ぁっ……!」


 逃げ場を失った核が激しく脈打ち、アナスタシアの身体が制御不能な痙攣を起こす。


 俺は片手で彼女の震える肩をしっかりと押さえつけ、逃げ道を塞いだ核へ向けてさらに魔力を集中させた。


「あ……っ、ぁ……!」


 声を抑えきれない、彼女の魔力中枢へ直接、重い魔力を叩き込む。


「ああぁっ――!!」


 かすれた声とともに、強張っていた彼女の身体からふっと力が抜け落ちた。

 その隙を逃さず、俺は術式越しに縫い留められた呪いの核を、ズルリとグローブの指先で一気に引き抜いた。


「ん……っ――!」


 引き抜いた瞬間、彼女が小刻みに震えた。

 魔力同調による魔力酔いで、核を引き抜いた時の感覚が過敏になっているのだから仕方ない。


 指先にチリチリとした不快な魔力の抵抗を感じながら、引きずり出した棘のような核を容赦なく握り潰す。


 パチン、と小さな破裂音が響いた。

 彼女の耳元を覆い、精神を侵食していた不吉な黒い瘴気が、音もなく静かに消え去る。


 同時に、耳たぶに強固に張り付いていたイヤリングが、ポトリと床へ落ちた。


「……っ、ふぅっ、はぁっ……」

 アナスタシアはソファーに深く沈み込み、魔力酔いの余韻で荒い息を繰り返している。


 俺は傍らに用意しておいた冷却用の魔力布を手に取り、微かに熱を持った彼女の耳たぶから首筋にかけて、そっと当てた。


「……処置は完了しました。これでもう、囁き声は聞こえないはずです」


 冷たい布の感触に少し身をすくませた後、彼女はゆっくりと目を開けた。


「……消えた……。あんなにうるさかった声が、何も……。それに、身体の不快な拍動も収まって、視界がとてもクリアです……」


 潤んだ瞳で俺を見上げる彼女の表情に、先ほどまでの怯えや魔力酔いによる異常な反応はない。

 ただ純粋な安堵がそこにあった。


「ありがとうございます。その……あんなに丁寧に解呪していただけるなんて、思ってもみませんでした……」


 衣服の乱れを整える彼女に、俺はグラスに常温の水を注いで手渡した。

 彼女の頬はまだ魔力酔いの名残で少し上気しているが、その表情は晴れやかだった。


「お大事に。また何かあれば、いつでもご相談ください」


 俺はメガネの術式を切り、一つ、安堵の息を吐いた。

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