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【第一部終了】黄金のアウレリア  作者: 北峰
第一部 黄金の聖女

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第四章 灼熱の魔女⑦

 ニコスには消毒用の酒と白布を渡し、翌朝三人は宿を後にした。

 ミリアが彼にできることはこれ以上ない。元医師である彼なら自分で術後の消毒処理程度は当然できる。指が完全に元通りになるかは半々といったところだが、癒着したままよりはるかにましなのは間違いない。


 こうして彼らはマルナ島に一晩だけ滞在し、再び船に乗ることになった。

 自らミリアと同行すると申し出たアウレリアは、自分の発言をやや悔いるはめになった。


「ほら、また船べりに行かない! 落ちるでしょうが!」


 ミリアの叱責が耳の奥にこだまする。再び重度の船酔いに襲われ、エピオナ付近までの約一週間、アウレリアはまたしても(たらい)とお友達になったのだった。




 海洋都市エピオナ――それが医術で知られるその都市のもう一つの呼び名である。

 宝石のようと(うた)われる紺碧の海が一望でき、その青に映える白壁が立ち並ぶ街並みは、まさに清浄と静謐(せいひつ)を示す叡智(えいち)の集合体であった。


 かつてはエピオナの同胞たる他の都市国家も周辺地域に多数存在していたが、次第にセルディアに吸収され、エピオナだけが自治区としてかろうじて独自の文化を残していた。


 そのエピオナも、すでにない。


 少し離れた港に接岸し、そこから徒歩でたどり着いた故郷の前で、ミリアは無言だった。

 アウレリアもユリウスも、彼女にかける言葉がなかった。


 二人とも確かに国を失い、追われ、寄る()なく漂う身の上である。それでも王宮は無血開城され、国土はどこも荒らされていない。変わったのは旗の色だけで、街も、人も、砦すらも以前と同じように続いているのだ。

 だが、ここは――


「……こんなにきれいさっぱり消えるものなんだね」


 ミリアは自嘲気味につぶやいた。

 眼前に広がる景色は「きれい」などとは程遠い。無数の瓦礫と灰と、いまだくすぶる(すす)の臭い。かつての清浄な白い街並みは、黒い焦土と化していたのだから。ただし、ほとんどの建物は崩れ落ち、驚くほど見通しがよくなって視界だけが皮肉にも異様に明るかった。


「日が暮れる前に終わらせないとね」


 己を鼓舞するようにそう言うと、ミリアは炭化した街道に一歩を踏み出した。

 彼女がまず向かったのは、街の入り口近くに位置する建物跡だった。火元から離れていたこともあり、まだかろうじて一部の壁や残骸が燃え残っている。


「ここはね、街の共同の研究所だったんだよ」


 ミリアが軽く触れただけで、燃え残った棚がばらばらと砕けた。


「前にあんたにも見せたでしょ? あの『燃える水』――あれが少しでも残ってればと思ったんだけどね」


 彼らの足元には焼け焦げた陶器の破片が多数散乱している。これが消毒液瓶の成れの果てであった。

 酒を蒸留して高濃度酒精を抽出する技術は、エピオナの外には広まっていない。葡萄酒を水で割って飲むのが基本の文化では飲用としての需要もなく、消毒という概念もまだ希薄な時代なのだ。蒸留設備を逃亡者が一から作るのは難しく、せめて在庫だけでもと思っていたミリアは、その希望さえ潰えてしまった。


 唇を噛みしめ地面を見つめるミリアとは逆に、辺りを見回していたアウレリアは驚きの声を上げた。


「ミリア! これ!」


 それは燃え残りと思われる小さな瓶だった。瓦礫の隙間に埋まっていたせいで火を逃れたらしく、表面は煤だらけでも本体はまだ割れていなかった。


 拾い上げた小瓶をアウレリアはミリアの手にそっと乗せる。ミリアは震えをこらえながら受け取り、その蓋を開いて鼻を近づけた。嗅ぎ慣れた、あのツンとした独特な香り――間違いなくそれは燃えなかった『燃える水』だった。


「……ありがとう、アウレリア」


 封はされていても、高熱にさらされ品質が劣化して、恐らく医療用には使えないだろう。それでも確かに存在した知の証として残っていたのだ。小さな遺産を胸に抱き、ミリアは前を向いて告げた。


「それじゃあ行こうか――私の家へ」




 足を怪我しないように注意深く瓦礫をよけながら、彼らは街道の跡地を進んだ。一歩進むごとに全員の表情は暗くなる。それでも歩みを止めることはできなかった。

 いまだ漂う焦げた臭いを嗅ぎながら、ミリアはふと尋ねた。


「ユリウス、あんたは戦場に出たことあるの?」

「……前線には出てないが、見習い時代に後方部隊で経験はしている」

「そう。じゃあこの状況を見てどう思う?」

「どうって……」


 ユリウスは戸惑った。彼は見習い時代の四年間、前線ではなくとも補給、衛生、伝令、斥候、事後処理といった役割で戦場を充分に経験している。そんな彼でさえ、ここまで無惨に破壊しつくされた跡地を見たことがなかった。小さな村が蛮族に焼かれたことはあっても、都市まるごと灰にするような蛮行など遭遇しようもなかったのである。


「兵士としての率直な意見が聞きたいんだよ。何かおかしいと思わない?」


 ミリアに重ねて問われ、ユリウスは答える前にまず聞き返した。


「エピオナは……確か軍を持ってなかったよな」

「そうだよ。常備兵を置かないことが自治の条件だったからね」


 軍を持たないからこそ無抵抗に焼かれたのだ。自治の代償にしてはあまりに重すぎた。

 そして、その事実こそがユリウスに疑問を抱かせた。


「だとしたら、この兵士は何なんだ? この馬も軍馬のはずだ。街を焼き払うために襲ってきたのに、自分でその火で死んだのか?」


 ユリウスが指したのは、街道を塞ぐように倒れ伏す成人の焼死体だった。全身焼け焦げ、元の服装も判別できないが、焦げた武器や鎖帷子(かたびら)などから、それが兵士であったことは予測できる。そばに倒れる馬の死骸も、体つきや馬具の形状から軍用馬であることは間違いなかった。


「そもそも兵士にしては死体の位置がばらばらすぎる。隊列どころか散り散りに逃げているように見える。エピオナには軍がいないし、交戦の跡もないのに」


 これが軍事行動ならば、組織的な動きがなければおかしい。都市を焼く命令があったなら風の向きを測り、自軍に火が回らないよう事前に調整するのは当然のことである。それなのに、街道のあちこちに転がる兵士らしい焼死体は、とても統率が取れているようには思えなかった。


「まさか……こいつらは兵士じゃないってこと?」

「装備は兵士っぽいけどな。しかし東の兵士は厳しい規律と鍛錬で知られてるはずなのに、無計画に火を放って逃げ回って自分たちも死ぬだなんて、そんな間抜けな真似をするかな……」


 もしそうなら、正直なところ村を焼く蛮族にすら劣る間抜け具合だった。

 あまりの不可解さに考え込む二人の後ろで、アウレリアは一人青ざめていた。


「ほら、アウレリアはきょろきょろするんじゃないよ。慣れてない人間がいきなり見るようなもんじゃないからね」


 ユリウスは兵士として、ミリアは医師として、状況は違えど遺体を見ることには慣れている。しかし離宮で隔離されて暮らしてきたアウレリアは、遺体どころか人の死を見た経験がない。山での狩りで初めて生き物の死を実感した程度なのである。そんな彼女が最初に死と遭遇するには、この焼け跡はあまりに重すぎた。


 街にはユリウスたちが疑問を持った兵士よりもはるかに多くの民間人の遺体が転がっている。損傷が激しく、一部がもげて飛び散っているものもある。燃え尽きた炭となり、服も顔も性別すらもわからない。それでも大きさから、子供や老人まで等しく焼かれていたことは見て取れた。


 惨劇からすでに一月以上が経過していたが、完全に燃焼していたことがせめてもの救いだった。長く放置されたままでは、本来なら大量の遺体の腐敗が進んで、とても簡単には足を踏み入れられなかっただろう。肉片すら残らなかったことで、皮肉にも三人は腐臭や汚穢(おわい)にまみれることも、病の感染や野生動物の危険性もなく捜索ができるのである。


 一歩進むごとに足取りと口が重くなり、やがて無言のまま彼らは目的地に着いた。

 あたり一面、荒涼とした瓦礫と煤の覆う大地。その中心部にミリアの家はあった。――家であった区画が。


「うちは小さな診療所でね。このあたりが診療室で……ああ、ここかな」


 小さな瓦礫をどかしながら、彼女は地面の一角を指差した。


「これは……?」


 アウレリアは小さくつぶやいた。そこには黒く焦げた石板らしきものが一部見えていたのだ。


「地下の保管庫の扉だよ。やっぱり瓦礫で埋まっちゃってたか」


 崩れた建物の残骸が、その石板の上に積み上がっている。これでは扉を開けることもできない。

 溜息をついてミリアが瓦礫を撤去しようとすると、ユリウスがその動きを止めた。


「俺がやる。危ないから離れてろ」


 ミリアの細腕でのろのろ作業しても日が暮れてしまう。それどころか崩れた瓦礫で怪我をしかねない。ここは自分がやるべきだと判断して彼は作業を引き受けた。


「……ありがとう」


 ミリアは素直に礼を口にした。


「ユリウス、気を付けてね」

「慣れておりますので大丈夫です」


 アウレリアへの返答は決して謙遜ではなかった。女子二人が唖然とするほどの速さでユリウスは焼け落ちた瓦礫をどんどん撤去していく。

 同じ人間とは思えない動きに、ミリアは感傷すら一時的に忘れて呆気にとられた。


「あんたの護衛、凄いわね」

「うん……ユリウスがいなかったら私はとっくに死んでたよ」


 アウレリアは少し離れた街道脇でユリウスの作業を見つめながら本音を漏らす。


「それを言うなら私もでしょ。あんたたちがいなかったら私は火炙りにされてたんだから」

「助けたのはユリウスだよ」

「でも、あんたが助けてって頼んだんでしょ? だったらあんたは私の命の恩人だよ」


 アウレリアは何と答えてよいかわからなかった。幼い頃から離宮で隔離されてきた彼女は、ミリアのように家族を想う気持ちを実感できない。それでも今のミリアが口調ほどには内心落ち着いているはずがないことは理解できていた。だから彼女はミリアのそばに立ち、黙って耳を傾けることしかできなかったのだ。


 そして太陽が傾き、黒い地面を赤く染め始めた頃、ユリウスは主に作業完了の報告をした。


「アウレリア様、終わりました」


 その声にはどこか達成感すら感じられる。一区画とはいえ一人で難なく短時間で瓦礫撤去を終えるのは慣れの問題だけではない。


「……いや早すぎでしょ」


 ミリアは若干引き気味だったが、ユリウスは全く意に介していなかった。

 そのまましゃがみ、地面に蓋をしていた石板を両手で持ってどかそうとする。


「すぐに地下を覗き込んじゃだめだよ。中の空気に毒が残ってる可能性が高いからね」


 ミリアの注意にうなずき、石板が外される。しばらく地下にこもった危険な空気を排出してから、松明(たいまつ)に火を灯して地下の空洞を照らし出す。

 人が一人かがんでようやく入れる程度の空間。いくつかの割れた陶器の残骸とともに、それはそこにあった。


 石造りの地下空間で蒸し焼きにされたため、黒焦げではないが縮んだ革のような茶褐色の皮膚。顔形は判別できなくとも骨格から体つきははっきり見え、衣服の一部も残っている。

 それは実の娘であれば見間違えようもなかった。


「………………お父さん」


 ミリアは震える手を地下に伸ばす。しかしそのひび割れた皮膚は、少し触れただけでぼろぼろと崩れ落ちてしまう。


 ――もう二度と、抱きしめることすらできない。


 その事実が彼女を強く、だが静かに打ちのめした。

 ニコスが「あの日、家に向かっていった」という目撃証言は正しかったのだ。できれば嘘であってほしいと願っても、目の前の遺体が否定する。


 恐らくミリアの父は、侵入してきた襲撃者から身を守るために地下の保管庫に逃げ込んだのだろう。しかしその後、人間だけでなく炎が襲ってきた。地下空間に煙が充満すれば人はすぐに意識を失う。そしてそのまま石造りの地下で体は蒸し焼きにされてしまったのだ。逃げることすらもできぬまま。


 無言で立ち尽くすミリアの背中ごしに、アウレリアは見た。

 折しも差し込む夕日に照らされ、黒い焦土が真っ赤に燃え上がる姿を。

 そして、その中心に立つミリアの赤毛は、まるで激しい灼熱の炎の揺らめきのようであった。


 いつまでそうして立ち尽くしていただろう。本来ならもっと早くに移動すべきであった。普段は全神経を警戒に割いているユリウスでさえ、今は注意力が落ちていたのである。


「――おい、おまえら! そこで何をしている!?」


 不意に背後から鋭い声が上がった。アウレリアとミリアは凍りつき、ユリウスは瞬時に振り返る。

 街道の向こう側から近づいてくる三つの人影。逆光でもその姿は恐らく兵士の装備のようであった。

 ユリウスはすぐさま貴重品の入った小さな荷袋をミリアに押しつけ、小声で命じる。


「おまえはアウレリア様を連れて向こうの森まで走れ。俺があいつらを引きつける」

「えっ、ちょっと!?」

「ユリウス!?」


 ミリアとアウレリアが戸惑う隙に、彼は兵士たちの方向へと駆け出した。

 鞘から抜かずとも剣を構えて向かってくる男がいれば、兵士たちも当然無視はできない。相手を囲もうと三人の兵が構えを取ったのを見て取ると、ユリウスは直角に進路を変更する。


「おい、待て!」


 不審者の不審な行動に釘付けにされ、兵士たちは全員ユリウスの後を追う。彼らの視線が外れた隙に、ミリアはアウレリアの手を強く引いて森の方向へと駆け出した。


「待ってミリア、ユリウスが――」

「あんたを逃がすためにやってるんでしょうが! さっさと逃げるのがあんたの役目!」


 ユリウスを目で追うアウレリアをそのまま引きずるように連れ出し、ミリアは焼け落ちなかった付近の森に逃げ込むことに成功した。

酒精=アルコールです。酒の蒸留技術は当作品の想定時代にはまだヨーロッパに普及していませんでしたが、エピオナではオーバーテクノロジーだったということにしています。

エピオナのモデルはお察しの通りアテネです。

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