表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
習作時代  作者: 中川 篤
万事順調②
9/45

8話


 浜辺を掘りおこし、ビーチフラッグの支度を終えるころになると、段々と人の姿も増えてくる。ホテルでは宴会を開くときにお笑いの養成所らしき所(よしもと?)から、芸人を借りてくることがあった。

「貸しカヌー置き場」のテントには、その養成所からきた芸人が二、三人、ぼくたちの手伝いにやって来ていた。





     *     *     *





 昔、ホテルの前を夜、通りがかったときに、彼らのなかの誰かが歌う「世界で一つだけの花」を聞いたことがある。お世辞にも上手(じょうず)だとは言えなかったが、真心が確かにこもっていて、とても素敵だと、ぼくは思った。


 その芸人たちを一人ずつ紹介していこう。

 芸人は四人いた。一人目は、ガタイのいい、この中では一番威厳(いげん)があった先輩の芸人だ。そしてめがねをかけた芸人とその相方。四人目の芸人は、ぼくにはかなり印象に残った。ぼくは偶に、この芸人をテレビで見かけることがあるような気がする。気のせいかもしれないが。


 



     *     *     *





 ぼくたちのテントの近くでは、アイスを売り歩いている若い兄ちゃんがクーラーボックスを肩からさげ、浜辺にいる人たちに次から次へと、

――「アイスはどうっすかー?」

と、声をかけて回っている。背はちょっと低いが、イケメンだ。

 テントに集まってくるお客さんの大半は、テントの看板の文字を目に入れず、地べたに並べてあるシーカヤックを少しだけ見て、どこかへ行ってしまう。

 お客さんが二人やって来た。

――「これ、レンタルできるんですか?」

 と、そのお客さんの片っぽが訊く。

――「はい」

――「面白そ。借りたら、どれくらいかかる?」と、尋ねてきた女の人。「千円?」

――「一日で千円」

 女の人の連れの男性は、借りる気があまりなさそうだった。

――「え、どこまで行っても、千円?」

――「あのブイさえ越えなければ、ま」

 ぼくはこの場所と遊泳(ゆうえい)区域(くいき)の境にあるブイを指でさした。

 女の人とその男性が、少しいがみ合いを始めた。

――「借りようよ」

――「いいよ」

――「借りようって」



 結局、二人乗りのシーカヤックをその二人は借りて行った。二人にパドルと海でおぼれないようにするための救命(きゅうめい)()を渡し、シーカヤックを波打ち際まで運んで、海に押しだすところまでぼくは手伝った。

 芸人たちは素知らぬ顔だ。それから、やれやれ……、これで終わった……と思ったら、カップルは海水浴のお客さんがいるほうに漕いでいった。

 船をだし、彼らを注意しに向かった。





     *     *     *





 カヌースクールでは、(たま)に、カヤックにスクールの参加者を乗せ、剣崎(けんざき)の辺りまで漕いでいく。

 剣崎とは三浦海岸の東のほうに見える岬のことだ。正式には「つるぎざき」と呼ぶらしい。


 どうやらそのカップルは剣崎の辺りまで行ってきたようだ。


 ぼくたちも《先生》やスクールの参加者と一緒に、度々『海賊行為』をしたことがある。シーカヤックの前のほうに食べものを積んで、剣崎の辺りまで、船を漕いでいく。


 タンカーが横のほうを通り過ぎれば、その大型船がおこした波にうまく乗る。すると、それでシーカヤックの速さが増すのだ。

 そうしたことは面白かったし、何より海を漕いでいる間は太陽と光を体いっぱいに感じることが出来る。

 けど、そのお陰で、ぼくのユニクロのTシャツが波ですっかり洗われてしまい、サンダルも海に流されてしまった。再びテントに戻ると、西がパイプ椅子に座ってくつろいでいる。

――「遅い」僕は言った。「今、二人出てった」

 西はムッとした。僕はそれで何も言えない。

――「なに買った?」

 西の手もとを見ると、500mlのミルクティー。すこし席を空けて、西は紙パックのミルクティーを買いに行っていた。テントでは、芸人たちが何やら不思議なことばで話していたが、ぼくにはその意味するところが一つも分からなかった。

 要するに、ぼくはまだまだ子どもで、分からないことが沢山あったのだ。


 それからテントを出た。太陽はまぶしく、浜辺は足を焼くように熱かった。どうしようもない熱さなので、ぼくは西からサンダルを借りようかと思った。が、ダメだという。

 ()れて砂がついた足でバッシュをはくのも嫌だったし、結局、足をふく手間を惜しんで、ぼくはダッシュで砂浜をかけ抜けることにした。





     *     *     *





 その日、カヤックを運んだ道路も、足もとが焦げるくらいに熱く、アスファルトが少し溶けているんじゃないかとさえ思った。

 海水浴にきたお客さんや、ウインドサーフィンをやっている人たちが、そこらを練り歩いていた。


 ウインドサーフィンというのは、ヨットのような帆を操って、波の上をボードで滑るスポーツだ。この辺はそのメッカ、聖地なのだ。通行人はみな、水着か、あるいは、特になにも着ていなかった。交通量もだいぶ増えてきて、あぶない橋を渡り終えたところで、ぼくは一息ついた。


 それから、道路脇のコンビニに入ると、クーラーがガンガンかかっていて、ぼくはこのままここに住めるんじゃないかと思った。マンガを立ち読みして少し涼み、紙パックのレモンティーとマンガの雑誌を買った。

 その頃は何を読んでも面白く、ぼくらはなんにでも影響を受けていたのだ。



 コンビニのなかは水着姿の男女で混んでいた。コンビニを出るとサンダルも買っておけばよかったかなァ……と、少し悔やんだ。

 海岸沿いの道路から、テントの方に人が数人集まっているのが見え、先輩の芸人がすでに司会を始めていた。

 芸人さんは、やっぱり話しが上手い。テントに戻ると、めがね君と西が何か話し込んでいた。

 めがね君の相方はずっと海を見ていて、ちょっと無愛想な感じだった。

――「今日はビーチフラッグやるの?」めがね君が言った。

――「やるのかな」ぼくは考えた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ