2話
高校一年の夏休み、ぼくたちはカヌーの合宿を三浦海岸の浜辺ですることになった。
説明しよう。
カヌーには二種類あって、カヤックとカヌーがある。これから説明するのは主に競技用の話で、実際にはかなりの種類と歴史があるのだけど、それは説明すると長くなるので、気になったら自分で調べてみてほしい。
競技用の見わけ方は簡単。
パドル、つまり船を漕ぐときにつかう「櫂」という棒だが、それに水を漕ぐ部分が棒の片方にしかついていなければ、カヌー。
両端についていれば、カヤック。
カヌーはカナディアン・カヌーとも言って、体を船の外に出して漕ぐけど、カヤックは胴体よりの下の部分を、全部船のなかに入れて漕ぐ。
そしてカヤックにはカヌーにはない「舵」というものが付いている。
この船のなかに取り付けてあるレバーを足で、右! 左! と操作することで、カヤックは進む方向を自由に変えることができるというわけ。
《先生》が言うには、女の子がやるにはちょっと厳しいスポーツだという。やる人はやるが。
☆
ぼくは部に入って早々、この合宿の少し前、海で遭難しかけたことがある。
どういうことかというと、一年生部員は皆、競技用のカヌーがうまく乗れるかどうか、はじめにまずシーカヤックというものに乗せられる。シーカヤックというのは海用のカヌーで、大体どれも性能がいい。
それに落ちた。
野島公園はなかに川があって、そこからは海も近い。ぼくがシーカヤックを始めて漕いだのは、春の時期になると潮干狩りの人が大勢集まってくるアサリが棲む野島公園の海岸だった。
ここはアサリがよく捕れるから、春は人で混む。足もとのエイに刺されないよう注意さえすれば、ただでたくさんアサリが捕れるいいところだ。
ところでぼくは船の向きを変える方法がわからず、潮干狩りシーズン前の誰もいない海を、他の部員たちと一緒に、クルクルと回転ばかりしていた。それからぼくのシーカヤックは、沖からだいぶ離れたところで、沈した。
――「おーい」
ぼくが助けを呼ぶと、まもなくコナンと西がやって来たが、どうすることも出来ない。
カヌーがひっくり返った時には、一人が船を支えて、落ちた人間をひっぱり上げてまた中に乗せる。けどそんな方法など思いつきもしなかったし、ぼくは知りもしない。
段々こわくなってくると、シーカヤックは沖とは逆の方へ流されていった。このままでは、と思った時、自然にぼくは手は船から手を放していた。
――「助けてくれっ」ぼくは叫んだ。
すると、
――「何してんだよ、ショウリン! 船を捨てるなよ!」
そう怒られて、しゅん、と目が覚めた。ショウリンとはぼくの事だ。途方に暮れるとはこういうことを言うのか。
ああこりゃ死ぬな。
と、急に時間がひきのばされたように、ゆっくりとぼくには感じられた。なすすべがひとつも無くなったときにはこういう風になるらしい。
が、どうやら運が良かった。シーカヤックから手を離した後、二人の船まで泳いでしがみ付いて、さっきも書いたとおりこっぴどく言われて、トボトボと自分の船にもどっていった。けどその途中で体が海底にずぼっと沈んだ。死んだと思った。すると足がホントにギリギリで、海底に着いた。
というわけでぼくはこうして生きている。浜に上がると、先生が嵐のように怒鳴り散らし、まもなく本当に嵐がやってきた。ぼくはこんな部は絶対にやめてやる、と心に誓った。翌朝、たまたま朝刊を読むと、カヤッカーが一人死んでいた。




