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個人的趣味強め不思議系短編集

狐の祭

 お祭りは雲ひとつないよく晴れた日ではないといけない。

 水を張った田んぼに青空を映し、地上と天と、2つの空が必要なのだ。

 水辺はたくさんの命を育み、

 たくさんの命を奪っていく。

 その渦から道が生まれ、空に続いていく。

 田んぼから生まれた道は空に広がり、西へ東へ駆け巡る。

 山はその精気を吐き出し、

 世界に満ちた生き霊たちが振り返る。


 人間には見えない祭りが始まる。

 やがて時間を捻じ曲げ、次第に空間を歪ませ、四方八方の田んぼを空で繋ぐ。


 僕たちはその天空の道を人間の姿に变化して練り歩く。


 その時ばかりは狐も狸も鼬も仲間になって、笛や太鼓や歌で朝から晩まで騒ぎ立てる。


 そのうち、魑魅魍魎も集まって、この不可思議な水辺の誕生を祝うんだ。


 人間は気付かない。


 だって、これは他人事。



 その子が不思議な恰好で立っていたものだから、つい話しかけてしまったのだ。


「その帽子は何?」


 ボクは里の子どもに化けていた。うまく化けたつもりだったけど、いつも何故かきつね色の髪の毛だけは長くなってしまう。ボクの変身の癖だった。でも、人間に狐だと気づかれたことはない。だから、なんのためらいもなく訊ねていた。


「草の上で走りにくそうな靴をなぜ履いているの?」


 その子が驚いてボクを見たとき、強い風が吹いた。飛ばされないようにその子は帽子を押さえる。

 ボクの方は、長い髪を容赦なくボサボサにされ、目の前がもじゃもじゃになった。


「手に持っているのは何の蔓で編んだ行李? 大荷物を持って何をしているの?」


 まとわりつく髪の毛も何のその。ボクの疑問は湧き出して止まらなかった。この田園とサンダルの彼女が結びつかなかったから。

 最初は戸惑い気味だったけれど、その子はクスクスと笑い出した。

 それから、しゃがんで行李を開けると、中から大きなくしを取り出す。


「後ろ向いて」


 ボクは素直に後ろを向いた。頭がくいっと後ろに引っ張られる。その子は髪を梳いているのだ。


「この帽子は麦わら帽子。ここに来ているのは撮影のため」


 手を止めることなくその子は答えた。


「ここで写真を撮っているの」


「誰が?」


「お母さん」


 でも、その場には誰もいなかったから、ボクは首を傾げた。


「妹がトイレに行きたくなったから、ちょっと休憩だって。だからいない」


 髪を梳き終え行李にくしをしまうと、その子は崖の向こうを指さした。


「田んぼがきれいでしょ?」


 見渡す世界は、西日を映して金色に輝いていた。

 胸がドキドキしていた。誰にも言ったことのなかった「田んぼがきれい」って気持ち、ボクと同じだったから。


「うん、ボクも好きなんだ」


 その子は嬉しそうに顔をほころばせた。それから帽子を脱いで、ふいにボクの頭にそれを乗せた。数歩下がってボクを眺め、


「かわいい!」


 弾けるように笑った。


「ふわふわの髪に合うと思ったの。やっぱりかわいい」


 可愛いと言われたの初めてだ。長い髪をしていたから、女の子と思ったのか。戸惑いながら、帽子を触る。


「ありがとう」


 麦わらのデコボコをザラザラとなぞり、面映ゆさを誤魔化しつつ何とか答えた。


「それ、あげる」


 ボクは顔を上げた。思いもよらない提案だった。


「でも、使うんでしよ?」


「予備の帽子がちゃんとある。サンダルもあげる」


「でも」


 そわそわと落ち着かないボクを気にもせず、サンダルに手を伸ばした。


「お母さんに怒られるよ」


「いいよ」


「ダメだよ」


 止めようと思ってボクはその子の手を掴んだ。

 すると、その子は動きを止めて何度も瞬きをした。


「何か見える」


 ポツリと呟き、崖の下の景色を懸命に見つめている。


「田んぼから、何かが出てる!」


 その目を輝かせている。


 ボクは言葉を失っていた。

 人間の知らない祭りへの通り道が見えるなんて思わなかったから。明日から始まる祭は、人間の参加は厳禁のはずだ。


「空へと続く道が見えるの?」


「うん。すごい、きれい」


 その子はうっとりとの田んぼの光を見つめている。


 さっきまで見えていなかったのに、なぜ見えるようになったのか。不思議だったけれど、もしかしたら、ボクが触れた手の平から何かが伝わったのかもしれない。そう思ったら嬉しくなった。


「君にも見えるようになったんだ」


 この子が人間だとしても、繋がることができるのだ。


「ボクたちは、あの道を練り歩くんだよ」


 高揚する心のままに、言葉が溢れ出す。


「一緒においでよ」


「行っていいの?」


「もちろん。明日の朝、またここに来て」


 夢中で田んぼを見つめるその子も、熱に浮かされたようにうなずいた。


「でもね、一つだけ約束があってね。とても大切なこと」


「大切なこと?」


「うん。人間のことを忘れないといけないんだ」


「人間を忘れる?」


「そう。あの祭は人間のふりをした化け物になって、踊り明かすんだよ。だから、本物の人間は駄目なんだ」


 その子は困ったようにボクを見つめる。


「お母さんのことも忘れないといけないの?」


 今にも泣き出しそうな声に何も答えることができなかった。


「わたしできない」


 その子はゆっくり手を離した。

 ボクの手を離れたから、きっと、もう道は見えない。田んぼの光も消えてしまっただろう。

 繋がることも、離れることも、なんて簡単なのだろう。

 何も言えずに立ち尽くしていると、ふと人の気配がした。


「ごめーん!」


 向こうから大人の声がした。

 同時にそちらへ視線を移すと、小さな子どもと手をつなぎ、こちらへ走ってくる人影が見える。


 きっと母親だ。


 僕は素早く元の姿に戻り、帽子を口にくわえた。


「わっ! 狐?」


 母親が叫ぶのと同時に、ボクは風のように走り去る。

 これなら、怒られないだろう?

 狐に盗られたのなら、帽子を失くしたのは彼女のせいじゃない。



「人間の前で変身を解いただって?」


 穴ぐらの中で今日の出来事を話すと、母は怪訝な顔をした。


「だって」


「だってじゃないよ。明日にはお祭りだっていうのに。人間に見つかったらどうするんだ?」


「ごめんなさい」


 謝るしかなかった。変身を見られるのはご法度中のご法度。

 一族の危機に直結するのだから。

 でも、母はそれ以上僕を責めなかった。


「朝起きて晴れていたら行列が始まる。寝坊するんじゃないよ」


 そう言って寝床へ潜り込んで寝てしまった。

 僕もそのそばで丸くなる。

 傍らには帽子が置いてある。捨てろと言われるかと思ったけれど、やっぱり母は何も言わない。


(明日、あの場所へ行こう)


 持ち帰ってしまったものの、あの子に帽子を返したかった。



 次の日、先へ行くと母に告げ、こっそり崖へと向かった。

 でも、あの子はいなかった。

 ボクは人間の姿で崖から田んぼを見る。

 いくつもの光の帯は至るところへ散らばり、その一つは崖にも届いていた。ボクはその道筋に足を踏み入れた。

 それは地上と天上を結ぶ橋だ。

 人間のフリをした狐が各々に着飾って、橋を渡る。

 そのうちに他の獣も、虫も。風も花も木も草も。妖怪も精霊も集まり始めた。


 今日ばかりは種族も縄張りも草食も肉食も関係ない。弱肉強食は人間に任せ、人間のフリをして歌い踊る。


 何もかも人任せ。何もかも他人事。


 でも、ボクだけはあの子に会いたい気持ちに呼び止められ、後ろを振り向いた。あの崖にあの子はいない。

 不意に母に肩を叩かれた。

 いつの間に後ろにいたらしい。


「お前、人間にふられたか」


 遠くで笛の音が鳴り響いている。


「違うよ。ボクとは住む世界が違うのだから」


 母は化粧をしていて、その唇が赤い。いつもより派手な浴衣を着て、意味ありげにボクを見ている。


「そうだねぇ」


「あの子も、人間の子も、田んぼがキレイと思うのは一緒なんだ」


「そう。あの田んぼを作る苦労も知らず、水の中で起こる生き死にも知らず、他人事のようにキレイという様は、おんなじだねぇ」


 母の唇が歪んだ。

 そんなことを言う母親に腹が立ったけど、何も言い返せなかった。

 ボクは帽子を捨てようとつばをぎゅっと掴む。

 でも、できなくて、かぶり直す。

 そして、踊り狂う獣と怪の中へと戻っていく。


  


 それから幾年か経った。


 今年もボクはあの崖に佇んでいた。

 長い髪はあの日のままのきつね色。


 ふと、向こうから若い女が駆け寄ってくる。


「行こう」


 ボクはその手を取る。女の尻には尻尾がついていた。


「相変わらず化けるの下手くそだなぁ」


「あなただって髪がきつね色でしょ?」


 ボクは帽子をかぶり、眼下に広がる水田を眺めた。


「キレイね」


 女がうっとりと呟いた。


「そうだね。理屈なんてどうとでも。キレイなもんはキレイで、胸を打つもんは打つんだ」


 手を離したあの日の少女の顔が胸に過ぎる。

 初恋というには淡すぎた。


 少女の母親はちゃんと写したのだろうか。

 目には見えない胸の痛みを。決して触れられない世界のざわめきを。

 田んぼが空を映して金色に光っている。空へと続く道を放ちながら。


(この水鏡は誰かの手柄)


 今はただ美しいと褒め称えよう。


 所詮は全ては他人事。


 そこに根付く息吹を無視して。


 初恋の痛みも消せぬまま。


 

 写真はきっと、約束の場所を閉じ込めている。

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