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黄金のアウレリア  作者: 北峰
第一部 黄金の聖女

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第二章 灰色の王子③

「なぜ私がこのようなことを……」

 トゥレンは本日何度目かの溜息を吐き出した。

 ヴァルクレウス王国第一軍団駐屯地政務室――それが彼の生活のほとんどを占める仕事場である。その政務室は、もはや彼の溜息で充満する勢いだった。

 ヴァルクレウス王国軍による西セルディア王国攻略は、史上類を見ないほどの短期間で成功した。そこに至るまでの長きに渡る下準備、計略、用兵のすべてが彼の献策によって行われていた。そんな彼の身分はあくまで「王国軍総司令付き補佐官」である。宮廷にも軍団にも属さず、レックス個人に直接仕える事務官の一人に過ぎない。

 容姿も肩書も地味なため、宮廷内や一般兵たちにはあまり認識されていないが、レックス配下の隊長格以上の者たちからはその辣腕ぶりを恐れられていた。

 そして今、本国における戦後処理の数々に追われ、トゥレンは寝る暇もないほど働きづめであった。

 そんな折、またしても面倒な仕事が持ち込まれたのである。

「子供の世話など私の管轄ではありませんが」

 当初はそう冷たく突っぱねようとしていたが、事態は思わしくなかった。

 トゥレンの元に持ち込まれたのは、旧西セルディア唯一の王子ヘリオスの処遇であった。

 そもそも侵攻前からヘリオスは生かして捕らえ、王都で虜囚とする予定であり、今はその計画通りになっている。今さら困ることもないはずだったのだが、問題は捕虜の身柄ではなく精神状態であった。

 護送してきた隊長の報告によれば、ヘリオスは移動の二週間ほどの間ずっと泣き叫んでいたのだという。しかも明らかに成人男性、特に兵士に怯え、その姿を見ただけでも発作を起こして手がつけられなくなるのだと。

 恐らくは東軍の兵士たちによって一族がまとめて処刑されたことが原因ではないかと言われては、その計略を練った張本人としては嫌でも対応せざるを得なかった。

 正直なところ、トゥレンにとって女子供は最も理解不能で忌避すべき対象であった。彼らは常に情動が優先され、理屈で判断しようとすると必ずずれが起きてしまう。合理性、論理性を最も尊ぶ彼にとってはもはや天敵に近い存在である。

 とはいえこれも仕事である以上は好き嫌いを言っている場合ではない。任務と見なせば彼はどれだけ苦手な対象だろうと最大限の努力を惜しまなかった。

 まず、捕虜のヘリオス王子と直接関わる世話係は女性に変更する。成人男性を見るたびに奇声を上げられてはたまったものではないからである。だが、万が一にも脱走されないよう、臨時の侍女たちはすべて自軍の兵士の身内女性から選抜した。これは単に出自が信頼できるというだけでなく、兵士たちの存在自体が人質となる効果もあった。侍女たちがヘリオスに同情して脱走させたりでもすれば、その罪はただちに家族に及ぶという牽制も含まれていたのである。

 ヘリオス自身はまだ子供でも、西セルディア唯一の生き残りの王子という存在は、王国復興派の希望となる。必ず外から救出を試みる者が出るだろうと予測して、トゥレンはあらゆる手段をもって外界からの接触を断った。

「そこまでなさらずとも……」

 部下の事務官たちはやや引き気味だったが、トゥレンは全く意に介さなかった。

 出入りする人間はもちろん、運び込まれる食事や着替えなどもすべて入念に検査し、筆記具や刃物類、紐状の衣類も一切与えなかった。さらに、ヘリオスの視界に入らない位置で扉や窓の外を経験豊富な兵士で固める。

 たとえ無力な子供相手であろうと、彼は監視体制に一切手を抜かなかった。――捕虜の精神面への配慮以外は。

「ヘリオス王子にお会いにならないのですか?」

「成人男性を見ると泣き叫ぶのでしょう? ならば会わない方がお互いのためというものです」

 泣きわめく子供の相手などしたくないというのが理由の大半だったが、一応は体裁を取り繕ってトゥレンはそう断じた。兵士たちに身内を殺された悲しみは理解できなくはないが、王族たる者の覚悟が足りぬと彼は幼い王子に冷たい評価を下していたのである。何しろ彼が仕える主君は若き頃よりどのような屈辱にも耐え、今の地位を自ら確立したのだから――

 ただし唯一の懸念は、捕虜の収容場所が王宮内の一角であるということだった。

 レックスは成人と同時に王国軍総司令に就任して以降、生活の拠点を王子離宮から王都城壁外の第一軍団駐屯地に移している。この十年間、儀礼などで必要がある場合に一時滞在する程度で、王宮内では決して寝泊まりしていなかった。

 だが、他国とはいえ王族の捕虜は王宮内に置くべしとの宰相府からの通達に、まだ王でも王太子でもない「第一王子」のレックス陣営が異を唱えることはできない。いくら監視体制を強化しても目の届かないところに置くのは危険すぎる。それを理解しているからこそ、トゥレンは仕方なく拠点の駐屯地内と王宮内を毎日行き来するはめになったのである。

 そして、そのことが先の愚痴を量産しているのだった。

「なぜ私がこのようなことを……」

 眉をひそめながら、彼は未決裁の書類を抱えて王宮へと足取り重く向かっていった。



 ヘリオス監禁初日、最初に選ばれた侍女はその彼を護送してきた兵士の妹だった。後方勤務が多くあまり前線には出ない兄だが、それでも大陸最強と名高い「鉄の軍団」に所属する兵の一人である。たまに会うといかに自軍が果敢に戦ったか誇らしげに語り、また入団してからは連日の鍛錬と実戦によってひときわ逞しい体つきになっていた。

 そんな屈強な兵士となったはずの兄が、帰国すると珍しく憔悴しきっていたのである。その理由が、この高貴な捕虜の少年だと聞いて、彼女は入室前から身構えていた。

 扉の前で警備兵から入念な持ち物検査を受け、彼女はおずおずとその部屋に入った。

「成人男性の姿を見ると発作を起こして泣き叫ぶ」

 そう聞かされてはいたが、本当に女性なら大丈夫なのだろうか? あくまで臨時で配置されただけで、貴人の側仕えの経験のない彼女はひどく緊張していた。しかも亡国の捕虜とはいえ、相手は王族なのだ。粗相でもあったらどうしようかと不安ばかりが胸に渦巻いていた。

「あの……ヘリオス殿下……」

 外界から遮断するため、すべての窓は鎧戸で閉ざされている。わずかな灯火だけに照らされた薄暗い部屋の片隅――王族用にしてはあまりに粗末な寝台に、その少年はいた。毛布をかぶってうずくまり、その肩は小刻みに震えている。

「ヘリオス殿下、いかがなさいましたか? どこか具合でも悪いのでしょうか?」

 寝台のすぐ脇に近づき、彼女はさらに呼びかける。すると、毛布がかすかに持ち上げられて、中から少年のやつれた顔が覗いた。

「……君は……僕を殺さないの……?」

 その瞳は涙に濡れ、不安げに揺れている。怯えたように見つめられ、彼女は思わず叫んでいた。

「もちろんでございます! そのようなことは決していたしません!」

 その言葉に安堵したのか、ヘリオスはかぶっていた毛布の中からゆっくりと姿を露わにした。

「よかった……僕もいつか殺されるんじゃないかって……毎日怖かったから……」

 嗚咽を嚙みしめるようにつぶやきながら、彼は毛布の端を震える手で握りしめた。

(――なんと、おいたわしい)

 彼女は涙が出そうになるのをじっとこらえた。

 ヘリオスがこんなふうになったのも、彼の一族が一瞬にして失われたからだという。その元凶こそが、彼女の身内も含む王国軍なのだ。軍事や政治のことはただの平民である彼女には全くわからない。兄があれだけ崇めるあの灰色の王子がそう命じたのなら、その選択は間違ってはいないのだろう。それでも、ただの無力な子供の心をここまで壊す必要があったのかと、やるせない思いがこみあげてしまう。

「ヘリオス殿下、私はあなたの味方です。どうかご安心ください」

 たとえかりそめの慰めでも、彼女はそう言わずにいられなかった。すると、ヘリオスは冷たい手をそっと差し出し、彼女の緊張した手を握りしめた。まるで幼子が親の愛情を求めるかのように。

「本当? 君だけは……僕の味方でいてくれる……?」

「もちろんでございます、ヘリオス様」

 彼女は殿下の敬称を付けることすら忘れ、力強くうなずいた。

 震えながら見上げてくる澄んだ碧い瞳。涙の雫を輝かせる長い睫毛。仄暗い部屋でも灯火を反射する金色の髪の下には、壁画の中から抜け出てきたかのような神の化身が映し出されていた。

「――ねえ、今夜はそばにいてくれる? 一人だと怖くて眠れないんだ」

 神の寵児とはまさにこの少年のことだと思いながら、彼女は小さな手を握り返した。

「ええ……ええ、もちろんです。今夜はずっとヘリオス様のおそばにお仕えいたします」

 嬉しい、と頬をかすかに染め、ヘリオスは侍女の腕の中に体を預けた。その華奢な背中を抱きしめながら、自分だけはどんなことがあってもこの子供を守ろうと、彼女は固く心に誓った。

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