7話
カヌーに乗り始めてからもう半年たつが、まだ、ぼくはカヌーに乗ることが出来なかった。……いや。それでも良いところまでは行ったのだ。それを今年の夏、急に種目をカナディアンのほうにしたいと言い出したものだから、ぼくは船に乗る技術を身に付けるためのいちばんいい時期を逃してしまった。
本来は、四月の入部とともにカヌーやカヤックに乗る技術を少しずつ覚えていって、八月ごろにやっと乗れるようになるのが一番いい。
ぼくはそれから半年後、翌年の春まで落ち続けていた。冬場の練習は一番つらい。このままではカヌーに乗れないことが分かると、野島公園の周りを、僕は走り込むようになった。
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公園内には神社があり、そこには船の神様をまつった社がある。
野島公園内の山道を含めたコースを、ひたすら走った。《先生》は公園の川べりにあるベンチに座って、ぼくたちがカヌーを漕いだり走ったりするのを、何も言わず、黙って見ていた。
《先生》の自宅がどこにあるのかは知らないが、この公園までトラックに乗って来るのは、やはりお金がかかると、いつかこぼしていた。
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野島は陽が沈んだときがいちばん美しかった。何度も凍るような水の中に落っこち、体中が寒さでガタガタ震えている頃、夕照橋の向こうに、一日の陽が暮れていくさまが見える。
それは追浜が一番美しく映える時で、ちょっと感動的だった。
陽が暮れてからもぼくは少しカヌーを漕いだ。とにかく先に上がりたくなかったからだ。陽が沈んだあとは、水の温度がつらくなる。そこにはあるのは、精神論と根性論だけだ。
そして陽が暮れてしまうと、水に浮いているものが目に入らなくなる。カヌーの先端にライトをつけてはどうかとも思ったが、それはほかの部員から反対された。
暗くなったら上がる。当然だ。カヌーで死人が出ることは、決して珍しいことではないのだ。
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野島から船を担いでS高の艇庫に戻ると、高校の入り口の所にある水道の水でカヌーを洗った。あそこの川の水には海水が含まれているので、上がったあとはこうして水をカヌーにかけてやらないと、船がすぐ錆びてしまう。
それから船を艇庫の棚にもどすと、それでカヌー部の部活はお終いなのだ、が、そこから少し、部員たちの漫才のようなかけ合いが始まる。
ぼくはそれには加わらず、いつもそのかけ合いを黙って見ながら、部室にあるウエイトリフティングの機材を使って、一人ウエイトトレーニングに励む。ベンチに横になって、バーベルを持ち上げて、腕や胸を強くする。
このウエイトリフティングの機材は、何代か前の先輩たちが、体育館からかっぱらってきたものだ。その先輩たちが集まって撮った写真がこの部室にはあり、写真には昔の先輩たちが大集合して写っている。
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それから、ミーティングして、艇庫前の裏門の道をほうきで掃く。ミーティングに《先生》が来る日もあった。普段、適当な態度でミーティングに臨むぼくたちだが、《先生》が来るときはピシッとなった。
サトウ部長と里中センパイの二人は、ミーティングの後も、ウエイトトレーニングをしていくのがお決まりだった。二人ともカヤックの選手で、とてもたくましかった。サトウ部長の一年の時の写真が、ロッカーの裏側に貼りつけてある。いかにも小さくて、弱っちく見える写真だった。
ぼくも遅れて帰途に付く。部長たちとは帰る方向が逆だった。
校舎の方を向くと、決まってハンドボール部が、この遅いなか、練習を続けていた。
そしてその頃には、辺りはもう七時半になっているのだ。