第五章 黄金の雛鳥①
その報告をキフィサ砦から受けた時、トゥレンは腹の底からの溜息を盛大に吐き出した。
「偽聖女などもう何件目だと思っているのです? その程度の判断は現場で下してもらわねば困りますよ」
毎日の業務で圧死しかけているトゥレンにとって、くだらない些事など目にしたくもなかった。しかし砦からの報告を伝える兵士はなおも食い下がる。
「いえ、しかし今度は本物っぽいという話で――」
「ぽい、などというあやふやな主観で業務を増やさないでもらいたいものですね」
トゥレンは痛む胃をさすりながら冷たく返す。だが、よく報告を聞いてみると確かにそのまま捨ておけそうにない話であった。
聖女を名乗るその女は年齢十五、六程度。黄金の髪と瞳を持ち、王族名を名乗り、特に金の要求をしていないという。
実際、今までに現れた偽聖女は髪も瞳も黄金とは呼べず、その髪も脱色の痕跡が見られることが多かった。歳も十六を自称するには無理がある者も珍しくなく、見ただけで追い返させることがほとんどだったのである。食い下がる者も首切り斧を見せればすぐに怯えて逃げ帰る。実際に処刑した者はいないものの、それゆえにくだらない茶番の連続はトゥレンの精神を疲弊させていた。
それもこれもセラーナで聖女を取り逃がし、聖女を見つけた者に褒賞を与えると布告したせいであった。
(――何と余計なことを)
トゥレンは内心そう感じていたが、決して口には出さなかった。何しろその布告は主君たるアレクシス王子の名によって発せられたからである。トゥレンが従軍できず、レックスが遠く離れたセラーナで対応したことにより、二人の意思疎通が取れていなかったことが災いした。何しろレックスは合理の塊であるがゆえに、人の心に鈍いところが多分にある。そのような発布をすれば金に目がくらんだ民衆が群がるということが想像できていなかったのだ。
その結果、尻拭いはすべてトゥレンの元へ流れ込むようになっている。こうして彼は聖女の真贋判定などという面倒な仕事を押しつけられたのであった。
(――しかも、また西の王族とは)
その属性がトゥレンの痛い記憶を刺激する。何しろ旧西セルディアの少年王子に振り回され、痛烈な敗北を喫したのはつい最近のことなのだ。それなのにまた同じ王族の相手をしなければならないとは、もはや呪われているとしか思えなかった。
それでも二度と失敗は許されない。たとえ主君が見逃したとしても、トゥレン本人が自分を許すことはできなかった。そのため、念には念を入れ、すでに偽聖女対策のためにセラーナから呼び寄せておいた、旧西王族を知る廷臣を使い、聖女を自称する女の顔を密かに確認させた。一人ではなく三人の旧西王国の人間が「恐らく聖女本人だろう」と答えたため、これは本物だとトゥレンも認めざるを得なかったのである。
「それにしても誰一人確証がないとは……」
接見の支度をしながらトゥレンは一人つぶやいた。西の聖女は本宮から遠い離宮で隠れるように住んでおり、ほとんどの廷臣が姿を見たことがなかったのである。かろうじて遠くから姿を見かけた者を集めたが、言葉を交わした者は一人も見つからなかった。
――丁重に扱われた深窓の令嬢か、もしくは捨て置かれた政治の駒か。
元平民という出自から見て、恐らくは後者だろうと予測しつつ、彼は実に面倒極まる聖女の検分に当たったのである。
そうして聖女との初対面を終えた今、彼はさらに疲労していた。
(――何なのだ、あれは)
トゥレンは接見前より深く大きな溜息を吐き出した。
たとえお飾りだとしても名目上の王族のはずなのに、あの娘は驚くほど無知だった。同じ王族のヘリオスは十二歳で小賢しいを通り越した悪辣な知能の持ち主だというのに、あまりにも両極端ではないか。西セルディア王室の教育はいったいどうなっているのだと、彼は腹立たしさにさいなまれた。
しかもなお悪いことに、あの娘の無遠慮な発言が主君の機嫌を激しく損ねた。主君と皇后を同一視するなど、その場で首を飛ばされてもおかしくない暴言である。
今後はできる限りあの二人を同席させるべきではないと彼は改めて肝に銘じた。
※
「私を捕らえておく理由って何?」
アウレリアの問いかけに、ユリウスは息を飲んだ。
ヴァルクレウスの駐屯地に護送され、冷たい接見を終えた翌朝、アウレリアたちは監禁部屋の中で今後の話し合いを始めるところであった。その最初に飛び出した彼女の疑問は、ユリウスの思考を凍結させた。
「わざわざ褒賞を出してまで私を探してたんでしょう? 私は本当の王族でもないし、何か差し出せる知識も技術もないのに、それでもそこまでする理由って何なの?」
ユリウスはその答えを知っている。聖女に最も求められる役目――それは黄金の子を産むこと、ただそれだけ。
だが、それは彼女を守る護衛であり、また男であるユリウスの口からはとうてい説明できるはずもなかった。
代わりに答えを引き継いだのは、その様子を察したミリアの方だった。
「そうねえ、やっぱり逃げ回られると困るからだろうね」
「どうして? 何の力もないんだから放っておけばいいでしょ?」
「あんた個人ができることは少なくても、あんたの称号は充分強い力を持ってるからね」
「そんな……私なんて聖女だって名乗ってもすぐに信じてもらえない程度なのに……」
「でもね、たとえば西王国を再興しようって誰かが計画した時に、必ずその旗頭が必要になるんだよ。そこに伝説の聖女が掲げられたら、ついてくる人間は大勢出てくる。だから東の連中は警戒してるんだよ」
ミリアはユリウスの窮した言葉とは別の答えを提示する。そして、その理由も事実の一つではあった。
「私、そんなこと考えてないよ!?」
「あんたの希望は関係ないんだよ。あんたの存在自体が重要なの。だから連中はあんたが必要なんじゃなくて、あんたを敵勢力に使わせないために捕まえてるんだよ」
ミリアに諭され、アウレリアはうつむいたまま黙り込んだ。しばらく考えたのち、彼女はゆっくりと顔を上げる。
「……じゃあ、私はどうしたらいい? どうしたら必要だって思ってもらえるの?」
その黄金の瞳にはもう不安も困惑も消えていた。ただ必死に最善の答えを探そうと模索する熱だけがたたえられていた。
「アウレリア様……」
ユリウスはその瞳をまぶしそうに見つめていた。そしてミリアは嬉しげにアウレリアの肩を叩く。
「ずいぶん前向きになったじゃない」
「だってこのままじゃユリウスもミリアも安全とは言えないでしょう? 私が必要だと思わせれば、二人とも無事でいられるんじゃないの?」
これがアウレリアの自分でできる限りの思考を駆使して出した答えなのは、二人にも充分伝わっていた。だからこそミリアは苦笑を漏らす。
「自分を後回しにするのは悪い癖だけど、ちゃんと考えられるようになってきたね。今のあんたならできるかもしれないよ」
女二人が微笑み合う傍ら、ユリウスは昨夜接見から戻ってきたアウレリアの言葉を反芻していた。
「アウレリア様、彼らはエピオナを焼いたのは聖騎士団と言っていたのですか?」
「うん……多分……そんな名前だったと思う……」
改めて問われ、アウレリアは自信なさげに答えたが、ユリウスはその言葉にいっそう考え込んでいる様子だった。
「どういうこと? 奴らの軍とは別なわけ?」
ミリアの問いにユリウスはうなずく。
「恐らくは東も国内が分裂している。となると、そこに付け入る隙があるかもしれない」
彼とて東の国情に詳しくはないが、その話から活路が見いだせるかもしれない。今はそれに賭けるしかなかった。
二度目の接見はその日の昼下がりに行われた。聖女に相対するのは昨日同様、レックスとトゥレンの二人。トゥレンとしては主君をこの王族らしからぬ未熟な娘と会わせたくはなかったのだが、最終判断を下すために本人が自ら来てしまった以上、追い返すわけにもいかない。今後はできるだけこの二人を同席させないようにしようという彼の意図は、たかだか一日も経たずに覆されてしまった。
この接見において聖女が示したのは従属でも恭順でもなく提案だった。
それはトゥレンを少なからず驚かせたが、すぐに彼は事情を察知した。
(――おそらくはそこの護衛の入れ知恵か)
今日の接見はアウレリア一人ではなく、同行者二名も同席している。彼らは黙って後ろで控えているが、前回の接見後に打ち合わせて聖女に喋らせているのだろうとトゥレンは思った。
彼の推察は半分は正解であった。実際、ユリウスが東の国情を読み取らなければこの接見は実現していない。だが、アウレリアが提示したのは彼女自身の強い意思であった。
彼女は敵国の王子とその補佐官に対し、怯まずにはっきりと告げた。
「あなたたちは皇后と敵対しているんでしょう? だったらそれに私が協力できるはずよ」
「さて、協力とはどのような?」
無言の主君の代わりにトゥレンは冷たく問う。付け焼き刃の知識ではどうせ具体的な説明などできないだろうと、あえてつついてみせたのである。
旧西残存兵力の糾合、教会勢力への働きかけ、聖騎士団内部の分断工作――そうした政治抗争をこの無知な娘がまともに話せるはずがない。うろたえたところを突き放せば済むと彼は思っていた。だが。
「聖女の称号は皇后より上なんでしょう?」
アウレリアの短い言葉は、東の主従の意表を突いた。国内情勢など無視して聖女の意義そのものをぶつけてくるとは彼らも予想していなかったのだ。
とはいえ、これはアウレリアにとっても賭けであった。皇后とは何者か、彼女たちにはろくな情報がない。それでも聖騎士団を操っていることから見て、神権を掌握しているのは間違いないだろう。ならば、聖女の称号が対抗できる鍵ではないかと、この接見の前にユリウスが助言したのだ。
武力も知識も財産も、何も持たない彼女が唯一差し出せるもの――それこそが、神より受けた黄金の徴なのである。
「だったら私を使えばいい。その代わり、私のお願いも聞いてほしいの」
「願いだと?」
レックスはここで初めて口を開いた。昨日あれだけ無知をさらした娘が取引を持ち掛けてくるとはさすがに思わなかったのである。
「そう。私だけでなく、ここにいるユリウスとミリアの身の安全。それと、エピオナの生き残っている人の保護」
エピオナの一語をアウレリアは噛みしめるように口にする。そして彼女は彼らに黄金の瞳をまっすぐ向けて告げた。
「そして――エピオナの亡くなった人をきちんと埋葬すること」
それが聖女の出した条件のすべてだった。
国の再興も自身の処遇も政治的な駆け引きなど欠片もない。ヴァルクレウス側にとっては何の痛手でもない、あまりに稚拙な提案。下手に余計なことを言い出さないうちに取りまとめてしまおうと、トゥレンは主君に早々と裁可を促した。
「以上だそうです。いかがなさいますか、殿下」
臣下の問いに、レックスはごく短く答えた。
「好きにしろ」
その一言により、東の王子と西の聖女の形ばかりの同盟がここに締結されたのであった。
第二部スタートしました。
第一部より長くなりますが、引き続きよろしくお願いいたします。
冒頭は第一部ラストより少し時間遡っています。
トゥレン、裏の仕事がまた増えている……




