表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
習作時代  作者: 中川 篤
万事順調①
4/45

3話


 ぼくたちが泊る合宿先は、春になると川津桜がきれいな三浦海岸駅から、少し離れたところにある、空き家だった。庭先に鉄パイプで作られた、シーカヤック用の棚はそっくりなくなっているが、その建物はいまも残っていて健在だ。

《先生》は学校からカヌー部を任されている機械科の教師とは違って、高校の外の人間だった。

 何度かオリンピックに出たということが《先生》のとりわけ自慢だった。それに教え子から何人も人材を出したということ、そういったことも《先生》の自信につながっていたらしい。

 だから《先生》はよく思い出話や、プロレスラーをやってい息子さんの話をすることがあった。それは聞かされて、それほど悪い気のするものではなかった。

 ところで、先生が今健在かどうか、ぼくは知らない。

 そんなぼくに、「先生殺してよ〜」、と部員の一人はよく言った。 

 なんと返して良いのかわからず黙っていると、

――ショウリンならできるって! ねぇ〜!

 と、いつも言うわけだ。

 先生が死ぬところはあまりイメージができない。死なないという感じがどうもする。その合宿先に使った空き家が《先生》のものだったのか、それとも常務のSさんのものだったのか、それはよく覚えていない。

 合宿所の中には本棚とカヌーの小さな、そして細かいところまで再現された模型があり、本棚には古びた芥川龍之介という人の本があった。他に大したものは何もない。ぼくらが来てからどんどんこの家は生活感が増していくこととなった。

 合宿所は平屋建て、つまり、二階がなかった。潮風には弱く、台風が来ると驚くほどガタガタいった。

 《先生》は部員をここに住まわせて、自分はこことは別のほかの家に住んで、トラックで時どき、ぼくたちの様子を見に来た。



 ぼくと同じカヌー部一年のフクは、一度だけそこの先生の自宅に連れて行ってもらったことがあった。

 中にトロフィーやメダルがあたり一面に飾られている部屋があって、色はどれも金か銀、或いは銅だった。数えてみれば百はくだらないだろう。どれも《先生》やその家族がスポーツの大会で取ったものだ。ぼくも見たが、そこを見たのはこの一度きりで、どこにあるのかは不明だ。

 ぼくは家が近いこともあり、家から電車で通っていた。

 昼は三浦海岸駅の近くの山を上がった所にあるホテルのプールで、自分とフクはプールの番と作業をし、残りの部員たちはホテルが経営する海の家でバイトをする。

 そして夕方から《先生》は全員をそろえて、ぼくたちの練習を見た。

 ホテルのフクダさんがその頃ぼくらを応援し、何かと面倒を見てくれたところを見ると、ぼくたちはとても期待をかけられていたのだなあ、と今では思う。

 ぼくはあんまり参加しなかったが、海の家のほうはとてもにぎわっていた。カヌー部の合宿は海開きと同じ頃からなので、台風が来ると、ぼくらは山の上にあるプールに行き、プールの裏手にある、カヌーの棚に乗っかっているカヌーや、シーカヤックたちを一つずつひもで縛った。

 ひもの扱い方は、カヌーをしていれば必ずうまくなる。

 けど、残念、今ではほとんど忘れてしまった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ