4話
同じ一年のコナンや西、北や女の子の尾瀬、それからスポーツが上手な幸平や太平の二人とイケメンの市、そして里中センパイやサトウ先輩、そうしたカヌー部の部員たちがいつも汗を流している海の家。その海の家が開いている「貸しカヌー置き場」のテントは海水浴場の隣にあった。
「貸しカヌー置き場」にいつもいるのは、主に、西とぼくの二人。それからたまにフク。
そこではカヌーは一人乗りで千円、二人乗りなら二千円で、借りることができる。そしてどこまでも行けるけど、小さい、おもちゃのようなカヤックだ。
そのシーカヤックを海水浴の人が大勢いるところのなかで漕ぐのは、禁止されていた。人が泳ぐところでカヌーは漕いではいけないことに、三浦海岸ではなっているのだ。
そのことは貸す前に必ずお客さんにぼくたちはきつく言っておく。けれど、それでもお客さんは人の多い方でシーカヤックを乗り回したがった。で、その度に僕と西はメガホンを使って、離れたところにいる彼らに警告した。時には同じシーカヤックに乗り、近くまで向かってひとこと言いに行った。だから波が高い時など、とても大変だった。
お客さんはカヤックを出すのに手間取る。シーカヤックをお客さんが出しやすいように波打ち際までもっていって、そこでぼくたちが手で支えてやる。だが、それが波で押し流されて、ざぱん! とひっくり返り、ぼくたちやお客さんにぶち当たることもあった。
☆
ところでここのシーカヤックには一人乗りと二人乗りがあり、僕は、
――「三人乗りのシーカヤックがあればもっと儲かるのになあ……」
と、ひそかに思っていた。三人組でやってくるお客さんが非常に多かったからだ。
それを暇そうにしてる奴らに声をかけまくって、何とか売り上げる。けれど当時はあまり稼いでいるという実感がなかった。
第一、どうせ徴収されるのだ。
海の家は時どき、「ビーチフラッグ」の大会を開いていた。その年はほぼ毎日だ。砂浜に二本の旗をちょこんと立てて、それを一列に寝そべっている五人の参加者が、ピストルの音と同時に勢いよく走って、旗を他の参加者より先に取り合うおなじみの競技。
それで朝早くやって来ては、海の家が主催するビーチフラッグが安全に出来るよう、浜辺に捨てられてあるゴミを拾い、参加者が飛びこんでも怪我をしないぐらい土がふかふかになるようにシャベルで土をほり起こした。
ここらで夜遊びをして、花火を捨てていく人たちは、どんな日の次の日も、後を絶たない。
みなさまも誰かと一緒に海で花火をする時にはどうかゴミだけは持ち帰ってほしい。
作業は主にぼくが一人で勝手にやっていたが、こう必死になって土をほり起こすわけには、練習の時間を作りたかったから、というのもある。こうして畑の畝をつくるように土をほり起こしていく作業は、とても運動になる。
合宿所の庭先に置かれてある「貸しカヌー置き場」のカヤックは、鉄パイプでできた棚に、風で飛ばされないよう、一台ずつ丈夫なひもで結わえてあった。いまはちょうど八月の真ん中ぐらいだ。
働くことは一種の練習に近かった。
今現在。ぼくが何とか食いつないでいられるのは、この頃の経験があるからだ。




