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習作時代  作者: 中川 篤
青春の終わり
32/45

31話


 その年の九月も、また雨の多い月だった。

 朝、雨がふった後、そのまま天候が曇っていると川は陽に温められないので水温は極度に冷たい。


 ぼくは、ウェットスーツを着た。


 昨日水に落ちたばかりなので、なかが湿っていて少し気持ち悪い着心地だった。ウェットスーツを着て練習するのも今ではぼくとフクだけだった。

 里中センパイ曰く、一度目の冬を乗り越えた人間は、そのままカヌーを続けることになるのだそうだ。ぼくはこうして二度目の冬に入る。そして辞めてしまった。



       ☆



 秋から冬にかけての野島はきびしかった。容赦などはしてくれない。川の真ん中で「沈」し、岩礁に直撃し、河口でふたたび「沈」してカヌーを海に流されそうになったり、様々な場所、様々な態勢で船から「沈」した。


 その内、今年もまた、全身が子犬みたいにガタつくはめになった。ぼくはおなじみの根性論で何とかしようと思った。寒けりゃ陸に上がって何とかすればよかったのだ、が、寒すぎて頭が回らない。


 一度陸に上がると負けになるような気がしたし、それをするとぼくは練習を切り上げてしまうだろうことが分かっていた。二度もカヌーを出すくらいなら、切り上げたほうが良いと思っていたのだ。

 野島での練習は孤独なものだ。《先生》は公園のベンチに腰掛け、こちらを黙って見つめている。その頃にはなかったが、今の野島公園にはあるものに川沿いの柵がある。つまり満潮のときなら、当時は川沿いのどこからでもカヌーに乗ることができたということだ。

 ただその無理な乗り方をすると船体が壁岸にこすられて嫌な傷跡が船に出来る。


 ぼく達は《先生》の前を何往復も何往復もした。野島は距離が短いので、どちらかというと、100mや500mの選手を育成するのに向いている。時たまカヌーが釣り人の針に引っかかり、そういう時はひどく面倒なことになるので、なるべく船は川の中央を漕ぐように命じられていた。



 カヌーの腕前はなかなか上達しなかった。一向に。他の部員も大体カヤックの選手で、カヌー・カヤック競技は前を漕ぐ他の選手から、上達の糸口を見出す。


 冬に入ってから、練習はますます厳しいものになった。川は更に冷たくなった。ぼくは依然としてカヌーを乗りこなせず、船から落ちることが一日に何遍とあったし、乗れてもまっすぐに進まなかった。


 何がいけないのだろう?


 この船がまっすぐ進まないのは、何も技術的な問題だけではないような気がぼくにはした。根性が曲がっているからだろうか。とも思った。

《先生》は技術の中でも、カヌーをまっすぐ進ませることが、「何より難しい」と、言った。それは何故か。ぼくは考えたこともなかった。


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