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【第一部終了】黄金のアウレリア  作者: 北峰
第一部 黄金の聖女

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第四章 灼熱の魔女⑧

 夜になってもユリウスは戻ってこなかった。

 暗い森の中で膝を抱え、アウレリアは座り込んだまま動けなかった。

 あの後、彼女たちは見ていたのだ。茂みに隠れながらユリウスと追いかける兵士たちの姿を。


 三人の兵はよく連携が取れており、逃亡者をうまく追い込もうとしていたが、ユリウスの方も素早く、なかなか捕まらなかった。このままうまく逃げ切れるのではないかとわずかに期待し始めたその時、焼け跡の逆方向から別の兵士たちがやってきたのである。もう一つの三人組、すなわち前後を計六人に挟まれてはもはやユリウスでも逃げようがなかった。


 すでに日は(かげ)り、松明(たいまつ)の明かりの動きで、ユリウスが捕縛され連行されていくのを二人は見送ったのだった。


(――全部、私のせいだ)


 その自責だけがアウレリアの内部を何度も深くえぐる。

 ミリアを火刑から救い、さらにエピオナまでついてきたのが間違いだったとは思わない。それでも、その選択によりユリウスを危険に晒し続けていた自覚が足りなかった。


 主のためならばいつでも自分の身を犠牲にする、そういう男だと知っていたはずなのに、無自覚に甘えていたのではないか――


「アウレリア……」


 暗闇の中でミリアはようやく重い口を開いた。彼女もまた、自分のせいで二人を巻き込んだことを悔いていたのだ。顔は見えずとも、そのためらうような声音で、ミリアが心配してくれているのだとアウレリアは察せるようになっていた。


(――このままじゃいけない)


 ミリアこそ辛くて苦しいはずなのに、自分が落ち込んでいる場合ではない。それに、ユリウスのことは主である自分が解決すべきなのだ。


「ミリア……ユリウスがどこに連れていかれたかわかる?」

「ここからなら、多分西にある一番近い砦じゃないかな。松明の光もそっちに動いてたし」

「そう。じゃあ、案内してくれる?」


 あまりにあっさりとした返答に、ミリアは度肝を抜かれた。


「案内って――直接乗り込むつもり!?」

「他に方法はないでしょう? 私のことは殺さずに保護するよう布告が出てるって言うんだから、私が出ていけば少なくともユリウスが殺される理由はなくなるはずよ」


 ユリウスは反対したが、アウレリアの心には常に最後の手段として残してあった。いざと言う時は自分が二人を守るのだと。何の力も持たない自分にできることはそれしかないのだと。


「それじゃあユリウスがあんたを逃がした意味がないじゃない!」


 ユリウスがミリアに託したのは路銀だけではない。あの咄嗟(とっさ)の瞬間に、彼は主の命もすべて彼女に託したのだ。そのことをわかってしまうからこそ、ミリアは反対する。

 それでもアウレリアは首を縦には振らなかった。


「ユリウスは私のためならいつでも無茶するの。そうしてずっと守られてきたの。でも、今度は私がユリウスを助けたい。そうしなくちゃいけないって思うのよ」


 アウレリアの声は怯えも迷いもなく、ただ強く静かだった。覚悟の色を見て取り、ミリアはついに根負けした。


「そう、わかった……でもどうやってあんたが聖女だって証明するつもり? 身分を示すようなものは持ってるの?」

「それなんだけど……ミリア、髪の染め粉の落とし方って知ってる?」


 だんだん色落ちしてきているとはいえ、アウレリアの髪はまだむらのある栗色のままだった。黄金の髪と瞳が聖女の象徴である以上、髪の色は元に戻さなければならない。こんな状況でもまだ冷静さを失っていないことを察し、ミリアはアウレリアの頭を軽く撫でてやった。


「しょうがない。協力してあげるよ。とりあえず明日、明るくなってからね。今日のところは寝ておこう」


 こうして二人は冷えた地面に横たわって一夜を明かすことになった。

 焚火の火種も食料もすべてユリウスの荷物の中にあり、今は暖も食事も取れない。体を冷やさないよう、二人は体をぴったりと寄せ合って横たわっていた。


「ミリア、あったかいね……」

「そうだね……」


 ユリウスの広い胸の中と違い、小さく薄い体つき。暖かな体温とともに、その華奢な体が小刻みに震えているのがアウレリアにも伝わってきた。

 全てを失ったミリアを抱きしめ、アウレリアは自分の失ったものを取り戻すために目を閉じて夜明けを待った。




 翌朝、明るくなってからアウレリアは髪の染め粉を流し落とした。まだ冷たい川の水を吸った髪を絞ってやりながら、ミリアは思わず見入っていた。彼女がその黄金色を直接目にするのは初めてだったのである。

 昇ったばかりの朝日を受け、濡れた黄金の髪はまばゆい光を放っていた。


「うん、本物の聖女様だね。そいつを砦の連中に見せつけてやりな」


 こうして二人は、ユリウスが連行されたと思われるキフィサ砦へと向かった。徒歩で行くよりなく、空腹の女二人の足では着いた頃にはもう昼近くになっていた。事前の打ち合わせ通り、ミリアは少し離れた街道脇から隠れて観察する。聖女の保護は告知されていても、同行者の安全までは保障されていない以上、二人そろって出頭するのは危険でしかなかったのだ。


 突如現れた不審者を見下ろす城門の兵士たちの前に立ち、アウレリアはかぶっていたフードをおもむろに外す。


 中天に差しかかった太陽の光を浴びて、色を取り戻した髪が黄金の光を放つ。

 神の色を携えながら、彼女は静かに、よく通る声で宣言した。


「私は西セルディア王国の聖女、アウレリア・ヴィオレーナ・セルディウスです。この砦の責任者と話をさせてください」


 その言葉に城門の左右を守る兵たちはお互い顔を見合わせ――なぜか盛大な溜息を吐き出した。


「はー、まったく今月で何回目だよ。どいつもこいつも褒賞に目がくらみやがって」

「誰かに言われて来たのか? すぐにばれるんだからやめとけ、帰るなら今のうちだぞ」


 あまりに予想を超えた反応に、アウレリアの頭は理解が追いつかなかった。


「え? あの、私は本当に聖女なんだけど……」

「ほう、粘るじゃねえか。言っとくが偽聖女なんて重罪なんだぞ。首を刎ねられたくなきゃ諦めろ」

「諦めるわけないでしょう!? いいから責任者に会わせてよ!」


 もはや最初の聖女らしい威厳は吹き飛んでいる。完全に偽物扱いをされてアウレリアは腹を立てた。ここで追い返されてはユリウスを救うどころではないではないか。

 怒りに燃える目で若い方の門兵を睨みつけると、その青年は少し驚いた顔をした。


「あ、先輩! この女の眼、金色っぽくないですか?」


 問われて、もう一人の門兵は疑わしげにアウレリアの瞳を覗き込む。


「そうかあ? 光のせいじゃないか?」

「でも、髪も金髪ではありますし……」

「あー……面倒だな。とりあえず牢にぶちこんでおけ。あとは上に任せよう」

「は!? え、あの、ちょっと待っ」


 それ以上、アウレリアは反抗を許されなかった。門兵たちは手際よく不審な自称聖女を縛り上げ、乱暴に砦の地下へと押し込んだのである。




 地下牢などという陰惨な空間にアウレリアが足を踏み入れるのは当然初めてのことだった。ぼんやりとした灯火以外、光は一切届かない。石の床は冷たく、座っただけで体の芯まで冷やされていく。屋根があり、野生動物や野盗に襲われる心配はなくとも、ここには人の温もりがなかった。寒さと不安と暗闇に囲まれていても、ミリアと抱き合って眠った昨夜よりも今の地下牢の方がよほど恐ろしかった。

 だが、その孤独はあっという間に解消された。


「――ちょっと、人の話を聞きなさいよ!」


 突如、聞き覚えのありすぎる怒声が地下牢に響き渡る。


「ミリア!?」


 アウレリアと同じ牢内に放り込まれたのは、城門から離れた場所で隠れていたはずのミリアだった。


「あー痛ぁ……お尻打っちゃったわ」

「どうしてミリアまでいるの!? 隠れてたはずでしょう!?」

「まったく、ついてないわよ。ちょうど街道沿いを通った兵に見つかってね。通行人のふりしてやり過ごそうとしたんだけど、たまたま昨日ユリウスを追ってた兵だったみたいでさ。私の髪を覚えてて、不審者の仲間だろうって捕まっちゃったんだよね」


 ミリアの鮮やかな赤毛は遠目でもよく目立つ。ユリウスを追っていたとはいえ、中には鮮烈な色を覚えていた者がいても不思議ではない。しかも、もともとセルディア人に赤毛が少ないことが余計に目立つ原因となっていた。


「こうなった以上、意地でもあんたが聖女だって認めさせないとね。仲良く首を刎ねられても困るしさ」


 ミリアは軽い口調で言うが、内容はかなり物騒である。実際、彼女たちは温情で牢に入れられたわけではない。罪人と判断されれば、女子供だろうと容赦なく斬り捨てられるに違いないのだ。


「とりあえず対策を考えたいんだけど――あーもううるさい! さっきから何なわけ!? 牢屋でぐーすか盛大ないびきかいて寝てる馬鹿は!」


 作戦会議を打ち切って、ミリアは怒声を上げた。アウレリアは緊張でそれどころではなかったが、実際彼女が投獄された時から地下牢にはやけに元気ないびきが響き渡っていたのである。だんだん暗闇に目が慣れてきた彼女たちは、騒音の発生源である向かいの牢を格子越しに覗き込み、そして同時に叫んだ。


「――ユリウス!?」

「は、はい!」


 主の声に反応し、その男は瞬時に飛び起きる。それこそが確実にユリウス本人である何よりの証明だった。




 エピオナで捕縛され、キフィサ砦に連行された当夜、ユリウスは困惑していた。


(――いったい、どういうつもりなんだ?)


 ユリウスが捕縛されたのは、無謀な行動によるものではなく、あの短い間で充分に計算した上でのことだった。


 彼は東軍が三人一組での連携を徹底していることを知っており、だからこそ自分が誘導すれば敵三人をまとめて主から引き離せると思ったのだ。そして剣を抜かなかったのも計略のうち。切り結べば三人くらいなら倒せた可能性はあるが、討ち漏らした場合、逆上して主が害されては困る。そのため、あとで他の三人組と挟まれた時、あえて抵抗せずに捕縛されたのである。


 無論、投獄されたところで聖女の情報を話すつもりなどなかった。

 だが、投獄から数時間経っても何の尋問もない。それどころか、


(――まさか毒なのか?)


 なぜか彼の目の前には食事が置かれていた。本来、不審者を捕縛したらまず厳しく尋問し、有益な証言が得られて初めて食べ物を与えるはずである。それなのにこの砦の待遇は彼の常識から大きく外れていた。


 しかも、さらに困惑させたのがその内容である。

 どう見てもそれはパンとチーズ。セルディアでは決して珍しいものではない。それなのに、地下牢の薄暗い灯火の下でもわかるほど、色味と形状が違っていた。


 ――今さら警戒しても意味はない。


 殺すつもりならいつでも彼らは殺せるのだ。それなら今は腹を満たす方が先決である。そう思い、彼は縛られたままの手でパンにかじりついた。


「え……?」


 思わず気の抜けた声が上がってしまう。それほどの衝撃を彼は受けたのだ。

 同じセルディア地方でも東と西では食糧事情が大きく異なる。西では大麦や雑穀の混じったパンが主流なため、硬めで雑味が多い一方、東は肥沃(ひよく)な大地で小麦が多く採れるため、白く柔らかめのパンが基本となっているのだ。


 さらにチーズも、西では山羊乳由来ゆえに独特の臭みが強いのに比べ、東は牛乳から作られており、まろやかで味わい深くなっている。

 砦の兵士たちは決して捕虜に特別待遇をしたわけではない。むしろ粗末な食事を形式上与えただけである。だが、ユリウスの味覚と価値観を叩き割るには充分すぎるほどの破壊力だった。


「……うまっ」


 それ以上の言葉が出てこない。まさか逃亡中どころか日常の食事よりもうまい飯が地下牢で食べられるなど、想像できるはずもなかった。

 そして、彼は知る(よし)もない。連行中、あまりに捕虜の腹がしつこく鳴りすぎるため、兵士たちが餓死されても困ると思い、ひとまず備蓄の食料を与えただけだったのだと。


 こうしてユリウスは人生でも上位に数えられる食事で腹を満たし、護衛騎士としての緊張感からも解放され、王都脱出の夜から初めて人目をはばからず爆睡したのだった。




「……で? ごはんがおいしくてうっかり熟睡してたってわけ?」


 地下牢の床よりも冷え切った声で応じたのはミリアである。


「いや、別に、そこまでは」


 当然、ユリウスは馬鹿正直に全ての経緯は白状していない。それでもだいたいの事情を察したミリアの視線は冷たかった。


「よくまあ敵地の真ん中で堂々と寝られるわね」

「どこでも寝られるように慣らしてあるからな」


 少し自負するような言い回しにミリアの眉が跳ね上がった。


「そういう問題じゃない! あのねえ、この子があんたを助けるためにどんな覚悟で乗り込んできたと思ってるわけ!?」


 主の名を持ち出され、ユリウスは反射的に姿勢を正す。冷たい床に手をつき、深々と頭を下げた。


「……あの、アウレリア様……大変申し訳ございませんでした」


 主を守るために捕まったのに、結果的に主まで巻き込んでしまった。これは護衛としての大きな過ちである。そのまま床の一部になりそうなほど平身低頭するユリウスに、アウレリアは呆れつつも安堵の笑みをこぼした。


「ううん。ユリウスが無事で良かった」


 その嬉しげな声音にようやく顔を上げたユリウスは、改めて主を見て驚愕した。


「アウレリア様、その髪は……」


 地下牢の薄暗い明かりの下でも、その髪が元の黄金色を取り戻していることを理解した。


「ごめんね、ユリウスがせっかく染めてくれたのに……私、ユリウスを助ける方法が他に見つからなくて……」


 二人は格子越しに向かい合ったまま黙り込む。お互い、こうなるつもりではなかったという思いばかりが積み上がり、うまく言葉にできずにいたのだ。


「まあ、とりあえずみんな仲良く牢屋入りってことは、すぐに殺されることもないんじゃない? しかもわざわざごはんまでくれたんでしょ?」


 二人の重い沈黙を破るように、ミリアがあえて楽観的な意見を口にすると、アウレリアもユリウスの証言を思い出して感想を述べた。


「あ、私、そのおいしいパンとチーズ食べてみたい」

「すみません、こんなことなら残しておけば……」


 ユリウスは実に口惜しそうにそうつぶやく。


「いや、謝るのはそこじゃないでしょ!?」


 ミリアの言葉を聞き流し、ユリウスは次の食事が来たら必ず取っておこうと心に誓っていた。

当時のパンは今のようなフワフワではありませんが、それでも穀類の差で食感はだいぶ変わります。

ローマのパンと言えば、あの丸くて等分に切れ目の入ったアレです。

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