第四章 灼熱の魔女③
少女の空腹を救うため、ユリウスは食事の支度を始めた。
エピオナから一人で逃れてきて、この村ではすぐに捕まっていたのなら、ろくなものは食べていないはず。ひとまずは汁物の方がいいだろうと、手持ちの小さな鍋を火にかける。今朝狩って血抜き済みの野兎肉と、肉の臭みを消すのに野草を入れて煮込む。
次第に肉の煮える匂いが漂ってきて、少女は目を覚ました。
「良かった、起きたのね。今お兄ちゃんがご飯作ってるから待っててね」
少女のそばで心配そうに付き添っていたアウレリアは安堵したように覗き込んだ。
「お兄さん、何でもできるのね」
「うん……そうだね」
少女の言葉にアウレリアは目を伏せた。
確かにユリウスは凄い。ここまでたった一人で自分を守りながら連れてきてくれて、狩りも人助けも調理も何でもできる。それなのに何一つできない自分がもどかしくて居たたまれないが、他人の前では兄妹のふりをしている以上、そんな内心を晒すこともできなかった。
「あんたたちはどこへ行くつもりなの?」
彼女の質問は何気ないものだったろうが、アウレリアはそれに答えることもできなかった。
「……ごめん、お兄ちゃんに話すなって言われてるの」
「そっか」
何かを察したのか、少女はそれ以上訊かなかった。その気遣いに何か答えたくて、アウレリアは今話せる精一杯のことを口にした。
「私は……レーナって言うの」
唯一教えられるのが嘘の名前であることに小さく胸が痛む。そんな彼女の様子など気にも留めず、少女は薄く微笑む。
「私はミリアよ」
それはアウレリアが王都を出てから初めての、名のある他人との交流だった。
思えば同じ年頃の少女とまともに会話をしたことすらない。離宮に侍女はいたが、神の瞳を恐れてか、まともに目すら合わせようとしなかった。
だが、ミリアと名乗るこの少女はアウレリアの素性も知らず、当然怯えることもなく、ただの人間として気安く話しかけてくれる。それが彼女に不思議な居心地の良さを与えていた。
「ミリアはお医者さんなんて凄いね」
「子供の頃から医者の父の手伝いをしてて、そのまま自分もなっただけなんだけどね」
まるで何でもないことのようにミリアは言うが、通りすがりの子供すら助けようとする彼女はやはり立派だとアウレリアは思う。そしてふと、彼女が助けようとした相手のことを思い出した。
「あの村の倒れてた子供ってどうなったのかな……」
「……あのままなら自然に治るのは難しいだろうね」
ミリアはそれ以上は言わなかった。しかし実際には火刑台に向かって人殺しと罵る声が聞こえてきたということは、やはりそうだったのだろう。というより、助からなかったからこそミリアが魔女と糾弾され、火炙りなどという過激な責め苦が選ばれたに違いなかった。
「何でそんなことするんだろう……香ってそんなに大事なものなの?」
「香自体のせいじゃない。あれは中に厄介な薬が混ぜられてるんだよ。人の思考を奪い、陶酔させ、従わせるための薬。しかも一度使い始めるとやめられなくなるから、それを与えてくれる人間の言いなりになってしまう」
「そんなものを広めるなんて……」
「支配者にとってはその方が楽なんだろうね」
ミリアの声音も瞳も冷たく硬かった。それが決して誇張でも嘘でもないことをアウレリアは察してしまう。
表情を強張らせるミリアを彼女は注意深く見つめる。まるで火刑未遂を暗示するかのような炎の色の髪、あどけない顔立ちには不釣り合いな大人びた表情があった。
ねえミリア、と呼びかけようとしたその時――
先に異変に気づいたのはミリアの方だった。
不意の物音に振り返り、アウレリアは慌てた。
「ユ、お、お兄ちゃん!?」
少し離れたところで食事の支度をしていたはずのユリウスは、持っていた匙を転がし、自身も地面に手と膝をついてうめき声を漏らしていた。
「どうしたの!? 何があったの!?」
焦って駆け寄ろうとするアウレリアを、ユリウスは手で制す。
「駄目です、少し……離れていてください……」
「で、でも……」
アウレリアはどうしたらいいかわからず立ち尽くす。
「ちょっと診せて」
二人の間に割って入ったのはミリアだった。さっきまで空腹で倒れていたとは思えないほど、今は完全に医師の顔になっている。
ミリアに背中をさすられるとユリウスは激しくむせ、そして主から背中で隠すように嘔吐した。
「ほら、あんたは離れてなさい。お嬢さんにはこんなとこ見せたくないんだよ。その間に川で水を汲んできて、濡らした布を絞って持ってきなさい」
ミリアの指示に一瞬戸惑ったが、アウレリアはすぐその通りにするため駆け出した。背後からユリウスの苦悶の声と濁った異音が響くのを聞かないようにしながら。
しばらくして容態が落ち着いたユリウスを寝かせると、ミリアは一息ついた。患者の顔を濡らした布で拭いながらアウレリアの方に向き直る。
「その鍋、あんたは食べちゃ駄目だよ」
「え? ユリウスがせっかく作ってくれたのに……」
野兎肉の煮込みはすでに出来上がって湯気を立てている。だが、ミリアは厳しく制止した。
「このお兄さんが倒れたのは、こいつのせいだよ」
そう言ってミリアが見せたのは、鍋の脇に残っていた未調理の野草だった。
「これは毒人参――今の時期は特にセリと見間違えやすいから、よく事故が起きるんだよね。お兄さんは典型的な食中毒だよ」
「毒……?」
「そう、味見程度だったからこのくらいで済んでるけど、下手したら命に関わるからね。よく注意して採らないと」
ミリアの言葉に、アウレリアは突如震え始めた。
「そんな……私……私のせいでユリウスが……」
その草は今朝、山を下りる前にアウレリアが採取したものだった。ユリウスに見せてもらった見本と同じ野草を採ったつもりだったのに、それが毒草だと知らされて彼女は愕然とした。
「慣れてる人でも起きやすい誤食だからね。あんまり自分を責める必要はないけど、反省と対策はすべきだよ。間違えやすい草、よくわからないものは下手に採らない、明るい場所でよく確認するとかね。これもほんの一部混じってたみたいだし」
ミリアの注意が本人に届いていたかどうか、アウレリアは横たわるユリウスの体にすがりついた。
「ごめん……ごめんね、ユリウス……私、何もできないのに足引っ張ってばっかりで……」
声を震わせながらアウレリアはユリウスに詫びる。その黄金の目には涙が浮かんでいた。
「いえ……私が毒見できたので良かったです……」
ユリウスの方は、毒を主に食べさせずに済んだことで安堵していた。毒見こそ自分の役目だとすら自負しているきらいがある。
そんな二人の高湿度な会話を打ち切らせたのはミリアだった。
「ほらほら辛気臭くなってないで、あんたも手伝ってよ」
そう言うと、ミリアはアウレリアにまた指示を出した。
「こっちはお腹減って倒れそうなんだからさ。この肉、まだ残りがあるみたいだし、私たちの分をもう一度作り直すよ。あんたはこの鍋の中身を処分して、川で洗ってきて。あ、まだ鍋が熱いから素手じゃなくてちゃんと布で掴むんだよ」
アウレリアも泣いてばかりいるわけにもいかない。ミリアに言われた通りに行動を始める。
「…………」
ユリウスは複雑な思いだった。自分が何もできない中、主は見知らぬ女に命令されて小間使いのように働かされている。
だが、それより最も辛かったのは、女子二人が仲良く鍋を囲んでいる中、自分だけが空腹を抱え、肉の匂いを嗅ぎながら寝ていることしかできないという境遇であった。
食中毒で苦しみながらも、汚いところを主に見せまいとする騎士の鑑、漢ユリウス。
(なお、教育と確認不足の自業自得な模様)




