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習作時代  作者: 中川 篤
青春の終わり
29/45

28話


――「横着者が!」

 これが《先生》がぼくたちに対してよく使う言葉だった。

 使わせたのは主にぼくとうちのフクだ。

 ことしは雨の多い夏で、例年通り台風が来ると、カヌー置き場のカヌーをぼくらは紐でくくった。そうしないと棚に積まれているカヌーが、台風でどっかに飛ばされてしまうからだ。


 ところで、残念なことに、その年の合宿は台風が多かった。家から出ることさえままならなかった日が、何日も続いて、その年は雨と台風の天気に見飽きていた。珍しい年だったと思う。前日の台風が過ぎると、ぼくたちは台風の被害を見にプールの方に向かった。プールは昨夜の嵐で、木から落ちた葉っぱが水面に浮いて、しかもそのせいで水が濁ってしまい、汚かった。紐で縛った甲斐があったのか、カヌーには被害はなかった。これは喜ばしいことだ。



       ☆



 《先生》は壊れたカヌーの面倒を見ることもあった。穴が開いたシーカヤックを、《先生》はいとも簡単そうに直した。ぼくたちもそれをたまに手伝った。

 そうした《先生》の腕前をどこかから聞き及んでくるのか、それとも噂になっているのか、《先生》の元にはカヌー修理の依頼が時おり舞い込む。大体カヌーの(大半はシーカヤックなのだが)直し作業は、その傷口をパテで固めたり、時にはFRPの繊維を強力な接着剤で何層にも張り付け、固めた部分をさらに削って、上から同じ塗料を塗り付けたり、と、手のかかる作業だ。この辺りでそんなことができるのは、その頃のぼくの知る限り《先生》くらいしかいなかった。ぼくの狭い人脈だから、それ程あてにはならないが。

 とにかく、紙やすりでシーカヤックの表面を削る作業は粉まみれになる。客足は途切れることがなかった。



 僕達は青春の大半をカヌーの面倒を見ることに費やしていた。それは中々退屈ではあったが、そのなかにいる間は充実した気持でいられた。若者らしい生き方は、もっと他の場所にあるのではないか、そんなことをぼくたちは少し思った。いや、実際そんなことを、他の部員が考えていたかどうかは謎だ。たぶん考えていたと思う。一度、自分の洋服のあまりのダサさに泣いたことがあるくらいだから。


 それでも三浦海岸の合宿所は、今年も昨年同様、楽しげで、持ち込まれた娯楽で一杯になっていた。運動部の宿舎なんて大体こんなもんだ。S高は青森山田などとは違うのだから。



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