第二章 灰色の王子⑤
捕虜対応のために臨時で採用した侍女七名のうち、六名がそのままヘリオスに従属――すなわち皇后の派閥に取り込まれてしまった。レックス麾下兵士の身内であるにも関わらず。その事実はトゥレンをさらに打ちのめした。
残った一名も改心して帰順したわけではなく、現場に居合わせたその侍女の兄が力ずくで取り押さえたからに過ぎない。皇后乱入後に放心している隙を突いて、ヘリオスに心酔する妹を兄が羽交い締めにして引きずってきたのである。どれだけ狂信的な力を得ても、さすがに屈強な兵士の膂力には遠く及ばなかった。
その彼女の興奮状態が落ち着いてから取り調べをした結果、この事件の全貌が判明した。
まず、ヘリオスは日替わりで訪れる侍女全員を一日で篭絡していた。この時点ですでにまともな人間の想像を超えている。
ヘリオスはその美貌と悲劇的な環境を最大限に利用し、侍女一人一人に甘えたりわざと接触を増やして彼女たちの庇護欲を搔き立てたのである。しかもとどめに添い寝まで要求していたという。幼い子供だからこそ許された禁じ手と言えよう。一晩中涙ぐみながらしがみつかれ、侍女たちはここで完全に陥落した。
そして侍女が手駒になったことを察知すると、ヘリオスはさらに「皇后様とお話ししたい」と要求した。無論、トゥレンの築いた監視体制下でそんなことは不可能である。だが、厳しい監視は捕虜本人に対してであり、臨時雇いの侍女たちへの監視には穴があった。
「ヘリオス様が皇后陛下とお話ししたいと泣いているの……どうにかできないかしら」
同じ女同士、世間話や愚痴の類として、本宮仕えの侍女と会話する機会は少なからず存在する。基本の活動は王子離宮内でも、共同の洗濯場や回廊などで触れ合う機会は発生してしまう。普段から王子離宮が使用されておらず、常勤の使用人がいないことが仇となっていた。
この世間話は光のごとき速さで皇后の耳に入る。そしてすべてが整った。
皇后の指示により、監禁部屋から運び出される着替えや寝具などの衣類に、食事の果物の汁で文字を書くよう伝えられた。室外に搬出されるものも警備兵による検査は受けるが、果汁で書かれた文字まではさすがに視認することはできなかったのである。
こうして皇后の元へ届けられた衣類は、炙り出しにより密書となった。
冷酷な「灰色の王子」監視下から脱したいヘリオスと、政敵であるアレクシス王子を出し抜きたい皇后の利害が一致した。これによりヘリオス脱出計画は「果汁文通」により綿密な打ち合わせがなされたのである。
ヘリオスの元へは侍女の携帯する小さな手巾となって持ち込まれ、炙り出しが終われば証拠隠滅として灯火で燃やされる。ヘリオスの元からは衣類に指で書いた果汁の文字が警備兵の目をすり抜けて運び出される。
そしてついに、レックス帰還の前日が決行日とされたのだった。
(――兵士の身内を登用したことが、かえって事態を悪化させるとは)
トゥレンの判断は本来なら最も合理的なはずだった。裏切りの可能性が少なく牽制効果もある身内を採用し、情が移らないように日替わりで世話役を交代させ、筆記具も与えず搬出入される物資も念入りに確認させていた。――その結果がこれである。
こうして決行日となった本日。灯火の燃料交換の際にでも香を仕込ませてあったのだろう。すでに現場は異様な香りが充満していた。あれは皇后が最も多用する禁忌の香――人間の判断力を低下させる魔香である。もともとヘリオスに心酔している侍女たちに、さらに深い信仰心を植え付けるには充分すぎる環境であった。
この空気の中で兵士たちも判断力が鈍り、いくら身内とはいえ数人の侍女たち相手にうろたえ、敵の逃亡を許してしまったのである。しかも総仕上げとして、わざわざ敵の首魁が自ら現場まで足を運ぶとは。
(――恐らく、護送中からすでに仕込まれていたのだろうな)
それはもはや確信に近かった。
セラーナからヴァルディスに送られる二週間、ヘリオスは馬車の中で泣き続けていたという。しかも成人男性に強く反応していたことから、世話役を全て女性に変更せざるを得なかったが、今になるとそうなるように仕向けていたとしか思えない。戦争の生き残りで怯えて泣く美少年という属性は、女性にこそ最も効果が高いのだから。
泣きわめく子供になど会う必要もないとトゥレンが切り捨てた時、すでに勝敗は決していたのかもしれない。
「……殿下に何と申し開きすれば…………」
明日には主が西王国攻略の大勝利を収めて帰還する。その最大の立役者であるにも関わらず、トゥレンは敗北感に打ちひしがれたまま、弁明の言葉を必死に考えていた。




